学位論文要旨



No 116048
著者(漢字) 高崎,正也
著者(英字)
著者(カナ) タカサキ,マサヤ
標題(和) 弾性表面波のメカトロニクスへの応用に関する研究
標題(洋)
報告番号 116048
報告番号 甲16048
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4885第
研究科 工学系研究科
専攻 精密機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 樋口,俊郎
 東京大学 教授 保坂,宏
 東京大学 助教授 鳥居,徹
 東京大学 助教授 佐々木,健
 東京大学 助教授 川勝,英樹
 東京工業大学 助教授 黒澤,実
内容要旨 要旨を表示する

1. はじめに

 弾性表面波(surface acoustic wave: SAW)は弾性体媒体表面に振動エネルギを集中させて伝搬する音響振動であり、レイリー波(Rayleigh wave)、圧電すべり波(electro-acoustic waveあるいはBGS波(Bleustein-Gulyaev-Shimizu wave))、漏洩弾性表面(leaky surface acoustic wave)などのモードが知られている。レイリー波や圧電すべり波は通信の分野でフィルタや共振子として応用されている。レイリー波の進行波中において媒質表面の粒子は後方楕円運動しており、同定在波中ではloopとnodeが分布する。本研究ではこれらのレイリー波の挙動を応用し、メカトロニクス分野の機能デバイスとしてセンサやアクチュエータへの応用を検討する。SAW角速度センサの開発、SAWリニアモータの性能・機能の向上、SAW皮膚感覚ディスプレイの開発を行ったので報告する。

 レイリー波は圧電性媒体表面にくし形の電極(interdigital transducer:IDT)を形成し、その幾何形状で決定される周波数の交流電圧を印加する事で容易に励振でき、レイリー波を応用した機能デバイスを2次元的な構造とする事ができる。また、電極形成には集積回路(IC)製造技術を応用すれば工程は簡便である。振動エネルギを集中させて伝搬するため、エネルギ密度が高く、薄型の機能デバイスを構成する事ができ、さらに媒体の裏面には振動が分布しないため、媒体を接着剤で貼り付けるといった支持方法も可能である。

2. SAW角速度センサ

 角速度センサには様々な種類があるが、高精度ではないが、製品に組み込むため小型(時には薄型)かつ軽量であるという要求を満たすものが、振動型角速度センサである。一般的な振動型角速度センサは、四角柱または三角柱を振動(1次振動)させて回転にともなって働くコリオリ力(2次振動)を検出するものであり、3次元的な構造を有する。レイリー波による媒質表面粒子の振動を1次振動として応用し、回転角速度に伴うコリオリ力によって2次的なレイリー波が励振されるようにすれば、角速度センサを2次元的な構造にすることがでる。本研究において、2次的なレイリー波が1次波と直交方向に励振されるCross型と同一方向に位相が90度ずれて励振されるInline型を提案した。センサの設計には等価回路モデルを応用し、検出感度が高まるように電極のサイズや間隔を最適化した。

 Cross型の電極配置をFig.1に示す。1次波駆動用IDT(GIDT)と2組の反射器により1次波を励振して摂動電極を鉛直方向に振動させる。回転角速度に伴うコリオリ力により、1次波と直交方向に2次波が励振され検出用IDT(SIDT)より検出される。反射器は検出効率を高めるために配置されている。試作したセンサに電圧を印加したところ、摂動電極での散乱により、2次波方向への1次波の混入と1次定在波の乱れが見られ、原理に問題が残る形となった。

 Inline型の電極配置をFig.2に示す。2組のGIDTによりSIDT上に1次定在波をnodeが電極に重なるように励振する。コリオリ力によって2次波が励振され、1次波の位相がずれ、ずれた分だけ電圧として検出されるというものである。検出感度を高めるために、2次波の周波数を検出用IDTの反共振周波数に設定している。試作したセンサに駆動電圧を印加して振動分布を調べたところ、1次定在波の波長がSIDTの周期長より短くなっていた。

 1次定在波の波長とSIDTの周期長を一致させるために、Fig.3に示すようにGIDTとSIDTを一体にしたタイプを提案した。同図に示す部分を多数接続し周期構造とする事で電極内に定在波を励振でき感度向上も図れる。SIDTの反共振周波数で1次定在波を励振したところ、周期長より波長が短くなっていた。さらに、励振された定在波の振幅に偏りが見られ、センサ内で直列に接続されているGND電極がもつ電気抵抗によるものとわかった。この電気抵抗による影響をなくすためには3次元的な配線が必要となるが、電極の線幅が60μm程度と細いため容易ではない。

 基本タイプのInline型に反射器を付加することを検討した。1次波と2次波の境界条件が矛盾するため、反射器の配置は無理とされてきた。そこで、Fig.4に示すように隙間を設けた反射器をSIDTの両側に配置した。1次波は隙間を通って伝搬しSIDT上に2次波を励振する。試作したセンサに電圧を印加してSIDT上の振動分布を調べたところ、1次定在波は一様になっていなかった。隙間開口幅が狭いために1次波の拡散しているものと思われる。また、隙間つき反射器の反射係数は0.87と低かった。

 SAW角速度センサの設計において、2次波の検出をIDTの反共振点で行う用にしていたが、1次定在波波長がSIDTの周期長より短くなる現象が見られた。両者を一致させるために1次波波長とSIDTの共振周波数を一致させる設計が有効であることがわかった。試作したセンサについて、ターンテーブルを用いて角速度の検出を試みたが、角速度信号は認められなかった。

3. SAWリニアモータ

 レイリー波の進行波中では媒質表面の粒子が後方楕円運動しているため、Fig,5に示すように振動子にスライダを押しつけると摩擦力を介して楕円運動の水平成分がスライダに伝達される。シリコン製のスライダを用い、摩擦面にエッチングによって形成された突起(直径数十μm、高さ1μm)が分布しており、レイリー波の20nm程度の小さな振動振幅に対して安定な摩擦駆動を実現している。これまでに、Fig.6に示す構成で駆動周波数を9.6MHzとして推力3.5N定常速度1.1m/sが得られている。本研究ではステータ振動子の小型化、高推力化、長ストローク化といった高性能高機能化を図った。

 ステータ振動子に必要な幅と厚みは波長に依存しているため、駆動周波数を高くすることで振動子を小型化できる。駆動周波数を50MHz, 70MHz, 100MHzとして製作した振動子の例をFig.7に示す。50MHzモータでは推力0.036N、定常速度0.7m/sを得た。また、70MHzモータでは0.023Nの推力と0.6m/sの定常速度を得た。駆動周波数を高めると振動振幅が波長に比例して小さくなる。一方、振動子表面にはRa=5nm程度の粗さが存在し、駆動周波数を高めていくと振動振幅が粗さより小さくなる。100MHzモータでは駆動が認められず、また、9.6MHzモータで振動振幅を減少させていくと推力の著しい低下が見られた。

 これまで、4ミリ角のシリコンスライダを用いて3.5N得られているが、スライダ表面の突起のサイズ・配置方法と推力の関係を調べることで同一のスライダサイズでもより大きな推力を取り出すことを検討した。接触面積が同一の場合、小さな突起が等間隔に配列しているスライダがより大きな推力を発揮する傾向にあることがわかった。この傾向に当てはまるスライダにより最大推力6.4Nを得た。また、スライダ面積を増加させることも高推力化を図ることができるが、スライダの幅(SAW伝搬方向と直交方向)を広くすると有効であることがわかった。スライダ接触面ではSAWが減衰しながら伝搬するためと思われる。

 Fig.6に示す構成ではリニアアクチュエータとしてのストロークが制限されている。そこで、振動子よりも長いスライダを用意し、Fig.8に示すようにステータ振動子に研削加工を施して傾斜面を設けてIDTと吸音材を配置することで、長スライダとIDT・吸音材の接触をさけることができる。Fig.9に示す構成で10cm程度のストロークを確保することができ、また、駆動に成功し駆動電圧150V0-pにおいて定常速度160mm/s、推力23Nを得た。

4. SAW皮膚感覚ディスプレイ

 人が手で物体を触った時に覚える感覚は、筋肉や関節で受容する深部感覚と皮下の受容器細胞で受容される皮膚感覚に大別される。これまでのところ、力感覚を提示する装置の開発は進められているが皮膚感覚を提示する装置の実用化は見られていない。本研究ではSAWの特徴を生かし、その機械振動を利用して皮膚感覚のうちの触覚を提示するデバイスの開発を試みた。その基本構成はFig.10に示すように、振動子と鉄球を分布させたスライダからなり、SAWを用いて皮膚にstick-slip振動を発生させる。

 SAWの進行波を応用したタイプでは、SAWリニアモータの原理を応用し、スライダの上に置いた指皮膚表面にせん断力を発生させる。SAW駆動信号に変調をかけることでせん断力を制御でき、ある適切な周波数(数十〜数百Hz)で変調することで、皮膚表面にstick-slip振動を再現することができる。薄型というSAWデバイスの特徴を生かし、製作したデバイスをFig.11に示すようにPCマウスのボタンに取り付け、皮膚感覚提示実験を行ったところ、粗さの違いを表現することができた。

 定在波を応用したタイプでは、定在波の振動により振動子と鉄球の間の摩擦係数が変化することを応用し、使用者が鉄球スライダ越しに振動子をなぞった際にstick-slip振動を体験できるようにした。Fig.12に示すディスプレイでは、コイルと磁石によりなぞり速度を検出して速度に応じた周波数の変調信号を生成している。これにより、鉄球越しになぞった振動子表面(表面粗さはRa=5nm程度)があたかも紙ヤスリであるかのように感じられた。

5. まとめ

 これまで、主に通信分野で用いられてきた弾性表面波をメカトロニクスに応用し、SAW角速度センサの開発、SAWリニアモータの性能・機能向上、SAW皮膚感覚ディスプレイの開発に関する研究を行った。角速度センサにおいては角速度検出には至らなかったものの、設計に用いるモデルの改良の糸口が見え、SAWの角速度センサ応用の可能性を示唆することができた。リニアモータでは、振動子の小型化によりマイクロアクチュエータの可能性を示し、4ミリ角スライダで発揮する推力をこれまでの約1.8倍にまで高め、ストロークをこれまでの3倍にすることができた。皮膚感覚ディスプレイでは、他に類を見ないほど薄型の装置を開発することができ、指で固体表面をなぞった際に感じるざらざら感を提示することができた。本研究を通して、SAWをメカトロニクスへ応用することが十分に可能であることが示せた。

Fig.1 Cross 型センサの電極配置

Fig.2 Inline型センサの基本電極配置

Fig.3 一体タイプの電極配置

Fig.4 反射器の配置

Fig.5 SAWリニアモータの駆動原理

Fig.6 SAWリニアモータの基本構成

Fig.7 小型ステータ振動子

(a) 9.6MHz,(b) 50MHz,(c) 70MHz,(d) 100MHz

Fig.8 加工を施したステータ振動子

Fig.9 長ストロークSAWリニアモータの構成

Fig.10 SAW皮膚感覚ディスプレイの基本構成

Fig.11 皮膚感覚ディスプレイ付きPCマウス

Fig.12 定在波タイプ皮膚感覚ディスプレイ

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は「弾性表面波のメカトロニクスへの応用に関する研究」と題し、フィルタや共振器という通信機器用デバイスとして急速に利用が拡大してきている弾性表面波(SAW)デバイスの開発で培われた技術を機械の運動の知能化技術であるメカトロニクスの分野に展開して、新たなセンサやアクチュエータの開発に取り組んだ研究成果を纏めたものである。

 本論文は、全6章から構成されている。

 第1章「序論」では、本論文の研究課題に関係する弾性表面波とその利用技術の現状について纏め、本論文の研究目的、および本論文の構成について述べている。

 第2章「弾性表面波」では、弾性表面波の1種であるレイリー波の理論的導出から励振方法・伝搬解析に至るまでの基本的事項について述べている。また、弾性表面波を効率よく利用するためにはメタルストリップアレイからなる反射器の利用が有効であることを明らかにしている。この反射器を用いた弾性表面波デバイスの設計に必要なパラメータを決定するために、等価回路モデルを導入している。そして、この等価回路モデルの一般的構築方法、及び数値計算の手法について述べており、弾性表面波素子の設計の指針を明らかにしている。

 第3章「弾性表面波角速度センサ」では、弾性表面波の角速度センサへの応用に関する研究を述べている。弾性表面波の定在波を励振すると、回転角速度にともなうコリオリ力により2次的な弾性波動が励振され、この2次波を検出することで回転角速度を知ることができることを理論的に明らかにしている。この弾性表面波角速度センサとして、1次定在波と2次弾性波が直交するCross型と、2次弾性波が1次定在波と同一線上に励起される直線型の2つの方式を提案している。そして、これらの考案を実証するために第2章で導いた等価回路モデルを用いて、角速度センサの設計・製作をおこなった。

 そして、製作した角速度センサについて、インピーダンス特性の測定とレーザドップラ振動計を用いた振動分布の観察などにより、センサの性能の評価を行っている。しかし、期待どおりの振動分布を得ることができず、また、励振回路からの雑音の影響により、十分な角速度信号を検出するには至らなかった。しかし、この一連の研究により、将来の角速度検出実現のために改良すべき事項を明示し、新しい形式の弾性表面波角速度センサの構想を得ている。

 第4章「弾性表面波リニアモータ」では、弾性表面波リニアモータの性能の向上に関して行った種々の研究成果を纏めている。弾性表面波は振動周波数が数MHzと高く、振動振幅がナノメートルオーダーと小さいため、スライダには表面に10ミクロン程度の突起が分布しているシリコンウエハを利用する方法が開発されている。このシリコンスライダを用いた弾性表面波リニアモータに関する研究は東京大学で考案されたものであるが、基礎的な研究が中心であり、ステージの駆動などを念頭に置いた高性能化に関する研究は十分には行われていなかった。そこで、まず、弾性表面波リニアモータの駆動周波数を高めることでステータ振動子の小型化を図った。駆動周波数を高めるとステータ振動子表面の振動振幅が小さくなるが、振動子表面には表面粗さが存在し、粗さと振幅が同程度になると推力が低下することを実験により明らかにしており、小型化に限界があることを明確に示している。次に、スライダ面積あたりの推力の向上を図っている。シリコン製スライダ表面の突起のサイズ・配列の違いによる推力の変化を観測し、小さな突起が等間隔で配されているスライダがより大きな推力を発揮する傾向を明らかにしており、ステータ振動子とスライダの弾性変形との因果関係について考察している。

 そして、これらの研究に基づき、理想と考えられる突起を持った4ミリ角シリコンスライダを試作し、従来の1.8倍の最大推力6.4Nを得ている。さらに、ストロークの制限を受けない構造を提案し、長ストロークSAWリニアモータを実現している。試作した100mmの範囲の移動が可能なリニアモータでああ、推力23N、定常速度160mm/s、最小ステップ幅12nmを得ている。磁界の発生の無い、精密位置決め用リニアモータとしての有用性を実証している。

 第5章「弾性表面波皮膚感覚ディスプレイ」では、弾性表面波の皮膚感覚ディスプレイへの応用に関する研究を行った成果を纏めている。まず、従来の研究を調査し、皮膚感覚の提示には振動の再現が必要であることを示し、第4章で取り組んだ弾性表面波モータの駆動力を用いるとのstick-slip-through振動を比較的容易に実現できるため、弾性表面波の新しい応用分野として有望であることを述べている。そして、弾性表面波を用いた皮膚感覚ディスプレイとして定在波と進行波を用いる2つの方式を考案している。

 この両者とも弾性表面波駆動信号に「変調」をかけることを特徴としている。変調された弾性表面波により変調信号に応じたDC〜数kHzの振動を励振することができ、その振動を指に与えることで指で固体表面をなぞったときの感覚を提示する。試作したディスプレイを用いて皮膚感覚の提示実験を行っており、両方の手法において、指である粗さをもった固体表面をなぞったときの感覚を再現することができること、さらに、粗さの違いも認識させることができることを実証している。

 第6章「結論」では、本研究で得られた成果についての総括を行い、さらに今度の展望について述べている。

 このように、本論文でなされた研究は、弾性表面波の機械振動をメカトロニクスに応用する新技術の開発に関してなされたものである。長ストロークSAWリニアモータ、皮膚感覚ディスプレイの考案などの優れた着想の有効性を理論と実験によって明かにしている。

 本研究の成果は、精密機械工学及び精密機械工業の発展に大きく貢献するものと言える。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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