学位論文要旨



No 116093
著者(漢字) 小山,岳人
著者(英字)
著者(カナ) コヤマ,タケヒト
標題(和) 高分子溶液系における粘弾性相分離現象の研究
標題(洋)
報告番号 116093
報告番号 甲16093
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4930号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田中,肇
 東京大学 教授 西,敏夫
 東京大学 助教授 伊藤,耕三
 東京大学 助教授 酒井,啓司
 東京大学 講師 木村,康之
内容要旨 要旨を表示する

 粘弾性相分離現象とは、高分子溶液系や、一方の分子のガラス転移点に近い場合の高分子混合系のように、分子運動性の高い分子と低い分子との2成分混合系(動的に非対称な系)において発生する相分離現象である。粘弾性相分離のパターン形成の特徴は、実験条件からは少数相であるはずの遅い分子の濃厚な相(遅い相)が系全体に連結したネットワーク構造をとること、そしてその構造の形成過程で遅い相が過渡的にゲル状態となり、体積収縮を起こす、ということである。これは、これまでの2成分流体系の相分離現象における、自己相似的な相分離構造の発展や,界面ダイナミクスによる構造の成長、という特徴とは全く異なる。そして、粘弾性相分離パターンの形成ダイナミクスや、メカニズムは分かっていない部分が多く存在する。

 今回の対象である,高分子溶液系の相分離現象では,臨界温度からのクエンチが浅い場合はこれまでの2成分流体系の特徴を持った相分離構造が現れるが、深くなった場合には粘弾性相分離特有の少数相である高分子リッチ相が連結したネットワーク構造を発現する。この流体的相分離と粘弾性相分離との遷移温度Ttによるダイナミクスの変化は、高分子と溶媒分子の動的非対称性を強く反映しており、よって深いクエンチでの過渡的ゲルの形成メカニズムに深く関わると考え、研究を行った。

 高分子は単分散polystyrene(PS)を用い、溶媒はdiethyl malonate(DEM)を用いた。PSの分子量は、20万〜850万のものを6種類選択して試料を作成した。相分離過程は、位相差顕微鏡を用いて観測し、顕微鏡像はCCDカメラによって撮影した後、パーソナルコンピュータに取り込み、デジタル画像処理を施した。これにより、粘弾性相分離現象のモルフォロジーの特徴や,時間変化のダイナミクスの特徴を定量的に抽出した。

 Ttを測定するために、次のような3つの方法を用いた。第1には、ある温度を超えると顕著になり粘弾性相分離特有のネットワークパターンが現れる温度をTtとする方法である(図1)。

 第2には、顕微鏡画像から散乱関数を計算し、そのピーク強度とピーク波数の時間変化を測定し、ダイナミクスの変化からTtを測定する方法である。Imaxの時間変化(図2)は、ある温度を超えて深いクエンチを行った場合には、Imaxの時間変化にプラトーが現れることが分かった。qmの時間変化にも同じ温度でプラトーが現れた。これは、ある温度より低温では、構造の成長過程において、成長が停止する時間帯があることを示す。

 このプラトーは、高分子リッチ相が過渡的にゲル化し、系内に現れた相分離構造の変化をとめてしまったために現れたと考えられる。

 第3には、ダイナミクスの速さに関する特徴を温度に対し測定する方法である。溶媒リッチ相が現れるまでの時間(incubation time:ti)を,図3に示すように、それぞれの分子量のtiの曲線には、極小点が存在する。極小点より高温側ではtiは、温度の下降とともに小さくなり、一方、極小点より低温側では温度とともに上昇していく。これは、高温側では界面ダイナミクスが主要なプロセスであることを意味し、低温側では弾性緩和の効果が現れていると考える。そこで、この極小点をTtと定めた。 3種類の方法で測定したTtを図5にプロットすると、ほぼ一致するという結果を得た。また、Θ-Tt∝N1/2であり、Tcと同様の分子量依存性を示すことが明らかとなった。そして、Ttの直線をNが無限大の極限に外挿すると、Θ温度(分子量無限大でのTc)に一致する。この結果は、分子量無限大の極限では、通常の相分離現象が発生しないことを意味する。

 さらに、Ttよりも低温の領域である温度を超えると、高分子リッチ相は粘性を失い、亀裂を走らせるように分離するという特徴をもったパターン(ゲルの破壊パターン)が現れた。相分離過程における高分子リッチ相の面積の時間変化をプロットすると(図4)、Tt以下では、その変化の速さが遅くなっていくことを示すが、ゲルの破壊パターンが現れると、逆に早くなる。そこで、ゲルの破壊パターンが現れ、Tt以下でのダイナミクスが早くなる温度をTgelとさだめ、図5にプロットした。Θ-Tgel∝Nであり、Ttの場合と同様に、Nが無限大の極限でΘ温度に一致することが明らかとなった。

 さて,過渡的ゲルが形成される原因は、相分離とともに高分子間に働く引力相互作用が、ミクロなネットワークを形成することにあり、このネットワークの架橋部分は結合と解離を様々な場所で繰り返すものと考える。相分離の過程で、結合が切れると高分子の形態は平衡状態へと移っていくために時間とともに内部応力は緩和され、モルフォロジーも滑らかな界面へと変化していく。Tgel以下では、ネットワークの架橋部分の密度が高く、物理ゲルに近く、同時に相分離による駆動力も強くなるため、高分子リッチ相は収縮の過程で亀裂を走らせるようなパターンを出現させると考える。このため、分子量の大きいものほど,他の分子との結合が起こり易く、同時に運動性も低いため、Θ-Tt,Θ-Tgelが小さくなると説明できる。

 さらに、濃度の違いがモルフォロジーに与える影響を測定し、2つの遷移温度Tt,Tgelの濃度依存性を測定した。なぜなら、高分子溶液系における高分子鎖は,良溶媒中において、希薄な溶液では、高分子鎖はそれぞれ孤立しているが、濃厚な溶液では、互いに重なり合っている、という高分子鎖間の接触度合の違いが、粘弾性相分離のパターン形成に影響を与えると予想できるためである。

 試料は、これまでと同様にPS/DEM系を使用した。ただし、濃度依存性を測定するために、PS分子量を7.06×105に限定した。実験に使用した試料は、0.5wt%PSから6.87wt%PSまでの7種類について測定を行った。

 測定の結果、相図上において、相分離パターンに粘弾性の効果が現れる温度Ttの曲線は、2.91wt%PSよりも低い濃度では、濃度の上昇とともに上昇することが確かめられた。

 一方、2.91wt%PS以上の濃度では、濃度の上昇とともに下降することがわかった。相図上のTgel曲線は濃度が高くなるとともに、上昇していく。

 低濃度では高分子鎖は孤立しているため、相分離の発生した瞬間に分子自体が収縮し、微粒子状になり、これが数珠状に連結してネットワークを形成すると考えるが、分子間の距離は濃度が低いほど大きく、低い温度での強い相互作用が必要となるため、濃度が低くなるほどTtは下降する。一方、高濃度側では、分子鎖は互いに重なり合っているので、相分離の瞬間に分子間の結合によるネットワークが形成されると考える。ゆらぎの増強の過程で、しこみ濃度が低濃度であるほど高分子に働く相分離の駆動力は強く、高分子リッチ相の変形は早く行われるので、高温で分子間の結合、解離のプロセスが早くても、相分離の速度の方が早いために、高分子リッチ相の内部応力が引き出される。高分子濃度が高くなるほど高分子リッチ相の連結性が高くなるため、高分子リッチ相に加わるドライピングフォースは小さくなり、速度は遅くなる。このために高濃度側では、濃度の上昇とともにTtの曲線は下降すると説明できる。

図1: 粘弾性相分離現象におけるパターン形成過程;PS分子量:7.06×105,PS濃度:4.98wt%PS,温度:11℃図2: 散乱関数のピーク強度Imaxの時間変化;PSの分子量:1.09×106,濃度:2.98wt%PS

図3: incubation timeの温度依存性

図4: Tt以下での高分子リッチ相の面積分率の時間変化、PS分子量:7.06×105

図5: Tc,Tt,Tgelの分子量依存性;図中の番号は、発生する相分離様式の違いを表す;領域1:流体的相分離;領域2:粘弾性相分離;領域3:ゲルの破壊

図6: 相図内での相分離パターンの分類(PS分子量:7.06×105);実線:2相共存曲線;破線:Tt;一点鎖線:Tgel

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、高分子溶液系を用いた粘弾性相分離現象の研究について述べている。粘弾性相分離現象は、混合系を構成する2種類の分子の運動性が著しく異なる動的に非対称な系で発現すると考えられている。本研究では、動的に非対称な混合系のなかでも、高分子溶液系に着目して、粘弾性相分離現象における構造形成のダイナミクスを実験的に研究し、その形成機構について考察している。

 第1章の序論に続き、第2章では研究の背景および目的について述べている。流体系の相分離現象は、物質系によらず普遍的に記述できると考えられてきたが、混合系を構成する2種類の分子の運動性がほぼ等しい(動的に対称)ということが暗に仮定されてきた。粘弾性相分離現象は、動的に非対称な系で現れ、流体系の相分離現象で現れる特徴とは異なった新しい特徴を有することが既に明らかとなっているが、パターン形成のダイナミクスやメカニズムに関しては、未知の部分が多い。粘弾性相分離現象では、運動性の低い分子が濃厚な相が、相分離の過程で過渡的にゲル化していると考えられ、それが粘弾性相分離現象の本質であると考えられる。本研究では、動的非対称性と過渡的ゲル化形成との関わりについて明らかにすることを目的として、高分子溶液系を用いて、クエンチ深さ、高分子の分子量、初期濃度をパラメータとして動的非対称性の効果を制御し、相分離のパターン形成過程のダイナミクスに関する実験的研究を行った。

 第3章では、実験で用いられた試料と測定系について述べている。試料は、高分子溶液系(polystyrene/diethyl malonate)を使用した。相分離過程は、位相差顕微鏡を用いて得た画像をパーソナルコンピュータに取り込み、デジタル画像解析の手法により、画像の2値化、FFT(高速フーリエ変換)などの処理を行うことで、相分離過程の特徴を抽出し、定量化する方法について記述している。

 第4章では、臨界溶液における粘弾性相分離現象の温度依存性と、分子量依存性に関する研究について述べている。温度クエンチの効果と高分子の分子量をパラメータとして動的非対称性を制御し、これらが相分離のパターン形成に及ぼす影響について研究を行った。

 具体的には、相分離の初期、後期過程にそれぞれ着目したパターン形成のダイナミクスの測定を行った。モルフォロジー、ダイナミクスに関する測定など複数の方法を用い、過渡的ゲルが形成され粘弾性の効果が顕著に現れる遷移温度Ttを特定した。このようにして決めたTtの分子量依存性について、以下のような新しい知見を得た。複数の方法で決定したTtは互いにほぼ一致し、それらを1/(1+N1/2)(Nは重合度)に対してプロットしたところ、ひとつの直線上に乗ること、すなわち、Θ-Tt∝N-1/2の関係が成り立つことを見出した。この結果は、分子量無限大の極限では、TtはΘ温度に一致することを示唆する。

 さらに、Tt以下でのダイナミクス、モルフォロジーの測定により、弾性ゲル状となった高分子リッチ相を破壊するようなパターンが現れる第3の領域があることを見出し、通常の粘弾性相分離からゲルの破壊パターンを伴うゲル相分離へ移行する遷移温度をTgelと名づけた。このTgelの測定を各分子量に対しおこなったところ、Θ-Tgel∝N-1であることが明らかとなった。これらの結果から、Tt以下における過渡的ゲルとTgel以下でのゲルについて、分子レベルでのミクロなネットワーク形成という観点から、形成メカニズムを考察している。

 第5章では、粘弾性相分離現象の、温度依存性と濃度依存性に関する研究について述べている。ここでは、クエンチ深さと、初期濃度をパラメータとして動的非対称の効果を制御し、相分離パターンへの影響を測定している。実験では、PSの分子量を7.06×105に固定して、相分離構造のモルフォロジー的特徴から、Tt、Tgelを決定し、その濃度依存性を測定した。この測定により、2.91wt%PSを境目にして、Ttの濃度依存性が変化することが明らかとなった。すなわち、2.91wt%PSより希薄な領域では、TtはPSの濃度とともに上昇し、一方、2.91wt%PSより濃厚な領域では、TtはPSの濃度とともに下降する。また、Tgelは濃度とともに上昇していくことが見出された。以上の結果をふまえ、高分子ネットワークの形成による過渡的ゲル化の形成という観点からその形成機構について考察し、Tt、Tgelの濃度依存性を説明した。

 以上のとおり、本研究では粘弾性相分離現象の本質である過渡的ゲルの形成に関する新たな知見が見出されており、これは、その物理的機構を明らかにする上で極めて重要である。これらの知見は、凝縮系における相分離現象の包括的な理解という観点からも意義深い。

 以上本研究で得られた成果は、物理工学上非常に重要なものである。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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