学位論文要旨



No 116063
著者(漢字) 姫野,武洋
著者(英字)
著者(カナ) ヒメノ,タケヒロ
標題(和) 低重力環境における気液二相熱流動の研究
標題(洋)
報告番号 116063
報告番号 甲16063
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4900号
研究科 工学系研究科
専攻 航空宇宙工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 渡辺,紀徳
 東京大学 教授 梶,昭次郎
 東京大学 教授 河野,通方
 東京大学 教授 長島,利夫
 東京大学 教授 松本,洋一郎
 東京大学 助教授 鈴木,宏二郎
内容要旨 要旨を表示する

 人間の日常的な活動領域が地球周回軌道上まで拡大するのに伴い、宇宙活動を支える基盤技術として、低重力環境で燃料や冷却剤などの液体を貯蔵そして輸送する技術は欠かせないものであり、今後ますます重要となる。例えば、軌道上に推進機関用の燃料を貯蔵して宇宙輸送機に供給する技術が確立されれば、再使用が可能な軌道間輸送機を実現でき、低コストで柔軟性に優れた宇宙輸送のための社会基盤を構築することが期待される。

 しかし、宇宙環境では重力に代わって相対的に界面張力と濡れ性の影響が卓越するため、自由表面流の挙動が地上の場合とは大きく異なり、液体を容器内部の望ましい位置に保持し、思い通りに容器外部へ輸送することすら難しくなる。地上環境での経験に頼って類推設計された流体管理機器は、軌道上で想定した性能を発揮できず計画通りに運用できない恐れがある。

 このような、地上で経験されなかった流体管理の問題を解決し、軌道上での流体の輸送技術と熱管理技術を確立するためには、低重力環境における自由表面流の流動と伝熱の特性を適切に評価および予測できる知見が求められる。従来の宇宙環境利用実験では、種々の流体の挙動を観察する基礎的研究が実施されてきた。しかし、残念ながら、工学的に有用なレベルでの熱流動特性の検討はほとんど行われていない。他方、大気圏内で落下塔や航空機を用いて人為的に低重力環境を創出できる機会は設備と費用の両面から限られており、機会に恵まれたとしても獲得できる低重力環境の質と持続時間にかなりの制約を受ける。このことが軌道上で運用される機器の設計段階における試運転を難しくしており、勢い設計は保守的にならざるを得ず、関連する技術の革新と低コスト化を阻んでいる。

 このような理論的予測と実験的再現が困難な現象への第三のアプローチとして、数値シミュレーションの援用が期待されるが、低重力環境での気液共存流れ場では、流動が重力と界面張力という代表長の異なる現象に支配されるうえ、大きく変形して移動する気液界面を精度良く追跡するという困難が伴うため、未だその数値解析手法は確立されていない。

 本論文では、このような技術課題に応えるべく、低重力環境を含めた様々な条件下で、自由表面流の伝熱と流動の特性を適切に評価および予測できる汎用的な手法を提案することを目的とした。提案する手法(CIP-LSM)は、いずれも近年提案された数値解析手法であるCCUP法とLevel Set法の長所を活かす形で組み合わせたもので、界面張力の効果を含むNavier-Stokes方程式を解き、3次元一般座標の固定計算格子上で気液界面をオイラー的に追跡できる。

 本論文では、Fig.1にまとめるように、気相と液相の統一解法であるCCUP法のアルゴリズムを伝熱解析に適した形に改良し、さらに、非圧縮流体や理想気体といった仮想流体だけでなく実在流体の解析が容易な表式に整理して提案している。また、界面追跡のために用いられるLevel Set関数の移流だけでなく、その再初期化式も移流方程式に変形し、ここにCIP法を適用する変更を加えている。この改良により、高次精度風上スキームでありながら、同時に2点スキームであるCIP法の長所が活かされ、再初期化に伴う計算量が軽減されるとともに、境界条件の設定が容易にすることができた。

 開発した数値解析手法の妥当性を確認するために、(1)鉛直円管内を浮力の効果で上昇する単一気泡、(2)落下塔を用いて独自に実施した円筒容器内自由表面流の可視化実験、(3)液体ロケット推薬タンク内の液面挙動、について数値的な模擬を行った。その結果いずれも数値解は実験と良好に一致しており、本解析手法が、軸対称性を仮定した気液共存流れ場において、重力、表面張力そして固体壁面の濡れ性を考慮して、液面挙動をかなり正確に捕捉できることが示された。

 上述の落下塔実験では、境界条件が明確に課された容器内の液面挙動を観察することで、数値解析の検証に適したデータを取得し、壁面に導入される濡れ性モデルの妥当性を評価することを目的として実施された。実験では、液体の界面張力σと密度ρで決まる物性値(σ/ρ)と容器のスケールをパラメータとし、重力が瞬間的に消失した環境における界面形状の動的変化とくに接触点の移動速度に注目し、供試液体として様々な有機溶媒を用いた。その結果、流れ場の空間的および時間的な相似則が、壁面の濡れ進行速さまでを含めて成立することが実験から確認された。この知見は数値解析手法の構築にフィードバックされ、結果として、接触角のみをパラメータとする濡れ性のモデルを構築し固体壁表面に導入することができ、実験と照らしてその有効性を確認した。例として、内径150mmを持つ円筒容器内のエタノール液面を可視化した結果と、本手法を用いてこれを数値的に模擬した結果を比較してFig.2に示す。

 液体ロケット推薬タンク内の液面挙動の解析では、実際に使用される液体ロケット上段推進系(H2Aロケット第2段)のタンク形状に適合した計算格子を生成し、ロケットエンジン始動時における液体推薬の吸引を模擬した。その結果、微小重力環境に特有な液面落ち込みを計算でも捉えることができた。また、吸引開始から落ち込みが液相を貫通して気相の吸込みに至るまでの時間について、対応する既存の落下塔実験と良好な一致を得ることができた。

 以上要するに、本論文はCCUP法とLevel Set法に改良を加えたうえで組み合わせ、重力、界面張力、濡れ性および伝熱を考慮して大変形する気液界面を固定格子上で追跡する数値解析手法を提案し、これが様々な重力環境における自由表面流の解析に適用できることを検証したものである。

Fig.1:熱輸送解析用CCUP法のアルゴリズム

Fig.2:落下塔を用いた液面可視化実験結果とその数値的模擬の比較

審査要旨 要旨を表示する

 修士(工学)姫野武洋提出の論文は、「低重力環境における気液二相熱流動の研究」と題し、本文6章および付録から成っている。

 宇宙環境では重力が減少し、これに代わって流体の挙動には界面張力と濡れ性の影響が卓越する。そのため、自由表面を有する気液二相流の挙動は地上の場合と大きく異なるが、その熱流動特性は十分に究明されておらず、例えば宇宙輸送系の構築に必要な液体管理手法の設計にも、的確な指針が未だ得られていない。具体例としては液体燃料タンクから燃料を吸引する際、低重力場では地上で経験されない気液界面の大きな落ち込みが発生し、ターボポンプが気相を早期に吸い込んでしまう現象が生じるため、相当量の燃料を未使用のままタンク内に残さざるを得ない、という問題があるが、この現象を的確に予測することは従来不可能で、落下塔などを用いた地上試験による知見から界面挙動を類推せざるを得ない状況にあった。

 本論文で著者は、このような通常重力場で経験されない気液二相流体の挙動を解明し、宇宙環境における液体管理技術および熱管理技術の基礎を確立することを目指して、大変形する気液界面の動的な挙動を高精度に追跡することが可能な、新しい数値解析手法を提案した。また、この解析手法による結果と、落下塔実験の結果とを統合することにより、低重力環境における気液界面の動的挙動に関する相似則を見出し、更に固体表面の濡れ性の適切なモデル化を実現することで、様々な重力環境での自由表面流の挙動を適切に評価するための知見を獲得することに成功した。

 論文の第1章では、本研究の背景を述べ、研究の目的と独自性を明確にしている。

 第2章では、気液両相が共存する流れ場の運動を一般的に論じ、数値解析のための支配方程式を導いている。ここでは気相と液相および界面の運動を統一的に記述し、低重力環境で大変形する気液界面を固定格子上でオイラー的に追跡する方針が採られている。汎用性のある数値的手法の構築を指向して、気液両相で粘性と圧縮性が考慮されており、内部状態についても状態方程式の形を特定しない。重力は運動量式に直接加えられ、また、界面張力の温度依存性も考慮されており、広範な流体挙動を解析対象にできる方程式系が導かれている。

 第3章では、前章で導かれた自由表面流の統一的支配方程式を数値的に解く独自の手法として、CIP-LSMと呼ぶ解法を提案している。この手法は、支配方程式の解法にCCUP法を、気液両相の識別にLevel Set法を採用したものであるが、従来のCCUP法で用いられてきた独立変数の中の密度を、伝熱解析に適するよう温度へと変更してアルゴリズムを再構築し、また、Level Set関数の移流だけでなく再初期化操作にもCIP法を適用するなど、独自の改良が加えられている。開発した手法を用いて、定常および非定常衝撃波、密閉容器内の自然対流、浮力の効果で上昇する気泡、マランゴニ対流等を模擬し、いずれも比較対象と良好に一致する解を得て、この手法の妥当性を確認している。

 続く第4章では、固体壁の濡れ性が自由表面流に与える影響を、実験と数値計算により詳しく調べている。まず落下塔を用い、円筒容器に封入した液体表面の動的変形を可視化した実験について述べられている。その結果から、界面張力に駆動される自由表面流に関し、接触点の変位までを含めて時間と空間に関する相似則が成立することが認められ、特に円筒容器内径が十分大きな場合について、接触点変位が時間の2/3乗に比例するという半理論式が見出された。次に実験による知見を基に、自由表面流の数値解析における壁面境界条件の検討がなされ、動的接触角を変数とする濡れ性モデルが考案されている。このモデルを組み込んで落下塔実験を数値的に模擬した結果、両者には良好な一致が認められた。更に平板上を移動する接触点を対象とする数値実験から、上述の半理論式の比例係数が液体物性と前進接触角の関数として具体的に定められ、これを基に接触点変位の時間履歴から前進接触角を求める原理が提案されている。

 第5章では数m程度のスケールを持つ液体貯蔵タンクで発生する排出問題を実際例に採り上げ、その流れ場をCIP-LSMにより数値的に調べた。具体的には、液体ロケット上段推進系でエンジンが再始動する際の推進剤タンク内流動を解析し、結果から落下塔実験データでは明確に把握できなかった液面形状の変化を明らかにしている。更に落下塔実験では模擬の難しい加速度が時間的に変化する条件を課して数値的模擬を実施し、その予測に基づいて実際の再始動シークエンスの安全性を評価することを可能にしている。

 第6章は結論であり、本研究で得られた知見をまとめている。

 以上要するに、本研究は低重力環境における自由表面流を考察の対象とし、その熱流動特性を数値的に解析できる手法を提案したうえで、重力と界面張力の影響を受ける自由表面流れ場の非定常変化を実験的手法と数値的手法の両方を用いて詳細に調べたものである。これにより、固体面の濡れ性までを適切に考慮した自由表面流の予測が可能となり、その成果は宇宙環境における流体管理技術を構築するための一つの基盤を確立したものと評価され、航空宇宙工学上貢献するところが大きい。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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