学位論文要旨



No 116107
著者(漢字) 鈴木,秀幸
著者(英字)
著者(カナ) スズキ,ヒデユキ
標題(和) 閾値を持つ電気的システムの決定論的解析
標題(洋) Deterministic Analysis on Electrical Systems with Thresholds
報告番号 116107
報告番号 甲16107
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4944号
研究科 工学系研究科
専攻 計数工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 合原,一幸
 東京大学 教授 岡部,靖憲
 東京大学 教授 日高,邦彦
 東京大学 助教授 村重,淳
 東京大学 助教授 駒木,文保
 東京大学 講師 堀田,武彦
内容要旨 要旨を表示する

 本論文の目的は,事象系列の決定論的側面を解析することである。

 従来,事象系列の研究においては,事象系列を確率過程のひとつ(点過程)とみなして系列の確率的な側面に注目することが多かった。しかしながら,たとえば基本的に決定論的であるような物理現象から生起する事象の系列は,決定論的な力学系から生成されているとみなしたほうが系列の理解につながると考えられる。特にカオス的な力学系から生成された事象系列は,一見確率的なものと区別することができないが,その本質的な理解のためには,決定論的な側面に注目する必要がある。

 そこで本論文では,従来あまり注目されることのなかった,事象系列の決定論的側面について考える。

 実際には,決定論的側面より確率的側面のほうが重要であるような事象系列も数多くあり,また多くの系列においてはどちらも重要であろう。決定論的側面や確率的側面が系列の理解に重要かどうかは,系列を生み出す源の性質に依存しており,決定論的側面と確率的側面は相補的なものであると考えられる。

 連続時間の力学系から決定論的に事象が生起するということは,状態空問の中に事象の生起を引き起こす状態の集合があるということである。多くの場合には,この集合は状態空間の中のポアンカレ切断面を定めているだろう。たとえば,なんらかの物理現象においては,ある物理量がある閾値を越えたときに事象が生起することが多い。この場合にも,その物理量が閾値に等しいというポアンカレ切断面を定めることになる。

 本論文が扱うのは,このように,あるポアンカレ切断面の定められた力学系で,状態がその断面を横切る瞬間に事象を生起するようなものである。このような力学系において,生成される事象系列と力学系との関係を調べることができれば,事象系列の理解につながる。この関係を調べる一般的な方法として,スパイク間隔列による力学系の再構成(埋め込み)という手法を用いた。

 本論文では,特に神経スパイク列と部分放電時刻の列を対象として調べた。どちらも閾値を持つ電気的システムから生成される事象系列である。

 神経スパイク列の解析は,神経系における情報コーディングの問題と密接な関係を持っている。神経スパイク列の解析によって,なんらかの情報を取り出すことができれば,それは神経系においてスパイク列に表現されている情報の復号に対応するからである。

 ある力学系から観測された時系列が神経細胞に刺激として与えられているとき,その神経細胞のスパイク列から元の力学系の構造を知ることを考える。神経細胞がintegrate-and-fireモデルである場合にはスパイク間隔列によって力学系を再構成できることが保証されている。本論文では,1eaky integratorを用い,leakが再構成に与える影響を調べた。

 また,ユークリッド距離とは異なる距離を適用して,力学系における特徴量の一つである相関次元を計算する方法を提案した。

 さらに,以上の結果をふまえ,コオロギの気流感覚細胞を用いて実験を行った。実験では,ある力学系から観測された時系列を気流の形に変換して感覚細胞の刺激として与え,感覚細胞の出すスパイク列を観測した。得られたスパイクの間隔列から力学系の再構成を行ない,スパイク列に決定論的性質が保存されていることを示した。

 部分放電現象は高電圧システムにおける絶縁の劣化などと関連しており,その現象の解析は絶縁の劣化診断などにおいて非常に重要である。放電時刻の列や,各放電の大きさなどを測定することが可能で,従来の解析においては,確率的側面に注目し,各種統計量を用いて解析が行なわれている。

 部分放電現象は物理現象であり,ある程度確率的なふるまいも示すものの,基本的には等価回路モデルと呼ばれる決定論的なモデルで説明することができる。

 従来の研究においては,等価回路に基づく様々なモデルが提案されているが,基本となる等価回路モデルの決定論的性質に関しては研究がなされず,もっぱらその確率的な性質の研究が行なわれている。もちろん,それは確率的な性質が応用において重要であるからなのだが,もっとも基本となる決定論的モデルの性質を調べることは,そこから発展したモデルを理解し,特徴付けるためにも不可欠であると考えられる。そこで,本論文では等価回路モデルの理論的な研究を行った。等価回路モデルは単純であるがゆえに,より複雑なモデルでは無理なことも解析的に調べることができる。

 その結果,等価回路モデルは,ある円周上の傾き1の不連続な区分線形写像に帰着できることを示した。また,単位時間あたりの平均放電回数を印加電圧の関数とみたとき,それは悪魔の階段状の性質を示すことを明らかにした。

 これは,部分放電の分野においては,いままで知られていなかった新しい結果である。力学系の分野から見ると傾き1の写像というのは非常に特殊である。しかしながら,これは実在する物理現象のモデルであり,そこから新しい種類の悪魔の階段などの現象が見つかったことは,非常に新しく興味深い結果である。

 以上のように,本論文では,神経細胞のふるまいと部分放電現象から生まれる二種類の事象系列を通して,どちらにおいても決定論的観点が,確率的な観点からだけではわからない,事象系列の新しい理解を提供することを示した。

審査要旨 要旨を表示する

 事象の生起時刻の列は事象系列と呼ばれ,地震,神経細胞の興奮,放電などといった「事象」の列はどれも事象系列である。様々な現象の研究において,事象系列の研究は重要である。この事象系列の解析においては,事象系列を確率過程,すなわち点過程とみなして確率的な側面に着目して解析することが通常よく行なわれている。しかしながら,基本的に決定論的法則を内在する物理現象から生起する事象の系列に関しては,決定論的力学系の観点から解析することによって,系列を確率論とは異なる側面から特徴づけられる可能性がある。

 特にカオス的な力学系から生成された事象系列は,一見確率的なものと区別することができないが,その本質的な理解のためには,決定論的な側面に着目して解析する必要がある。そこで本論文では,従来あまり着目されることのなかった,事象系列の決定論的側面について論じている。本論文では,特に次の2つの事象系列を扱っている。一つは神経スパイク,もう一つは部分放電という「事象」の系列であり,どちらも閾値を持つ電気的システムから生成される事象系列である。

 本論文は,“Deterministic Analysis on Electrical Systems with Thresholds”(和文題目「閾値を持つ電気的システムの決定論的解析」)と題し,5章より成る。

 第1章では,事象系列の決定論的側面という研究の動機と目的を記述している。本論文では,決定論的な事象系列として,力学系から決定論的に生成される事象系列を扱っている。この力学系には,閾値に対応するポアンカレ切断面が定められていて,状態がその断面を横切る瞬間に事象が生起される。このような力学系において,生成される事象系列と力学系との関係を調べることができれば,事象系列の決定論的理解の基礎となる。

 第2章では,スパイク間隔列による力学系の再構成という手法について解説し,その特徴について考察を行なっている。力学系から生成される事象系列と力学系との関係を調べる一般的な方法として,Sauerにより提案されたスパイク間隔列による力学系の再構成(埋め込み)という手法が用いられる。この手法は,ある力学系から観測された時系列が神経細胞に刺激として与えられているとき,その神経細胞のスパイク列から元の力学系の構造を知ることを目的としており,神経細胞が理想化した完全なintegrate and-fire モデルである場合にはスパイク間隔列によって力学系を再構成できることが保証されている。これを用いることによって,スパイク列が持つ決定論性を評価することができる。そのための方法として,決定論的非線形予測,サロゲートデータ法を用いた方法を適用する。また,本章では,神経細胞としてより現実的なleaky integratorモデルを用いて計算機シミュレーションを行ない,神経細胞におけるleak(漏れ)が再構成に与える影響を調べた。また,ユークリッド距離とは異なる事象系列間の距離を適用して,力学系における特徴量の一つである相関次元を計算する方法を提案した。

 第3章では,第2章の結果をふまえ,神経細胞として実際のコオロギの気流感覚細胞を用いた生理実験の結果を示している。神経スパイク列の解析は,神経系における情報コーディングの問題と密接な関係がある。神経スパイク列の解析によって,なんらかの情報を取り出すことができれば,それは神経系においてスパイク列に表現されている情報の復号に対応するからである。実験では,レスラーカオス力学系から観測された時系列を気流の形に変換して感覚細胞の刺激として与え,感覚細胞が出力するスパイク列を観測した。得られたスパイクの間隔列から力学系の再構成を行ない,スパイク列に決定論的性質が保存されていることを示した。

 第4章では,部分放電モデルについて検討している。部分放電現象は高電圧システムにおける絶縁の劣化などと関連があり,その現象の解析は絶縁の劣化診断などにおいて応用上も重要である。部分放電現象は物理現象であり,確率的なふるまいも示すものの,基本的なふるまいは等価回路モデルと呼ばれる決定論的なモデルで説明することができる。従来の研究においては,等価回路に基づく様々なモデルが提案されているが,この基本となる等価回路モデルの決定論的性質に関しては詳しい研究がなされず,もっぱらより発展したモデルの数値的な研究が行なわれている。本論文では,基本となる等価回路モデルの研究より発展したモデルの理解のためにも重要であるととらえ,等価回路モデルの理論的な研究を行なっている。等価回路モデルは単純であるがゆえに,より複雑なモデルでは解析が難しい性質を数理的に調べることができる。その結果,等価回路モデルは,ある円周上の傾き1の不連続な区分線形写像に帰着できることを示した。また,単位時間あたりの平均放電回数を印加電圧の関数とみたとき,その関数が悪魔の階段状の性質を示すことを明らかにした。これは,部分放電の分野においては,いままで知られていなかった新しい結果である。力学系の視点から見ると傾き1の写像というのは特殊であるが,これは実在する物理現象のモデルであり,そこから新しい種類の悪魔の階段などの現象が見つかったことは大変興味深い。さらに,以上の理論的な結果と対応の取れるような実験を行ない,実験における平均放電回数のふるまいのデータ解析例を示した。

 第5章では,本論文と,本論文において取り上げられなかった確率的側面との関連を議論するとともに,各章の結果を総合して結論を次のようにまとめた。本論文は,神経スパイクと部分放電という閾値を持つ電気的現象から生成される二種類の事象系列の解析を通して,そのどちらにおいても決定論的観点が,従来の確率的な観点だけからでは,わからない,事象系列の新しい理解を提供することを示した。

 以上を要するに,本論文は神経ダイナミクスと部分放電現象の各分野において新しい決定論的解析を提案するとともに,事象系列の決定論的性質の重要性を示したものである。これは数理工学上貢献するところが大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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