No | 116092 | |
著者(漢字) | 小原,顕 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | オバラ,ケン | |
標題(和) | 強磁場下における液体ヘリウム3中の正イオン移動度 | |
標題(洋) | Positive Ion Mobility in Liquid 3He under High Magnetic Fields | |
報告番号 | 116092 | |
報告番号 | 甲16092 | |
学位授与日 | 2001.03.29 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(工学) | |
学位記番号 | 博工第4929号 | |
研究科 | 工学系研究科 | |
専攻 | 物理工学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 序 理想的なフェルミ流体である液体3He中のイオンは、液体3He中に人為的に導入できる数少ないプローブ粒子の一つで、外部電場により運動を制御できるため、輸送現象を研究するのに適している。イオンには電荷の違う正負2種類が存在する。本実験で特に注目したのは正のイオンである。これは3He原子百個程度からなるマイクロクラスターで、半径Rは融解圧Pm,液体の圧力PLを用いてPm-PL=A/R4-Bs/Rで決定されると考えられている。A,Bは固体液体の密度などに依存する定数でsは固液の界面張力である。また表面上に3He原子の核スピンを持つため、磁気的粒子であるといえる。さて、正イオンの移動度μは零磁場の低温で対数的な温度依存性(μ=a+Alog(1/T))を示すことが実験的に知られている。 この原因の一つとして、次のような可能性が考えられる。すなわち、フェルミ流を磁気的粒子が運動するとき局在スピンと準粒子のスピンの情にスピンフリップを伴う磁気的散乱が存在する、というものである。これを検証するため、磁場をパラメタとして移動度測定を行い、磁気的散乱の機構を説明することが本研究の目的である。 実験 測定は、温度・圧力・磁場をパラメタとして体系的に行った。 温度 温度範囲は1.2mKから130mKまでである。主たる測定・考察が行われたのは超流動転移以前の3.2mKである。温度計は零磁場中におかれた3He融解圧温度計およびPt核帯磁率温度計を用いた。温度精度は±5μK。 圧力 圧力は3.0〜32.3barという広い圧力範囲で行われた。融解圧極小点を超える圧力での移動度測定は、零磁場中における実験を含めて、過去に例がない。 磁場 最大磁場は14.8Teslaである。液体・固体ヘリウムの実験全般を通してみても、希釈冷凍機温度以下でこのような高磁場を用いる実験はそれほど多くは行われていない。移動度測定に関しては、テスラ以上の磁場をかけた例は過去にない。 移動度測定方法 Gated Time of Flightと呼ばれる方法を用いて電場中での速度を直接測定し、v-E図のフィッティングから移動度を求めた。測定精度は1%未満である。測定結果 速度測定 具体的な測定波形を図1に示した。Gated Time of Flight法の採用によって、時間分解能が格段に向上した。また、図2に示したように低電場における速度はリニアリティーが良く、高精度の移動度測定が可能となった。 温度依存性 高圧下における、温度依存性を一定磁場のもと測定した結果が図3である。各磁場において、μ=a+Alog(1/T)の関係式が満たされていることが判る。μの絶対値は14.8Tが最も低くなる。傾きは図4のように7Tを頂点としたピークを持つ。 磁場依存性 28.6barの各温度における移動度の磁場依存性を図5に示す。20mKでは弱い単調減少を示すが、3.2mKでは7Tを頂点とする幅の広いピークを持つ。5.1,および9.1mKでは弱磁場で磁場依存性はないが、8T以上で減少に転ずる。高磁場での磁場依存性は図6から明らかなようにH/Tで決められる様に見える。さらに、移動度の増大成分が生ずる温度を調べるため、3.2mK近傍で同様の測定を行った(図7)。増大成分は〜3.4mKを境にして露わに現れることが判る。 次に、温度を3.2mKと20mKに固定し、31.5〜3.Obarまでの圧力別に磁場依存性を測定した(図8)。縦軸は0.6Tでの移動度(図9上)で規格化してある。3.2mK31.5barでは最大35%に及ぶ山型の磁場依存性が存在する。ピークの位置は圧力の減少に伴い1次関数で高磁場側へシフトする(図9中)。また、25.6bar以下の圧力ではピークを示す前にプラトーが存在する。最低圧3.Obarでは磁場依存性は消失する。18.6barにおける磁場依存性が約10Tで弱い極小を示すことから、移動度は増大・減少の2成分の重ね合わせで記述できるものと考えられる。このモデルにたつとピークの位置及び低磁場プラトーが存在することも、現象論として整理することが可能となる。 考察 イオンの移動度は以下の右式で散乱断面積と関連づけられる。a,b,cは定数である。 負イオン(核スピンの無い非磁性粒子)に磁場依存性が存在しないこと(図9下)から、正イオンの移動度に局在スピンが大きな寄与を及ぼしていることは明らかである。従って、一定温度では磁場に依存する散乱断面積σのみを考慮すればよい。 移動度滅少成分 磁場の増加に伴い、正イオンの有効半径が膨らむ。原因として、まず3Heの融解圧Pmを考慮した。Pmは磁場中で減少することが知られている。界面張力sを0とすると正イオンの半径Rは(Pm-PL)-4に比例する。σ=πR2より移動度を計算すると、31.2barでも高々8%の減少しか導出できない。次に、界面張力に磁場依存性を持たせると、例えば0Tでバルクの値s=0.065dyn/cm,15Tでs=0.045となっていれば最大35%の減少分を記述することが出来る。今のところ界面張力の磁場依存性についての理論的な考察はない。磁場と共に正イオンの有効半径が増大することから、強く偏極した正イオンの周りに、表面スピンと同じ向きのスピンを持った準粒子が寄せ集められていることが考えられる。移動度増大成分 正イオン表面に局在する3Heの核スピンと準粒子の間にはスピン交換に由来する相互作用が存在することを示している。低温・磁場下では正イオン表面スピンが完全に偏極するため磁気的相互作用は抑制され、移動度は増大し飽和する。しかし、正イオン=準粒子散乱は非弾性散乱であるため、定量的な考察は困難である。移動度の磁場依存性が液体の圧力に強く依存することから、準粒子を媒介とした交換相互作用が大きく寄与している可能性がある。 図1 : 測定波形 図2 : v-E図 図3 : 温度依存性 図4 : 28.6barにおけるlog(1/T)の傾き 図5 : 磁場依存性(温度別) 図6 : 高磁場での傾き 図7 : より低温での磁場依存性 図8 : 磁場依存性(圧力別) 図9 | |
審査要旨 | 本論文は“強磁場下の液体ヘリウム3の正イオン移動度”と題し、超流動転移に至る超低温領域において、常流動ヘリウム3中に生成されたイオン特に正の電荷を持つイオンの移動度を強磁場下で初めて測定したものであり、全6章から構成されている。 第1章は序論であり、本研究で取り扱う液体および固体ヘリウム3の一般的な物理的性質、相境界である融解圧曲線について簡単に述べられている。次いで液体ヘリウム中のイオンについて、その構造が電荷の正負により大きく異なること、大きさの圧力依存性などが詳述されている。 第2章では、本研究の背景と目的がのべられている。液体ヘリウム3中の正イオンは“snow ball”と呼ばれるnm程度の半径を持つ固体ヘリウム3で、フェルミ液体中に局在した磁気的不純物と考えられる。その移動度は、液体ヘリウム3が十分フェルミ縮退した低温ではヘリウム3準粒子との散乱によって決められており、過去の実験結果によると移動度の温度依存性は数10mK以下ではLog(1/T)に従うことが知られている。理論的には正イオンが準粒子より径が大きいことから、正イオンが準粒子と非弾性散乱しながらフェルミ流体中を拡散していくとして、実験を再現する温度依存性が導かれている。一方“electron bubble”と呼ばれる負イオンは同じ温度領域でほとんど温度に依らない。この事実から、正イオンの対数的温度依存性は表面局在スピンと準粒子のスピン間の交換相互作用による近藤効果に似た現象ではないかという考えも提出されている。以上の背景を示した上で、本研究の目的はこの交換相互作用の存在と大きさの確認であることが述べられている。 第3章では、実験装置が述べられている。まず液体ヘリウム3を15Tまでの強磁場中でmKあるいはそれ以下に冷却するための効率的な核磁気冷凍機や試料セルの工夫が紹介されている。本実験では発熱を低く抑えるために、低い電圧で正イオンを生成できるタングステン針が不可欠であるが、470Vというこれまでにない低い電圧での生成に成功している。次いで均一な電場を持つイオンのドリフト空間の製作、ゲートを用いた飛行時間測定による移動度の測定法が詳しく述べられている。 第4章は、主として28.6気圧における20mK以下の常流動状態での正イオンの移動度の実験結果である。重要なことは、飛行時間から求められたドリフト速度と電界の線形性であり、全ての移動度はこの線形領域で得られた。磁場をパラメーターとした温度依存性は、15Tの強磁場でもやはりLog(1/T)依存性を示すことおよびその係数が磁場に依存することが明らかにされた。温度をパラメーターとした磁場依存性は20mKでは緩やかな減少を示すが、約3.2mK以下では緩やかな増加の後、7T付近でピークを示しその後大きな減少を示すことが見い出された。さらに3.2mKの磁場依存性は、20気圧以上では圧力の低下とともに強磁場側の減少成分は小さくなり上述のピークが高磁場側にシフトすること、3気圧では全く磁場に依らなくなることが判った。一方、半径が近い29.3気圧の負イオンでは、移動度の磁場依存性は20mK,3.2mKでも全く観測されなかった。 第5章は結果の考察である。高圧の正イオン移動度の磁場依存性が負イオンと大きく異なることから、正イオン表面のヘリウム3核スピンと準粒子核スピン間に磁気的相互作用が存在することが示された。得られた結果は実測の融解圧の磁場依存性だけでは説明できず、固液間の表面張力に適当な磁場依存性を入れる必要が指摘されている。しかし表面張力の磁場依存性の実測値がなく、強くは主張されていない。現時点で新たに見い出された磁場依存性を説明する理論は存在しないが、固体ヘリウム3核スピン偏極が大きな寄与をしていることが指摘されている。最後にミクロな立場から、この核スピン偏極の成長に伴う2つの可能性が述べられている。即ち1)準粒子と表面核スピン間のスピンフリップ散乱の抑制2)固体表面近傍の液体ヘリウム3核スピンのRKKY振動に伴う偏極である。しかし複雑な実験結果を定量的に説明するためには新しい理論の構築が必要である。 第6章は本論文の総括であり、本研究で明らかにされた常流動状態ヘリウム3中の正イオン移動度の強磁場における温度依存性、磁場依存性とその圧力依存性に関する新しい知見が要約されているとともに、考え得る機構と将来の展望が述べられている。 以上をまとめると、本論文では液体ヘリウム3中の正イオンの移動度が強磁場中において初めて測定され、その温度・磁場・圧力依存性に関する新しい知見が得られている。これはフェルミ流体中の重い荷電粒子の運動を理解する上に貴重な情報を提供しており、物理学・物理工学への寄与は大きい。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。 | |
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