学位論文要旨



No 116062
著者(漢字) 出垣,貴章
著者(英字)
著者(カナ) デガキ,タカノリ
標題(和) 遷音速フラッタのアクティブ制御に関する研究
標題(洋)
報告番号 116062
報告番号 甲16062
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4899号
研究科 工学系研究科
専攻 航空宇宙工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,真二
 東京大学 教授 河内,啓二
 東京大学 教授 藤井,孝蔵
 東京大学 助教授 中須賀,真一
 東京大学 教授 川口,淳一郎
内容要旨 要旨を表示する

 超音速で飛行する航空機は、加減速時の一瞬の間だけ遷音速領域に突入する。しかし空力弾性的には、その一瞬で通過する遷音速領域においてもっとも過酷な状況にさらされ、飛行の大部分を占める超音速ではそれほどの問題は発生しない。これはフラッタ速度が遷音速領域において急減し、さらにマッハ数を上げると再びフラッタ速度が増加という現象のためである。この遷音速領域で生じるフラッタ速度の一時的な低下を遷音速ディップという。

 図1にある高度におけるフラッタ速度の概念図を示す。マッハ数が低い領域ではフラッタ速度はマッハ数に依存せずほぼ一定であり、非圧縮フラッタとして扱える。亜音速領域に入り圧縮性が問題となり始めると、フラッタ速度は徐々に下がり出す。ただし非圧縮と亜音速との境界は厳密には決まっていない。遷音速領域に入るとフラッタ速度は急激に低下し、底を打った後マッハ数とともに急上昇する。これは揚力傾斜のマッハ数による変化もさることながら、空力中心が後退するためである。

 遷音速を超え超音速領域に入った場合でもマッハ数とともにフラッタ速度が上昇し続けるわけではない。超音速では翼厚の影響によりフラッタ速度が著しく低下することが知られている。また空力加熱による剛性低下も空力弾性現象に重大な影響を及ぼす。その結果、超音速領域では再び空力弾性的に酷な状況にさらされる。しかしこれは高超音速領域に限られ、低超音速飛行ではそれほど問題にはならない。

 ある高度においてフラッタの生じるマッハ数領域を求めるには、その高度での音速を用いて、飛行速度とマッハ数の関係を表す直線を引く。飛行速度の直線がフラッタ速度の曲線を上回っている領域においてフラッタは発生する。すべてのマッハ数においてフラッタ速度が飛行速度より高ければ、その高度ではフラッタは発生しない。フラッタ速度と飛行速度との差はフラッタに対する余裕を表すのでフラッタ余裕と呼ばれることがある。

 このフラッタマッハ数決定法は高度一定の場合であるが、高度が異なればフラッタ速度は異なり、また音速も異なる。通常は高度が上がればフラッタ速度は上昇し、音速は低下する。したがって高度を上げればいずれはフラッタが生じなくなり、最もフラッタが生じやすいのは通常の飛行機では海面上であると考えて良い。

 これまでの議論は二次元翼の場合であり、後退翼では多少の修正が必要である。また縦横比の小さいデルタ翼などでは亜音速から超音速に突入しても、二次元翼の場合ほど空力中心は移動せず、必ずしも遷音速領域が空力弾性的に最酷なわけではないことを指摘しておく。

 以上、フラッタに関する特徴を勘案すれば、超音速で飛行する飛行機に対して遷音速ディップに相当するマッハ数領域においてのみアクティブにフラッタを制御することが考えられる。つまり遷音速ディップでのみ制御器をオンにして、それ以外のマッハ領域ではもともとフラッタは生じないので制御器をオフにする。これにより翼の剛性を上げることなく、すべてのマッハ数領域でフラッタを生じさせずに飛行できる。その結果、飛行機の設計段階では想定していなかったミッション要求や予定外の搭載物により翼のフラッタ特性が変化した場合にでも対応が可能である。

 遷音速フラッタのアクティブ制御を考えるときに最も問題となるのは、空力モデルをどうするかということである。また遷音速ディップ間でのフラッタ制御を考えるならば、遷音速空力モデルの作成に加えてマッハ数によって大きく変化する遷音速空気力をどう扱うかということも問題となる。現在までに適応制御やロバスト制御(制御器が本来持つロバスト性に頼るものも含む)による方法が提案されている。

 適応制御は、遷音速空気力を含めた空力弾性系を未知の系であるとし、それを同定しながら同時に制御もするというものである。したがって制御器の設計段階でモデルを作成する必要はなく、制御の実行時に制御器が自動的にモデルを作成してくれる。同定は逐次実行されるため、遷音速空力特性が時々刻々変化しても、その時々のマッハ数での空力特性を制御に用いることができる。この適応制御は、制御系設計に空力弾性モデルが不必要である反面、フラッタが生じる前に予備的なシステム同定が必要であり、またどのような飛行経路をどのように加速するかが制御性能に大きく影響するなどの欠点もある。

 ロバスト制御は、制御器の設計段階で何らかのモデルが必要となるが、そのモデルに多少のモデル化誤差があっても制御器が有効に働くようにするものである。したがって遷音速領域のように正確なモデルが得られない場合でも、簡易なモデルとロバスト制御により、フラッタ制御は可能である。またマッハ数による空力特性の違いは、実際のマッハ数における空力特性と制御器の設計マッハ数での空力モデルとの間のモデル化誤差であると考えることができる。そこで設計点で制御器を設計し、その他のマッハ数においては制御器の持つロバスト性によって対処する。現在までに、ダブレット・ポイント法による空力モデルを用いてLQGやH∞制御器を設計し、フラッタ動圧を上げることに成功している。しかしこれは設計マッハ数におけるフラッタ動圧の上昇であって、遷音速ディップ間のマッハ数変化に対しても有効であるかは分からない。遷音速領域ではマッハ数変化による空力特性の変化が顕著に現れ、ロバスト性の低いLQGでは制御器の有効性は期待できない。またH∞制御は通常高周波帯域にモデル化誤差を含む系に対して用いるが、マッハ数による空力特性の変化をモデル化誤差と考えたときに、それは高周波帯域のみに存在するわけではない。したがってこれらの方法は設計点でのフラッタ制御は可能であっても、遷音速ディップ間のすべてのマッハ数にわたるフラッタ制御に関してはその有効性に疑問が持たれる。

 この論文ではスライディングモード制御による遷音速フラッタ制御を検討する。スライディングモード制御は位相平面や非解析的な微分方程式の理論が基礎となって発展し、「スライディングモード」という言葉は1934年にロシアにおいて初めて用いられた。理論としては1950年代頃の旧ソ連において誕生し、英訳版の出版によって世界的に知れ渡るようになった。その後、電機モータ・車両制御・磁気軸受け・構造物の制振などに応用されている。このスライディングモード制御は可変構造制御の一種であり、何らかの制御入力により状態量を相空間の部分空間に拘束しつつ原点に収束させるという特徴を持つ。モデル化誤差がマッチング条件を満たす場合には、この部分空間内においてノミナルモデルが擾乱モデルと同じダイナミクスを持つようにでき、極めてロバストな制御器になることが知られている。さらに代表的なロバスト制御であるH∞制御がモデル化誤差を周波数領域で評価するのに対し、スライディングモード制御はそれを時間領域で評価する。したがってモデル化誤差の存在する周波数帯域を高周波のみに限定せず、しかもモデル化誤差が状態量の非線形な関数であってもよい。この性質を利用すると、制御器の設計点での空力モデルと各マッハ数での実際の空気力との差をモデル化誤差とみなすことにより、スライディングモード制御を用いた遷音速ディップ間のアクティブフラッタ制御が可能であると考えられる。

 この論文では、NACA64A006の二次元振動剛翼の遷音速フラッタ制御を考えた。CFDによりオイラー方程式を解き、フラッタ速度をM=0.6〜0.9の各マッハ数について計算した。ある高度で加速するときにフラッタが生じるマッハ数はM=0.7〜0.88であった。M=0.85を設計点としてスライディングモード制御設計し、それを用いればフラッタの生じるマッハ数領域M=0.7〜0.88のすべてのマッハ数で制御可能であることが分かった。そのときの制御性能は設計点でのそれとほぼ同じであった。さらにフラッタ速度は制御しないときのフラッタ速度の数倍以上に上げることができた。比較のためにLQRでも同様のフラッタ制御を試みた。LQRを調整することにより制御性能をスライディングモード制御によるものとほぼ同様にすることができる。しかし制御入力はスライディングモード制御を用いた場合よりも大きくなる。LQRでもある程度はフラッタ速度をあげることはできるが、その度合いはスライディングモード制御ほどではない。さらに同定した非定常空力モデルをLQG/LTRに組み込み、上記と同様な比較を行った。設計点での制御性能を同じにするように調整できるが、フラッタ速度はそれほど上がらなかった。これは空力モデルの向上よりもオブザーバを用いる制御器のロバスト性の劣化が上回った結果であると考えられる。

図1 フラッタ速度と遷音速ディップ。

審査要旨 要旨を表示する

修士(工学)出垣貴章 提出の論文は「遷音速フラッタのアクティブ制御に関する研究」と題し、本文6章よりなる。

 航空機翼のフラッタは、空気力、弾性力、慣性力が連成して発生する自励振動である。飛行中にフラッタが発生すると、構造破壊を招く危険があるため、飛行領域内でフラッタが起きないことを保証せねばならない。特に遷音速飛行領域においては、衝撃波を伴う複雑な流れが翼まわりに発生するため、フラッタ速度が著しく低下することが知られており、この現象はトランソニック・ディップと呼ばれている。そのため、遷音速域を飛行する航空機の開発にあたっては、すべての機体形態に関してフラッタが発生しないことを保証するために多大な労力が必要となる。また、試験中にフラッタが発生した場合には、これを回避するための設計変更により予期せぬ機体重量増加を招く場合が多い。アクティブ制御技術によってフラッタを能動的に制御しようとする試みは、こうした背景から世界的に精力的な研究が続けられている。フラッタの制御問題にはさまざまな技術的課題が残されているが、遷音速フラッタに関していえば、マッハ数や形状のわずかな違いによって変動する空気力の違いを許容できる制御方式がいまだ確立されていないことがある。論文提出者はスライディング・モード制御と呼ばれる制御方式のフラッタ制御への適用を検討し、その設計法を提示するとともに、オイラー・コードによる詳細な数値流体計算によってその有効性を検証しようとしている。

 第1章は序論であり、本研究の背景と、過去の研究動向を概観し、本論文の特色を整理している。この中で、遷音速フラッタの制御法としては、二通りの方向が存在することを指摘している。一つは、空気力の変動を積極的に同定し、制御則を同定結果に応じて実時間で更新する適応制御を用いるものである。もう一つは、制御対象のモデル化誤差を許容したロバスト制御則を適用するものである。適応制御に関しては、事前に空気力モデルを構築することが不要な反面、その手法上、あらかじめ加振による同定プロセスが必要な上、急激な変動に追従することが困難であるとしている。またロバスト制御に関してはH無限大制御による設計例も報告されているが、同一マッハ数で、動圧を変動させた場合の結果しか発表されておらず、マッハ数の変化に関して十分なロバスト性が実証されていない点を指摘している。

 第2章では本論文で使用される翼モデルに関して説明がなされている。本論文では2次元翼モデルが使用される。これはスパン方向に一様な2次元翼を対象にしているが、3次元的な直線翼の近似モデルにもなっていることが示されている。

 第3章では本論文で使用する制御理論が説明されている。後に有効性が示されるスライディング・モード制御の説明のあと、比較のために実施されたLQR制御、LQG/LTR制御がまとめられている。LQR制御は基本的にはスライディング・モードと同じ空力・弾性モデルを使用し、空気力モデルとしては準定常モデルを使用する。LQG/LTR制御は空気力の非定常性をモデル化するために検討したもので、非定常性を表現する状態量を推定するためにカルマン・フィルターを採用し、ロバスト性を向上するために一巡伝達関数の回復をおこなうものである。

 第4章はフラッタモデルの検証結果をまとめている。本論文では空気力の計算のためにオイラー・コードによる数値計算プログラムを使用している。オイラー・コードはナビア・ストークス方程式から粘性項を省略したもので、通常のフラッタ計算に使用される微小擾乱法よりも厳密なモデル化となっている。この数値計算法を翼の運動モデルと連成して数値時間積分するシミュレータを作成し、数値風洞として使用している。このシミュレータの検証を行うために、定常・非定常空気力、フラッタ速度の各項目に関して他に公表されているデータと比較検討し、シミュレータの信頼性を確認している。

 第5章では制御結果が示されている。対象としたモデルではマッハ数0.7から0.88に関してトランソニック・ディップによるフラッタが発生していることが示された後、各制御則の適用結果が比較検討されている。スライディング・モード制御とLQR制御においては、空気力モデルをトランソニック・ディップの最も深い谷であるマッハ数0.85における準定常空気力から作成している。制御能力の検討は、この空気力モデルではなく、数値風洞において検証され、マッハ数や動圧の変動に対するロバスト性が調査された。なお、数値風洞は、スライディング・モード制御におけるモデル化誤差の見積もりにも使用された。モデル化誤差の評価結果によると、マッハ数の変動による空気力の変化はゲイン変動が大きく、周波数領域でモデル化誤差を表現するH無限大制御よりも、状態方程式で直接に誤差の大きさを指定するスライディング・モード制御を用いる方が有利であることを指摘している。数値風洞による比較の結果、スライディング・モード制御もLQR制御もマッハ数の変動に対してはロバストな制御が可能であるが、マッハ数を固定して動圧を変化させた場合には、スライディング・モード制御が大きなフラッタマージンを有していることが明らかになった。なお、非定常空気力モデルを採用するために使用したLQG/LTR制御は、制御成績の観点からは最も劣った結果となった。非定常性を考慮することで空気力モデルが精密になった反面、空気力の非定常を表現する状態変数を推定する必要があり、結果的にロバスト性が損なわれたと考察している。

 第6章は結論で、本論文の主な成果を要約している。

 以上、要するに本論文では遷音速領域でのフラッタをスライディング・モード制御によって能動的に制御する方法を提案し、2次元翼に対する計算から、広いマッハ数変動と動圧変動に対して大きなフラッタマージンを有していることを、他の制御手法と比較して検証している。その検証は単純化された制御モデルではなく、空気力を計算するオイラー・コードと翼の運動・制御モデルを連成させた詳細な数値シミュレーションから実施しており、航空工学上寄与するところが大きい。よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格とみとめられる。

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