学位論文要旨



No 116098
著者(漢字) 永井,正也
著者(英字)
著者(カナ) ナガイ,マサヤ
標題(和) 半導体における高密度光励起キャリアの超高速分光
標題(洋)
報告番号 116098
報告番号 甲16098
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4935号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 五神,真
 東京大学 教授 宮野,健次郎
 東京大学 助教授 岡本,博
 東京大学 教授 助教授末元,徹
 東京大学 助教授 香取,秀俊
内容要旨 要旨を表示する

 半導体において光励起によって生成された電子と正孔が集団としてどのように振る舞うかを知ることは半導体を用いた光エレクトロニクスの素子の限界を追求する上で必須の課題である。一般にキャリア間には強いクーロン相互作用が働くために、光励起キャリアのとりうる状態は温度と密度によって多様に変化する。低密度では電子と正孔はクーロン相互作用によって結合し励起子を形成することが知られている。励起子間距離が励起子のボーア半径aB程度になると、クーロン相互作用は遮蔽されるため励起子としては不安定になり、電子と正孔はプラズマ状態(EHP)として金属的に振る舞う。これは励起子系における金属一絶縁体転移であり、「励起子モット転移」と呼ばれる。このような高密度電子正孔系は、低温ではさまざまな量子縮退現象が見られることが予想される。例えば励起子は近似的にボゾンとして振る舞うので、低温で希薄領域ではボース・アインシュタイン凝縮が生じることが予想される。またより高密度にすると水と水蒸気が相分離するように励起子ガスとプラズマも相分離し電子正孔液滴(EHD)が生じることがある。

 このような電子正孔凝縮系の研究は波長可変レーザーが普及した1970年代より盛んに行われてきた。光励起によって電子と正孔の密度を自由に変えることが出来ることから、多体粒子の現象を広い密度領域にわたって系統的に調べることが出来るからである。また系の非線形性を利用した光学素子など応用への期待もある。しかしこのような高密度系の問題は現在もまだ未解明のものも多い。特に直接遷移型半導体では有限の寿命により系が非平衡となることから、寿命よりも短い超短パルス光でキャリアを生成し時間軸上でどのように振る舞うかを調べることが重要である。

 近年の超短パルス光技術の進歩により、波長やパルス幅を自由に制御できるようになった。これにより励起エネルギーを自由に変えることができ、また広帯域での過渡光学応答の検出も可能となった。このような実験技術の進歩をふまえて、超短パルス光を用いて低温のプラズマを直接生成する方法を探求し、それを用いてプラズマ周波数近傍の電磁波応答による高密度電子正孔集団運動を直接観測することを試みた。本論文ではまず半導体におけるプラズマ周波数近傍のサブピコ秒ポンププローブ分光によって光励起キャリアのダイナミクスをどこまで明らかにすることが出来るかを調べる。次に励起子の束縛エネルギーが大きなCuClにおいて、余剰エネルギーの小さな励起子共鳴励起によって低温のプラズマが実際に生成したかどうかについて調べ、どのように振る舞うかを明らかにする。また、同様に励起子の束縛エネルギーの大きな間接遷移型半導体であるダイヤモンドにおいて、電子線励起に比べて余剰エネルギーの小さな光励起によって低温のプラズマが生成したかについて調べる。

 本論文は以下のような構成となっている。

 第1章は序論として、半導体中の光励起された高密度電子正孔系のこれまで研究を述べ、本研究の位置付けや目的および構成について述べる。

 第2章では本研究を理解する上で必要な基礎的事項、及びこれまでの半導体における光励起で生成された高密度電子正孔系の研究について述べる。

 第3章では本論文で行った広帯域フェムト秒ポンププローブ分光及びフェムト秒発光時間分解測定の実験装置について述べる。

 第4章では典型的な半導体であるGaAs、Siににおいて中赤外領域のポンププローブ分光の実験について述べる。そしてプラズマ周波数近傍の反射スペクトルからキャリアの空間的ダイナミクスを明らかにする。

 第5章ではCuClにおいて励起子共鳴励起における低温EHPの生成について述べ、発光の時間分解測定及びプラズマ周波数近傍の反射率測定について述べる。

 第6章ではダイヤモンドにおける電子正孔液滴の観測について述べる。

 第7章ではこれらの実験の結論と今後の課題について述べられている。

 本研究で行った半導体における高密度光励起キャリアの超高速分光を通じて以下のような新たな知見を得ることが出来た。

 半導体中の光励起されたキャリアはそのバンド内での集団運動によって特徴的な低エネルギー領域での電磁波応答を示す。そこでまず典型的な半導体を光励起し中赤外領域の波長可変の超短パルスを用いたポンププローブ分光を行ってその過渡反射スペクトルを調べた。その結果、励起直後にプラズマ周波数より高エネルギー側で反射率が減少、低エネルギー側で反射率が増加し、また時間とともにキャリア密度の減少に応じてプラズマ周波数が低エネルギーシフトする振る舞いを観測した。ここで反射率の極小値に注目すると、GaAsでは時間とともに極小値は増加するのに対し、Siの紫外線励起の場合は逆に減少している。これはプラズマ周波数に対応する波長λpとキャリアの試料内の厚み方向の分布長D*の比λp/D*の時間発展が再結合過程(GaAs)と拡散過程(Si)とで異なることで容易に説明出来る。

 このような光励起キャリアのバンド内での集団運動を発光などのバンド間遷移の光学応答と合わせて調べれば、電子正孔系の低温での振る舞いを詳しく調べることが出来る。そこでまず直接遷移型半導体において低温高密度電子正孔系について考える。直接遷移型半導体において低温のEHPを直接生成するには、余剰エネルギーの小さな励起子共鳴励起を行いプラズマへの「励起子モット転移」を起こさせることによって実現できるのではないかと考えた。このような励起子を経由する生成方法は励起子の束縛エネルギーEexが非常に大きな物質で行うことが有効であり、CuCl(Eex=213meV)に注目した。そこで気相成長法によって作成された高純度のCuCl薄片単結晶(厚さ数十μm)を用いて超短パルス光によって励起子共鳴強励起を行い電子と正孔のダイナミクスを調べた。まず発光スペクトルを測定した結果(図1)、弱励起下においては励起子分子発光がみられ、強励起下においては低エネルギー側にスペクトル幅の広いプラズマ発光が見られた。しかし中間的励起光強度領域において励起子分子発光帯の低エネルギー側においてスペクトル幅の狭い発光バンド(Xバンド発光帯)が励起光強度に対して非線形に立ち上がるのを観測した。この発光の起源を調べるために光カーゲート法による発光のサブピコ秒時間分解測定を行ったところ(図2)、有限の遅延時間の後に発光が立ち上がった後、発光は時間とともにスペクトル幅を狭めながら高エネルギー側にシフトし10ps程度でXバンド発光帯に収束することが分かった。これらはバンド間励起で見られたの結果とは明らかに異なっている。

 このような発光の励起エネルギー依存性は生成されたEHPの初期温度の相違によるものと考えられる。しかし発光から解釈されたキャリアダイナミクスには曖昧さが残る。そこでより直接的に自由キャリアの状態を検出するために、プラズマ周波数近傍の電磁波に対する応答を調べた。その結果(図3)、励起直後にはプラズマに起因する反射スペクトルが見られたのだが、反射率変化の符号が変わるエネルギーが時間とともに低エネルギーシフトし、0.2eV付近に収束することが分かった。これはあるエネルギー以下にはプラズマ周波数が下がらないことを示している。また低エネルギー側の反射率変化が時間とともに減少するという結果は、プラズマが空間的に一様分布しているというよりもむしろ「部分的」に電子正孔対がイオン化しているを示している。そこで金属相と絶縁相とがλpよりも小さなスケールで分離していると場合の有効誘電率を用いてスペクトルを計算するとおおよそ実験結果を再現した。用いたパラメータを時間軸上でプロットしてみると(図4)、励起直後はプラズマの体積と密度は時間とともに減少するのだが、10ps以降においては密度が〓1.7×1020cm-3でほぼ一定となっていると言える。発光スペクトルの時間分解測定において10ps以降スペクトル形状があまり変化しないことを考えると直接遷移型半導体において電子正孔液滴のような安定したプラズマが形成されたことをを強く示唆している。

 一方、間接遷移型半導体においても励起子の束縛エネルギーの大きな系で高温でも興味ある高密度現象が見られることが予想される。そこでGeやSiと似たバンド構造を持ち、Eex=80meVと大きなダイヤモンドに注目した。バンドギャップが大きいために電子線励起がよく用いられているのだが、余剰エネルギーの小さなバンド端近傍の光励起によって低温の電子正孔が生成でいないかと考えた。そこで発光スペクトルを測定しところ、弱励起下では励起子に起因する発光帯が観測されるのだが、励起光強度を上げるにつれ低温(<130K)においては5.16eVを中心とするスペクトル幅の広い発光帯が新たに現れた。しかし高温(>135K)になるとこのような分離した発光帯は観測出来ず、励起子発光の低エネルギー側に裾が伸びる形で発光が現れている。また発光の時間分解測定を行うと、低温ではスペクトル形状が時間がたってもほとんど変化しないのに対し、高温ではスペクトル形状が時間とともに高エネルギー側にシフトしかつそのスペクトル幅が小さくなっている。間接遷移型半導体のスペクトル形状はキャリアのバンド内の分布を直接反映していることから、低温では液滴が形成していることを表している。この発光スペクトル形状を数値的に解析すると液滴密度は9×1019cm-3であり、バンドギャップエネルギーやオージェ過程で決まる液滴内のキャリアの寿命(1.3ns)もおおよそ理論と一致している。

 以上のように、本研究では余剰エネルギーの小さな励起によって低温の光励起キャリアを生成することを試みた。そしてフェムト秒パルスを用いた分光によってキャリアのバンド間、バンド内運動の光学応答を調べ、低温光励起キャリアのダイナミクスを詳しく調べることができた。

図1: 励起子共鳴強励起におけるCuClの発行スペクトル(I0=0.02mJ/cm2)。(d)はそれぞれの発光強度の励起光強度依存図

図2: 励起子共鳴強励起におけるCuClの発光の時間分解スペクトル。励起光強度は(a)3mJ/cm2,(b)1.1mJ/cm2。

図3: 励起子共鳴強励起におけるCuClの中赤外領域の過渡反射スペクトル。

図4: 図3より見積もった金属相の占有体積比fと金属相のキャリア密度n。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は半導体において光励起によって生成されたキャリアが高密度かつ低温の状態で示す集団運動についてレーザー分光法を用いて研究したものである。半導体に電子正孔が光励起によって注入されると、電子正孔系はその密度や温度によって様々な状態をとる。密度が低い場合には電子正孔対の束縛状態である励起子ガスとして存在する。キャリア密度が高くなると、電子正孔間のクーロン引力が遮蔽され束縛が解かれ、自由な電子正孔ガスすなわち電子正孔プラズマとして振る舞う。この中性の励起子ガスからイオン化されたプラズマへの転移は励起子モット転移と呼ばれている。電子正孔プラズマは高密度のまま低温状態になると、多体のクーロン相互作用と交換相互作用がフェルミオンとしての反発力と拮抗し、凝縮することがある。この凝縮体は電子正孔液滴と呼ばれ、電子正孔対の再結合寿命の長い間接遷移型半導体で観測されている。このような低温で且つ高密度の電子正孔系の振る舞いは、バンド間の光学遷移強度の大きな直接遷移型半導体でも興味ある問題であり、1970年代以降多くの研究が行われてきた。しかし、直接遷移型半導体では、電子正孔系の寿命が短くキャリアの熱緩和時間と同程度であるために、電子正孔系の低温高密度相の物性を調べることは困難であった。また、実用素子として利用されているガリウム砒素などの半導体では、このような低温状態を現実のデバイスで利用することはないので応用上の観点からは重要ではないと考えられて来た。しかし、最近、ガリウムナイトライドをはじめとするワイドギャップ半導体を用いた光素子の実用化が進み、低温高密度のキャリアの物性を理解しておくことは応用上も重要となってきている。これはワイドギャップ半導体ではクーロン相互作用が大きく、多体効果による凝集エネルギーが常温においても光キャリアの物性を支配する可能性があるからである。一方、近年の超短パルス光技術の進歩により、光励起エネルギーの可変範囲は紫外から遠赤外にまで広がり、様々な条件で光キャリアを高密度に励起することが可能となった。またキャリアのダイナミックスをフェムト秒からピコ秒の時間スケールで捉えることも可能となってきた。

 これらの背景のもとで、本研究では低温の高密度電子正孔系を生成する方法を探求し、実際に生成した低温高密度のキャリアの振る舞いを分光学的に調べたものである。特にワイドギャップ半導体の典型例として、直接遷移型のCuClと間接遷移型のダイヤモンドを用いて、電子正孔の凝縮体が形成されることを新たに見いだした。

 本論文は7章からなる。以下に各章の内容を要約する。

 第1章では序論として、この研究の背景である半導体の高密度光励起キャリアの研究の背景について述べ、従来の半導体の高密度電子正孔系の研究の問題点を整理している。それをもとに、本研究の意義と目的について説明し、本論文の構成について述べている。

 続く第2章、3章では理論および実験について基礎となる事項について述べている。第2章では半導体の電子正孔系の状態についての基礎的事項、及びこれまでの半導体の高密度光励起キャリアの研究について述べている。第3章では本研究で用いた高出力フェムト秒光源と波長変換システムについて装置の概略を紹介し、フェムト秒広帯域ポンププローブ分光法及びフェムト秒時間分解発光測定法の実験方法について述べている。

 第4章から第6章は本論文の中心をなすもので、本研究で得られた主要な実験について結果とその考察について述べている。第4章では典型的な半導体であるSi、GaAsを用いた中赤外領域のポンププローブ分光について述べている。光励起キャリアのバンド内の集団運動を検出するためには、光励起キャリアのプラズマ周波数近傍のプローブ光を用いた時間分解分光が必須である。このために、本研究では中赤外域でのポンププローブ分光の実験手法を確立し、また得られたスペクトルの時間変化から光励起キャリアの時空間の挙動を捉えることができることを実証している。

 第5章では直接遷移型半導体において励起子や励起子分子など大きな束縛エネルギーを持つ電子-正孔対を超短パルス光で直接共鳴励起し、モット転移を経て高密度で低温の電子正孔系を生成することにより、低温高密度の電子正孔プラズマを励起できることを提案している。まず、II-VII属半導体であるCuCl単結晶を用い、励起子共鳴強励起下での発光の時間分解分光について述べている。発光をサブピコ秒時間分解測定したところ、バンド間励起の場合とは異なる発光の時間変化を確認した。次に、キャリアの集団運動を直接検知するために、プラズマ周波数近傍の電磁応答を調べ、励起子共鳴下で実際に低温のプラズマが生成したことを実証した。また発光スペクトルと中赤外域過渡反射のスペクトルの形状の時問変化を比べ、イオン化した電子と正孔が10ピコ秒以内に空間的に不均一になり、電子正孔液滴のような安定な凝縮状態に達していることを見いだした。

 第6章では間接遷移型半導体の中でもワイドギャップ半導体のダイヤモンドを取り上げ、光励起高密度キャリアの低温での挙動について調べた。バンド端近傍の光励起下での発光スペクトルの温度依存性及び発光の時間分解測定を行った。得られたスペクトル形状を解析した結果、同じIV族間接遷移型半導体であるGeやSiと同様にダイヤモンドにおいても低温では空間的に凝縮した電子正孔液滴が形成し、高温ではガス状の電子正孔プラズマとして存在していることを見いだした。また、液滴相の臨界温度はこれまで知られている、間接遷移型半導体の中では最も高温である。

 第7章では本研究で得られた成果を要約し、今後の研究の課題と展望が述べられている。

 以上の様に、本研究で著者は、半導体の電子正孔系の低温高密度での挙動を明らかにするために、その励起法と観測法を考案し、キャリアの再結合寿命の短い半導体において電子正孔液滴のような安定な凝縮プラズマ相が存在することを実証した。実験手法としては、中赤外領域におけるポンププローブ分光法を用いてキャリアのバンド内での集団運動を捉えることができることを示した。これは従来広く用いられている、バンド間遷移をプローブする方法と相補的であり、今後この分野の研究に広く利用されると考えられる。これらの成果は半導体の光学応答について新たな知見を与えているが、応用面でも今後の光デバイスやそれを用いた工学の発展に貢献するものであり、物理工学の発展への寄与は大きい。

 よって、本論文は博士(工学)の学位論文として合格と認める。

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