学位論文要旨



No 116023
著者(漢字) 村岡,宏
著者(英字)
著者(カナ) ムラオカ,コウ
標題(和) 都市部における伝統木造建築の火災安全に関する研究
標題(洋)
報告番号 116023
報告番号 甲16023
学位授与日 2001.03.27
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4860号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 菅原,進一
 東京大学 教授 坂本,功
 東京大学 教授 鎌田,元康
 東京大学 教授 坂本,雄三
 東京大学 助教授 野口,貴文
内容要旨 要旨を表示する

 本研究では火災安全から見た都市部の伝統木造建築の実態及び問題点を寺社建築を中心に考察すると同時に、防火・準防火地域に指定された都市部において寺社建築に代表される伝統木造建築が新規に建造されるための要件を主として類焼防止の観点から論じたものである。

 まず、都市部における伝統木造建築の内、特に寺社建築について、その構造、規模、立地条件、防火管理の現状、周辺市街地との関係を調査する事で、このような寺社が抱えている火災安全上の問題点を抽出し、伝統木造建築が都市部に存在していくための防火的要件の整理を行った。さらに、一般ユーザー及び建物所有者の視点からみた伝統木造建築の二ーズや木材用防火塗料の性能について論じた。また、都市部の火災安全を考える上で重要となる類焼防止を達成するための条件や、類焼防止設計法ならびに評価法を示した。以下に各章毎の内容の要旨を列挙する。

 第1章「序論」では都市部の伝統木造建築の火災安全性に関わる研究の背景を整理し、本研究の目的と課題を明らかにした。設定した課題は以下の5つである。

 (1)都市部における伝統木造建築の実態と防火安全上の問題点の把握

 (2)都市部における伝統木造建築物に求められている材料、工法の把握

 (3)木材用防火塗料の性能評価

 (4)類焼防止から見た都市部の伝統木造建築の安全条件の把握

 (5)類焼防止対策とそれらの簡易性能評価法の提案

 また、本研究に関わる既往の研究として、木造建築の防火性能、都市防火、木材の着火性・燃焼性についての研究を時系列的に整理した。また、建築全般における防火設計法の中での本研究の位置づけを明確にすると共に、本研究の流れと全体構成を示した。

 第2章「伝統木造建築に関わる法規制」では伝統木造建築に関わる法規制について、建築基準法を中心に整理した。特に木造建築に関わる集団規定と単体規定の要求性能及び、集団規定の根幹を成す防火地域制の成立過程について時系列に整理した。また、旧建築基準法38条に基づく伝統木造建築の性能設計例について湯嶋天神の事例を中心に述べると共に、伝統木造建築の防火性能設計の中でも重要である類焼防止設計に関する評価基準を整理した。さらに、平成12年6月より施行されている改正建築基準法について、伝統木造関連の建築規制に関する旧基準との変更点、ならびに性能規定における伝統木造建築への適用可能性を示した。

 第3章「文化財建造物の火災事例及び防火管理に関する分析」では文化財に指定された伝統木造建築の火災事例及び防火管理に関する調査結果より、出火原因や人的防火管理の事項について、都市部における伝統木造の主たる建築用途である寺院・神社を中心に分析を行った。

 分析の結果、火災原因としては放火が最も多い事、特に植物性屋根の文化財建築を除いた集計では放火が出火原因の48%を占める事が判明した。また、夜間の放火が多く、神社よりも寺院の方が放火される割合が高い事、出火時に出火建物が無人であった事例が全体の7〜8割である事が明らかとなった。寺院・神社とも委託警備を実施している割合が極端に少ない事や自衛消防隊を組織していても構成員の少数化や高年齢化が進んでいる現状も明らかになった。

 以上より、木造寺社の防火管理に関しては、出火の恐れのある建物と人間が常駐する建物間の距離的問題を補うシステムや、少人数化、高齢化の進む管理者をサポートするための地域協力体制の確立、委託警備、機械警備などのバックアップ体制の重要性が認められた。

 第4章「台東区における寺社建築とその防火管理に関する実態調査」では防火・準防火地域に指定された都市部において木造寺社建築が存在していく上での防火的要件を検討するため、台東区における寺社建築の建築構造、規模、立地状況及び防火管理に関する調査を実施した。そして、台東区内の寺社建築の使用材料、建築構造種、建築規模ならびに火災安全に関する様々な要件について項目別に分析を行うと共に、建築規模、人的防火管理、防火設備、及び消防活動に関する項目間の相関関係を分析し、都市部の寺社建築が抱えている防火性能上の問題点の抽出を試みた。

 調査・分析の結果、台東区の寺社の内、純木造は36.4%、防火木造は16%であり、木造寺社が全体の52.4%を占める事、谷中地域では敷地が広い純木造寺社が多いが、西浅草地区では敷地の狭いRC造の比率が高い事が判明した。また、寺社の構造種に関わらず、消火器、水バケツの設置率は高いが、その他の防火設備の設置率はきわめて低い事が判明した。

 各調査項目間の相関分析の結果からは、建築面積や敷地面積が大きくなる程、昼間の常駐人数や設置される防火設備が充実するが、建築面積や敷地面積が広い分、全体的な監視能力は向上しない傾向が認められた。

 第5章「都市における寺社建築の材料・工法の評価構造に関する分析」では、都市部の寺社建築にはどのような工法、及び建築材料が求められているかを探るため、(1)都市部における寺院、神社及びこれに用いられる各種建築材料に関する印象測定、(2)都市部における寺社建築に求められる工法及びその選択理由に関するアンケート調査の2種類の調査・分析を行った。

 (1)のSD法による印象測定からは因子分析の結果、「情緒的評価」、「伝統・自然」、「性別・重量」の3因子が抽出され、これら3因子を軸とする3次元空間(意味空間)上における位置関係より、寺院及び神社は天然木材及び天然石材と相性がよく、プラスチックと最も相性が悪い事、神社は寺院に比べて鉄、アルミ、合板、プラスチックとの相性がよい事等が明らかとなった。

 (2)のアンケート調査からは、都市部における寺社建築に求められる工法として、一般ユーザーでは伝統木造工法の選択率が約55%と最も高い支持を得たが、寺院所有者では伝統木造風のRC・S造と伝統木造風でないRC・S造の2つの工法の選択率がそれぞれ約30%と高く、伝統木造工法の選択率は約20%である事が判明した。但し、寺社所有者に法規制を考慮しない条件で再度ヒアリングしたところ、伝統木造工法の選択率は約40%に増加した。

 第6章「伝統木造建築の防火性向上を目的とした防火塗料の性能評価」では難燃化の機構が異なる数種類の木材用防火塗料に対して、ISO5660-1で標準化されているコーンカロリーメーター法による燃焼実験を行い、各種防火塗料の着火・燃焼性状の定量的な評価を行った。

 実験の結果、発泡系以外の防火塗料では無塗布と比較して着火限界放射強度が1.2〜1.5倍大きくなった。また、炭化促進系、及び表面被膜系の塗料では最大発熱速度及び着火後300秒間の平均発熱速度が無塗布と比べて減少し、表面被膜系の燃焼時間は無塗布と比較して増加した。発泡系の塗料は発泡により口火なしの点火方法を採らざるを得なかったため、他の防火塗料の性能との直接比較はできなかったが、着火防止・燃焼抑制の効果は最も高いと考えられる。

 木材内部まで難燃剤を浸透させる手法と異なり、防火塗料では表面のみの難燃処理であるため、一旦着火すれば燃え尽きるまでの総発生熱量は無塗布の木材と大差はないが、着火防止・燃焼抑制の効果は十分認められた。

 第7章「類焼防止から見た都市部の伝統木造建築の安全条件」では台東区の寺社建築の実態調査より、純木造寺社建築の相隣関係に焦点をあて、これらの寺社について周辺建物との離間距離、周辺建物の構造種、開口の有無、等に関して追加調査を行った。これらのデータを基に加害・受害に関する類焼予測を行い、都市部における純木造寺社建築の類焼防止性能評価を行うと共に、都市部の相隣関係において類焼のおこらない条件について論じた。

 台東区の純木造寺社建築では類焼判定が合格となるものは全体(120件)の17.5%であり、類焼判定が合格となる純木造寺社は震災・戦災により一度焼失して後で不燃化が進んだ地域に多く分布する事が判明した。

 隣接建物との離間距離は一般の市街地では2〜3mで最頻値となるが、谷中地区では3〜4mとなり、一般の市街地より若干大きくなった。離間距離別の類焼合格率から類推すると、類焼しない離間距離は隣接建物が耐火造で5m以上、防火木造で15m以上である。また、隣接建物が純木造の場合の延焼限界距離は通常規模の寺社では34mとなる。

 受害防止性能の指標である許容放射受熱量と受害合格率の関係は線形関係ではなく、許容放射受熱量の増加に対して逓減型の増加関数となる。一方、加害防止性能については、寺社側の建物重量減少速度の減少と共に加害合格率は増加するが、増加率は緩慢であり、実現可能なオーダーで重量減少速度を削減しても加害合格率を向上させる事は困難であることが確認された。

 第8章「伝統木造建築の類焼防止対策とその評価方法」では樹木、散水膜、遮蔽板の放射熱遮断効果を放射熱の透過率という統一的な指標で表す方法を示した。これより、各種対策が複合的に使用されたり、放射面を部分的に遮断する場合でも、任意の点における放射受熱量を算定し、類焼判定を行う事が容易に可能となった。類焼の防止には放射熱の低減の他、防火塗料の塗布等による許容受熱量の向上が考えられ、これら両面から対策を考慮することでより最適な類焼防止設計を行う事ができる。評価手法の簡略化のため、若干安全側の仮定を取り入れた部分もあるが設計段階において類焼防止性能の評価を行い、最適な類焼防止対策を講ずるためのツールとしては実用上問題ないと考えられる。

 第9章「結論」では本論文の総括として各章で得られた結論を整理すると共に、本研究の成果を利用して現状の法制度で都市部に伝統木造建築物を建造する上での問題点や今後の研究課題について論じた。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は・火災安全から見た都市部の伝統木造建築の実態及び問題点を寺社建築を中心に考察すると同時に、都市部において伝統木造建築を新規に建造し得る要件を類焼防止の観点から主として論じたものである。

 第1章「序論」では、都市部の伝統木造建築の火災安全性に関わる研究の背景を整理して本研究の目的と課題を明らかにし、既往の研究として木造建築の防火性能、都市防火、木材の着火性・燃焼性についての研究を時系列的に整理して建築全般における防火設計法の中での本研究の位置づけを述べている。

 第2章「伝統木造建築に関わる法規制」では、伝統木造建築に関わる法規制について建築基準法を中心に整理し、特に木造建築に関わる集団規定と単体規定の要求性能、および集団規定の根幹を成す防火地域制の成立過程について時系列にまとめ、平成12年6月より施行されている改正建築基準法については、伝統木造関連の建築規制に関する旧基準との変更点ならびに性能規定における伝統木造建築への適用可能性を論じている。

 第3章「文化財建造物の火災事例及び防火管理に関する分析」では、火災原因として放火が最も多い事、特に植物性屋根の文化財建築を除いた集計では放火が出火原因の48%を占める事、夜間の放火が多く神社よりも寺院の方が放火される割合が高い事、出火時に出火建物が無人であった事例が全体の7〜8割である事、寺院・神社とも委託警備を実施している割合が極端に少ない事、および自衛消防隊組織の少数化や高年齢化が進んでいる事を明らかにしている。

 第4章「台東区における寺社建築とその防火管理に関する実態調査」では、台東区の寺社のうち、純木造は36.4%、防火木造は16%であり木造寺社が全体の52.4%を占める事、谷中地域では敷地が広い純木造寺社が多いが西浅草地区では敷地の狭いRC造の比率が高い事、寺社ではその構造種に関わらず消火器、水バケツの設置率は高いがその他の防火設備の設置率はきわめて低い事、および各調査項目間の相関分析から、建築面積や敷地面積が大きくなる程、昼間の常駐人数や設置される防火設備が充実するが建築面積や敷地面積が広い分、全体的な監視能力は向上しない事を検証している。

 第5章「都市における寺社建築の材料・工法の評価構造に関する分析」では、SD法による因子分析の結果、「情緒的評価」、「伝統・自然」、「性別・重量」の3因子が抽出され、これら3因子を軸とする3次元空間(意味空間)上における位置関係より、寺院及び神社は天然木材及び天然石材と相性がよく、プラスチックと最も相性が悪い事、神社は寺院に比べて鉄、アルミ、合板、プラスチックとの相性がよい事、またアンケート調査からは都市部における寺社建築に求められる工法として、一般ユーザーでは伝統木造工法の選択率が約55%と最も高い支持を得たが、寺院所有者では伝統木造風のRC・S造と伝統木造風でないRC・S造の2つの工法の選択率がそれぞれ約30%と高く、伝統木造工法の選択率は約20%である事を明らかにし、寺社所有者に法規制を考慮しない条件で再度ヒアリングした場合、伝統木造工法の選択率は約40%に増加したと述べている。

 第6章「伝統木造建築の防火性向上を目的とした防火塗料の性能評価」では、発泡系以外の防火塗料では無塗布と比較して着火限界放射強度が1.2〜1.5倍大きく、炭化促進系、及び表面被膜系の塗料では最大発熱速度及び着火後300秒間の平均発熱速度が無塗布と比べて減少し、表面被膜系の燃焼時間は無塗布と比較して増加し、発泡系の塗料は発泡により口火なしの点火方法を採らざるを得なく他の防火塗料の性能との直接比較はできないが、着火防止・燃焼抑制の効果は最も高いと論述している。

 第7章「類焼防止から見た都市部の伝統木造建築の安全条件」では、台東区の純木造寺社建築では類焼判定が合格となるものは全体(120件)の17.5%であり、類焼判定が合格となる純木造寺社は震災・戦災により一度焼失して後で不燃化が進んだ地域に多く分布する事、隣接建物との離間距離は一般の市街地では2〜3mで最頻値となるが、谷中地区では3〜4mとなり、一般の市街地より若干大きく、離間距離別の類焼合格率から類推すると、類焼しない離間距離は隣接建物が耐火造で5m以上、防火木造で15m以上で、隣接建物が純木造の場合の延焼限界距離は通常規模の寺社では34mとなる事、受害防止性能の指標である許容放射受熱量と受害合格率の関係は線形関係ではなく許容放射受熱量の増加に対して逓減型の増加関数となり、加害防止性能については、寺社側の建物重量減少速度の減少と共に加害合格率の増加は緩慢であり、実現可能なオーダーで重量減少速度を削減しても加害合格率を向上させる事は困難であることを見出している。

 第8章「伝統木造建築の類焼防止対策とその評価方法」では、樹木、散水膜、遮蔽板の放射熱遮断効果を放射熱の透過率という統一的な指標で表す方法を示し、各種対策が複合的に使用されたり、放射面を部分的に遮断する場合でも、任意の点における放射受熱量を算定し、類焼判定を行う事が容易に可能となった。類焼の防止には放射熱の低減の他、防火塗料の塗布等による許容受熱量の向上が考えられ、これら両面からの対策を考慮することでより最適な類焼防止設計を行う事を可能としている。

 第9章「結論」では、各章で得られた成果を整理すると共に、それらを利用して現状の法制度で都市部に伝統木造建築物を建造する上での問題点や今後の研究課題について有意義な提言を行っている。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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