学位論文要旨



No 116090
著者(漢字) 大島,弘敬
著者(英字)
著者(カナ) オオシマ,ヒロタカ
標題(和) マンガン酸化物薄膜の相制御
標題(洋)
報告番号 116090
報告番号 甲16090
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4927号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮野,健次郎
 東京大学 教授 十倉,好紀
 東京大学 教授 永長,直人
 東京大学 助教授 朝光,敦
 東京大学 講師 和泉,真
内容要旨 要旨を表示する

 電子同士が互いに強く影響し合い協力的に電子状態を決定する「強相関電子系」といわれる物質群においては、何らかの因子のわずかな変化が大きく系の状態を変化させることが知られており、よってその物質の相を自在に操る「相制御」が可能であると期待される。強相関電子系の一つであるペロフスカイト型マンガン酸化物は、電荷、スピン、軌道、そして格子の自由度が強く結合しており、バンド幅やフィリングを変化させることにより多彩な相図を描く。また拮抗した相互作用により多重安定状態が実現される。本研究の目的は、ペロフスカイト型マンガン酸化物薄膜における「新奇な相制御の探索的研究」及び「相制御された系の物性研究」である。バルク結晶で見られる相制御は原理的には薄膜でも実現可能であると考えられ、また薄膜ならではの新たな物性の実現も期待される。薄膜化は透過光による光物性測定や、表面の走査型プローブ顕微鏡による測定を可能とし、基板による制御という新たな方法も生み出す。またデバイス化に際しては必須である。

 本論文においては、まず絶縁体薄膜における光・電場誘起スイッチングの実現、そして基板によって軌道制御された系の光励起効果などについて報告する。また不純物としてCrをドープした系について、磁気ドメイン構造とその印加磁場に対する応答を低温磁気力顕微鏡で観察した。更に光励起による永続的なコンダクタンスの上昇(persistent photoconductivity)を見出し、光学測定から電子状態に関する知見を得た.これらの実験結果について報告及び議論を行なう。

 バンド幅の狭い系では、二重交換相互作用と電荷一軌道整列及びヤーン・テラー歪みが競合し、金属状態と絶縁体状態とがエネルギー的に非常に近い状態になり得る。磁場の印加による絶縁体-金属転移の他にも、バルク結晶においては様々な外場による転移が知られている。Sm1-xSrxMnO3のバルク結晶は、x=0.5の時には基底状態において絶縁体であるがx=0.45では金属状態となる。薄膜においてこのような絶縁体-金属転移近傍の試料を得るために、Sm0.5Sr0.5MnO3の薄膜をpulsed-laser deposition法により、様々な面内格子定数を持つ基板上に作製した.エピタキシャル薄膜の場合、格子定数は基板の影響(ストレス)を受け変化し、よって一般にその物性は基板に依存する。7Tまでの磁場下での抵抗率の温度依存性測定により、SrTiO3(001)基板上に作製したエピタキシャル薄膜のみ、絶縁体-金属転移を起こすことが見出された(Fig.1左)。また試料に低温で電場を印加することにより、他のマンガン酸化物バルク結晶同様の電場誘起スイッチングの実現を見出した。スイッチングの敷居電圧はヒステリシスを示し(Fig.1中)、また試料にかかる電圧-電流特性は負性抵抗を示すことがわかった。これは低抵抗領域がフィラメント状にパスをつくっていることを示唆している。30Kにおいて、試料に370Vの電場を印加した状態で70μJのレーザーパルス(6ns,532nm)を照射することにより、光誘起スイッチングが起きることを見出した。この場合も振舞はバルク結晶で見られる光誘起転移と同様であり、低抵抗状態は電場の印加によって維持される(Fig.1右)。

 一方他の制御方法としては、基板からのストレスによる相制御が挙げられる。薄膜を基板の面内格子定数を保ったまま堆積させることにより、組成の全く等しい薄膜の格子定数のみを制御することが可能である。面内の格子定数変化はMnO6の歪みを通してMnサイトにおける電子の形(軌道)を変化させ、軌道の異方性は,薄膜の電子状態(相)を変化させる。その一例として、La0.5Sr0.5MnO3のエピタキシャル薄膜をLaAIO3,LSAT及びSrTiO3基板の上に作製し、それぞれ絶縁体及び金属となることを確認した(Fig.2)。まずこれらの格子歪みにより相制御された系における光励起効果を調べた.実験においてはCW-YAG laser(1.17eV)で系を弱励起した時の抵抗の変化を測定した。光吸収による温度上昇の効果を分離するために、励起光を周波数fでチョッピングして、抵抗変化のf依存性を測定した。熱伝導方程式により、レーザー照射による温度上昇は1/√fに比例する。絶縁体試料(LaAlO3基板)においては、光励起は温度上昇に寄与するのみであったが、金属試料(LSAT基板)においては、温度変化とは別の、光に追随する変化が見られた(Fig.3)。この変化は、何らかの電気伝導を阻害する寿命の長い励起状態の存在を示唆するものである。金属−絶縁体転移温度近傍で大きくなることから、光によって高温相(コヒーレントな伝導が断ち切られた状態)の注入が行なわれ、揺らぎの大きい領域ではその寿命が長くなっているのではないかと考えられる。

 また基板による相制御は薄膜の物性に異方性をもたらす。その異方性に関する考察及び検出を行なった。まず誘電率の異方性が、全反射配置における反射率偏光依存性にどの様に影響を及ぼすかを行列法を用いた計算により見出した。反射スペクトルは偏光依存性を示し、また膜厚に強く依存して複雑な形状となる。次に傾き基板を用いた面内及び垂直電気伝導度測定により、2次元的な金属状態となっている試料の伝導度異方性を測定し、1桁程度異なる事を検出した。この値はバルク結晶に見られる異方性と比較すると小さい。また基板を機械的歪みによって変化させ、それによる薄膜の格子制御を行なった。それにより軌道間のトランスファー積分増大方向への変化が、抵抗を減少させる事を見出した。

 Pr0.5Ca0.5MnO3などの電荷一軌道整列絶縁体のMnサイトを数%のCrで置換すると、絶縁体-金属転移が引き起こされる。Cr3+イオンの電子状態はMn4+と等しく、この転移は電荷一軌道整列状態における長距離秩序に動かないホール及び軌道欠損が導入され,それがクエンチされた「ランダム場」として働くことによると説明される。ランダム場により長距離秩序にフラストレーションが生じ、その結果二重交換相互作用による強磁性金属相の方が安定となるのである。この系に特徴的な現象として、散漫相転移、相分離、そして遅い緩和が挙げられる。これらは全て、強誘電体において電荷分布によるランダム場が引き起こす「リラクサー」挙動と等しく、アナロジーが成り立つことを示唆している。Cr-doped Pr0.5Ca0.5MnO3の薄膜をMgO(001)基板上に作製し、バルク結晶同様に絶縁体金属転移が起きることを確認した(Fig.5 inset)。転移温度領域や抵抗率は膜厚に依存し、これはパーコレーション伝導の次元性を反映していると考えられる。その散漫相転移における磁区の挙動を低温走査型磁気力顕微鏡(MFM)で観察した(Fig.4)。印加磁場に依存した様々な長さスケールの磁区構造が見られ、磁場の反転に対してリラクサー的な遅い応答が確認できる。

 Pr0.5Ca0.5Mn0.96Cr0.04O3薄膜の強磁性金属相においてCW-YAG laser(1.17eV)を照射することにより、永続的光伝導が生じることが見出された(Fig.5)。光誘起コンダクタンスは低温ほど大きく、ヒステリシス領域である70K及びそれ以上では見られなかった。磁化、及び赤外吸収スペクトルの光照射による変化はほとんどなく、よってコンダクタンスの増加程度の強磁性金属相の増加はない。変化の符号や再現性からこの現象は温度上昇や試料の変質によるものではなく、また低抵抗状態の維持に電場は必要ないため、これまでに知られている光誘起絶縁体-金属転移とも異なる。Cr-doped Pr0.5Ca0.5MnO3の強磁性金属相は相分離状態にあり、電気伝導はパーコレーション的であると考えられる。強磁性金属クラスターの境界領域は不安定であり、光がその部分に働きかけることによりクラスター間のつながりに変化が生じて伝導パスが生成されると考えることによって、コンダクタンスの増加は説明可能である。パーコレーション伝導においては、金属領域の変化が微小でもコンダクタンスが大きく変化することは可能であり、よって実験結果とは矛盾しない.またFig.6にPr0.5Ca0.5Mn0.96Cr0.04O3薄膜の赤外吸収スペクトルを示す。絶縁体相においては温度の低下に従って0.2eV以下にギャップが成長していき、強磁性金属相の出現と共にまたギャップが埋まっていく様子が見られる。

以上、マンガン酸化物薄膜において種々の手法を用いた相制御を実現し、物性、外場に対する応答、そしてその物理の研究を行なった。これらの結果は、薄膜の相制御もバルク結晶と共通の物理を用いて理解可能である事を示唆すると共に、薄膜特有の物性や検出方法の有用性を示している。

Fig.1. (左)Sm0.5Sr0.5MnO3/SrTiO3の抵抗率の温度依存性。(中)電場誘起スイッチング。(右)光誘起スイッチング。

Fig.2. LaAlO3,LSAT,SrTiO3基板上のLa0.5Sr0.5MnO3薄膜における低効率の温度依存性。

Fig.3. 光励起による抵抗率変化のチョッピング周波数依存性。

Fig.4. Pr0.5Ca0.5Mn0.96Cr0.04O3薄膜における磁区構造のMFM像(95K)。(A)の白線が1μmを表す。図の下に実験の過程(磁場印加(30mT,1s)及びその方向)を示す。各スキャンは磁場印加後5分程度かけて行なわれた。

Fig.5. Pr0.5Ca0.5Mn0.96Cr0.04O3薄膜における光照射時間に対するコンダクタンス(20K)。インセットは抵抗率と磁化の温度依存性。

Fig.6. Pr0.5Ca0.5Mn0.96Cr0.04O3薄膜の吸収係数.(A)298K-130K,(B)130K-9K,(C)9K,CW-YAGレーザーによる光励起(65mW,30分)の前後。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、マンガン酸化物薄膜において、さまざまな外場を用いてその相制御を試みた探索的な研究の成果をまとめたもので、全6章よりなる。

 ペロフスカイト型マンガン酸化物は、3d原子軌道に由来し伝導を担うeg軌道の電子(その電荷・スピン・軌道)と、磁化を担うt2g軌道の局在電子(スピン)、それにイオンの変位(格子)という多数の自由度が複雑にしかも強く相互作用しあって物性を支配している、いわゆる強相関電子系の典型例の一つである。この物質群は、1980年代終わりから90年代初頭にかけての超巨大磁気抵抗効果の再発見を契機として爆発的に研究が進展した。その結果、強相関電子系のもつ著しい特徴である多重相安定性を反映して、さまざまな外場によって誘起された相転移が見出され、この現象を応用した「酸化物エレクトロニクス」が提唱されるに至った。しかし、これらの外場誘起相転移は、従来もっぱらバルク結晶において研究され、応用を視野に入れた薄膜に関する研究はごく一部にとどまっていた。そこで、本研究では、バルク結晶に見られた相制御の概念がどこまで薄膜に適用可能であるか、またバルク結晶には無い薄膜特有の相制御が可能であるかという二つの視点から、多数の薄膜試料を作製し、その物性評価、外場に対する応答を調べた。

 第1章では序論として、ペロフスカイト型マンガン酸化物において重要な電荷、スピン、軌道、格子の自由度と、それらの間に働くと考えられる相互作用を簡潔にレビューし、これらの相互作用の結果生じる外場誘起相転移の典型例を挙げて、本研究との関係を示し、その意義と目的について説明している。

 第2章では本研究において立ち上げたレーザーアブレーション装置の概略を説明している。

 第3章では、バルク結晶で見られた電場、および光励起による絶縁体・金属転移が薄膜試料においても再現するかどうかを検討した。この目的のために、バルク試料の相図において金属と絶縁体の境界ではあるが僅かに絶縁体側に位置するSm0.5Sr0.5MnO3を、格子定数が全体で5%異なる6種類の基板上に作製した。格子ミスマッチが3%と最も大きかったYAlO3基板を除いて、薄膜試料はいずれも基板格子に対してエピタキシャルに成長し膜質も良好であったが、予備実験として行った磁場誘起相転移を示した試料は、SrTiO3(STO)上に作製したもののみであった。このSTO上の試料については、電場およびパルスレーザー光照射による相転移が観測され、定性的にはバルク試料におけると同様の振舞いを見せたが、転移を生じさせるに必要とする外場の強度ははるかに強く、定量的に明確な差が見られた。また、他の基板上の試料については転移を見ることはできず、この点もバルク試料とは振舞いが異なった。

 以上の結果から、基板が薄膜の相決定に与える影響が強いことが明らかとなったので、むしろ基板による規制がある状態を基底状態とし、これからの変調法を探ろうとした試みが、第4章に述べられている。ここでは、基板により強く相規定された薄膜試料に作用する外力として、光励起および基板の機械的変形を取り上げた。また、基板により誘起された物性の異方性の検出も行われている。弱励起の極限を探るため、光励起ではCWレーザを使用して伝導度の変化を観察したが、多くの場合に温度上昇が最も研著な効果であって、光電流に相当する信号を全く検出できないという、パルス励起の場合とは顕著に異なる結果になった。また、絶縁体・強磁性金属転移近傍では、光励起による抵抗の明らかな増加が見られた。このような現象は従来探索されて来なかった領域に属し、その物理的解釈も全く不明のままであるが、外場誘起相転移における光の働きを理解する上で重要なヒントを与えると考えられる。さらに、基板の機械的変形による変調では、変形に比例し、かつ異なる格子定数を持つ基板上の薄膜試料の振舞いに外挿できるような、線形の応答が得られた。光励起の場合とは逆に、格子変形に伴う相転移があるとすれば、このような線形の関係は理解できないものである。さらに、格子歪みによってもたらされた軌道偏極に起因する薄膜試料の伝導異方性は、傾き基板を用いて測定され、面内と面間で一桁程度伝導度が異なることが示された。

 第5章では、薄膜試料における不均一性の問題を取り上げ、MnをCrで置換したPr0.5Ca0.5Mn0.96Cr0.04O3の一つの組成について、多方面からの検討を行っている。この場合CrはCr3+の形で安定であり、電子状態がMn4+と等価であるために、結晶中に固定したeg電子欠損を導入したことに相当し、乱雑外場の効果を通じて電荷・軌道秩序を不安定化させ、強磁性金属相の出現を促す。これは、秩序が生じて初めて作用する外場であるため、その相関長は実際のCrの分布とは無関係なメソスコピックな大きさを取り得る。この状況を実空間で調べるため、磁気力顕微鏡による強磁性ドメインの観察を行い、数百ナノメートル以上に及ぶパターンを観測した。ドメイン構造の印加磁場に対する応答は通常の磁性体と異なり極めて緩慢であり、乱雑外場によって引き起こされた、いわゆるリラクサー的挙動を示す。また、電荷・軌道秩序が現れた後はじめて強磁性秩序が生じる様子を可視・赤外分光で確かめた。この、不均一状態に対する光励起効果を観測し、磁場などの補助外場を用いない永続的光伝導現象を初めて観測することに成功した。また、光照射下での可視・赤外分光、磁化測定から、光によって励起された強磁性金属相は測定限界以下の量であることを示した。このことから、この薄膜試料においては、電気伝導がパーコレーション的であり、永続的光伝導は、伝導の隆路にあたる金属領域間の不安定部分にのみ光が働きかけることによって実現していると推測している。これは、伝導を外場で制御しようとするときに注目されるべき視点である。

 第6章は結論である。

 以上要するに、本研究は、未だよく理解されていないマンガン酸化物薄膜における外場による相制御を目指し、薄膜製造装置の立ち上げから作製・評価までを一貫して行い、薄膜が材料としてバルクとどのように異なるかを示し、また薄膜特有の性質を利用した相制御法の開発を試みたものである。結果の物理的な解釈については多くを将来の研究に残すものの、得られた知見は、酸化物エレクトロニクスを実践しようとするときに有用であり、今後、工学の発展に貢献するところが大である。

 よって、本論文は博士(工学)の学位論文として合格と認める。

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