学位論文要旨



No 116115
著者(漢字) 堺,知則
著者(英字)
著者(カナ) サカイ,トモノリ
標題(和) 実数格子ガス法による界面活性剤を含む流体の解析
標題(洋)
報告番号 116115
報告番号 甲16115
学位授与日 2001.03.27
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4952号
研究科 工学系研究科
専攻 システム量子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大橋,弘忠
 東京大学 教授 古田,一雄
 東京大学 助教授 浅井,圭介
 東京大学 助教授 岡本,孝司
 東京大学 助教授 陳,ゆう
内容要旨 要旨を表示する

1 導入

 界面活性剤は界面張力の低下作用や乳化作用、分散・懸濁作用、或いは溶媒中での多様な集合体の形成といった独特な性質を持つ。これらの性質が発現するメカニズムの解明や、界面活性剤溶液の挙動の理解に対して、幅広い分野での実用上の要求は勿論、学術面からも強い興味が持たれている。

 界面活性剤溶液の挙動を解析した既存の研究では、相図の作成や界面特性を始めとする平衡特性に対象が限定されていることが殆どであり、界面活性剤を含む流体の非平衡状態を扱った研究は極めて少数である。しかしながら、界面活性剤の挙動の機構解明と理解には、界面に与える影響や集合体の形成といった平衡特性に加えて、洗浄プロセスを始めとする界面活性剤溶液の流動を伴う現象における非平衡特性の解明が必要である。

 そこで本研究では、界面活性剤溶液が発現する特性を平衡・非平衡両方の条件下で解明できる数値解析モデルを開発することを目的とする。まず界面活性剤モデルを開発し、それをミクロ流体解析手法の1つである実数格子ガス法(Real-coded Lattice Gas Method,以下RLG[1])に組み込む。そして界面活性剤に特徴的な性質を再現し、更に流れを伴う非平衡現象に適用することで、モデルの有効性を示す。

 以下、RLG及びその2相流体モデルの概略を述べた後、界面活性剤モデルを導入する。そして、界面活性剤の特性を再現する一連の解析と、流動を伴う非平衡現象への応用例として行った解析について述べる。

2 RLGとその2相モデル

2.1 基本アルゴリズム

 1997年にその原型が提唱されたRLG[1]は従来の格子ガス法[2]の延長上に位置する。状態の更新は、並進過程と衝突過程からなる時間ステップの繰り返しにより行う。並進過程は、前の時間ステップにおける衝突過程での計算の結果得られた速度を用いて、各粒子の位置のみを更新する過程であり、次式で表される。

但しrは粒子位置、vは粒子速度、は更新後の値を意味する。

 衝突過程は、各粒子の速度を更新する過程である。速度の更新は、粒子が属するセルの質量平均速度Vと回転行列σを計算し、次の式に代入することによって行う。

2.2 RLGの2相モデル

 単相流体の解析モデルであるRLGに対し、粒子に「色」の属性[3]を新たに持たせることにより、2相流体の解析に適用することができる[4]。まず、各粒子が持つ色の属性としてκ1,κ2の2種類を設定し、粒子nの色の重みを表す変数Cnを

と定義する。ここでκnは粒子nの色を表す。

 そして、カラーフラックス(色流束)

(N(r)はセルr内の粒子数、vn粒子nの速度、Vrはセルrの平均流速)及びカラーフィールド(色の場)

(riはセルrのi方向への隣接セル、ciはセルrからriへ向かうベクトル)をセル毎に計算する。衝突過程における速度ベクトルの回転角を、衝突の結果カラーフラックスとカラーフィールドとが重なるように設定することで、同じ色の粒子間に引力が、異なる色の粒子間に斥力が作用する効果を表すことができる。

 図1に、このモデルによる2相分離のシミュレーション結果の1例を示した。

3 界面活性剤モデル

 親水性頭部と疎水性尾部からなる分子構造を持つ界面活性剤を表すために、図2に示すような「界面活性剤粒子」を導入する。A及びBは各々、親水性頭部と疎水性尾部に相当する。Gは界面活性剤粒子の重心である。また、界面活性剤の両親媒性を表すために、RILGにおける「色」の概念を用いる。背景にあるRLG粒子を水(正の色の重みを持つ)と考える場合、Cphi>0及びCpho<0であるCphi及びCphcの色の重みをAとBに各々与えることで、Aの親水性とBの疎水性を表す。周辺の色の場に対する寄与が粒子の構造によって決定される点が、通常の質点粒子との最大の相違点である。

 色流束F(r)及び色の場Q(r)の計算は、非混和2相モデルにおけるそれと類似している。F(r)の計算には式(4)をそのまま使用し、界面活性剤粒子の影響は考えない。

 Q(r)の計算は、式(5)に界面活性剤粒子の分布を新しく考慮に入れることによって行う。界面活性剤粒子の重心がrGに位置し、その配向角がθ(図2参照)である時、AとBの位置は各々

となる。ここでlphiとlphoは各々、界面活性剤粒子の重心から親水性部まで(図2のGA間)及び疎水性部まで(図2のGB間)の距離である。rAとrBが得られれば、A及びβを含むセルに対して色の重みCphiとCphoをそれぞれ与える。この処理は式(3)を

のように変更した上で、式(5)をそのまま使用することに相当する。

 運動量交換の計算にあたっては、界面活性剤の扱い方は、rGに位置する質量Msの質点粒子と全く同一である。即ち、界面活性剤粒子の重心はGに集中していると考える。各セルにおける色流東と色の場を計算した後、RILGと同様にして、衝突過程における回転角を計算する。運動量交換をした後の各界面活性剤粒子の配向角は、重心周辺の色の場の勾配と一致させる。即ちとする。

4 解析結果

4.1 水/界面活性剤2相流体

 開発した界面活性剤モデルを用いて、水/界面活性剤の2相流体の挙動を解析した。64×64、温度0.2、水粒子数40960個/界面活性剤粒子数10240個の体系にて解析し、界面活性剤粒子数密度の分布を図3に示した。計算開始後間もなく界面活性剤粒子が小さな球状の集合体を形成し、以後、それらの集合体は合体を繰り返して成長するのではなく、小さいままで安定を保つ様子が観察できる。

 また、この界面活性剤モデルの3次元体系への拡張は比較的容易である。2次元での計算と同様、各タイムステップにおいて界面活性剤粒子の配向が背景のカラーフィールドと重なるように設定することによって、図4に示すような球状ミセル構造の形成を観察することができる。

4.2 水/油/界面活性剤3相流体

 水と油などの非混和な2相流体は完全に分離した状態で平衡となるが、そこに界面活性剤が加わった場合、水と油の相分離は抑制される。水と油の量を拮抗させ、また十分な量の界面活性剤を添加した場合には、水と油の双方が相手の相の中に管状に入り込み合った(bicontinuousと呼ばれる)状態で平衡になる。

 界面活性剤モデルを用いて水/油/界面活性剤の3相流体の時間発展を解析した時の、水油粒子数比の分布の変化を図5に示した。図1の2相分離の場合と全く異なり、計算開始後間もなく相分離の進行が停止した後、長時間そのままのbicontinuousな状態で安定に保たれる様子がわかる。

 この時の波数分布(図6の左)には鋭いピークが現れず、ある程度拡がった分布を持ち続けることから、特定の特徴長さを持たない複雑な構造が長時間維持される様子が確認できる。なお、水油2相分離計算時の波数分布(図6の右)では、計算開始後間もなく波数分布に極めて明確なピークが現れ、時間の経過とともに波数のピークは小さい方へとシフトしていき、ピークの高さは高くなってやがて定常に達する。これらの波数分布から体系内の特性波数を計算した結果を図7に示した。上の曲線は界面活性剤を添加した場合、下の曲線は水油2相分離の場合である。界面活性剤の添加によってドメイン成長が抑制される様子が明らかである。

 また、ラメラ状の初期状態から計算を開始した場合に、界面活性剤の添加によってラメラ構造が維持されること(図8参照)、本モデルの界面活性剤粒子が界面張力の低減効果を持つことを確認した(図9参照)。

4.3 非平衡現象への応用

 界面活性剤溶液の流動を伴う現象の例として、基本的な洗浄プロセスを考える。現象を記述するためには1.水/油/界面活性剤の3相流体 2.界面張力、濡れ性 3.バルクの流れ がキーワードとして含まれるが、本研究で開発した界面活性剤モデルとRLGがなすフレームワークの中で、1.〜3.の全てを考慮することができる。

 左右周期境界、上下恒温壁境界の体系で解析を行った。油に濡れやすい(油粒子と同じ符号の色の重みCwallを与えることで表す)下の壁に油滴を置き、その周囲に左から右に向かって水或いは界面活性剤溶液を流した(水及び界面活性剤粒子の流れ方向速度成分に毎時間ステップVbulkを加えることで流れを表す)。

 油滴の運動の様子を図10に示した。界面活性剤の添加がない場合(左)には10000step経過後でも半分以上の油粒子が壁に付着したままなのに対し、界面活性剤を添加した場合(右)には殆どの油粒子が壁から剥離し、除去できる状態になる様子が観察できる。界面活性剤粒子数を0、水油粒子数の1/4,1/8,1/16,1/64,1/256として計算し、壁に付着し続ける油粒子の割合の時間変化を図11にまとめて示した。界面活性剤の添加量は除去に要する時間に影響するが、最終的に除去される油の量には影響せず、少量の界面活性剤の添加によって除去される油の量が大幅に増加することを示している。この傾向は、多孔質媒体内で類似した解析を行った結果の報告と一致している[6]。

 なお、これらの解析は3次元の体系へとストレートに拡張することができる(図12に解析例を示した)。界面活性剤の両親媒性をボトムアップ的なアプローチでモデル化した上で、背景の溶媒との相互作用も考えつつハイドロダイナミックスの効果を解析したこれらの結果は画期的である。

 上記1.〜3.に加えて多孔質媒体の境界条件などを組み込むことで、より一般的な洗浄プロセスや原油回収といった幅広い現象に応用できると考えられ、本モデルの将来性に対して大いに期待が持たれる。

5 結論

 両親媒性の効果を取り込んだ粒子による界面活性剤モデルを開発した。非混和2相流体モデル[3]で導入された「色」の属性を用い、相反する符号の色の重みを持つ2つの部分を有する構造性粒子によって界面活性剤をモデル化した。

 開発した界面活性剤モデルを、微視的な流体解析手法である実数格子ガス法に組み込み、現実の界面活性剤が示す

 ・水中での集合体(球状ミセル)形成作用

 ・水油混合流体の相分離抑制作用

 ・水油混合流体の乳化作用及び分散・懸濁作用

 ・界面張力の低減作用

を再現することに成功した。

 界面活性剤溶液の流動を伴う非平衡現象に対する適用性についても検討した。テストケースとして基本的な洗浄プロセスの解析を行い、定性的に妥当な結果を得、3次元解析も行うことで、将来の応用性を示した。

参考文献

[1]A.Malevanets,“Statisticalmechanics ofhydrodynamic lattice gases”,Ph.D.thesis,University of Toronto(1997)

[2]U.Frisch,B.Hasslacher and Y.Pomeau,Phys.Rev.Lett.56,1505-1508(1986)

[3]D.H.Rothman and J.Keller,J.Stat.Phys.,52,1119-1127(1998)

[4]Y.Hashimoto,Y.Chen and H.Ohashi,Compu.Phys.Commu.,129,56-62(2000)

[5]A.N.Emerton,P.V.Coveney,and B.M.Boghosian,Phys.Rev.E55,708-720(1997)

[6]J.B.Maillet,P.V.Coveney,Phys.Rev.E,62,2898-2913(2000)

図1:RILGによる2相分離の解析

図2:界面活性剤モデル

図3:水/界面活性剤系におけるミセル形成の解析結果

図4:ミセル構造の形成(3次元密度等高線表示)

図5:bicontinuous状態の形成

図6:bicontinuous状態形成時(左)と2相分離過程時(右)の波数分布

図7:特性波数の時間発展

図8:界面活性剤の添加がない場合(上)ラメラ構造は間もなく崩壊するが、界面活性剤を添加することで(下)、ラメラ構造が保持される。

図9:界面活性剤濃度と界面張力

図10:基本的な洗浄プロセスの解析。上から順に初期状態/250steps/500steps/1000steps/10000steps後。界面活性剤の添加がない場合(左)、半分近くの油が壁に付着し続けるのに対し、界面活性剤を添加した場合(右)、殆ど全ての油が壁から剥離し、除去しやすい状態になる。

図11:壁に付着し続ける粒子数の割合の時間変化

図12:基本的な洗浄プロセスの3次元解析例。壁に付着した状態の油粒子を黒、剥離した状態の油粒子を赤で表した。

審査要旨 要旨を表示する

 これまでの流れ解析は、水や空気の単純な流れを対象に、ナビエ・ストークス方程式の数値解析により大きな成果をあげてきた。一方で、天然自然、産業、日常生活に現れる流れの多くは、例えば多相流、多成分流、化学反応流れや、界面活性剤溶液、高分子溶液、液晶、血液などの構造性流体の流れなど、さまざまな複雑さを示す流れであり、このような流れの解明と解析が、今後の流れ解析に課せられた主要な課題のひとつとなっている。

 さて、この複雑流れに対して、ナビエ・ストークス方程式に基づく手法は、平均場近似の成立を前提としているため、界面、化学反応、分子構造などによって流体内部が非一様で構造を示すことを特徴とする複雑流れを適切に表現することが困難で、多くの近似や経験式の導入が必要となる。このため、ナビエ・ストークス方程式に代わり、より普遍的で適用性の広い流れ解析手法として、メゾスケールの粒子挙動の粗視平均として流れ挙動を表現する格子ガスオートマトン法、格子ボルツマン法などの研究が進められてきている。

 本研究は、以上を背景とし、構造性流体をメゾスケールモデルで解析する手法の確立を目指したものである。構造性流体の代表として界面活性剤溶液を取り上げ、これを格子ガスオートマトン法を発展させた実数格子ガス法でモデル化し、それに基づくさまざまな解析をとおして、解析手法の妥当性と有効性を確認している。本論文は、このような研究成果を5つの章にまとめたものである。

 第1章は序論であり、研究の背景と位置付けをまとめたものである。界面活性剤溶液に関するこれまでの解析モデルを評価し、それらとの比較をとおして、本研究で実数格子ガス法を採用した根拠と意義を説明している。

 第2章は実数格子ガス法とその二相への拡張を述べた章である。まず、実数格子ガス法の二相への拡張を検討し、2次元および3次元での相分離挙動を解析している。二相間の界面張力を測定してラプラス則が満たされること、領域成長がメカニズムの異なるふたつの過程からなっていることを明らかにし、二相モデルの物理的な妥当性を確認している。

 第3章では、実数格子ガス法に適合する界面活性剤モデルの開発とそれを用いた界面活性剤溶液の挙動解析の結果をまとめている。界面活性剤は、界面活性剤分子を模擬するよう親水基と疎水基が剛体棒で接続された形でモデル化し、水や油などとの相互作用を定義して、実数格子ガスの枠組みに取り込んでいる。このモデルにより、水と界面活性剤の二相系で球状ミセル構造の生成を観察し、ミセルサイズの分布を求め、他の手法による解析結果との比較を行っている。

 さらに油を加えた三相系の解析を行い、条件によりエマルジョン、ラメラ構造、両連続状態などのマクロ構造が形成されることを確認している。特に、両連続状態については、構造の代表長さの指標である構造因子の時間経過を調べ、特性長さの時間変化の様子から両連続状態が形成されていることを結論している。また、界面活性剤濃度と表面張力の関係を定量的に求め、界面活性剤添加により界面張力が緩和していく様子を明らかにしている。

 第4章では第3章で開発したモデルをマクロな流動を伴う非平衡系に適用して、適用性を検討した章である。対象として、油井からの石油の効率的回収プロセスを念頭に置き、水の流れ場に置いた油滴の変形、壁からの離脱の問題を取り上げ、まず、壁と油滴との間の濡れ性を実数格子ガス法に取り込みモデル化している。それを用いて、具体的な対象に適用して、界面活性剤を入れない場合と添加した場合の特性を比較している。これにより適正な量の界面活性剤添加によって、石油回収効率が飛躍的に向上する様子を2次元、3次元計算により再現し、本研究で開発した手法が、さまざまな工学問題に適用できる可能性を示している。

 第5章は結論であり、本研究で得られた成果をまとめた章である。

 付録として、実数型格子ガス法界面活性剤モデルの理論基礎をまとめ、実数格子ガスの計算手続きにおいて、運動量、エネルギーなどの保存量が適正に保存されることを証明している。

 以上を要するに、本論文は新しい流体解析手法として実数格子ガス法を拡張して、構造性流体としての界面活性剤溶液のモデルと解析アルゴリズムを確立し、それを基にして、基礎特性、物理的妥当性を評価し、さまざまなマクロ構造の形成、時間変化の様子を再現して、手法としての妥当性を確認し、合わせて工学問題への適用性を示したものであり、今後の流体解析の進展に寄与するところが少なくない。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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