学位論文要旨



No 116091
著者(漢字) 奥村,泰志
著者(英字)
著者(カナ) オクムラ,ヤスシ
標題(和) 幾何学的拘束を伴ったポリマー性超分子の研究
標題(洋)
報告番号 116091
報告番号 甲16091
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4928号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 伊藤,耕三
 東京大学 教授 早川,彊之助
 東京大学 教授 西,敏夫
 東京大学 教授 田中,肇
 東京大学 助教授 伊藤,伸泰
 東京大学 講師 木村,康之
内容要旨 要旨を表示する

 近年、非共有結合を利用した自己組織化により、生体組織を模倣した分子素子・分子機械を実現しようとする超分子科学が注目されている。これらの人工超分子の大半は、生体超分子と異なり構成ユニットが低分子のものであるが、最近になって生体超分子と同様に柔軟で大きな内部エントロピーを持ったポリマー性ユニットにより構成される超分子系が報告されてきた。そこで我々はポリマー性ユニットを利用した様々な超分子構造体を考案し、化学物質固有の性質ではなく、普遍的な幾何学デザインに起因する様々な特性を高分子物理の手法によって理論予測するとともに、実際に合成・制御して観察・物性測定により検証してきた。

 我々は特にシクロデキストリンおよび分子ナノチューブと線状高分子を構成ユニットとしたポリマー性超分子系に着目した。α一シクロデキストリン(α一CD)はブドウ糖からなる環状分子であり、環の内部に低分子を取り込む包接現象に関しては従来多くの研究がなされてきた。最近、シクロデキストリンが、代表的な線状高分子であるポリエチレングリコール(PEG)を内部に包接した形で円筒状に会合して棒状のポリマー性超分子を自発的に形成することが発見された。この棒状の超分子においてさらに、隣り合うシクロデキストリン分子間を化学的に共有結合させてから内部の線状高分子を取り除くことにより、管状高分子(分子ナノチューブ)が得られることが報告されている。

 シクロデキストリン分子と線状高分子の複合系(包接錯体)は0、1シークエンスのイジングモデルとして記述される。このとき、シクロデキストリンの包接エネルギー、包接による線状高分子のエントロピー変化の他に隣り合ったシクロデキストリン間の隣接相互作用エネルギーを考慮して複合系の自由エネルギーを求め、これをもとに包接・解離挙動を調べた。その結果、シクロデキストリンと線状高分子の間で温度や溶媒の変化に対して可逆的な包接・解離挙動が起こること、その挙動が隣接相互作用エネルギーの大きいほど温度や濃度の変化に対してシャープな挙動を示すことがわかった。

 つぎに分子ナノチューブと、そこに出入りする線状高分子の複合系(図1)を格子モデルによって記述し、解離している線状高分子間の相互作用エネルギーをも考慮することにより、系全体の自由エネルギーを求めた。この結果、ナノチューブと線状高分子がともに長くなるのに伴って包接の温度依存性がシャープになることがわかった。また線状高分子に対する良溶媒中では包接・解離が連続的に起こるのに対して、貧溶媒中では温度履歴を伴う包接・解離の1次転移が起こることが示された。

 さらに分子ナノチューブと等しい長さの2種類の成分ポリマーをつないだブロックコポリマーをチューブに包接させてから、ブロックコポリマーが抜けないようにその両端に大きな置換基をつけた錯体を理論的に取扱った。この2種類の成分ポリマーのΔS(形態エントロピー)およびΔε(ナノチューブに対する包接エネルギー)がそれぞれ異なる場合には、温度や溶媒の変化に対して低温と高温でチューブが安定に包接する成分ポリマーが異なること、すなわちブロックコポリマーの可逆的なスイッチングが起こることが示された。さらに、ブロックコポリマー間の相互作用をも考慮に入れるために、この系を格子モデルで記述して系全体の自由エネルギーを求めた。この自由エネルギーに基づく計算から、2種類の成分ポリマーが非相溶であるときにはこのスイッチングが履歴を伴う1次転移になることが示された。さらに、4種類の成分ポリマーが周期的につながったブロックコポリマーを考え、各成分ポリマーのΔSとΔεを適当に選択すれば、図2のように温度変化の繰り返しにより包接したナノチューブが1ステップずつ一方向のみに移動し、その移動距離を制御できる分子リニアモーター(ナノレール)が作成できることを示した。

 実験的には、分子ナノチューブを実際に合成し、線状高分子の包接を確認するとともに、包接・解離挙動の理論との比較・検討を行った。分子ナノチューブの構造はでんぷんの螺旋構造に類似しているために、ヨウ素を加えるとヨウ素分子が1次元状に配列して溶液の色が変化する。我々は、ヨウ素の呈色をプローブに用いて高分子がナノチューブに包接される様子を観察し、その挙動が理論的予測と一致することを確認した。さらに、線状高分子の枝を3本もつスターポリマーをナノチューブの溶液に添加したところ、ナノチューブが線状高分子の枝を包接することにより、ナノチューブ同士が自己組織的につながった分岐超分子構造体が形成され粒径が増大することを見いだした。

 次にSTMを用いてこの分岐超分子構造体の直接観察を試みた。はじめに、線状高分子をステップに修飾した炭素基板(HOPG)をナノチューブ溶液に浸して包接させてから観察し、ナノチューブがステップに固定された線状高分子を包接すること、およびナノチューブの形状がその合成条件から期待される値に長さ(約25nm)、高さ(約0.5nm)とも一致することを確認した(図3)。また線状高分子が固定されたステップ上にナノチューブとスターポリマーからなる三つ又の超高分子構造が形成されることを観察した(図4)。

 さらにα-CDが大分子量のPEGを粗に包接したポリロタキサンの溶液中においてポリロタキサンに含まれるシクロデキストリンを化学架橋剤によりランダムに架橋することで柔軟かつ強靱で透明なゲル、「ポリロタキサンゲル」の合成に成功した。従来、あらゆるゲルは物理ゲルと化学ゲルの2種類に大別されてきたが、このポリロタキサンゲル中においては、両端をかさ高い置換基でとめられたPEG鎖が図5に示すような架橋シクロデキストリンの「8の字架橋点」により位相幾何学的に拘束されることでネットワークが保持されている。したがって、ポリロタキサンゲルのように位相幾何学的な拘束により高分子のネットワークが保持されている新しいゲルのカテゴリーを「トポロジカルゲル」と名づけた。図6に示すように、ポリロタキサンゲルに含まれる線状高分子は滑車のように振る舞う8の字架橋点を自由に通り抜けることで内部の構造および応力の不均一性を自動的に解消し、均一化すると考えられる。我々はこの効果を「滑車効果」と名づけた。この効果はポリロタキサンゲルに柔軟かつ強靱な性質を与えていると考えられる。このゲルはナノスケールのトポロジカルな特徴をマクロスケールの力学特性に有効に反映させた初めての超分子構造体としても大いに注目されている。

 ゲル化におけるトポロジー効果を検証するため、両端をかさ高い置換基でとめたPEG(PEG-DNB2)とα-CDをポリロタキサンと同じ組成で混合した試料を準備し同様の架橋反応を施したがゲル化は起こらなかった。またポリロタキサンゲル中のPEG-DNB2の末端の置換基を強アルカリにより切断したところ、ゲルの液化が確認された。これらの結果は8の字架橋点によるトポロジカルな拘束がゲル化に必要不可欠であることを示している。

 ポリロタキサンゲルは透明なゲルであり、ゲル化の過程において波長600nmで光透過度を測定したところ98.2%であった。また1℃において5ヶ月保存した場合は95%の透過度を示した。さらにゲル化過程における準弾性光散乱をELS-800で測定した。相関時間ははじめの1時間で徐々に増加し、次の1時間で急激に増えた後、急速に減少した。最終的な緩和時間は約1msになった。この結果はポリロタキサンゲルが十分均一なゲルであることを示している。また図7に示すようにポリロタキサンゲルは大幅に膨潤・収縮をする。ポリロタキサンゲルは水中において合成時の体積の45倍に膨潤し、乾燥すると約9分の1に収縮する。つまり乾燥重量の約400倍に膨潤する。そして常温の水溶液中で1年以上安定に保存される。さらにポリロタキサンゲルは柔軟で約2倍にまで伸張できる。我々はポリロタキサンゲルの粘弾性、すなわち貯蔵弾性率G’と損失弾性率G”をレオメーター(RS-150、HAAKE)で測定し、それぞれ490Paと11Paという値を得た。これは損失正接が極めて低いことを示している。さらにポリロタキサンゲルを生理食塩水に浸けるとG’とG”がそれぞれ2kPa、160Paに増加し、損失正接が約30倍に増大した。この粘弾性の変化は滑車効果のON-OFFと密接に関係していると考えられる。

 また、ポリロタキサンゲルの体積変化とそれに伴う線状高分子のスライディング挙動を格子モデルによる統計理論で扱い、その特性を調べた。ポリマーの形態のエントロピーや解離イオンの自由度、ポリマー間の相互作用エネルギーや排除体積効果に加え、ポリマーが架橋点を通り抜けるスライディングの自由度を考慮した自由エネルギーを導出し、ゲルの体積変化を求めた。その結果、従来の体積相転移の理論と同様に貧溶媒条件でイオン数が増加すると換算温度τの変化に対して1次の体積相転移が起きること、それに伴ってポリマーが1次転移的に架橋点をスライドする「スライディング転移」を起こることが分かった。

 このポリロタキサンゲルのスライディング挙動はちょうど筋肉におけるアクチンとミオシンの運動に似ている。そのため今後ポリロタキサンゲルにおいても筋肉同様の機能の実現が期待される。このような推進力がゲルの体積変化に対して及ぼす影響を調べるため、架橋点が高分子の両末端から中央に向かって推進力を与えるモデルを適用した。その結果、推進力の増大によりゲルが1次転移的に収縮する体積相転移が起き、同時にポリマーのスライディング転移が起こることが示された。

図1 分子ナノチューブによる線

図2 ナノレールの動作原理

図3 基板のステップ上の線状高分子を包接したナノチューブ

図4 基板のステップ上に成長したナノチューブによる分岐超分子

図5 ポリロタキサンゲルの構造と8の字架橋点

図6 化学ゲルとポリロタキサンゲルの変形による影響

図7 ポリロタキサンゲルの体積変化。合成時(左)、乾燥時(右)、膨潤時(下)

審査要旨 要旨を表示する

 近年、非共有結合を利用した自己組織化により、生体組織を模倣した分子素子・分子機械を実現しようとする超分子科学が注目されている。これらの人工超分子の大半は、生体超分子と異なり構成ユニットが低分子のものであるが、最近になって生体超分子と同様に柔軟で大きな内部エントロピーを持ったポリマー性ユニットにより構成される超分子系が報告されてきた。我々は特に、環状オリゴ糖であるシクロデキストリン、あるいはシクロデキストリンをチューブ状に化学架橋して得られる分子ナノチューブと線状高分子を構成ユニットとしたポリマー性超分子系に着目し、これらのポリマー性ユニットが持つ包接能を利用した様々な機能性超分子を考案した。本論文では、これらのポリマー性超分子の特徴、合成法および物性を理論・実験の両面から報告した。論文は、以下の8章から構成されている。

 本研究の背景を述べた1章に続いて、2章では、シクロデキストリン分子と線状高分子の溶液中での包接・解離挙動を理論的に取り扱った。その結果、シクロデキストリンと線状高分子の間で温度や溶媒の変化に対して可逆的な包接・解離挙動が起こること、その挙動が隣接相互作用エネルギーの大きいほど温度や濃度の変化に対してシャープな挙動になることを示した。

 3章では、分子ナノチューブと、そこに出入りする線状高分子の複合系を格子モデルによって記述し、解離している線状高分子間の相互作用エネルギーを考慮することにより、系全体の自由エネルギーを求めた。この結果、ナノチューブと線状高分子がともに長くなるのに伴って包接の温度依存性がシャープになること、および線状高分子に対する良溶媒中では包接・解離が連続的に起こるのに対して、貧溶媒中では温度履歴を伴う包接・解離の1次転移が起こることを示した。

 4章では、分子ナノチューブと等しい長さの2種類の成分ポリマーをつないだブロックコポリマーをチューブに包接させた錯体を理論的に取扱い、温度や溶媒の変化に対してブロックコポリマーの可逆的なスイッチングが起こり、成分ポリマーが非相溶であるときにはこのスイッチングが履歴を伴う1次転移になることを示した。さらに、4種類の成分ポリマーが周期的につながったブロックコポリマーを用いると温度変化の繰り返しにより包接したナノチューブが1ステップずつ一方向のみに移動し、その移動距離を制御できる分子リニアモーター(ナノレール)が作成できることを示した。

 5章では、実験的に分子ナノチューブを実際に合成し、分子ナノチューブが線状高分子を包接することを確認するとともに、包接・解離挙動が理論予測と一致することを確認した。さらに、線状高分子の枝を3本もつスターポリマーを合成し、ナノチューブの溶液に添加することにより、スターポリマーによってナノチューブが自己組織的につながった分岐超分子構造体が形成されることを示した。

 6章では、走査型トンネル顕微鏡を用いてこの分岐超分子構造体の直接観察を試みた。はじめに、ナノチューブが炭素基板に固定された線状高分子を包接すること、およびナノチューブの形状がその合成条件から期待される値に一致することを確認した。また、線状高分子が固定された基板上にナノチューブとスターポリマーからなる三つ又の超分子構造が形成されることを示した。

 7章では、シクロデキストリンが大分子量の線状高分子を粗に包接したポリロタキサンを合成し、このポリロタキサンに含まれるシクロデキストリンをランダムに化学架橋することにより柔軟で透明なゲル、すなわちポリロタキサンゲルを作成したことを報告した。このゲルは、物理ゲルや化学ゲルと異なって、線状高分子が位相幾何学的に拘束されているため、このゲルのカテゴリーを新しく「トポロジカルゲル」と名付けた。

 8章では、ポリロタキサンゲルの体積変化とそれに伴う線状高分子のスライディング挙動を格子モデルで扱い、ゲル中のカウンターイオン数が多いと温度や溶媒の変化に対して1次の体積相転移が起きること、それに伴ってポリマーが1次転移的に架橋点をスライドする「スライディング転移」が起こることを示した。

 以上のとおり、分子ナノチューブ、シクロデキストリン、線状高分子の単純構造の組み合わせだけでも様々なデザインや機能のポリマー性超分子が実現できる。構成部品がポリマーになると、相互作用エネルギーと熱揺らぎが拮抗して複雑で興味深い挙動を示すと共に、粗視化して高分子物理の手法を適用しやすく、挙動の理論予測が容易である。本研究は、高分子物理がポリマー性超分子の物性を理解および予測する上で極めて有効な手法であることを示すと共に、ポリマー性超分子を用いると、人工の分子機械を構築する上で設計が容易でかつ高度な制御が可能であることを示唆するものである。よって本論文を博士(工学)の学位論文として合格と認める。

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