学位論文要旨



No 116052
著者(漢字) 伊藤,博子
著者(英字)
著者(カナ) イトウ,ヒロコ
標題(和) ソフトウエアエージェントによる協調業務支援環境構築に関する研究
標題(洋)
報告番号 116052
報告番号 甲16052
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4889号
研究科 工学系研究科
専攻 環境海洋工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大和,裕幸
 東京大学 教授 野本,敏治
 東京大学 助教授 白山,晋
 東京大学 助教授 増田,宏
 東京大学 助教授 中田,圭一
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

社会基盤として情報通信ネットワーク環境の整備が進み、計算機は小型化、高性能化、低価格化により広く普及した。インターネットに接続すれば、誰でも簡単に遠隔地に公開されている情報を閲覧でき、世界に向けて情報発信が行え、面識の有無に関わらずコミュニケーションできる。情報通信技術は業務現場へも浸透し、新しいビジネスモデルを生み、業務に変革をもたらした。遠隔作業者間の情報共有がすでに実現され、現在では知識共有やネットワーク上での協調業務の実現が期待される。同時に、近年の人員流動化は、従来からの人員管理を難しくしており、知識源としての人員管理支援が望まれる。組織に留まる知的資源として有望な文書情報も、電子化により集積が容易になり、これを知識としての活用する方法が求められている。我々は、これら2つの課題を解決することが協調業務支援環境の構築に必要不可欠であると考え、本研究では、組織で蓄積される情報に含有される知識、組織の人員の持つ知識を整理し、組織での協調業務の支援環境構築について提案した。

アプローチ

まず、個人の要求する知識と組織の知識について概観した。船舶運行管理業務の現状の課題等を整理し、組織の知識として人的資源や記録を把握することの重要性およびそれらの現場への活用のために、知識の要求される状況の把握が必要であることを指摘した。

組織に所属する資料は、組織内の特定された数ヶ所にて管理することが望まれる。一方、知識を要求される状況は、業務内容と作業者に依存する。何時、誰が、どのような問題に対して知識を必要としているのかを把握しなければ、要求される知識を提供することができない。このような支援環境を構築するためのソフトウエア技術としては、ソフトウエアエージェントの技術があると述べた。ソフトウエアエージェント技術では、各々が小さいながらも独立に動作して担当内容をこなし、別の担当と互いに協調し合うソフトウエアのモジュール、すなわちソフトウエアエージェントをシステムの構成要素とするための方法論を提供している。そこで本研究は、ソフトウエアエージェントの技術により、個人の要求する知識と組織の知識をマッチングさせることを考えた。

次に組織の人的資源や記録における知識のモデリングに適用できる技術を概観した。すでに広く用いられている電子メールなどの半定型的、あるいは非定型的な文書では、多くの有意義な知的情報を含む反面、そこからの知識再利用に関する技術は未だ体系化されていない。業務への応用も研究を要する段階にある。そこで、協調業務を実現する技術として、その中で非定型の文書を知識を要求する場に推薦する既存研究の手法を整理した。既存の推薦システムは大きく分けてコンテンツベースフィルタリングと呼ばれる要求に対する内容の近さに基づく推薦システムと、協調フィルタリングと呼ばれる組織メンバー間での対象に関する評価共有による推薦システムに分けられると考え、それぞれを構成する技術を確認した。

エージェント基盤の構築

組織内での知識管理と活用を実現するエージェント技術については、大規模な組織でも使用に耐え、拡張性に富んだ基盤が必要と考え、既存のエージェント開発ツールにおいて不十分と考えられる、エージェント管理のしくみについて検討した。サービスを行うエージェントの動的登録および起動機構と、メッセージに含まれる要求サービスをみて、エージェント自身がメッセージを処理するかを判断する機構を設計した。また、組織の情報管理を考慮して、関連のあるソフトウエアエージェントが自発的に情報提供を行える仕組みを用意した。システムの機能を小さなモジュールとして分散させるとき、モジュール相互の協調動作機構が必要となる。分散オブジェクト技術などもこれを考慮しているが、ここでは各モジュールに依存しない通信機構を提供するエージェント間通信言語を導入した。言語としては、FIPAにて提案されているFIPAACLおよびFininらによるKQMLを参考に、汎用の構文解析器が多く提供される構造化言語XMLでメッセージを記述する。また文書型定義を導入してエージェント間の交換メッセージを柔軟に定義、共有できる機構を設計し、これをマルチエージェント開発キット(MADK)として実装した。

エージェントの協調支援環境

組織における知識管理の手段として、コミュニケーションで交わされる対話に着目し、そのモデリング手法およびモデルを用いた知識提案手法について検討した。まず、コミュニケーションを定式化した。目的指向のコミュニケーションを扱うため、セッションの定義を行った。問題解決のための一連の話合いをセッションと定義し、目的T、参加者C、参加者の間で交わされるメッセージMを要素にもつ集合ψ=<M,C,T>として表す。

次に、セッションψに関連するコミュニケーション情報を整理し、セッションの持つ経験的な知識を表すセッションモデルとセッションにおいてコミュニティのメンバーとして発言を行う人の専門性を表すエキスパートモデルを定義した。経験知識のモデルとして、各セッションからセッションモデルSを構築する。ここではセッションモデルをベクトル表現した。

同様に作業者を専門家ξ=<N,M>として表す。作業者の専門知識をエキスパートモデルEを構築する。知識を要求する状況を表すクエリーQとこれらのモデルを比較し、これを提案する役割をソフトウエアエージェントに分担させる。これらの知識モデルをキーワード空間にベクトル表現し、擬似文書文書として各ユーザーの問題と比較した。

具体的には、各ユーザーの問題をクエリーQに置き換え、組織のセッションモデルのベクトルSやエキスパートモデルのベクトルEと比較・選択してユーザーに提供することで実現した。ここで、エキスパートエージェントによるクエリーQとエキスパートベクトルEの距離は両ベクトルの余弦を用いる。すなわち、

sim(Q,E)=Q・E/|Q||E|

とする。

使用したベクトル空間は、Eに所属するメッセージ群から抽出した語群を用いた。この枠組みで協調業務支援環境が提供できることを検証するため、エージェントベースの協調支援環境ACEとしてメッセージを定式化したコミュニケーションに従って収集するレポジトリエージェント、専門家の知識を管理するエキスパートエージェント、セッションの知識を管理するセッション管理エージェント、ユーザーの抱える問題を知的資源を検索するクエリーに変換して情報収集を行うデスクトップエージェントから構成した。図1にその全体構成を示す。また、これを複数のシナリオに適用し、推薦される知的資源に関する考察を行った。図2に試作システムのうち、組織の専門家推薦を行うエージェントの実行結果を示す。

領域表現の導入

語群から生成されるベクトル空間には類似語が多く含まれる。単語レベルで表現されたベクトル空間において、類似語を直交座標で扱うとこれが考慮されない。本研究ではこの問題に対し、領域に関する表現をエージェントに持たせることとした。船舶保守管理分野の場合、領域の表現モデルとして故障樹解析モデル(FTAモデル)が有名である。そこで、対話する各エージェントに基本的なFTAモデルを持たせた。これにより、領域における対象の位置づけにより、異なる動作をするエージェントを構築することが容易にできることが分かった。ただし領域表現の採用について、さらに十分な検討が課題と考える。

以上のように、試行を通して協調業務支援環境の構築に関する提案を行ってきた。まとめると、各要素技術に関するさらなる検討は必要であるものの、協調業務の支援という観点から多くの関連要素を整理し、適用すべき技術についての枠組みを提案し、実際にそのうちのいくつかを試作することで検証してきたことが本研究の主要な成果である。

図1 エージェントによる協調支援環境の全体構成

図2 組織の専門家推薦の例

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、ネットワーク環境の中で新たな産業環境を構成するソフトウエアの創出に向けて基盤的な情報技術の応用手法を提案するものである。ネットワーク環境においては組織や機能の分散は本質的であり、それらを機能的に結びつけるためのソフトウエアエージェント技術を提唱して、具体的な例を取り上げて実証を試みている。

本論文は8章からなる。

第1章では、緒論として、ネットワーク上の情報システムのありかたと、具体的な産業のなかで要請されている協調作業環境、さらにその中での知識処理システムなどについて述べ、本研究の着想にいたった状況を述べている。

第2章では、背景と目的が述べられている。研究の目的として、協調作業環境の実現に向けて、知識のあり方や分散する知識主体の効率的な動作のためのエージェントのあり方を整理、提案しシステムを構築して実証することとしている。

第3章では既存技術について概観している。協調業務の実際、組織における知識、専門家推薦機構、エージェント技術について簡明に述べている。

第4章では、組織における協調業務支援をソフトウエアエージェントにより実現する際に必要となるエージェントの機能について考えている。エージェントの基本的機能は、エージェント間言語に従って記述されたメッセージを通じて他者から依頼された処理を行うこと、そのような処理能力をネットワーク上のサービスとして互いに提供し合うということである。本研究のように、一つのエージェントプラットフォームで多数のエージェントを使用したい場合、このような基本機能に加えて、実行時に適切なエージェントを起動して目的の処理を行えるようにすること、また、サービスの種類に関する情報を用いてエージェントにアクセスできるようにすることが必要である。サービスとエージェントを関連つけることやレートバインディングにより実装することで、これらの機能が実現できたことが述べられている。またJava言語を用いた試作システムにより、実装に関して検証を行い、永続データの保持の手法などに検討すべき点が残っていること、分野知識の運用などの知識工学的な検討は行っていないことが述べられている。

第5章では、著者の提案する工一ジェントによる協調業務支援環境の中核部分について述べている。まず、事例分析によって、協調的な業務のありようについて考察し、組織の経験知識と専門家に関する二つの知識が中心であるとしている。これらを計算機で扱うために、セッション、エキスパートのモデルが必要であり、セッションモデルはひとつの問題に対するメールベースの協調作業記録であり、またエキスパートモデルは、メールでの発言内容を形態素解析によりキーワードの頻度からエキスパートの専門性を推定し、それらを格納再利用するとしている。さらにこれらを有効に利用するために必要なエージェント機能として、各ユーザとのインターフェースとなるデスクトップエージェント、さらにシステム側にエージェント管理システムを置き、その下にセッション管理、エキスパート管理、リポジトリの3種のエージェント機能を述べている。それぞれのモデルとデータベースの管理を行うこととしている。舶用機関に関するトラブルを実例としてあげ、その機能の実際を説明、セッションの管理、エキスパートの推薦という機能の立証としている。

第6章では、さらに具体的な対象ドメインを定義することで、より効率的なシステムの構築できる可能性を示している。ドメインのモデルとして、ソフトウエアの作業分担図、機械のシステム構成図あるいは障害木などのツリーを持つことで知識内容と専門家を関連付け、概念的にはディレクトリ型の情報検索と同様になり効率的な協調作業の行えることを示している。先に提案したベクトル型の専門家抽出機構の弱点を補いうるとしている。具体的な検証を数例行い、有効性を示している。

第7章では、全体を通しての考察が述べられている。本論文での内容をレビューし、協調作業の意味、エージェントの機能とその実装手法、さらにドメインモデルに関しての成果と問題点を挙げている。たとえば、セッションに含まれる誤りや、専門家の度合いの不確実さについて指摘している。

第8章では、結論を述べている。協調作業に必要な組織の知識を定義づけ、それらをモデル化し、さらにエージェント機能により効率的に支援を行うシステムの提案を行った。実装に必要な共通的機能はMADKなどに取りまとめている。これらをシナリオベースの実証作業によりその有効性を示した、などとしている。定型的でない作業内容に対応できること、知識が整理蓄積していくことも重要な成果である。

以上、本論文は協調作業環境について、その基本的な要求を整理し、実装に必要なモデルを定義し、さらに実装技術も配慮し、実際に検証を行っている。なかなか具体的なシステムの構築が困難ななかでのまとまりを持った研究で、実用上もきわめて有意義である。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク