学位論文要旨



No 116100
著者(漢字) 山本,剛
著者(英字)
著者(カナ) ヤマモト,ツヨシ
標題(和) 層状コバルト酸化物(Bi,Pb)-Sr-Co-0の結晶構造と物性
標題(洋) Crystal Structure and Physical Properties of Layered Cobalt Oxide(Bi,Pb)-Sr-Co-O
報告番号 116100
報告番号 甲16100
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4937号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 内野倉,國光
 東京大学 教授 永長,直人
 東京大学 教授 宮野,健次郎
 東京大学 教授 高木,英典
 東京大学 助教授 朝光,敦
内容要旨 要旨を表示する

1 研究の背景と目的

 層状コバルト酸化物(Bi,Pb)-Sr-Co-Oは1986年の高温超伝導体発見直後の新超伝導体探索の研究の中で、1989年にJ.M.TarasoonらによってBi2Sr3Co209(Co232)として報告された[1]。この物質はこれまでTc=90K級の高温超伝導体Bi2Sr2CaCu208(Bi2212)のCuサイトをCoで置換した構造を持つと考えられていた。この物質は超伝導転移は示さなかったため、その後それほど積極的に研究されることはなかったが、数年前この物質がBiサイトをPbで置換することにより金属的な電気伝導を示し、さらに低温で比較的大きな負の磁気抵抗を伴う磁気秩序を示すことが私の所属する研究室で発見された[2]。また最近この物質は同じ層状Co酸化物のNaCo204[3]と同様に大きな熱起電力を示すことが明らかになり、応用面でも注目を浴びている[4]。しかしこの物質の物性に関しては未知の部分が多い。この物質の物性を主に担うと考えられるCoイオンは光電子分光の結果から3価の低スピン状態をとると考えられる。従ってBi3+をPb2+で置換するということは、Coイオンのt2g軌道にホールをドープすることと考えられるが、その結果伝導キャリアも局在スピンも共に増大するように見えるのは高温超伝導体のキャリアドーピングのセンスからすれば不思議な結果である(しかも局在スピンはorderまでしてしまう!)。一見一種類に見えるCo4+イオンが一体どのようにしてこのような二面性を持つのであろうか。一方この物質において根本杓に問題なのは、Tarasconらの最初の報告以来、結晶構造が完全には決定されていないということである。冒頭で述べたようにこの物質はBi2212のCu置換体と考えられていたが、それはx線構造解析によって確かめられたわけではなく、また我々を含めていくつかのグループが指摘しているようにSrの組成比が結晶構造から予想される値3よりも実際はかなり低くむしろ2に近いなど不自然な点があった。そこで本研究はまず始めにこの物質の結晶構造をもう一度調べ直し、その上でこの物質が示す物性、即ちd電子の二面性や磁気秩序、そして大きな熱起電力の起源に関して知見を得ることを研究目的としている。

2 実験結果及び考察

2.1 結晶構造[5]

 この物質の結晶構造に関する研究は電子顕微鏡による構造評価によって大きく前進した。図1は、Bi1.42Pb0.51Sr2Co1.870y単結晶のab面内での電子線回折像である。最も重要なことは、ab面内で二つの異なる基本格子からの反射が見られるということである。これはmisfit構造といわれる構造を持つ物質の特徴で、結晶の中に独立な二つの格子定数が存在する(今の場合はa軸が共通で、長さの異なるb軸を持った二つのsubcellがc方向に交互に積層している。)ことを表している。このような構造を持った結晶の場合X線による構造解析は一般に複雑であるが、更に詳細な研究の結果、この物質の格子定数、化学組成が最近フランスのグループによって報告されたmisfit化合物[Bi0.87SrO2]2[CoO2]1.82のものと非常によく一致していることが分かった[6]。この物質の一番の特徴はCoイオンがNaCo204の場合と同様の三角格子を形成している点である。勿論我々の作製した結晶の結晶構造が彼らの報告と完全に同一であるという保証はないが少なくとも基本的な構造、すなわちCoO2のhexagonal型のsubcellとBi-Sr-Oのrock salt型のsubcellとの積層構造、は両者で同一であると思われる。ここに我々はこの物質がmisfit化合物であり、これまで10年以上にわたって信じられてきた結晶構造とは全く別の構造を持つという結論に達した。一方、構造解析の研究を進める中でもう一点重要な事実を見出した。格子定数のPb濃度依存性を調べたところBiをPbで10%程度置換したところで格子定数に不連続な変化があることを発見したのである。電子顕微鏡の観察結果により、この変化は主に(Bi,Pb)-Sr-0のsubcellで生じており、CoO2のsubcellは殆ど変化していないということが分かった。すなわち結晶構造の中の特定の部分のみで構造相転移がおこるという興味深い性質を示していると言える。以上の結果から本系の物性を議論する上で極めて重要な情報が得られた。それらをまとめると、

 1.CoO2は四角格子ではなくて、三角格子を形成している。

 2.Pb濃度10%付近でrock saltのsubcellが構造相転移を起こす。となる。

2.2 物性測定

 図2はPb濃度の異なる3つの単結晶試料の面内、面間の電気抵抗およびホール係数の温度依存性である。まずρabは室温付近では3〜5mΩcm程度の絶対値を持ち金属的な温度依存性を示す。しかし低温になるとminimumを持った後、抵抗は上昇する。Pbを置換すると室温での絶対値はそれほど変化しないが、より低温まで金属的な温度依存性を示すようになり、絶対零度に向かっての抵抗の発散は急激に抑制される。一方、ρcの絶対値はρabと比較して103〜104倍大きく非常に二次元性の強い系であることがわかる。ρcはPb置換によって、全体的な絶対値が減少するとともに、x=0.44の試料では200K付近に特徴的なプラトーを持ちさらに低温では金属的な温度依存性を示している。すなわちPb置換は異方性を弱めていることが分かる。ホール係数は室温で1×10-2cm3/C程度で高温超伝導体やNaCo2O4と比べて一桁大きな値を示す。また非常に特徴的な温度依存性を示しており、キャリアが単一ではない可能性を示唆している。

 次にこの系の磁気秩序について見てみる。当初この強磁性は結晶のc軸方向を容易軸とする強磁性だと考えていたが、さらに詳細に異方性や磁場依存性などを測定してみるとそれほど単純ではないことが分かった。図3は10000e下での磁化の温度依存性の異方性を測定した結果である。

 これより確かにc方向では強磁性的な振る舞いが見られるが、ab方向でむしろ反強磁性、あるいはスピングラス的な振る舞いが見られる。(交流帯磁率の結果は、転移温度の周波数依存性や3次の高調波の異常などが見られており、後者の可能性を支持している。)このことからこの物質が示す強磁性的振る舞いはab面内でグラス的に配置しているスピンがc方向に傾いて起き上がった弱強磁性である可能性が高いと考えられる。一方、この物質が他のCo酸化物などに比べて大きな負の磁気抵抗を示すことは早い段階から分かっていた。図4はx=0.51の単結晶試料の磁場中での面内電気抵抗率の温度依存性である。弱強磁性転移に対応するcuspが磁場の印加ともに高温側にシフトしており、この磁気抵抗が系の磁気状態に密接に関わっていることを示唆している。しかし、奇妙なことに負の磁気抵抗は弱強磁性転移温度よりもはるかに高温の100K付近から発現している。その後磁気抵抗の印加磁場方向依存性などを調べた結果、本系における負の磁気抵抗の起源は必ずしも一つではないことが分かった。即ち、上で述べたスピン散乱の減少に起因すると思われる磁気抵抗以外に、何らかの理由でより高温から、かつ系の磁気状態とは一見無関係に発現している磁気抵抗が存在していることが明らかになった。

2.3 考察

 以上に挙げた本系の輸送特性・磁気特性を理解するためにはどのようなモデルを出発点にすればよいであろうか。最近溝川らによって本系における光電子分光の測定が行われた[9]。その結果の最大の特徴はARPESにおける価電子帯のピーク幅が大きく、分散がそれに比べて非常に小さいことである。これは本系の伝導電子がphononとの結合が強く、またCo-O-Coのボンド角が90°に近いために、狭いバンド幅のバンドを形成していることを示唆している。実際、本系の低温での比熱の結果[8]はそれとは矛盾しないし、また本系を含めた“hexagonal CoO2ブロック”を持つ一連のコバルト酸化物でいずれも大きな熱起電力が観察されることともconsistentである。この結果からCo4+は有効質量の重いpolaronを形成しており、これが高温側では電気伝導を担い、低温では局在して局在モーメントとして振舞うと考えられる。転移温度よりはるかに高温から現れる負の磁気抵抗は、ゼーマン効果によって易動度端を越えて励起されたキャリアによるものと考えられる。しかしこれだけでは磁気秩序の発現あるいはHall係数の温度変化を説明するのが難しい。一方、最近NaCo2O4におけるバンド計算が報告されている[10]。それによればCoのt2g軌道は、結晶場により非縮退でコバルト面に垂直方向に伸びたa1g軌道と2重に縮退したeπ軌道に分裂し、電気伝導は主にa1g軌道の酸素Pz軌道を介したhoppingによって起こると考えられる。しかしa1g軌道以外にもa1gとeπが混成した軌道もフェルミレベルに分散を持っており、multi bandとなっている。もちろんこの議論をそのまま:Bi-Sr-Co-Oに持ち込むのは乱暴だが、少なくともX線の結果からCoO2ブロックが受ける歪はBi-Sr-Co-OとNaCo2O4は定性的には同じであり、Bi-Sr-Co-Oにおいてホールがz方向に伸びた軌道に主に入っているということも、X線吸収の実験により確かめられている。今仮にBi-Sr-Co-Oにおいてもバンド幅の狭いa1gと比較的バンド幅の広いa1g+eπという二つの軌道が存在し、前者の軌道のキャリアが上述のpolaronとなり後者のそれが低温までmobileなキャリアであるとするなら、polaronが局在している低温領域では、“局在スピン”+“mobileキャリア”という磁性半導体のような状況が実現していると考えられる。実際、(Ga,Mn)AsなどのIII-V族希薄磁性半導体は本系と非常に良く似た物性を示し、そのアナロジーで考えれば、系の磁性と結びついた負の磁気抵抗はmobileキャリアのlocalized polaronによる散乱確率の減少と解釈できるし、面内のグラス的な秩序はmobile carrierを媒介としたlocalized polaron間のRKKY相互作用として解釈できよう。スピンのcantingについては、まだ断定は出来ないが、少なくとも結晶の対称性からすればDM相互作用によるものと考えても矛盾はない。

3 まとめと今後の課題

 高温超伝導体Bi2212の置換物質と思われていたPb-doped Co232の結晶構造を調べなおすことによって、この物質が“三角格子”+“misfit構造”という予想外に興味深い舞台設定になっていることが分かった。そこで見られる複雑な輸送特性、磁気特性はやはり本質的にこの構造に起因するものである。本系において見られるd電子の二面性は、バンド幅の異なる二つの軌道の存在を仮定することでうまく説明できるように思われるが、このモデルの妥当性を確かめるためには今後より詳細なARPES測定、あるいはspinに関してミクロな情報を与えてくれるESR、NMRの測定が重要だと思われる。

参考文献

[1] J.M.Tarascon et al.:Solid State Commun.71(1989)663.

[2] I.Tsukada et al.:Mater.Res.Soc.Symp.Proc.494(1998)119.

[3] I.Terasaki et al.:Phys.Rev.B56(1997)R12685.

[4] T.Itoh et al.:Int.Conf:Thermoelectr.Proc.17(1998)595.

[5] T.Yamamoto et al.:Jpn.J.AppI Phys.39(2000)L747.

[6] H.Leligny,et al.:C.R.Acad.Sci.Paris,Serie IIc.2(1999)409.

[7] I.Tsukada et al.:to appear in J.Phys.Soc.Jpn.

[8] T.Yamamoto et al.:unpublished data.

[9] T.Mizokawa et al.:preprint.

[10] D.J.Singh:Phys.Rev.B61(2000)13397.

図1: Bi1.42Pb0.51Sr2Co1.87Oyのa6面内での電子線回折像[5]

図2: (Bi,Pb)-Sr-Co-Oの面内、面間電気抵抗率及びホール係数の温度依存性[8]

図3: (Bi,Pb)-Sr-Co-Oにおける磁化の温度依存性の異方性[7]

図4: x=0.51単結晶試料の磁場中での面内電気抵抗率の温度依存性[8]

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、“Crystal Structure and Physical Properties of Layered Cobalt Oxide(Bi,Pb)-Sr-Co-O”と題し、層状コバルト酸化物(Bi,Pb)-Sr-Co-Oの結晶構造及び、Pb置換効果を中心とした物性測定に関する研究をまとめたものである。

 表題中の(Bi,Pb)-Sr-Co-Oの母物質Bi-Sr-Co-Oは、1989年に高温超伝導体Bi2Sr2CaCu2O8(Bi2212)と類似した結晶構造を持つ層状物質Bi2Sr3Co2O9として初めて報告された。1998年にこの物質のBiサイトをPbで置換することにより、母物質に比べ電気伝導性が増し、さらに3K付近で磁気的な相転移を示すことが報告された。Pb置換によってホールがドープされていると考えられるが、Coイオンのスピン状態の遷移は確認されておらず、この系は低スピン状態のCoイオンへのホールドーピングの影響を実験的に調べることが可能なユニークな舞台を提供していると言える。また近年、この物質が熱電変換材料として高い性能指数を持つことも明らかになってきており、応用の面からも注目を浴びつつある。しかしながらこの物質の物性に関しては、特に伝導機構や磁気モーメントの起源など基本的な点に関してまだ不明な点が多い。またこの物質はこれまで詳細な結晶構造解析の報告が無く、正しい結晶構造が不明であるというより根本的な問題も抱えていた。本研究はこれらの背景を受け、まずこの物質の結晶構造を明らかにし、さらに種々の物性測定を行い、この物質の電子状態に関して知見を得ることを目的としたものである。論文は6章から成る。

 第一章は“Introduction”であり、これまでの(Bi,Pb)-Sr-Co-Oに関する研究経緯、および本研究の目的、論文の構成が述べられている。

 第二章は“Experimental”と題し、本研究で用いた単結晶、多結晶試料の作製方法と個々の測定に関する詳細が述べられている。

 第三章は“Crystal structure analysis”と題し、この物質の結晶構造解析に関する実験結果がまとめられている。結論的には、この物質がBi2212のCo置換体であるというこれまでの認識が全く誤りであるということが明らかにされている。まずPbをドープした試料の電子線回折実験によりこの系がmisfit化合物であることが判明した。さらに粉末、単結晶X線回折実験から求められた格子定数、ICP発光分析法により分析された化学組成比が、最近構造解析の報告のあった[Bi0.87SrO2]2[CoO2]1.82のものと(BiサイトがPbで置換されてると考えれば)非常によく一致していることが分かった。この系での原子座標決定までは行われていないが、両者は基本的には同一の構造と考えられる。この結果、この物質の物性を支配していると考えられるCoO2のネットワークは、これまで考えられていたdouble layerの正方格子ではなく、NaCo2O4などと同型のsingle layerの三角格子であるという重要な事実が明らかにされた。構造解析のもう一つの成果は、BiサイトをPbで置換するとPb濃度が10%付近のところで、Bi-Sr-Oからなるsubcellの格子定数が不連続に変化することを明らかにした点である。ただしこの時もう一つのsubcellであるCoO2層における変化は見られず、misfit構造の特徴であるsubcell間の結合の弱さを反映した興味深い結果であると思われる。

 第四章は“Physical properties”と題し、第三章での結果を基に、Pb濃度の異なる複数の試料に対して、電気抵抗率、ホール係数、帯磁率、磁気抵抗、比熱などの物性測定の結果が述べられている。まず基本物性として電気抵抗率、ホール係数の温度依存性の測定結果について述べてあり、この物質が二次元性の強い物質であること、Pb置換によってより低温まで金属的な電気抵抗率の温度依存性が続くこと、キャリア数がコバルト1個あたり0.06個程度と少ないことが示されている。一方、帯磁率のCurie定数からはコバルト1個あたりほぼ0.3個のS=1/2のスピンが存在することが示唆されており、これがホール係数から得られる値と大きく異なっている点が強調されている。またPbをドープするに従って帯磁率は転移温度よりはるかに高温からCurie-Weiss則からのずれを見せることから、この系に転移温度よりも大きなエネルギースケールの強磁性的相互作用と反強磁性的相互作用が共存し、両者が競合していると結論している。実際この描像は後述される磁気抵抗や比熱測定の結果と良い対応をしている。

 次にこの物質の磁気秩序状態に関する実験結果が述べられている。まず磁化の温度依存性、磁場依存性の異方性から、すでに報告のあった3K付近での秩序状態が弱強磁性的な状態であることが明らかにされている。ただし面内でのスピン配列には単純な反強磁性というよりはむしろスピングラスに近い性質も見られ、微視的なスピン構造の決定は今後の課題として挙げられている。

 続いて負の磁気抵抗、異常ホール効果の二つの磁気輸送現象に関して記述されている。まず磁気抵抗に関して、磁場依存性、温度依存性が詳細に調べられている。基本的に磁気抵抗の振る舞いは磁場の方向に強く依存しており、かつそれらは磁化の異方性と密接に関連していることが明らかにされている。一方、温度依存性に関しては、転移温度よりはるか高温から負の磁気抵抗が発達していることが明らかにされている。Pbの濃度が高いほどより高温から負の磁気抵抗が観察されており、これが前述の高温でのCurie-Weiss則からのずれによく対応していることから、転移温度より高温での短距離秩序がこの振る舞いの起源であると考察されている。次に異常ホール効果について述べられている。全てのPb濃度の試料において20K程度以下において5T以下の磁場でホール抵抗率に非線形な振る舞いが見られ、かつそれらがそれぞれの試料の磁化の磁場依存性によく対応しており、明らかに異常ホール効果が観察されている。弱強磁性体における異常ホール効果の報告は他に例がなく興味深い結果である。磁化とホール抵抗の磁場依存性のデータをもとに異常ホール係数Rsの温度依存性が調べられている。全ての試料でRsは温度の増加と共に単調に減少しており、またこの振る舞いはより高温まで連続的につながると期待されることから、20〜50Kで見られたホール係数の温度変化はキャリア数の変化を表すわけではなく、常磁性磁化による異常ホール効果によるものであると結論されている。また各試料についてσxyの温度依存性の古典的な理論式との比較が行われている。その結果3.2Kで弱強磁性転移を示す試料において理論の予想との定性的な不一致が見られ、弱強磁性のスピン構造と密接に関連したスピンカイラリティーによる効果が現れていると考察している。

 最後に比熱に関する測定がまとめられている。まず磁気転移による比熱異常を0.5Kまでの低温まで調べPb濃度の異なる全ての試料が磁気転移を示し、転移温度がPbドープ量と共に系統的に上昇していることが明らかにされている。次に磁場中での比熱測定について述べられている。前述の転移温度以上での短距離秩序のため、比熱の磁場変化は転移温度よりはるか高温まで続くことが明らかにされている。このため電子比熱係数γの見積もりは困難である。論文中ではスピンの寄与と電子比熱の寄与が独立のチャンネルによって担われるという仮定のもとにγの見積もりがなされている。その結果、キャリアの有効質量は自由電子の6倍程度となりNaCo204で報告されているような質量増強はないと主張されている。この見積もりに関してはそもそも上の仮定が正しいか否かという問題があるが、有効質量がそれほど重くはないという結論は光学反射率の測定結果とも良い一致を示している。この結果からこの系における大きな熱起電力は、NaCo204において主張されているような質量の増大に起因するものではないと結論されている。

 第五章は“Discussion”と題し、第三、四章の結果、および光電子分光、X線吸収の結果をもとにこの系の電子状態に関しての議論がなされている。初めにこの系における伝導キャリアおよび磁気モーメントの起源について考察されている。まずX線吸収におけるX線の入射角依存性からCo4+も低スピン状態であり、ホールはt2g軌道から分裂した非縮退のa1g軌道に主に存在すること、また角度分解光電子分光の結果からそのバンドの分散が非常に小さく、フェルミ面に強度を殆ど持たないことが明らかにされた。このことからa1g軌道のホールはelectron-phonon couplingのエネルギーに比べてtransfer積分のエネルギーが小さく、殆ど局在したスピンとして振舞うと考えられている。実際このことはCurie定数が、Coイオンの30%近くのS=1/2のスピンの存在を示唆している事実と一致する。一方、6%程度の遍歴性キャリアの起源については実験的に確定したわけではないが、スピンと強く相互作用した負の磁気抵抗効果や異常ホール効果が顕著に表れることから、t2g軌道から分裂した残りのe’g軌道にいるホールの寄与と推測している。Biのs電子が伝導に寄与している可能性も考えられる。その場合磁気輸送現象はCoイオンとs電子のRKKY相互作用と考えられるが、この系のように平均自由行程が格子間隔と同程度の系でそのような相互作用が有効に働くとは考えにくいのでこの可能性は低いとしている。上述の2チャンネルモデルに立った場合、帯磁率の温度依存性で見られた強磁性、反強磁性の競合する振る舞いは、二重交換相互作用と超交換相互作用の競合として捉えられる。低温でランダムネスの影響のためe’g軌道が局在し二重交換相互作用が弱まるため、低温で反強磁性状態に落ち着くと主張されている。モデルの妥当性に関しては今後の実験によって検証される必要があるが、少なくとも現時点では実験結果を最も無理なく説明するものだと考えられる。

 第六章は“Conclusion”であり、本論文で得られた結論と今後の課題を簡潔にまとめてある。

 以上のように本論文では、低スピンCoイオンへのホールドーピングというユニークな舞台を提供し、また近年熱電変換材料として応用の面からも注目を浴びているBi系の層状コバルト酸化物(Bi,Pb)-Sr-Co-Oについて、結晶構造解析から物性測定まで一貫した研究がなされている。その結果・まず10年以上にわたり信じられてきた結晶構造が誤りであると言うことを明らかにした点は何より評価に値する。この結果、大きな熱起電力が報告されている一連のコバルト酸化物が構造上の共通点を持つことを明らかにした点も重要な成果であると言えよう。またその結晶構造を基に、種々の物性測定を行い、その基本性質について明らかにした。その結果はそれ自身勿論価値のあるものだが、今後NaCo2O4やCa3Co4O9などの研究が進み、それらと比較されることで酸化物熱電材料研究の分野でもさらに価値を増すと思われる。従ってこれらの成果は基礎物性のみならず応用物性にも大きく貢献し、従って物理工学への貢献が大きい。

 以上の理由から、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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