学位論文要旨



No 116114
著者(漢字) 小林,一樹
著者(英字)
著者(カナ) コバヤシ,カズキ
標題(和) 境界プラズマ中の原子分子プロセスと対向壁熱負荷に関する研究
標題(洋)
報告番号 116114
報告番号 甲16114
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4951号
研究科 工学系研究科
専攻 システム量子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田中,知
 東京大学 教授 小川,雄一
 東京大学 助教授 山口,憲司
 東京大学 助教授 比村,治彦
 東京大学 助教授 門,信一郎
内容要旨 要旨を表示する

1 緒言

 現在の核融合研究の課題の一つであるダイバータへの高熱,粒子束を低減させるため,ダイバータ内の水素分子密度を高く保ち体積再結合を誘起する非接触プラズマによって粒子,熱輸送を低減することが考えられている.特にダイバータ板表面での放出中性水素粒子と電子との相互作用,及びシース形状が第一壁への粒子,熱流束を決定するが,トカマク等の閉じ込め装置ではこの領域が非常に狭いこと,基本的にパルス運転であること等の理由からこれらの物理的性質を十分明らかにするには至っていない.一般的にダイバータ領域に中性粒子を導入すると,荷電交換や放射損失等により熱負荷が低減されるが,著者らの実験では熱負荷が上昇する条件も見出されている[1].この減少には中性粒子のイオン化によるイオン束増加やシース形状が大きな役割を果たしている.特に,近年重要性が指摘されている水素分子振動状態や電子エネルギー分布[2,3]関数が素過程に与える影響が大きいため,これらを考慮し,対向材表面からの水素粒子放出過程,材料近傍のプラズマ中での原子分子過程,シース形状と熱負荷との関係を明らかにすることが重要な課題の一つとなる.本研究では閉じ込め装置の周辺部やダイバータの開いた磁力線を模擬する直線型定常境界プラズマシミュレータMAP-IIを用い,核融合炉ダイバータ板候補材料である炭素材料(C)のグラファイト、その他アーマ材の候補材料であるタングステン(W)への水素プラズマ照射実験を行なった.

2 実験装置

 MAP-IIの概略を図1に示す.MAP-IIは,プラズマソース部,ソース部チャンバー,ターゲットチャンバーから構成され,各々が差動排気されている.プラズマソース部でのLaB6熱陰極,陽極管の間の放電によって直径約2cmのプラズマを生成し,直線磁場(約0.03T)によりターゲットに輸送される.ターゲットチャンバーに挿入されたガスパフノズルによってプラズマ中にガスパフを行なうことが可能である.ソース部チャンバー,ターゲットチャンバーに設置されたラングミュアプローブによって電子温度(Ta),電子密度(ne)測定が可能である.またターゲットチャンバーの観測窓を通して中性粒子スペクトルの分光測定が可能である.ターゲット板(10mm×10mm×1mm)は,水冷のヒートシンク上に2枚取り付けられ,プラズマ照射中にターゲット材料,照射角度を変化させることが出来る.ヒートシンク冷却管の入口側,出口側には熱電対が挿入されており,冷却水の温度上昇測定が可能である.分光測定には,1mのツェルニー・ターナー型,回折格子刻線数1200L/mm,波長分解能0.011〜0.1nmの分光器を用いた.

3 プラズマ対向材料付近における水素原子,分子スペクトル測定

 C及びWからの中性水素粒子放出エネルギー,分子放出割合について調べるためHαスペクトル測定、バルマースペクトル強度比Hβ/Hα、H7/Hα測定を行なった.観測されるHαスペクトルは高エネルギー,低エネルギー成分から構成され(Fig.2),高エネルギー成分は,水素原子反射エネルギーが高いとされるWターゲット近傍でドップラー広がりが大きいことから反射水素原子を表すこと[4],及び低エネルギー成分は,水素分子放出割合が高いとされるCターゲット近傍で強度が強いことから水素分子からの解離水素原子を表すことが分った[5].さらにバルマースペクトル強度比Hβ/Hα、Hγ/HαがCターゲット近傍で低いことが観測され,水素分子の解離励起過程を考慮した衝突輻射モデル[6]計算によると,Cターゲット近傍の水素分子密度はWに比べて約2倍であり,C表面からの水素分子放出割合が大きいことを示した[7],これは低エネルギー成分強度がCターゲット近傍で強いことに矛盾しない.このことから,熱負荷との相関を考察する際にターゲット近傍の水素分子の存在を無視出来ないことが示唆された

 次にプラズマ中での水素分子振動状態について調べるため,振動励起分布を反映する水素分子からのFulcher-αスペクトル(d3Πu(上順位)→a3Σg+(下順位))の検出を行なった.Wターゲット表面から1cmの位置で観測されたFulcher-αスペクトルを図3に示す.このスペクトルに対しフランク・コンドン原理に従って評価を行なった結果,電予基底準位(X1Σg+)で振動基底状態であると仮定した場合,Fulcher-αスペクトル振動バンドの強度比が説明できないことが判った,このことはプラズマ中の水素分子が電子基底状態おいて高い振動励起状態にあることを示唆している.

4 対向材熱負荷を記述する原子分子過程

 バルマースペクトル,Fulcher-αスペクトル測定の結果は,Cターゲットからの水素分子放出量が大きいことを示し,それによるターゲット近傍での励起,解離,電離等の原子分子過程の違いは熱負荷に影響すると考えられる.そこでC,Wターゲットに水素プラズマを照射し,ターゲット冷却水温度上昇による熱負荷測定,及びラングミュアプローブによるターゲット表面近傍(表面から5mm)でのne,Teの測定を行なった.図4にターゲット冷却水の入口側,出口側温度の経時変化を示す.放電開始から152minでターゲットをWからCに変えた際,熱負荷が約1割上昇した.またneについてもCの場合Wよりも約1割大きな値となった.

 プラズマ対向材料への単位時間,単位面積当たりの流入熱は,次式によって表される[8].

Csはイオンの音速,eφはシース端からターゲットまでのポテンシャルの落ち込み(シースポテンシャル)である.計測されたne,Te,eφから式(1)を用いてC,Wターゲットへの流入熱を求めた結果,CとWの熱負荷の差は流人熱の差にほぼ一致することが判った[7].以上の結果から,水素分圧上昇,又はne上昇がどのような物理機構を介して熱負荷に影響を及ぼすのかと言う点が問題として提起される.

 熱負荷とターゲット近傍での原子分子過程との関係について調べるため,Wターゲットへのプラズマ照射下にターゲットチャンバー内へ水素ガスパフを行ない,熱負荷を測定した.この際,ソース部チャンバー,ターゲットチャンバーの作動排気の効果から水素分子とプラズマとの相互作用はターゲットチャンバー内に限られる(相互作用長,LH2=50cm).図5(a)に,パフィング前の熱負荷によって規格化した熱負荷Q/Q0の水素分圧依存性を示す.Teが約10eVの時,熱負荷は水素分子分圧とともに上昇し,約6eVの時には減少し,約8eVの時にはほぼ変わらない結果となった.これらの現象について,以下のように考察した.本実験ではTi≪Te,-eφ/kTe>5であるため,式(1)第二項,第三項を無視し,熱負荷はneTe3/2に比例する.ターゲット近傍での主プロセスとして,水素分子の電離はne上昇に寄与し,電子の水素分子との非弾性衝突はTeを減少させ,シースポテンシャル落ち込みを緩和させる.しかし,電子が熱平衡にある場合のシース理論に従ってシースポテンシャル評価を行なった結果,電子温度減少による熱負荷減少の効果を過大評価した.すなわち電子が熱平衡にある場合よりも水素分子との非弾性衝突によるエネルギー減少が小さいこと,即ち高エネルギー電子の存在を考慮し,運動論的評価を行なわなければならないことを示す.

 高エネルギー電子の挙動を一般的に取り扱うためプローブによって計測される電子エネルギー分布関数(EEDF)を用いて熱負荷変化の記述を行なった.高エネルギー電子のエネルギー減少は,バルク電子,及び水素分子との衝突の断面積データと,ガスパフを行なう前に計測されたEEDFを用いて評価した.浮遊電位にあるターゲットに入射する電子流束,イオン流束が常に等しいことを条件に,シースポテンシャル変化量Δ(eφ)を,ターゲットに流入する高エネルギー電子の実効的なエネルギー上限εhの変化量Δεhと,電子密度変化量Δneで表すと,熱負荷の変化,

について

と書ける.ここでφoは水素ガスパフ前のシースポテンシャルである.式(2)によって評価した熱負荷を,図5(b)に示す.実験#1,2,5,6については,熱負荷変化の傾向及び値について比較的良く実験値と一致したが,実験#3,4については,実験値を大きく下回った.EEDFの評価から,#3,4では高エネルギー電子のエネルギーはバルク電子温度の2倍程度で,バルク電子との衝突によるエネルギー利得が無視できなくなるため評価値ではシースポテンシャル落ち込みの緩和を過大評価したと考えられる.この場合式(2)による記述の範囲外となり,むしろ電子が熱平衡にあるとした場合のシース形成によって記述される.しかし,実験#1,2,5,6では高エネルギー電子のエネルギーがバルク電子の温度の5倍以上であり,このことから高エネルギー電子のエネルギー減少を考慮することでシースポテンシャルの減少,及び熱負荷の減少を記述できることを示している.

5 結論

 線形定常境界プラズマシミュレータMAP-IIによって,C及びWへのプラズマ照射実験を行ない,水素原子,分子スペクトル測定,ターゲット熱負荷測定を行なった結果,以下のことが判った.

 ・Hαスペクトルは,低エネルギー成分と高エネルギー成分から成り,低エネルギー成分は水素分子からの解離原子,高エネルギー成分は反射原子を表す.

 ・プラズマ中の水素分子は,高振動励起状態にある,

 ・Cの水素分子放出割合が大きく,Cターゲット近傍では水素分子密度が高い,

 ・ターゲット近傍に存在する水素分子はターゲット熱負荷に大きく影響し,その物理機構は,(i)水素分子電離によるイオン束増加,(ii)水素分子との非弾性衝突による高エネルギー電子のエネルギー減少とシースポテンシャルの緩和,であり,その競合過程によって熱負荷の変化を記述できる.

参考文献

[1]K.Kobayashi,Shinichiro Kado,Bingjia,Xiao and S.Tanaka,to be published in J.Nucl.Mater.

[2]K.Kupfer,R.W.Harvey et al.,Phys.Plasmas 3(1996)3644-3652.

[3]A.Pospieszczyk,Ph.Mertens et aL.,J.Nucl.Mater.266-269(1999)138-145.

[4]K.Kobayashi,S.Ohtsu and S.Tanaka,J.Nucl.Mater.266-269(1999)850-855.

[5]K.Kobayashi,S.Ohtsu and S.Tanaka,Fusion Technol.34(1998)914-918.

[6]Fujimoto T,et al.,J.Appl.Phys.66(1989)2315-2319.

[7]K.Kobayashi,Bingjia Xiao and S.Tanaka,Plasma Phys.Control.Fusion 42(1998)771-780.

[8]P,C.Stangeby,in:Physics of Plasma-Wall Interactions in Controled Fusion,eds.D.E.Post and R.Behrisch(Plenum,New York,1986)p.41

図1 線形定常境界プラズマシミュレータMAP-II概略図.

図2 ターゲット近傍で観測されたHαスペクトル.

図3 Wターゲット近傍で得られたFulcher-αスペクトル.

図4 ターゲット冷却水入口側,出口側温度の経時変化.

図5 規格化熱負荷Q/Qoの水素分圧依存性:(a)実験値;(b)式(2)による計算値

審査要旨 要旨を表示する

 現在の核融合研究の課題の一つであるダイバータへの熱、粒子束を低減させるため、ダイバータ内の水素分子密度を高く保ち体積再結合を誘起し、いわゆる非接触状態を実現することが考えられている。特にダイバータ板近傍においては放出中性水素粒子と電子との相互作用、及びシース形状が第一壁への粒子、熱流束を決定するが、トカマク等の閉じ込め装置ではこの領域が狭いこと、基本的にパルス運転であること、観測ポートに制限があること等の理由からこれらの物理的性質を十分明らかにするには至っていない。本論文は、ダイバータ領域の開いた磁力線に沿って運動するプラズマを模擬する直線型定常境界プラズマシミュレータMAP-llにおけるプラズマのパラメータの計測および照射ターゲットの熱負荷の計測をもとに、プラズマの諸パラメータおよび衝突過程を用いて熱負荷の定式化を与えるものである。

 本論文の構成は次の通りである。

第1章は序論であり、本研究の背景と従来の関連研究について概説し、目的と意義を述べている。

第2章では本研究に用いた実験装置、及び計測システムの概要について述べている。

MAP-ll装置はLab6熱陰極のアーク放電下流のプラズマを直線型の磁場配位で閉じ込め、ターゲット板に照射することによって、ダイバータ領域の開いた磁力線のプラズマを模擬することを目的としたものである。プラズマパラメータの測定には静電プローブを、水素原子・分子のスペクトル計測には可視分光器を、ターゲット板の熱負荷の測定には冷却水の温度変化を用いている。これらのシステムの詳細と較正等について述べてある。

第3章では、プラズマ対向壁近傍の水素原子・水素分子の分光スペクトルの計測結果について述べている。ターゲット近傍での水素原子バルマー線Hαの分光測定から、このスペクトルが高エネルギー成分、低エネルギー成分の2成分で構成されていることを観測した。高エネルギー成分は反射水素原子を表し、低エネルギー成分は水素分子からの解離水素原子を表すことが示された。ターゲット材料としてグラファイトとタングステンとを比較することにより、グラファイトターゲット近傍で強い低エネルギー成分強度が観測されたこと、パルマースペクトル強度比Hβ/Hα、Hγ/Hαはグラファイトターゲット近傍でタングステンより小さいこと、及びそれについての衝突輻射モデル計算による解析から、水素プラズマ照射下でグラファイト材の水素分子放出割合が高く、ターゲット近傍での水素分子密度が高いことが示された。また、水素分子のFulcherα線の測定から、プラズマ中に存在する水素分子は振動励起状態にあることを示した。

第4章では、プラズマ対向壁としてグラファイト、タングステンを用いた場合、熱負荷に違いがあることを述べている。定常状態における熱負荷は冷却水の温度上昇であらわされ、プラズマからの流入熱、反射熱、が関わっている。測定の結果、熱負荷はグラファイトターゲットを用いる方がタングステンターゲットの場合より有意に熱負荷が上昇していることが示された。これはグラファイト材料から放出された分子のイオン化により、ターゲットに流入するイオンの粒子束が増加していることを反映しているとの着眼点を得た。

第5章では、前章の現象を原子・分子プロセスの見地から定式化するため、熱負荷を決定する物理描像をモデル化し、実験結果と比較・検討を行った結果について述べている。ターゲット材をタングステンに固定することによって材料による差異を除去し、水素ガスパフによって熱負荷の応答を測定した。放電中に水素ガスを導入した場合の熱負荷の変化は電子密度、イオン音速、シースポテンシャル各々の変化率の積で記述でき、それぞれの項の競合過程で記述できる。その結果、シース形成に寄与する高速電子がバルク成分、すなわちボーム条件できまる場合は電子の非弾性衝突によりエネルギーが損失した結果生じる非ボルツマン成分が電子−電子衝突により緩和されていく過程でシース電位が変化する、というモデルで記述できることを示した。一方、シース形成に寄与する高速電子が非ボルツマン分布をした裾野の電子である場合には、高速電子の衝突過程による電子エネルギー分布関数の変化で記述することができることを示した。両モデルを特徴付けるパラメータは電子温度に対する高エネルギー成分の平均エネルギーであることを示し、ガスパフ時の熱負荷がプラズマの条件により上昇したり下降したりする実験事実を定量的に説明できることを示した。

 以上のように、本論文はプラズマ対向壁近傍で、原子の反射、分子放出の挙動を実験的に観測したこと、水素分子が振動励起状態にあることを確認したこと、及び対向壁材料から放出された分子、あるいは外的に導入された分子の存在による熱負荷の応答を線形近似により定式化し、実験結果をよく説明できることを示した点で、プラズマ理工学、特にプラズマ中の原子・分子過程、プラズマー壁相互作用研究の発展に寄与することが大きい。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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