学位論文要旨



No 116094
著者(漢字) 齊藤,英治
著者(英字)
著者(カナ) サイトウエイジ
標題(和) ペロブスカイト型マンガン酸化物における電荷一軌道複合ダイナミクス
標題(洋)
報告番号 116094
報告番号 甲16094
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4931号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 十倉,好紀
 東京大学 教授 宮野,健次郎
 東京大学 教授 永長,直人
 東京大学 助教授 吉澤,英樹
 東京大学 助教授 朝光,敦
内容要旨 要旨を表示する

1. 序

 ペロブスカイト型マンガン酸化物の研究の歴史は1950年代に行われたJonkerやvan Santenらの実験から始まった。当時最も注目が集まったのは、強磁性転移と同時に電気抵抗率が急激に減少し低温で強磁性金属相(FM相)が現われるという実験結果であり、それはZener、Aderson-長谷川、de Gennesらによる2重交換相互作用(後述)という概念で説明されることとなった。1980年代の銅酸化物高温超伝導体の発見を契機に、遷移金属酸化物に対する理論的、実験的手法(特に単結晶育成技術)が飛躍的に進歩し、こうした新たな手法、視点をもってペロブスカイト型マンガン酸化物の物性の系統的な研究が世界的規模でなされた。その最大の成果の1つが、巨大磁気抵抗(CMR:Colossal MagnetoResistance)効果の発見であろう。さらに、この系は極めて多様な電荷、スピン、軌道の秩序を発現させることが示され、2重交換相互作用やde Gennesによって指摘された超交換相互作用の効果の他にも、電子軌道や格子の自由度が本質的に重要な役割を果たしている可能性が高いと考えられるようになった。特に注目されているのは軸道の自由度の存在である。Mn3+イオンではeg軌道に電子が一つ入っており、擬縮退したeg軌道のどちらに電子が入るかという自由度が残されている。結晶を組んでいても強い電子相関により軌道の自由度が生き残る可能性が高く、軌道の自由度とこの系の劇的な現象とを関係づける理論が次々と発表された。実験的にも軌道状態を調べる研究が世界中で始まり、近年X線共鳴散乱を駆使することによって静的な軌道整列を観測する研究が発展した。一方で、CMRなどの劇的な現象は軌道整列相に隣接しながらも寧ろ静的軌道秩序の無い領域に観測されていおり、現在、軌道のダイナミクス、更にはその電荷ダイナミクスとの結合の様子を明らかにすることが強く求められている。本研究では、1電子バンド幅、ホールドープ濃度を細かく制御したペロブスカイト型マンガン酸化物の軌道のダイナミクスを系統的に調べさらに電荷ダイナミクスとの相関を調べることで、この系における軌道自由度の振る舞いとその伝導への影響を体系的に調べることを目指した。これは、CMRなど本系特有な性質の電子的起源の解明だけでなく、強相関電子系における「軌道自由度の物理」の開拓につながることが期待できる。

2. 実験方法

・試料フローティングゾーン法によって作成された

・単結晶:La1-xSrxMnO3(x=0.15,0.16,0.18,0.2,0.25,0.3,0.4)、R1-xSrxMnO3(x=0.4,R=La,Pr,Nd0.5Sm0.5,Sm)

・シングルドメイン単結晶:LaMn03,Sm1-xSrxMnO3(x=0.45)

・光学測定(1meV-6eVの反射スペクトルの温度変化+30eVまでの室温反射スペクトル)、ラマン測定励起光アルゴンイオンレーザー514.5nm線(準後方散乱配置))を行った。

3. 光学スペクトルからみた電荷ダイナミクス

3.1 ホールドーピング濃度(x)依存性:La1-xSrxMnO3

 測定された光学スペクトルを図1に示す。特徴を以下にまとめる。

・TC直上では、金属絶縁体転移点から遠いx=0.4では周波数依存性の少ないインコヒーレントな構造。xの減少とともに擬ギャップ的な構造に変わっていき、それとともに抵抗が増大。

・強磁性基底状態では、金属絶縁体転移点から遠いx=0.4ではドルーデ的なコヒーレント応答。xの減少とともに、1eV程度まで続く大きなインコヒーレントな構造と鋭いドルーデピークが共存した構造に変化してゆく。x=0.15では電荷/軌道整列によると考えられる電荷ギャップ(0.05eV程度)が開く。強磁性基底状態は絶縁体相、金属相ともに完全スピン分極しているとみなせるので、基底状態の電荷ダイナミクスのこのような大きな組成依存性には、スピン以外の自由度が重要な役割を果たしていると考えられる。

 ドルーデウエイトDはコヒーレントな運動をしているキャリアの運動エネルギーであり、金属/絶縁体移転を議論するうえで最もrelevantなパラメータの一つである。x=0.18の基底状態のDを見積もると0.028程度であり、ホール係数から見積もったキャリア濃度(n〜1)と単純な自由電子模型を仮定すると、有効質量が50倍程度増強されていることになる。このことは、光電子分光で観測されたフェルミエネルギー付近の小さな準粒子ピークと符号しているように思われるが、一方で、比熱のγから評価された有効質量増強因子(2-3程度)とは大きく矛盾している。また、基底状態のスペクトルウエイトの糸組成依存性を調べると、1eV程度のカットオフエネルギーでの有効電子数は殆ど組成変化がないにもかかわらず、低エネルギーカットオフでの有効電子数は金属/絶縁体転移点近傍で急速に抑制されている。これは、1eV程度の高エネルギーでみたキャリアの運動エネルギーは殆ど組成変化せず、一方で、ドルーデウエイト(コヒーレントな運動をしているキャリアの運動エネルギー)は金属/絶縁体転移点近傍で急速に抑制されていることを示している。このような性質を説明するシナリオで現在提案されているものとしては、動的な軌道相関およびそれと関連した動的ヤンテラ-効果、(動的)相分離などがあり、何れも強磁性金属基底状態でも生き残っている軌道自由度の存在が重要な役割を果たしている。

3.2 1電子バンド幅依存性:R1-xSrxMnO3(x=0.4)

 R=La,Pr,Nd0.5Sm0.5,Smの順にGaFeO3型の歪が増大し、1電子バンド幅が減少する。さらにバンド幅を抑制したPr1-xCaxMnO3(x=0.4)の基底状態はスピン擬CE型の電荷/軌道整列を示す。ハリソンの方法によるLCAO法によってバンド幅の変化を見積もるとLaからSmまでわずか3%程度という小さなものである。それにもかかわらず、1電子バンド幅の抑制に伴い強磁性転移温度は大幅に減少し、強磁性転移点直上の抵抗率は急激に上昇し、強磁性転移点直上での磁気抵抗効果が大きくなる(CMR的振る舞いにかわってゆく)。このような抵抗率の上昇も、光学スペクトルの測定から擬ギャップ構造の成長によるものであることがわかった。また、R=Nd0.5Sm0.5,Smの強磁性金属基底状態のスペクトルはインコヒーレント成分が支配的であることがわかった。

4. ラマンスペクトルからみた軌道/格子ダイナミクス

4.1 軌道整列により活生化されるフォノン

 ラマンフォノンの偏光依存性は結晶の対称性に敏感であり、動的且つ局所的な格子歪も検出可能であるので、偏光依存性の測定から軌道相関に関する知見がえられる。ラマンフォノンをプローブとして軌道相関を調べるため、予め、可能性の高い軌道相関のパターンに対してどのようなフォノン偏光依存性が期待できるのか計算しておく。ペロブスカイトマンガン酸化物で特に強く活性化されるのは、電子状態との強い結合が期待されるヤンテラー型モード(モード計算から450cm-1程度)呼吸型モード(モード計算から600cm-1程度)の2つであり、これらはGdFeO3型歪では充分に活性化されない。そこで、簡単のために立方晶(この対称性ではラマン活性なフォノンは無い)から様々な格子歪を導入し、これら2つのモードがどのように活性化されるか計算した。その結果、ヤンテラー型モード、呼吸型モードはそれぞれC型軌道整列では(x,x)、(x-y,x+y)に、Mn3+Mn4+のスタッガードの電荷整列では(x,y)、(x,x)に、スピンCE型の軌道整列では、(x,x)+(x,y),(x,x)+(x,y)に(それぞれab面内)活性化されることがわかった。ここで、x,y,zはそれぞれMn-Oの方向を示しており、zをc軸方向にとった。静的な軌道整列を示すLaMnO3(軌道C型)、Pr1-xCaxMnO3(x=0.4)(スピン擬CE型軌道整列)のシングルドメイン単結晶に対してラマン散乱の温度変化を測定したところ、軌道整列温度以下で、温度低下に伴って計算で予想された偏光にそれぞれのフォノンが活性化されてゆくことがわかった。

4.2 Sm1-xSrxMnO3(x=0.45)における軌道の動的・異方的相関

 スピンCE型電荷・軌道整列相転移の不安定性の近傍にあるSm1-xSrxMnO3(x=0.45)は典型的な強いCMRを示す系であり、強磁性転移が1次転移で極めて急峻な電気伝導性の変化を示す。強磁性転移点直上の高抵抗状態では、帯磁率のキューリーワイス則からのずれ(反強磁性ゆらぎを示唆)や格子の異方的な歪といったCMR系に特徴的な振る舞いが顕著に観測されている。特に後者は、この現象に軌道の自由度が関わっていることを示唆するものとして注目されているものである。そこでシングルドメインの単結晶を用いて、この系の軌道の相関を前節で提案したラマン散乱を用いた方法で検出した。測定結果を図2に示す。注目すべきことは、以下の2点である。1.強磁性転移点直上で、(x,x)、(x,y)偏光470cm-1、600cm-1にフォノンが活性化されている。2.(x,x)、(z,z)偏光については、室温付近、強磁性転移点以下ではバックグラウンドに偏光依存性はみられないが、強磁性転移点直上では(x,x)でのみ極めて強い。

 第1の点は、X線や中性子線の回折実験から静的な格子の対称性の変化はないことから、前節の考察により動的な軌道/格子歪の相関が強磁性転移点直上で生じていることを示している。偏光依存性から、スピンCE型の相関に近いものであると考えられる。軌道整列の近傍では、このような軌道/格子の動的相関が、光学伝導度にみられた電荷擬ギャップを生じさせ、高抵抗状態をもたらしていると考えられる。

 第2の点は強磁性転移点直上で強い異方的な誘電的ゆらぎが生じていることに対応している。前節で述べた静的な軌道整列を示す系で軌道整列相転移点近傍でやはりラマンスペクトルに散漫成分がみられることから、この誘電的ゆらぎは軌道整列のゆらぎ(相関)によるものと考えられる。散漫散乱強度の異方性の電子的起源として、軌道のdirectional orderingの可能性が考えられる。すなはち、軌道がab面に充分に寝て、その中でdx2-y2/d3x2-r2/d3y2-r2軌道が相関をもって揺らいでいる状態であり、これは、軌道を空間的広がりをもった「分子」にたとえれば、「軌道の液晶状態(ネマティック相)」といえる。このとき、低温の金属相は「軌道の液体状態」といえ、本系の強磁性転移は軌道に着目すると「軌道液晶/液体移転」とみなせる。実際、ネマティック相液晶/等方的液体転移がそうであるように、この強磁性転移は1次相転移である。

 以上から、スピンCE型軌道整列の不安定性の近傍では、軌道の異方的な相関が強磁性転移点の1次性やその直上の高抵抗状態をもたらしている可能性が高く、CMRの微視的機構の有力な候補と考えられる。

 光学スペクトルも室温近傍及び金属相では異方性は殆どみられないが、Tc直上では大きな異方性を示す。Tc直上の光学スペクトルは、スピン擬CE型の電荷/軌道整列相のものに類似している。

4.3 軌道相関の1電子バンド幅及びホール濃度依存性

 1電子バンド幅、ホールドープ濃度を変化させた系についてラマン散乱によって軌道相関の系統的変化を調べた。La1-xSrxMnO3(x=0.4)から1電子バンド幅を抑制しスピンCE型の電荷/軌道道整列相転移不安定性に接近させることにより、強磁性転移点直上のラマンスペクトルにSm1-xSrxMnO3(x=0.45)と同様のフォノンが成長してゆくのが観測された。これは、スピンCE型の電荷/軌道道整列相転移不安定性に接近させると強磁性転移点直上でスピンCE型の(恐らく異方的な)動的軌道相関が成長していると解釈でき、これがCMRと関連した電荷擬ギャップや強磁性転移の1次性の増大をもたらしていると考えられる。一方、La1-xSrxMnO3(x=0.4)からホールドープ濃度を減少させ金属/絶縁体転移点炉x=0.16に接近させると、強磁性転移点直上でLaMnO3に類似したフォノンが現れるのが観測された。これは、R1-xSrxMnO3(x=0.4)と異なり、LaMnO3(に類似した)型の軌道の動的相関が成長していると解釈でき、これがR1-xSrxMnO3(x=0.4,R=Nd0.5Sm0.5,Sm)と同様に電荷擬ギャップや磁気抵抗の増大をもたらしていると考えられる。このような軌道の動的相関を示すフォノンは何れも強磁性転移点以下で急速に抑制されるが、La1-xSrxMnO3の金属/絶縁体近傍(x=0.16,0.18)では基底状態でもブロードな構造として観測されている。これらの組成では、低温でも散漫散乱が観測されており、基底状態でも軌道相関が量子ゆらぎとして残存している可能性がある。注目される点は、このような金属基底状態でのフォノンや散漫散乱の出現は前述の電荷ダイナミクスにおけるドルーデウエイトの抑制と相関しており、このような軌道の量子ゆらぎがドルーデウエイトの抑制やこれに伴うインコヒーレント成分の増大の起源である可能性がある。

5. 軌道整列相における軌道波(Orbiton)の観測

 軌道整列相では、スピン波との類推から、軌道自由度の素励起として電子雲形状の変調である「軌道波(オービトン)」が予言されていた。軌道波は格子ダイナミクスとの強い結合が予想されるが、そのエネルギーがフォノンエネルギーよりも充分高ければ格子の運動からある程度独立した励起として観測できると考えられる。LaMnO3に対して、石原、岡本、前川によって軌道波の分散が具体的に計算された。これによると、ab面内の強いスピン交換相互作用により軌道波の分散に大きなエネルギーギャップが開いており、この系で軌道波が観測できる可能性がある。軌道波は、石原らによって電磁波の非弾性散乱によって観測可能であることが指摘されていた。特に、可視光領域の非弾性散乱(ラマン散乱)は測定技術の著しい進歩により高感度に、また高いエネルギー分解能で測定できる。そこで、シングルドメイン単結晶LaMnO3に対してラマン散乱の偏光依存性、温度依存性を精密に測定した。

 得られたスペクトルを図3に示す。軌道整列相転移温度以下で、120meVから170meVの間に明瞭な構造が現れることがわかった。この構造の強度の濃変化は軌道整列によって活性化されたフォノンのそれとほぼ同じであるが、以下の理由からフォノンの多重励起の可能性は排除できる。1.フォノンと異なりそのエネルギー位置は大きく温度変化する。2.エネルギー位置がフォノンの多重励起では全く説明がつかない。さらに、2マグノン散乱が禁止される偏光配置でも観測されるためスピン励起の可能性も排除され、光学測定から明らかにされている電荷ギャップよりも充分小さいことから電荷励起の可能性も考えられない。そこで、本系で考えられる残された自由度として、軌道の励起の可能性を考えた。励起光エネルギーはCT励起のエネルギーと同程度であるので、軌道波のかかわる主要な散乱過程は、励起光によってCT遷移し、光を放射して始状態と異なる軌道に戻る「1-軌道波散乱過程」である。この過程は良く知られた2−マグノン散乱過程と同次なので、同程度の強度が期待できる。この過程による散乱スペクトルを、LaMnO3に対して数値的に求められた分散をもとに計算すると(東北大学前川グループとの共同研究)偏光依存性などの特性が実験結果と非常に良く合うことがわかった。また実験、計算の比較から軌道道間の超交換相互作用J1、ヤンテラー相互作用の大きさはそれぞれ50meV,35meV程度と評価される。J1の大きさは、中性子非弾性散乱で観測されたスピン波の分散から期待される値とほぼ一致している。以上のことから、120meVから170meVの間ラマンバンドを「1一軌道波散乱」と同定した。

図1 La1-xSrxMnO3の光学伝導度スペクトルの温度変化。

図2 Sm1-xSrxMnO3(x=0.45)のラマンスペクトルの温度変化。

図3 LaMnO3のラマンスペクトル。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、ペロブスカイト型マンガン酸化物において、巨大磁気抵抗(CMR)効果を示す原因となる電荷および軌道自由度の複合ダイナミクスについての分光学的研究の成果をまとめたもので、全6章よりなる。

 ペロブスカイト型マンガン酸化物は、1950年代に行われた研究によって既に興味深い電荷−スピン結合物性を示すことが知られていたが、90年代に入ってこの効果がCMRなどさらに劇的な形で再発見されると共に、強相関電子系としての種々の興味深い現象が見出された。特に、Mn原子の3d軌道電子がもつ電荷−スピン−軌道の多自由度の絡み合いとその結晶格子との結合が生み出す多彩な物性が広く関心を集めると共に、種々の電子相の外場制御が可能なことから新しい電子技術への応用も含めて注目されている。

 Mn酸化物では、Mn原子の3d軌道が結晶場分裂を示したeg軌道の電子が、伝導電子の役割を担うが、この電子は、t2g軌道電子スピン(局在スピン)とフント結合則により強く結合する。このため、スピン相関が直接、伝導物性と電子構造に大きな影響を及ぼす。しかし、これにとどまらず、一方でeg電子軌道が2重の軌道縮重を持つことを反映して、軌道の自由度が擬スピンとして振る舞い、さらに、これがいわゆるヤン・テラー効果として結晶格子の変形と結合することで、さらに複雑で多彩な物性を示す。長距離の軌道秩序がつくる種々の磁気電子相はその一例である。しかし、X線共鳴散乱によって軌道整列状態を直接確認できるようになったのは、ようやく最近のことであり、一方、電気伝導に大きな影響をあたえる軌道自由度の動的相関や軌道自由度の励起状態については、そのCMR効果に対する本質的重要性にもかかわらず、研究例はごく限られていた。本研究は、伝導・磁性・格子状態を注意深く制御した高品質単結晶を用いて、分光的手法によって軌道相関と電荷ダイナミクスの関連を考察したものであり、軌道液晶状態の解明や軌道波の検出など、強相関電子系の物理一般の観点からも多くの新しい重要な知見を得ている。

 第1章では序論として、ペロブスカイト型マンガン酸化物において重要な電荷、スピン、軌道、格子の自由度と、それらの相関が作り出す多彩な電子相と物性を解説している。特に巨大磁気抵抗(CMR)効果とその制御の例を挙げて、本研究で明らかにすべき電荷一軌道複合ダイナミクスとその重要性を述べている。

 第2章では本研究における実験的手法,特に、単結晶試料の作製法および調整法、遠赤外一真空紫外域での反射分光測定とその解析法、およびラマン散乱分光の手法が述べられている。

 第3章では、広いエネルギー領域の反射スペクトルから得られた光学伝導度スペクトルをもとに、電荷ダイナミクスについて,ホール濃度依存性および1電子バンド幅依存性の両面から考察したものである。広義のモット絶縁体である母体結晶LaMnO3結晶にホールをドープしてゆくと、強磁性基底状態の発現や絶縁体一金属転移に伴い、広いエネルギー域で光スペクトルが大きな変化を示す。本研究では特に、ホール濃度を絶縁体一金属転移近傍で細かく制御した良質単結晶を用い、強磁性基底状態での光学的伝導度スペクトルについて、そのコヒーレント成分とインコヒーレント成分の分離と直流電気伝導度の関連、およびエネルギースケールを指定したキャリヤー運動エネルギーのホール濃度依存性および1電子バンド幅依存性を考察している。その結果、金属一絶縁体転移近傍の強磁性基底状態では、軌道揺らぎに由来すると考えられる強い電子散乱機構が存在することを結論した。

 第4章では、CMR効果を示す典型試料である、Sm0.55Sr0.45MnO3結晶について、主としてラマン散乱分光の手法により、軌道秩序/揺動とそれが関係した格子ダイナミクスを調べている。強磁性転移温度より高温域での高抵抗状態では、本来禁制のフォノンラマン散乱が電荷/軌道の短距離秩序(動的整列)によって現れ、また、軌道自由度の方向性秩序による異方的散漫散乱が観測される。すなわち、転移点直上では液晶状の短距離動的軌道秩序が形成され、これがCMR効果を示す電子状態を形成していることを明らかにした。この動的な電荷・軌道整列状態は光学的伝導度スペクトルにおける擬ギャップ形成とその異方性にも見られることを明らかにした。また、これらの特徴は、強磁性転移による抵抗率の著しい低下によってすべて消失することから、CMR結晶では一種の軌道液晶一軌道液体転移が生じていることが結論されている。

 第5章では、軌道整列状態を示す典型物質としてのLaMnO3を取り上げ、その軌道の素励起としての軌道波(orbiton)をラマン散乱分光を用いて、初めて観測に成功したことが述べられている。軌道波バンド(波数ゼロ)は、電荷移動型電子励起状態を中間状態として、150meV近傍のラマン散乱スペクトルに複数個現れ、これらのエネルギー位置と偏光選択則は有効軌道ハミルトニアンに基づく理論計算と良い一致を示している。また、本論文では、軌道波バンドの同定を行う上での、種々の実験的特徴についての周到な議論が行われている。ここで初めて実験的に明かにされた軌道波(orbiton)の存在は、今後、他の多くの強相関電子系における電荷一軌道一格子複合ダイナミクスの研究においても、本質的な重要性をもつと考えられる。

 第6章は論文全体の結論に充てられている。

 以上要するに、本研究は、ペロブスカイト型マンガン酸化物結晶における電荷ダイナミクスを軌道自由度との結合の視点から、分光的研究によって考察したものである。得られた知見は、将来の強相関電子技術の展開を図る上で有用であり、今後、工学の発展に貢献するところが大である。

 よって、本論文は博士(工学)の学位論文として合格と認める。

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