学位論文要旨



No 116086
著者(漢字) 村上,慎吾
著者(英字)
著者(カナ) ムラカミ,シンゴ
標題(和) 海馬CA3モデルを用いた脳磁場発生機構の定量的解析
標題(洋)
報告番号 116086
報告番号 甲16086
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4923号
研究科 工学系研究科
専攻 電子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 廣瀬,明
 東京大学 教授 鳳,紘一郎
 東京大学 教授 上野,照剛
 東京大学 教授 岡部,洋一
 東京大学 教授 柴田,直
 東京大学 教授 藤田,博之
内容要旨 要旨を表示する

 急速に研究が進んでいる脳機能地図の分野で、MEG(Megnetroencephalogrm)とEEG(Electroence-phalogram)は人間の脳機能研究の手段としての重要性がよりいっそう高まってきている。それはこの二つの技術のみが直接的に脳内の神経細胞によって生じた電流を計測することができるからである。機能的MRI(Magnetic Resonance Imaging)、PET(Positron Emission Tomography)とは違ってMEG、EEGはそれぞれ脳の神経細胞の細胞膜電位の変化によって生じる磁場、電位を計測する。

 脳の特定の部位を特定の現象機能に結びつけて解析することが可能になったことで、脳の高機能地図の製作が高スピードで行われている。しかしながら、現在のところ、脳磁場によって得られる情報は活動領域の位置のみであり、得られた波形がどのような現象に対応しているかは明らかでない。本論文では計算的神経科学の手法を用いてモデルを製作することによって、磁場の発生原理を明らかにし、細胞外電位の評価を行い、さらにイオンチャネル別にMEGを考察することで、MEGに対する正しい評価やさらなる可能性の追求を行う。

 本論文の研究に先立ち、スライスからのMEGを高解像のMEGセンサーで計測し、海馬CA3スライスで一連の実験を行い、細胞外電位を同時に計測することによって、MEG信号を特徴付けようとした。Okadaらの実験で、海馬CA3錘体細胞の細胞体と尖頭樹状突起の領域に対する刺激によって特徴的な2相、3相の波形が発生することが分かった。

 しかし、あまりにも多くの要素が複雑に絡み合っているために生理学的な信号の基礎の解析を行うことは不可能に近かった。そのため、生理実験結果と計算結果を組み合わせた本研究が必要になった。

 理論的解析のためにTraubによって1991年に作られたCA3モデルを使用した。縦切断のスライスは長方形であり、主要神経細胞である、錘体細胞は互いにY軸に平行になっていて、細胞層は直行座標でX軸に平行になっている。これらの錘体細胞がスライス外での主要な磁場発生源である。発生源の集合は電流双極子の集合とみなせる。Traub1991モデルでは、Rallの枝の単純化のスキームに従って等価シリンダーによって錘体細胞を表している。

 多くの重要な点で生理実験結果と似た計算結果が得られた(図2)。細胞体刺激の時、電流双極子は細胞外での磁場に比例し、スパイクと徐波によって構成されて2相的である。実験結果と同様に、最初のスパイクは細胞体から尖頭樹状突起へと向かっており、徐波は尖頭樹状突起から基底樹状突起へと流れている。尖頭樹状突起刺激の時は電流双極子は3相的な構成をしており、実験結果と一致している。

 本研究手法の利点の一つとして生理実験で観測された現象を生理実験では調べることができないレベルまで調べられることがある。本研究がなされるまで、実験からどのような磁場の波形がでてくるかというは分かっていても、その磁場の波形の各波がどのような成分によるものかは不明であった。電極もしくはシナプスのどちらによって刺激を受けるかによって神経細胞別に磁場を計算した(図2Qdirect、Qsynapse)。最初のスパイクは電極によって直接刺激された細胞によって発生しており、徐波は主にシナプスを経て発火した細胞によって発生していることも分かる。尖頭樹所突起刺激の場合についても同様なことがいえる。ここで注目すべきことは、シナプス経由で発火した細胞によって生じる磁場は刺激の仕方にかかわらず同一であるということである。刺激の違いによって生じる磁場の違いは電極の刺激の違いによるものであるという結論が得られる。ここで、実際の中枢神経での錐体細胞について考えてみると、CAl,CA3の領域では軸索がどこからきたかに従ってシナプスがつく位置を大きく分類することができる可能性を示唆している。

 生理実験では任意の箇所の神経細胞内電位を計測するのは困難を極める。しかし、モデルを使えば簡単に推測することができる。図3は細胞体刺激による直接電極で刺激をうけた神経細胞の神経細胞内電位である。脱分極が細胞体で始まり、各樹状突起に伝わっていく様が分かる。細胞体と尖頭樹状突起の発火のタイミングを観測すると、細胞体の方が先に発火をしていて、細胞体から尖頭樹状突起に最初の波が流れる実験及び計算結果に一致している。図2の刺激の違いによる最初の波の極性の違いは直接刺激を受けた細胞での細胞体、樹所突起での発火の順序によるものだと結論付けることができる。

 樹状突起の樹状という形態を考慮しなければ、樹状突起の端の電位が磁場発生源の主成分となることを導くことができる。しかし、実際には枝別れした部分が対称性より互いに打ち消し合い、磁場への影響が少なくなる。基底樹状突起が放射状であり、尖頭樹状突起も途中から枝別れしていることを考慮すると実験結果によくあった結果がでる。このことから、磁場の波形の主成分は細胞体と樹状突起の枝別れが始まる地点の電位であるといえる。

 MEGの電流双極子の場所を計算する問題は逆問題とよばれ、この問題を解くのにいろいろな手法が提案されている。一般的に、電流双極子とそれに伴う体積電流が存在しこの二つを考慮して磁場を計算している。しかしながら、実際にin vivoで計測されるMEGから細胞内電流による成分と細胞外電流である体積電流の成分を分離することは困難であり、実際の体積電流の大きさは現在もはっきりとは分かっていない。細胞の大きさを考慮にいれ、仮に無限の空間を持った細胞外領域であったとしても体積電流によって磁場が発生するかを考察した。そして、細胞膜の近傍をきちんと処理し、離散的な近似ではなく連続の空間すなわち解析的に処理して、計算の精度の上昇と計算量の軽減を目的とした、新たな手法を提案した。

電流が仮想的に磁場Hを発生するとして

と書き換えることができる。ただし、afは細胞膜に外に垂直な単位ベクトル、Rは細胞膜から計測点までの距離、Jiz,Jezはそれぞれ細胞膜のちょうと内外を膜に平行にながれる電流とする。

 細胞外の電位の計算にはSpachのモデルを用いた。細胞外領域での任意の位置zでの電位φeは

で表すことができる。ただし、dは神経細胞の半径、aは細胞膜からの距離、zはsourceからの軸に沿った方向への距離、σを細胞外のコンダクタンスとする。

 細胞体刺激の時の細胞外電流がつくるMEGは図4である。細胞外電流によるMEGの磁場は非常に小さい。しかし、細胞外が一様な抵抗を持っているという仮定を用いているので、実際にスライスで検出される細胞外電流によるMEGはもっと大きい可能性が残されている。とくにスライスはRinger液に浸されていて、Ringer液とスライスの境界で大きな抵抗率の変化が予想される。そのため、波形は大きな変化がないであろうが、振幅に関しては大きくなる可能性が大きい。今後はスライス表面の電位を生理実験で計測し、計算で推測することが必要になるだろう。

 MEGで各イオンチャネルによって生じる電流を計測することができるのであれば、臨床面での応用や基礎科学への貢献という意味で大きな意味を持つ。本論文でイオンチャネル、シナプスごとにMEGをわけて計算する手法を提案した。これによって求められた各MEGを足しあわせることによって、スライス全体のMEGに等しくなる。この手法では、神経細胞の等価回路がイオンチャネルを除けば、抵抗と容量であらわすことができる、つまり線形であることを利用している。イオンチャネルを流れる電流が計算で求められることより、イオンチャネルを定電流源とみなせ、各定電流源ごとに計算でき、MEGを分割できるのである。重ね合わせの理を用いる際には他の定電流源はオープンにすることから、計算にもちいるアルゴリズムは以下のようになる。

 ただし、Ckはコンパートメントkの膜容量、Vkはコンパートメントkの細胞内電位、γk-1,kはコンパートメントk,k-1間のコンダクタンス、gL,kはコンパートメントkのリークコンダクタンス、fを各定電流源とする。この式を用いて通常の計算と並列に各イオンチャネル、シナプスごとの膜電位を求めて、細胞内電流双極子モーメントを計算することが可能になる。その結果を図5、6に示す。

 イオンチャネルごとの解析により2相、3相の違いが何によるものなのかがより明確になった。どちらにも共通して言えるのは徐波はシナプス経由の刺激により発火した細胞によって生じるということである。だが、最初のスパイクはナトリウムチャネルかカルシウムチャネルによるかの違いによるものだということを明らかにした。

 本論文では、MEGの発生原理について解析を行った。最初に研究に必要な計算論的神経科学について述べた。次に、生理計測結果と比較することによって、発生の期限が実際の神経細胞の何に有るのかを推定することができた。さらに、イオンチャネルによって生じるMEGを理論的に計算できることを示した。これに加えて細胞外の電位を計算することによって、細胞外電位による同期や磁場の貢献を推定した。以上のような考察によって、MEGにより位置情報だけではなく、細胞活動に関する情報を計測できる可能性を示唆した。

図1 生理実験の結果 左が細胞体刺激、右が尖頭樹状突起刺激 A、Bは別なスライスから取られたデータ からSQ2,4で計測された磁場、基底樹状突起、細胞体、尖頭樹状突起の細胞外電位、別スライスでの細胞外電位、細胞体での細胞内電位(Okadaらによる)

図2 計算結果 左が細胞体刺激 右が尖頭樹状突起刺激 上からスライス全体の磁場、電極で刺激された細胞の磁場で刺激された神経細胞の細胞内電流双極子

図3 細胞内電位と磁場の関係

図4 細胞体刺激によって発生する細胞外電流双極子モーメント

図5 細胞体刺激にでの各チャネル、シナプスの電流双極子

図6 尖頭樹状突起刺激での各チャネル、シナプスの電流双極子

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、「海馬CA3モデルを用いた脳磁場発生機構の定量的解析」と題し、神経細胞活動に伴う脳磁場の起源について、ギニア豚海馬CA3スライスを対象とした精密なモデルを構築して定量的解析を行ったものであり、6章よりなる。

 第1章「序論」は、本研究の背景と目的、ならびに本論文の構成をまとめたものである。特にMEG(Magnetoencephalogram)の起源を明らかにするために、細胞数が数百〜数千と少ないスライスを使った実験とそれに対応する理論・数値解析の重要性を述べている。

 第2章「計算論的神経科学」は、本論文の解析の基本となる細胞モデルと、その膜電位や電流について解析を行うために必要な理論を展開したものである。化学的ポテンシャルと電気的ポテンシャルの関係や、磁場発生に関する電磁気的な理論をまとめている。また、近年膜電位の時空間的な振舞いを詳細に記述するために発展しているTraubらによる細胞モデルを、細胞内外の電流およびそれに伴う磁場の評価に利用するために改変し、適用する方法を示している。これに続く3つの章における解析の基礎的アイデアを述べたものである。

 第3章「海馬によって発生する磁場の数学的解析」は、海馬スライスの磁場計測結果と数値解析結果を比較してその同一性を示し、提案するモデルによってはじめて定量的に細胞活動磁場の時空間的変化を再現できたことを示している。それによって、細胞体刺激時の2つの磁場フェーズおよび先端樹状突起刺激時の3つの磁場フェーズの起源となるイオンチャネルの動作を明らかにしている。またその結果を利用して、幾つかのチャネルをブロックした場合に得られる磁場波形の意味付けが可能であることを示し、本解析方法の有効性を提示している。

 第4章「細胞外電流によるMEGの計算」は、細胞外電流によって発生する磁場の大きさと波形を評価している。また、計算手法に高い精度と短い計算時間を実現する方法を提案し、採用している。計算の結果、細胞膜に対応する導電率変化のみを考えた場合には、細胞外電流による磁場は非常に小さいことが確認された。また同時に、スライス計測の場合にはスライス・環流液間の導電率変化も考慮されなければならないことが示されている。

 第5章「各イオンチャネルによって発生するMEGの解析」は、各イオンチャネルおよびシナプスごとに磁場の生成要因を分離して解析する方法を考案し、その導出方法と有用性について述べている。具体的な解析の結果、第3章で述べた2相波および3相波の応答は、関与している複数のイオンチャネルによる電流の打ち消し合いとその動作遅延時間の相異によって生じていることが、定量的に示されている。

 第6章「結論」は、本論文を総括するとともに、今後の展望を行っている。特に今後、本論文が提案するような計算論的神経科学の手法が、マクロな脳機能解析とミクロな生理実験とのギャップを埋めてゆくと期待されることが述べられている。

 以上を要するに、本論文は、神経細胞活動に伴う磁場についてその起源を明らかにするために、定量的な解析を可能とする細胞モデルと計算方法を提案および構築し、実際に生理実験との比較を行うことによりその有用性を示したものであり、電子工学特に生体情報工学および神経科学に貢献するところが少なくない。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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