学位論文要旨



No 116020
著者(漢字) 神野,達夫
著者(英字)
著者(カナ) カンノ,タツオ
標題(和) 深部地盤構造を考慮した建築構造物への入力地震動に関する研究
標題(洋)
報告番号 116020
報告番号 甲16020
学位授与日 2001.03.27
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4857号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 工藤,一嘉
 東京大学 教授 小谷,俊介
 東京大学 教授 壁谷澤,寿海
 東京大学 助教授 大井,謙一
 東京大学 助教授 高田,毅士
内容要旨 要旨を表示する

設計用入力地震動の作成や地震防災計画の立案のために強震動予測は不可欠の要因である.強震動予測を行うには震源特性,伝播経路特性,および地盤震動特性の3つの要因を明らかにし,地震動の性状を空間的に把握する必要がある.中でも表層地盤の特性が大きく影響する事は我々が過去に経験した被害地震を見ても明らかな事である.表層地盤の増幅特性はその地下の形状や速度構造の影響を大きく受けるため,如何にして地下構造を推定するかが重要な課題となる.

 地下構造推定方法としては,PS検層や人工震源を用いた反射法や屈折法などの物理探査法があるが,経済的な問題や人口の密集した都市部では適用が困難な場合が多い.また,強震動予測においてはS波速度構造が地震動の増幅に基本的な寄与になる.さらに,平成10年6月12日に改正され,平成12年6月1日に施行された建築基準法における地震力は,従来の算定法に加え,あらかじめ設定された工学的基盤(Vs = 400m/sec以上)での応答スペクトルに地域係数と表層地盤の増幅特性を掛け合わせて算定することも取り入れられた.この際,表層地盤の増幅特性はその建設予定地に応じて設計者が独自に算定することになっており,表層のS波速度構造や表層地盤の増幅特性をより的確,かつ簡便に推定する方法への需要は大きくなると思われるが,1995年兵庫県南部地震では建物の被害に大きな影響を及ぼすような地震動の生成に深部基盤までの速度構造の関与が指摘されており,このような深い構造の把握が極めて重要になっている.浅部のS波速度構造を求める手法はいくつかあるが,深い地盤まで推定可能な手法はボーリング孔による検層と微動アレー観測以外にはない。微動アレー観測は微動に含まれた表面波を抽出し,その分散性から遺伝的アルゴリズムなどの逆解析を用いてS波速度構造を推定する方法であり,安価でかつ都市部でも簡便に適用可能という利点がある.しかし,表面波の分散性からS波速度を求めるという間接測定量のため,強震記録などの直接測定量を用いた実証的確認を行いながら利用されることが望ましい.

 そこで本研究ではEuro-Seistest (Volvi Valley,Greece)および足柄平野において微動アレー観測を行い,強震記録や既往の地下構造モデルとの比較を通じて微動アレー観測から推定された地下構造の妥当性を検討するとともに,微動アレー観測による地下構造の推定の有効性を検証した.観測の結果,Euro-SeistestでもVs=2km/sを超えるような基盤までの構造やその速度が明らかになった.また,足柄平野では深さ2〜3km程度までの構造が推定され,複雑な基盤形状が明らかになった.さらに推定された地下構造は既往のモデルと概ね良い整合性を持ち,特に足柄平野におけるPS検層による地下構造との比較では,それぞれの構造から算出された地盤の理論増幅特性において,ほとんど遜色のない結果が得られた.この結果は微動アレー観測によって推定された地下構造が地盤震動特性の評価に十分適用可能であることを示唆している.

 1999年8月17日,トルコ共和国西部でマグニチュード7.4の地震,トルコ・コジャエリ地震(Kocaeli,Turkey earthquake)が発生し,イズミット(Izmit)市などトルコ西部の主要都市やその周辺地域において極めて甚大な被害をもたらした.この地震における被害の多くは断層の直上で起きており,断層破壊過程に伴う地震動特性が被害に対して大きな影響を及ぼしたと考えられる.しかし,震源域のギョルジュク(Golcuk)やアダパザル(Adapazari)では狭い範囲内で被災度が大きく異なり,さらに断層からやや離れたイスタンブール(Istanbul)の西,アブジラル(Avcilar)でも建物の倒壊などの被害が多く見られた.したがって被害は断層の破壊過程によるものだけでなく,地盤震動特性が大きく影響したと考えられる.強震記録は被害や震源過程の解明に対して非常に重要であり,トルコ・コジャエリ地震ではトルコ公共事業住宅省防災局地震研究部(Earthquake ResearchDepartment,Directorate for Disaster Affairs of the Ministry of Public Works and Settlement;ERD)やカンデリ地震観測所(Kandilli Observatory and Earthquake Research Institute;KOERI),イスタンブールエ科大学(Istanbul Technical University)などによって強震記録が得られおりインターネットを通じて速やかに公開された.しかし,トルコにおける強震動ネットワークの密度はあまり高くないため,大きな被害を受けた地域の記録はほとんどない.さらに強震観測点や被災地では地質や地下構造の詳細なデータがないため,被害の要因として地盤震動特性がどの程度関与していたかを説明することは現存の資料だけでは困難であった.そこで,強震観測点と周辺の被災地において微動アレー観測を行い,S波速度構造を推定した.その結果,断層近傍の強震観測点は比較的硬質な地盤上に存在し,その一方,被災地は厚い堆積層に覆われていることが明らかになった.したがって,観測された強震記録をそのまま被災地に適用できないことが分かった.

 そこで,微動アレー観測によって推定された地下構造を用いて被災地における本震時の強震動の推定を行った.用いた手法は1次元波動論による剥ぎ取り法と経験的グリーン関数法である.1次元波動論に基づいて本震時の強震動の推定が行われたアブジラルの強震動はその近傍の強震観測点ATS同様,大振幅で1秒よりも長周期の成分が卓越する地震動であったと推定され,その地震動のレベルは1968年十勝沖地震の八戸港湾と同等であった.また経験的グリーン関数法によって強震動が推定されたギョルジュクの地震動は1995年兵庫県南部地震の神戸海洋気象台と同等の破壊力を有していたと推定された.さらにアダパザルの地震動は1968年十勝沖地震八戸港湾の2倍以上の地震動レベルであると推定された.

 さらにギョルジュクで行われた微動観測の結果から地下構造のモデル化を行い,これをもとに推定された強震動と日本建築学会トルコ・コジャエリ地震被害調査団(団長:壁谷澤寿海教授)による全数調査の結果との比較から強震動と被害の関係について考察を行った.市街地を東西に横切る幹線道路に沿う地域の被災度の差は推定された地震動でおおよその説明が可能であった.このことは推定された地震動の妥当性を示唆している.しかし,南北断面では一部に被災度と地震動の破壊力の相対関係が逆転するところが見られた.北側地域と南側地域の建物の階数による分布は大きく異なることから,低層および中層に分けて被害と地震動の破壊力を比較すると,ギョルジュクの地震動は中層建物により大きな被害を与えることが分かった.したがってギョルジュクの南側地域の被災度が抑えられている要因は,この地域には低層建物が多く,一般によく指摘されるように余剰耐力があることだけでなく,このような建物に対する地震動の破壊力が相対的に小さかったことにあると結論付けた.

 以上を総括すると,微動アレー観測によって推定された地下構造は既往の地下構造モデルと良い対応を示し,地盤の増幅特性という観点では,PS検層と同等の能力を有する.さらに近年の構造物の長大化や建物の被害に対して1秒付近の地震動が大きな影響を及ぼすとの指摘を考えると,やや深いS波速度構造を考慮することが重要であり,このような構造を推定するには微動アレー観測が最適であると言える.また,やや深い地下構造を考慮して推定されたトルコ・コジャエリ地震の強震動は概ね被害を説明することができ,地盤の増幅特性が被害に大きな影響を及ぼしたことが明らかになった.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は,『深部地盤構造を考慮した建築構造物への入力地震動に関する研究』と題して,地震および微動の観測と強震記録の解析的研究から,強震動特性を支配する要因であるやや深い地下構造および断層破壊過程に検討を加え,かつ実際の建物被害と入力地震動との関連ついてまとめた研究である.

 建築物への入力地震動として評価すべき強震動は極めて複雑な要因に支配されている.地震が断層(岩石)の破壊という複雑な力学系に支配されることはもとより,観測される地震動,あるいは建築物への地震動入力は伝播経路や地表付近の不均質媒質による影響を受け,さらに複雑な特性を持つことになる.入力地震動研究ではこれらの要因を的確に把握するためにこれまでも多くの努力が払われてきた.特に我が国では地盤震動研究の歴史は長く,またごく表層の影響を知るべく地中観測を中心とした地震観測も多く手がけられてきた.しかしながら,1995年兵庫県南部地震による建築物被害とその原因追求から,1kmに及ぶ深さの堆積層および回折波を含む複雑な波動伝播が通常構造物への大きな要因として指摘され,深部地盤構造の把握が必要とされるに至った.さらに,最近の地震学における不均質断層運動の解明が進み,入力地震動として捉えるべき断層近傍の地震動がようやく工学的視点からの議論も可能になったが,設計基準などに取り込む段階には至っていない.

 このような背景は第1章において議論されており,既往の研究の評価と本論文での研究目的・位置づけが整理されており,採用した参考文献およびそれに対する評価・位置づけは適切である.

 第2章は本論文の基本構成をなし,一貫して使用する深部地盤構造の決定手法に関する理論的背景および実用性を議論している.深部構造の把握にはボーリング孔を利用する直接測定がもっとも信頼性が高い反面,膨大な費用を必要し,きわめて特殊な目的に限られる.本論文で採用した微動のアレー観測には多くの費用は必要としないため,建設サイトでの利用が可能である.この手法は,微動に含まれる表面波の分散性からS波速度構造を推定する間接的手法である.手法の提案は決して新しいものではないが,実用化に向けた観測・議論はごく近年のことである.そのため,入力地震動評価に用いることができるか否かの検証を必要とする.本章では,深部地盤構造が他の手法で求められており,かつ地質構造が異なる二つの実験地で実践的に検証し,地盤構造決定に人為性を排除する逆解析の適合性も確認している.この確認の下に,地盤構造資料のないトルコでの観測と解析を実施し,強震観測点および1999年トルコ地震の被災地の地盤構造を推定している.

 第3章ではトルコ地震の強震記録と推定した深部地盤構造との関係を解析的に検討し,推定した地盤構造の妥当性を検証した.その延長として,強震記録が得られなかった被災地での強震動を推定し,被害との対応について検討している.やや遠方での被災地(アブジラル)では厚い堆積層のゆえに地震動が増幅され,その周期1秒前後の地震動は1968年十勝沖地震の八戸港湾の地震動レベルと同等であると結論し,我が国の旧基準の建物には被災の可能性があることを指摘した.また,震源近傍では地盤の非線形性と余震記録を経験的グリーン関数とする地震動評価法を取り入れ強震動の推定を行っている.対象としたアダパザル市街地は大きな被害を伴ったが,数kmしか離れていない強震観測点周辺はほとんど被害を受けていない.多くの建物被災はアダパザル市街地の厚い(100m以上)軟弱層に起因するが,断層のアスペリティとその破壊進行方向および放射特性も少なからず影響していることを指摘した.また,日本建築学会調査団が詳細調査したギョルジュク周辺においてアレー微動観測および余震観測を実施し,2段階での経験的グリーン関数法の適用により強震動を推定した.その際,本震時の地盤の非線形挙動を評価するため,地表で得られた余震記録は微動から求めた地盤構造を用いて基盤地震動に引き戻して評価され,次に基盤地震動での経験的グリーン関数法を適用して本震時の基盤地震動が作成され,最終的に非線形挙動を考慮して地表地震動を求める手法が用いられている.この手続は本論文による新しい提案である.

 第4章では第3章において推定したギョルジュクの強震動(数箇所)と日本建築学会の調査に基づく被災度との比較検討を行い,かつ微動の水平動/上下動の振幅比(Rayleigh波を仮定)から地盤構造の空間補間を試みた.このようにして推定された強震動分布と被災度分布との比較を行い,ごく震源の近傍であっても建物被災には地盤の影響が大きかったこと,断層破壊の進行方向による影響などが二次的に影響していることを指摘した.またギョルジュク周辺の地震動は周期1-2秒が卓越し,4階建て以上の中層建物に厳しい地震動であり,被害程度と調和的であることを指摘した.

 第5章に全体を整理し,建築物の耐震安全性を考慮する際に深部地盤構造の把握とその影響を重視する必要性と,地盤構造を把握するためのアレー微動観測法の妥当性,および震源近傍でのアスペリティと観測サイトとの位置関係が重要であることを結論づけている.

 本研究は、深部地盤構造の把握が入力地震動評価に極めて重要であることを指摘し,かつ把握のための手法を実践的な検証のもとに提案している.またそれを実際の被害地震に適用し,今後の耐震安全性検討のために貴重な資料も提供しており,耐震工学発展への貢献度は高い.

 よって,本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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