学位論文要旨



No 116032
著者(漢字) 林,裕昌
著者(英字)
著者(カナ) リン,ユウチャン
標題(和) 日本と台湾におけるRC構法の土着化過程に関する比較研究
標題(洋)
報告番号 116032
報告番号 甲16032
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4869号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 松村,秀一
 東京大学 教授 坂本,功
 東京大学 教授 藤森,照信
 東京大学 助教授 塩原,等
 東京大学 助教授 野口,貴文
内容要旨 要旨を表示する

■ 研究背景

 鉄筋コンクリート(以下RC)を用いた建設技術の開発は、19世紀初頭より欧米で多くの人々により試みられてきた。その起源は、1824年イギリスのアスプディン(Joseph Aspdin)によるポルトランドセメントの発明、及び、1867年フランスのモニエ(Joseph Monier)によるRCの発明に始まるとされている。

 20世紀初頭のヨーロッパでセメントと鉄の量産が始まると、建築の構法に大きな変化が起きた。従来の煉瓦造、石造に代わって、RC構法が近代建築構法の主役となった。木製の型枠の中にコンクリートを流し込むことが熟練労働者でなくても可能であるため、その後、RC構法は、世界の各地に急速に普及していった。現在、各地で普及したRC構法は、各国の地理的環境や在来構法などの影響を受けて変容し、地域的に見て多様なものとなっている。このことは近代的な建築技術が地域性を獲得し得ることを示す現象であるが、その詳細な内容と近代的建築構法であるRC構法がどのように土着化してきたか、その経緯については、国際的に比較し得る基礎的な資料が存在しないのが現状である。

 日本におけるRC構法は20世紀初頭に導入され、以来日本において普及し、現在も一般的な構法として多くの建物の建設に用いられている。一方、台湾のRC構法は、ほぼ同時期に植民地時代に台湾に滞在した日本人技師らにより導入され、以来台湾においても普及一般化し、多くの建物の建設に利用されている。

 台湾のRC構法は日本により導入されたにもかかわらず、現在、日本で利用されているRC構法とは異なる点が多い。たとえば、日本では一体化RC構法が主流な構造形式であるが、台湾では、帳壁式RC構法が主流であること。日本では合板型枠が一般的な型枠として利用されているが、台湾では、木製定尺パネルが一般的な型枠として利用されていること。また、日本ではAE剤などの減水剤を利用しているが、台湾ではほとんど利用されていないことなどが挙げられる。

■ 研究目的

 RC構法は20世紀初頭に、日本と台湾に導入され、それぞれの地理環境や在来構法などの影響を受け変容し、異なるRC構法となったが、日本と台湾におけるRC構法の土着化過程については十分に明らかにされているとは言えない。本研究では、日本と台湾におけるRC構法がそれぞれどのような要因に影響され土着化してきたか、その土着化過程について明らかにし、また、その過程を比較し、両国おいてRC構法の構造形式、型枠及びコンクリートが異なった原因を明らかにすることを目的とする。

■ 研究内容

 本研究において研究内容は、以下の通りである。

(1)日本におけるRC構法の構造形式、生産方式、鉄筋、型枠及びコンクリートの発展経緯とその土着化過程

(2)台湾におけるRC構法の構造形式、生産方式、鉄筋、型枠及びコンクリートの発展経緯とその土着化過程

(3)日本と台湾においてRC構法の構造形式、型枠及びコンクリートが異なった要因

 終戦前に日本と台湾のRC構法の構造形式は、すでに異なっていたため、両国の構造形式が異なった原因について終戦前に中心をして明らかにする。

■ 日本におけるRC構法の土着化過程

 日本においてRC構法の土着化過程は、関東大震災を契機に、一体化RC構法の構造形式と水セメント比の調合法が定着し、戦災復興期において、壁式RC構法の構造形式が生まれた。終戦後、建築の不燃化の追求と生コンの生産により、RC構法が普及し始めた。1959年建築基準法の改正により、異形鉄筋の利用が定着した。経済高度成長期において、住宅の大量需要と労働者不足のため、生産方式が課題となり合理化と省力化の生産方式が求められた。そこで、短期間に大量生産するPCa構法が開発され、また、建築現場で多数の労働者を必要とする鉄筋と型枠の工事が改良され、作業量を低減する先組鉄筋と大型型枠が用いられるようになった。オイル・ショック以降、住宅需要が変化したため、生産方式は住宅の多様性に対応する複合化構法が用いられるようになった。

■ 台湾におけるRC構法の土着化過程

 台湾における建築基準にはRC造建築物の帳壁と構造体との緊結を規定する条文がなかったため、黎明期から今日まで帳壁式RC構法が主流な構造形式として用いられている。終戦後、生コンの生産により、RC構法が普及し始めた。1974年「建築技術規則」の改正により、水セメント比によるコンクリートの調合法、異形鉄筋の利用及びミキサーによるコンクリート練りが定着した。1970年代に公共住宅の大量建設が計画されたため、PCa構法が導入されたが、PCa版接合部の防水処理に失敗するなどの原因により進まなかった。1990年代から労働力不足のため、合理的な生産方式が求められ、複合化構法、現場の作業量を低減する先組鉄筋と大型型枠が用いられているが、賃金の低い外国人労働者の台湾労働市場への参入により、労働力不足が緩和されたため、複合化構法、先組鉄筋と大型型枠が採用されなくなり、現場で打設する生産方式が依然として一般的な生産方式として用いられている。

■ 日本と台湾のRC構法において用いられる構造形式が異なった原因

 関東大震災以降、台湾ではRC構法の構造形式は日本と異なり、日本のように全面的に一体化したRC構法の構造形式とはなっておらず、多様な構造形式を呈している。その理由としては、以下の4つが挙げられる。

 1.両国の建築基準においてRC構法に対する規制が異なることが挙げられる。日本では関東大震災後の1924年に、市街地建築物法施行規則が改正され、RC造建物の帳壁は建物の構造体と緊結することとなった。帳壁を建物の構造体と緊結させるには、施工上、帳壁を柱梁と同時に打設する方法がもっとも便利な手法と考えられるため、関東大震災後の日本においてRC造建物の帳壁は柱梁と一体化して打設する「一体化RC構法」となった。

 一方、台湾では、1900年に「台湾家屋建築規則」が制定されたが、RC造建物に関する規制はなかった。1913年に「台湾家屋建築規則」が改正されても、RC造建物に関する規制は依然としてなかった。1937年に「台湾都市計画令施行規則」が制定され、それには、RC造建物を規制する条文が記されているが、日本の「市街地建築物法施行規則」のようにRC造建物の帳壁は建物の構造体と緊結する条文がなかった。これにより台湾において設計者の意思でRC構法の構造形式を決めていたと考えられる。設計者が建物の耐震性を考慮する場合には、一体化RC構法となり、工事費を考慮する場合には煉瓦を利用する帳壁式RC構法となり、また、建物の防暑性を考慮する場合には、コンクリートブロックを用いた帳壁式RC構法となる。RC造建物の帳壁と建物の構造体とを緊結しなくても建築基準に違反しないため、全面的な一体化RC構法にならなかったと考えられる。

 2.台湾では煉瓦が最も一般的な材料として利用され、鉄筋コンクリートより安い建築材料であることが挙げられる。1930年代に、煉瓦造とRC造の建築費用について、谷口忠は「台湾における地震と建築」の文に、「(中略)茲で建築費のことに就て述べると煉瓦造普通120圓上等150圓鉄筋コンクリート180圓といふことである。(中略)」と記述していた。これにより、RC造の建築費用は普通の煉瓦造より約1.5倍高いことがわかった。RC造建物の帳壁に煉瓦を利用すれば、建築費を低減できるため、台湾においては、一体化RC構法が全面的に利用されていないことが考えられる。

 3.日本に比べ気温が高い期間が長いため、建物の防暑が課題となった。暑さ対策として防暑ブロックなどの材料が研究され、外壁に防暑ブロックを利用するRC造事例などがあった。逆に言えば一体化RC構法は台湾の気候に相応しい構造形式ではないことが挙げられる。

 4.日本では1923年の関東大震災を契機に、RC構法が全面的に一体化RC構法となったが、一体化RC構法はRCを多く使うため、帳壁式RC構法より工事費は高くなる。そのため全面的な一体化RC構法とすれば、工事費用がかなり高くなる。当時の台湾は日本の植民地であり、台湾において建物の耐震について日本本土と同様に扱われたとは考えにくいことが挙げられる。

 戦後、日本と台湾の建築基準には、ともにRC造建物の帳壁と建物の構造体とを緊結する規制がないが、日本では、関東大震災から終戦までの20数年の間に一体化RC構法の構造形式が定着、終戦後に一体化RC構法が続いて利用されたと考えられる。一方、台湾では、終戦後の建築基準においても終戦前と変わらずRC造建物の帳壁と建物の構造体とを緊結する必要があるという条文がなかったため、多様な構造形式をとっている。

■ 日本と台湾のRC構法において用いられる型枠が異なった原因

 日本と台湾のRC構法において用いられる型枠が異なる原因として、以下の2つが挙げられる。

 1.台湾のRC構法は、一般的に施工の品質があまりよくないため、打ち放しコンクリートはほとんど作られず、型枠を外した後にモルタルやタイルで仕上げる施工方法が一般的に用いられている。このため、打設時のコンクリートの表面を平滑に必要がなく、型枠としての品質は相対的に良くないが値段が安い木製定尺パネルを一般的な型枠として用いている。

 2.日本では、終戦後、アメリカからベイマツの合板が持ち込まれ、その後本格的に日本国内で合板の生産が始まった。主にアメリカの輸出用で当時のアメリカにおける合板のシェアをみると、1963年ころまでは日本が一位であったが、1950年代中頃から輸出が始まった台湾製品に価格面で対抗しきれず次第に後退を続け、さらに後発合板輸出国として韓国も参入してきて、日本は合板のアメリカヘの輸出競争から完全に脱落した。このため、これらを内需に振り替える必要が生じ、合板型枠の生産が始まった。また、1963年ごろから型枠工事の施工合理化のため、官民合同で型枠用合板の研究が始められた。合板型枠は木製定尺パネルと比べて軽いため施工性がよく、このような背景もあって合板型枠は一般的な型枠となったと考えられる。

 台湾の合板工業は1930年代後半に興り、終戦後の1954年にラワン原木輸入関税輸出割戻し制がとられて合板産業が本格的スタートした。台湾の合板産業は内需を充足するためではなく外貨を稼ぐ産業として推進されたが、これは1972年に内需が総生産量のわずか8.2%しか占めていないことからも分かる。また、その輸出先は1960年代には北米のアメリカ、カナダであったが、1970年代になるとアメリカの次に日本が二番目の輸出先相手国となる。

 このように、日本では1962年以降、他国に押されて合板製造は内需産業となるとともに台湾、韓国などから合板が輸入されて、合板が十分に供給されると、合板型枠が木製定尺パネルより軽く施工性が良いこともあり、合板型枠はRC構法において一般的な型枠となった。一方台湾では、合板は国内には少量しか供給されず、相対的に品質の良い合板型枠の需要が少ないこともあり、値段の安い木製定尺パネルが一般的な型枠として用いられることとなったと言える。

■ 日本と台湾のRC構法において用いられるコンクリートが異なった原因

 現在、日本と台湾のRC構法において用いられるコンクリートは異なっている。日本ではAE剤などの減水剤を利用しているが、台湾ではほとんど利用されていない。その理由として、以下の2つが挙げられる。

1.台湾も日本と同じく、1950年代にアメリカよりAE剤が導入された。その後、日本はAE剤の開発を推進し、AE剤を自力で生産するようになった。一方、台湾ではAE剤を開発せずに、その利用は海外からの輸入に依存していた。AE剤を高い輸入品に頼りまたその供給は不安定であったため、普及しなかった。

2.台湾では、長い間にコンクリートの打設が困難の時には、工事コストをおさえるため、AE剤などの減水剤を使わず余分な水を入れることで、コンクリートの流動性を高めることが多いと言われていた。セメントのコストが全体工事費に占める割合はあまり大きくないので、水とセメントが多く加え、コンクリートにおけるモルタルの割合を増やすことで、コンクリートの流動性を高めることが最近では多く行われている。よって、AE剤などの減水剤を利用する機会があまりないため、普及しなかった。

審査要旨 要旨を表示する

 提出された学位請求論文「日本と台湾におけるRC構法の土着化過程に関する比較研究」は、同じ地震国でありながら今日異なる形態を持つ日本と台湾の鉄筋コンクリート(以下「RC」)構法について、その初期において両者がともに同じ構法からRC技術の適用を開始していたことに着目し、なぜその後異なる技術的な展開を示したかを歴史的に解明した論文であり、全5章からなっている。

 第1章「序論」において、研究の背景、目的、方法、既往研究の概要等を明らかにした後、第2章「RC構法の経緯」では、19世紀末から始まった建築分野でのRCの適用に関して、その世界的な展開の歴史を概観した上で、RC構法が熟練労働者でなくても施工可能であるため世界の各地で急速に普及していったこと、各地で普及した現在のRC構法は、各国の地理的環境や在来構法などの影響を受けることによって地域的に見て多様なものとなっていることを指摘している。そして、このことが近代的な建築技術が地域性を獲得し得ることを示す現象であるとした上で、そうした現象をRC構法の「土着化」と呼び、研究対象としての重要性を論ずるとともに、本論文が日本と台湾におけるRC構法の土着化過程を比較することを目的とするものであることを述べている。具体的には、日本におけるRC構法の導入と台湾におけるそれとがほぼ同時期であること、台湾での導入は日本植民地時代であり、当時台湾に滞在した日本人技師らによって行われたこと、それにもかかわらず、日本と台湾において用いられるRC構法は、既に終戦前に異なっていたこと等を、両者の土着化過程を比較する背景として挙げている。

 第3章「日本におけるRC構法」では、黎明期における日本でのRC構法にいくつかの異なる考え方が見られたことを明らかにした後、関東大震災を契機にそれが一体化RC構法に収斂していく過程が、詳細な史的資料の調査によって解き明かされている。同時に、関東大震災後の水セメント比に基づく調合法の定着、戦災復興期における壁式RC構法の適用、1950年代の生コンの生産開始、1959年建築基準法の改正による異形鉄筋利用の定着等、日本独自の技術展開の過程を明らかにしている。

 第4章「台湾におけるRC構法」では、日本統治下でのRC構法適用の開始が部分的な部材の置き換えから始まったこと、構造全体にRC構法が適用されるようになってからも外壁は帳壁としてRCではない材用によることが一般的であったことを明らかにした後、台湾における建築基準にRC造建築物の帳壁と構造体との緊結を規定する条文がなかったことが、その後のRC構法の展開においても帳壁式RC構法が主流なRC構法として用いられてきたことの大きな原因であることを指摘している。また、終戦後の生コンの導入、1974年「建築技術規則」の改正による水セメント比に基づくコンクリートの調合法の定着、1970年代のPCa構法の導入とその失敗等、その後の台湾における独自の技術展開の課程を明らかにしている。

 第5章「結論」では、前2章で明らかにした日本、台湾双方におけるRC構法の土着化課程を比較検討した上で、関東大震災以降、台湾でのPC構法が日本のように全面的に一体化したRC構法となることがなかった理由を解明し、本論文の結論としている。具体的には以下の3つを挙げている。

 第一には、両国の建築基準においてRC構法にたいする規則が異なったことを挙げている。具体的には、日本では、関東大震災後の1924年に市街地建築物法施行規則が改正され、RC造建築物の帳壁は建物の構造体と緊結することとなり、施工上、帳壁を柱梁と同時打設する方法がもっとも便利な手法と考えられるに至ったのに対し、台湾では、1900年の「台湾家屋建築規則」、1913年の同規則改正においてもRC造建築物に関する規制がなく、1937年の「台湾都市計画令施行規制」において初めてRC造建物を規制する条件が記されたものの、RC造建物の帳壁を建物の構造体と緊結する条文がなかったこと、そのため日本のような全面的な一体化RC構法の普及が見られなかったことを指摘している。

 第二には、台湾では煉瓦が最も一般的な材料として利用され、鉄筋コンリートより安価な建築材料であることを挙げている。このことに関して、1930年代の資料から、当時の台湾においてはRC造の建築費用が普通の煉瓦造より約1.5倍高価であったことを明らかにし、RC造建築物の帳壁に煉瓦を利用することが建築費の低減につながったことを指摘している。

 第三には、台湾では建物の防暑が課題であり、外壁に防暑ブロックを利用するRC造事例が多数あったことを挙げている。

 以上、本論文は、同じ技術的な起源を持ちながらそれぞれに独自の土着化過程をした日本を台湾のRC構法について、今日のように異なる構法が定着するに至った原因を、広範かつ詳細な史実に解明によって特定した論文であり、建築学の発展に寄与するところが大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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