学位論文要旨



No 116040
著者(漢字) 脇坂,佳史
著者(英字)
著者(カナ) ワキサカ,ヨシフミ
標題(和) 燃料噴射率形状が非定常噴霧燃焼に及ぼす影響
標題(洋)
報告番号 116040
報告番号 甲16040
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4877号
研究科 工学系研究科
専攻 機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 畔津,昭彦
 東京大学 教授 河野,通方
 東京大学 教授 松本,洋一郎
 東京大学 助教授 手崎,衆
 東京大学 助教授 津江,光洋
内容要旨 要旨を表示する

 1サイクル中の燃料噴射率の時間的変化である燃料噴射率形状は、燃料の時間的・空間的分布を直接支配するため、ディーゼル機関の低公害化を実現する技術として大いに期待されている。しかしながら、従来の燃料噴射率形状と燃焼に関する研究では、ディーゼル機関を対象として有害物質の低減を実現する最適噴射率形状を探求する研究が多く、噴射率形状が噴霧や燃焼に及ぼす影響を混合気形成や火炎の展開の観点から現象の理解を通じて検討した例は少ない。また、従来の燃料噴射装置では、噴射率形状とともに噴射期間や最大噴射率の条件も一緒に変化してしまい、噴射率形状の影響のみを抽出することが難しい点が問題であった。そこで、本論文では、実機の雰囲気圧力や温度などの物理的条件のみを模擬した自由空間を対象として、燃料噴射率以外の噴射条件を揃えたΔ型噴射率形状の重心位置の変化をパラメータに設定して、噴射率形状が噴霧燃焼に及ぼす影響を実験と数値計算により系統的に検討することを目的としている。

 本研究ではまず、燃料は蓄圧型でノズルシート部の絞りを制御することによって、従来の噴射装置よりも噴射率形状を自在に変化させることの出来る燃料噴射率形状可変型噴射装置を開発した。この噴射装置を用いて、図1に示すようなΔ型の1段噴射で噴射率の上昇速度と降下速度を変化させて、噴射の重心が系統的に移動していく燃料噴射率波形(噴射率の上昇速度の速い順にA、B、C)を作成し、噴射率形状の影響を系統的に検討するためのパラメータとした。なお、燃料噴射率は燃料の噴出速度とノズル噴孔断面積の積に比例するため、噴射率及び噴射率形状が同一の条件のまま、燃料噴射圧力とノズル噴孔径の組合せを変化させて検討を行うことにより、より一般化した噴射率形状の影響に関する知見を得られるようにした。

 実験では側面に観測窓が付いた定容容器内に燃料を噴射し、室温・高圧雰囲気条件で非蒸発噴霧の観察を、また、実機と同様の高温・高圧雰囲気条件で噴霧燃料の観察を行った。燃焼時には輝炎の画像二色法により火災中の温度分布とすす分布を計測した。また、汎用エンジンシュミレーションコードであるKIVAコードを用いて数値解析を行い、燃料噴射率形状が噴霧内の燃料空間分布や混合気濃度分布に及ぼす影響を検討し、噴射率形状と噴霧燃焼の因果関係を考察した。

 実験による非蒸発噴霧の観察と計算による燃料の空間分布・混合気分布の解析から、燃料噴射率形状が非定常噴霧に及ぼす影響として明らかになった知見を以下に示す。図2に低圧噴射、高圧噴射の両方の場合について、非蒸発噴霧の高速度連続写真を示す。図より、噴射率の上昇速度が速いパターンAほど噴霧の噴射軸方向の成長が早いことが分かる。また、噴射率の上昇速度が速いパターンAでは噴射初期から特に先端噴射付近で噴霧が幅方向に広がっているのに対し、上昇速度が穏やかなパターンCでは噴射初期の噴霧は幅方向の広がりが小さく、ある程度噴射率が大きくなってから幅方向に広がった噴霧を形成している。さらに噴射圧力の影響としては、噴射率形状に依らず噴射圧力が高いほど噴霧の幅が広くなっている。また、本要旨では示していないが、噴霧全体の空気過剰率の観点から比較を行ってみても、噴射率の上昇速度が速く、噴射圧力が高いほど噴射初期より空気過剰率は高かった。このように、噴射率の上昇速度が速く、噴射圧力が高いほど噴霧は初期から急速に発達し、空気導入が促進された混合気を形成することが明らかになった。

 図3にKIVAコードを用いて計算した、噴射率形状が非燃焼蒸発噴霧の当量比の空間分布に及ぼす影響を示す。噴射率形状の影響として噴射軸方向に当量比分布を観察すると、噴射率の上昇速度が速いパターンAでは、噴霧先端から比較的ノズルに近い位置までほぼどの断面においても中心部には当量比が1.0〜2.0を超えるような濃い混合気が、周辺部には当量比が0.1程度の薄い混合気が存在している。これは、噴射率が噴射初期にピークに達して、その後緩やかに降下する場合には、後続の燃料の噴出速度が前方の燃料の噴出速度よりも遅く、後続の燃料が前方の燃料に追い付き・追い越すことがほとんど出来ずに、燃料が軸上に幅広く分散して存在するためと考えられる。一方で、噴射率の上昇速度が緩やかなパターンCでは、噴霧先端付近の噴霧中心部には当量比にして2.0以上の濃い混合気が存在しているが、ノズルに近くなるに連れて噴霧中心部の当量比が小さくなり、ノズル近傍では当量比が0.1〜0.5程度の比較的薄い混合気のみが存在する傾向にある。これは、後続の噴出速度の速い燃料が次々と追い付くため、燃料が到達距離の成長とともに噴霧先端付近に集中して成長するためと考えられる。

 次に、前述の噴霧に及ぼす影響の結果を踏まえて、噴霧燃焼実験を行い、噴射率形状が噴霧燃焼に及ぼす影響を明らかにした。火炎からの輝炎発光強度を燃焼率の指標と考え、輝炎発光強度が最大値の10%以上の期間を主燃焼期間と定義して整理した結果を図4に示す。いずれの噴射率形状においても、噴射圧力を高くすることによって、主燃焼期間は短縮化している。高圧噴射時は輝炎発光ピーク値が高くなる傾向があるため、両者を合わせて考慮すると、噴霧の混合気形成能力が促進されたことにより、燃焼が全体に活性化されたためと考えられる。噴射率形状の影響としては、低圧噴射の場合は、噴射率の上昇速度、降下速度とも中間にしたパターンBの噴射率形状の主燃焼期間が最も短かったが、噴射圧力を高くした場合は、C>B>Aの順に主燃焼期間が短くなり、また、低圧噴射時に比べて噴射率形状による差は小さい。この結果は、主燃焼期間の短縮化の観点から考えた最適噴射率形状は、噴射圧力によって異なることを示している。この理由として上昇速度を速くしたパターンAの場合、後期に噴射された燃料は混合気形成能力が低いため、燃焼が緩慢化し燃焼期間を長期化させているが、高圧噴射時は、運動量の増加に伴い燃焼後期の空気導入が促進されるため、燃焼が活発になり燃焼期間が短縮化したものと考えられる。一方上昇速度が緩やかなCの場合は、低圧噴射時は火炎によって燃焼後期の空気導入が妨害され、燃焼が緩慢になって燃焼期間が長期化するが、高圧噴射時は、運動量の増加に伴い空気導入が促進されたことと、噴射後期に高噴出速度で火炎内に噴射された後続の燃料が、噴霧火炎内で攪拌作用を増加させることにより燃焼が活性化され、主燃焼期間が短くなったものと考えられる。

 二色法によって火炎中の温度分布を求め、熱的NOx生成に影響を及ぼすと考えられる火炎中の高温度領域の時間変化を図5に示す。観測視野内の火炎に限定した議論となるが、噴射圧力が同一の場合、燃焼初期はパターンCの方がAよりも高温度領域の面積が小さく、NOx抑制効果が高いと考えられる。一方で、パターンCは、燃焼中期から後期にかけて燃焼が促進されるため、高温度領域の面積も増加しており、NOx生成が増加する可能性がある。高圧噴射時は、燃焼が促進され、高温度領域も増加しているが、燃焼期間が短縮化されるため高温度領域の存在期間は短くなっている。図6にNOxメータによって実測したNO生成量の結果を示すが、低圧噴射時はAに比べてCの方がNOの生成量が大きい。また、KIVA計算によって求めたNO生成速度の時間変化を図7に示すが、低圧噴射時はCで燃焼後期のNO生成量が増大するとともに、NO生成期間がAやBよりも長期化している。図4,5,6を合わせて考えれば、Cの場合、燃焼後期に火炎温度が上昇し、主燃焼期間がA, Bよりも長いことが最終的なNO生成量を増加させた原因と考えられる。高圧噴射時は何れのパターンでも図4で主燃焼期間が短期化しているにも関わらずNO生成量が増加している。これは、高圧噴射時は低圧噴射時よりも平均火炎温度が50〜100K上昇していることから、火災温度の上昇がNO生成量を増加させた原因と考えられる。

 図8に火炎中に存在するすすの総量の指標とみなせる面積積分KL値の時間変化を示す。パターンAはCに比べて、燃焼初期から面積積分KL値が大きい。なお、本要旨では示していないが、面積平均KL値を火災面積で除した平均KL値も燃焼初期はAの方がCよりも大きかった。噴霧観察の結果からは、AはCに比べて噴射初期において空気導入が促進されているものの、燃料と空気の微視的な混合が完全に達成された訳ではないことが分かる。また、KIVA計算の結果では、燃焼後期に、低圧噴射時のAではノズルに比較的近い位置に、Cでは観測視野を外れた噴霧火災先端部に未燃料が分布する傾向があることも示されておし、最終的なすす生成量の増加につながるものと考えられる。

 高圧噴射時は、パターンA、Cともに積分KL値が初期から増大し、最大値も増加する。しかしながら、噴射開始後約3ms以降は低圧噴射時に比べて急激に積分KL値は減少している。低圧噴射時と高圧噴射時で燃料の分布が大きくは変化していないことを考慮すれば、これは、初期には高圧噴射によって燃料が促進されて火災温度が上昇したことにより、すす生成が増加するものの、燃焼後期には高圧噴射による火災中の乱れが増加して、すすの酸化が促進されることを意味するものと考えられる。従って、最終的なすすの排出は高圧噴射時の方が低圧噴射時よりも減少するものと推定される。

 以上の結果、燃料噴射率形状は燃料の時間的・空間的分布に影響を及ぼし、混合気形成や噴霧燃焼に大きな影響を及ぼすことが実証された。特に、初期の噴射率形状は着火までの混合気形成を大きく支配し、着火時期や主燃料開始時期に影響を及ぼすこと、噴射率形状は燃料の空間分布に影響を及ぼすため、着火後の火災の展開や主燃焼特性、そしてNOxやすすなどの排気特性にも影響を及ぼすことが明らかになった。また、最適噴射率形状を議論するには噴射圧力の影響は必要不可欠であることが示された。

図1 実験および計算に使用した燃料噴射率形状

図2 燃料噴射率形状および噴射圧力が噴霧の成長に及ぼす影響

図3 KIVA計算で求めた燃料噴射率形状が燃料の当量比分布に及ぼす影響(Pa=2.47MPa、Ta=890K)

図4 主燃焼期間に及ぼす影響

図5 高温度領域に及ぼす影響

図6 NOx生成量に及ぼす影響

図7 KIVA計算で求めたNO生成速度の時間変化

図8 積分KL値の時間変化

審査要旨 要旨を表示する

 修士(工学)脇坂佳史提出の論文は、「燃料噴射率形状が非定常噴霧燃焼に及ぼす影響」と題し、7章からなっている。

 1サイクル中の燃料噴射率の時間的変化である燃料噴射率形状は、燃料の時間的・空間的分布を直接支配するため、その最適化はディーゼル機関の低公害化を実現する技術として大いに期待されている。しかしながら、従来の研究では、個別のディーゼル機関を対象として有害物質の低減を実現する噴射率形状を探求する研究が多く、噴射率形状が噴霧や燃焼に及ぼす影響を、現象の理解を通じて検討した例は少ない。また、従来の燃料噴射装置では、噴射率形状以外の条件も噴射率形状と一緒に変化してしまい、噴射率形状の影響のみを抽出することが難しい点が問題であった。このような背景から本論文では、実機の雰囲気圧力や温度などの物理的条件のみを模擬した自由空間内に燃料を噴射し、燃料噴射率形状が噴霧燃焼に及ぼす影響を、実験と数値計算により系統的に検討することを試みている。

 燃料噴射率形状には、△型の1段噴射で、噴射の重心が系統的に移動していく波形を採用し、さらに噴射率及び噴射率形状が同一の条件のまま、燃料噴射圧力とノズル噴孔径の組合せを変化させて、より一般化した噴射率形状の影響に関する検討を行っている。実験では実機同様の条件下で非蒸発噴霧及び噴霧燃焼の観察を行い、非定常噴霧の発達や燃焼特性、火炎中の温度やすす分布、燃焼ガス中のNOxに及ぼす影響を段階的に明らかにしている。さらに、汎用エンジンシミュレーションコードであるKIVAコードを用いて数値解析を行い、実験で得られた結果を噴霧内の燃料空間分布や、混合気形成の観点から考察して、噴射率形状と噴霧燃焼の因果関係を検討している。

 第1章は序論であり、本研究の背景を述べ、燃料噴射率形状と噴霧燃焼に関する従来の研究を紹介しながら研究の目的と意義を明確にしている。

 第2章では、本研究用に開発した噴射率形状可変型噴射装置について、噴射率制御の原理と装置の概要を述べ、さらに、本噴射装置の噴射率形状可変特性を明らかにしている。

 第3章では、実験手法および装置について述べている。まず、実験および計算に使用した、噴射率形状のパラメータと噴射条件について述べ、次に、非蒸発噴霧と噴霧燃焼の可視化に用いた実験装置全体の概要について説明している。また、火炎温度とすす分布の計測に使用した二色法システムについて、その手法や原理を概説し、装置概要と解析手法について説明している。

 第4章では、数値計算に用いたKIVAコードについての概要を述べ、計算に導入したサブモデルとその特性を明らかにしている。次に、計算格子サイズの最適化や、計算条件を説明している。

 第5章では、燃料噴射率形状が非定常噴霧の成長に及ぼす影響を実験と数値計算により明らかにしている。実験結果より、噴霧先端到達距離等の噴霧の巨視的特性は噴射率形状に大きく依存し、噴射率の上昇速度が速い場合ほど、空気導入が進んだ噴霧を形成することを明らかにしている。また、KIVAコードを用いた計算の結果、噴射率の上昇速度が速い場合は、燃料が噴射軸方向に比較的均等に分布するためノズル近傍にも濃い混合気が存在すること、一方、噴射率の上昇速度が緩やかな場合は、燃料が噴霧先端付近に集中するため、当量比が大きい濃い混合気は噴霧先端付近に集中することを推定している。

 第6章では、第5章の結果を踏まえて噴射率形状と噴霧燃焼の関係が検討されている。まず実験結果から、主燃焼期間の短縮化の観点から考えた最適噴射率形状が、噴射圧力に依存することを明らかにしている。また、噴射率の上昇速度が速い場合、燃焼初期から火炎温度が高温になりNOxが生成すること、一方で、上昇速度が緩やかな場合は燃焼中期から後期にかけて燃焼が促進され、NOxが増加することを示している。一方、すす生成に関しては、低圧噴射時は燃焼が緩慢化する燃焼後期に、上昇速度が速い場合はノズルに比較的近い位置に、緩やかな場合は噴霧火炎先端部に未燃燃料が分布し、すす生成が増加する可能性があること、また、高圧噴射時は何れのパターンにおいても、初期には燃焼が促進されて火炎温度が上昇し、すす生成が増加するものの、後期には高圧噴射による乱れの増加によりすすの酸化が促進され、最終的なすす排出量が減少する可能性があることを指摘している。さらに、第5、6章で得られた知見をもとに、本研究で対象とした△型の燃料噴射率形状を実機に適用する際の留意点について、考察が加えられている。

 第7章は、本論文の結論であり、本研究において得られた知見をまとめている。

 以上を要するに、本研究は燃料噴射率形状が、非定常燃料噴霧と燃焼に与える影響について、実験と数値計算により系統的に検討を加え、その影響を明確にすると共に、噴射率形状最適化に向けての留意点を指摘したものであり、機械工学、特に内燃機関工学、燃焼工学に寄与するところが大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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