学位論文要旨



No 116118
著者(漢字) 中村,龍也
著者(英字)
著者(カナ) ナカムラ,タツヤ
標題(和) 準粒子トラップ層を持つ超伝導トンネル接合型X線検出器の開発研究
標題(洋)
報告番号 116118
報告番号 甲16118
学位授与日 2001.03.27
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4955号
研究科 工学系研究科
専攻 システム量子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中沢,正治
 東京大学 教授 寺井,隆幸
 東京大学 教授 宮,健三
 東京大学 助教授 高橋,浩之
 京都大学 助教授 神野,郁夫
 日本原子力研究所   片桐,政樹
内容要旨 要旨を表示する

1.緒言

 超伝導トンネル接合(Superconducting Tunnel Junction)型X線検出器は、波長分散型X線検出器に匹敵する数eV以下のエネルギー分解能を持つエネルギー分散型X線検出器となり得ることからその開発が精力的に行われてきた。一方、STJ型X線検出器は、数10kcpsでの高計数率測定も可能であることが最近になり認識されるようになった。現在汎用のシリコン検出器では、5.9keVX線に対するエネルギー分解能はほぼ理論限界の120eVであり、また、それを保持しての計数率は1kcps以下である。したがって、本検出器が実現されればエネルギー分解能、計数率の両者において半導体検出器を一桁上回る検出器となり、X線スペクトロスコピーを用いる全ての分野に与えるインパクトは非常に大きい。

 しかし、実現されているエネルギー分解能、計数率は、理論予想よりもはるかに劣る。その理由は準粒子収集が不完全で理論通りの信号出力が得られていないことによる。これは超伝導体中での準粒子の寿命(〜μsec)に対するトンネル時間(〜0.1μsec)の比が十分ではなく全ての準粒子を瞬時に集めることが困難で電荷損失の影響を大きく受けるためである。したがって、素子自身に強力な電荷収集機構を持たせることが高エネルギー分解能化のために不可欠であり、そうした上での高計数率化に対応した高速かつ低雑音な電流パルス信号読み出しを実現することが本検出器の実現の鍵を握る。

 本研究ではそれを可能とする素子構造として準粒子トラップ層を採用し、高エネルギー分解能、高計数率動作という二つの特長を兼ね備えたSTJ型X線検出器の実現にむけ開発研究を行った。

2 準粒子トラップ層を持つSTJ素子の製作

 図1上に準粒子トラップ層をもつSTJ素子の構造を示す。ニオブ層でのX線吸収により生成された準粒子は、ギャップエンジニアリング的に絶縁膜近傍に集められトンネル確率が高めまる(図1下)。また、本構造により準粒子は2つの電極間を複数回トンネルすることもできるようになり一種の信号増幅効果を素子自身に持たせることが可能となる。電極材料としては従来から製作実績のあるニオブを採用し、全ての層はスパッタで積層し製作した。

 準粒子のトラップ効果を調べるためトラップ層厚さの異なる素子を製作し素子特性の評価を行った。アルミ厚さの上限は到達可能な0.3Kの冷却系において熱励起準粒子の影響が無視できる50nmとしている。図2上は実験により得られた信号電荷出力(5.9keVX線入射)と素子クオリティー(0.3K,300Kでの漏洩電流の比と定義)の測定結果である。トラップ層の厚さが増加するにつれ電荷出力も増大し準粒子トラップがうまく機能していることが分かる。ニオブ中で生成された準粒子を全て収集したことに相当する電荷出力(2.3x106electrons)はアルミ層の厚さが25nm以上で得られ、さらにアルミ層の厚さを増大することで、従来素子と比較して1桁以上の電荷出力増大が可能となった。

 一方、アルミ層の厚さを増加することにより素子のクオリティーは低下しエネルギー分解能への影響が懸念されたが、その低下を考慮しても100eV以下のエネルギー分解能が得られことが試算された(図2下)。しかし、実測されたエネルギー分解能は計算値よりも8-13倍劣る値であり、準粒子トラップ層を導入することにより電荷出力は増大したが、それと同時に準粒子損失のX線入射位置による違いも増大したと考えられる。

3.LTSSM(Low Temperature Scanning Synchrotron Microscope)法による

 位置依存性評価実験

 準粒子損失のX線入射位置依存性を調べる最も直接的な方法は、微少に絞ったX線ビームで素子上をスキャンし各位置での素子応答を測定することである。これまで電子線を用いてのスキャン実験は行われているが、X線とはエネルギー付与分布が異なる、下部電極応答の測定は不可能、などの問題があった。これらの問題を解決する測定手法としてLTSSM法を採用した。LTSSM法は放射光からの高輝度光をピンホールで直径10μm以下の平行ビームに絞りxy方向のピンホールの動きと連動して各X線入射位置での素子応答をMCAで計測することで素子のX線入射位置依存性測定を可能とするものである。

 図3に一辺が50,100,200μmの素子の対角線方向の上部電極からの電荷出力及びエネルギー分解能のX線入射位置依存性を示す。この図より、どのサイズの素子も素子端部での準粒子損失が顕著で(図3上)、それに伴ってエネルギー分解能が劣化することが明らかになった(図3下)。

 X線入射により生成された準粒子の挙動は古典的な拡散モデルに従うと仮定し、初期準粒子が(x0,y0)で生成されたときの各素子位置での電荷出力Q(x0,y0)を計算した。

 ここで、e:電気素量、N0:初期生成準粒子数、Γt:トンネル確率、Γe:素子内で一様な実効準粒子損失、β:素子端クオリティー、A:準粒子拡散長、L:素子一辺の長さである。その結果、βが0.65、Aが70μmのとき実験結果を最も良く再現した。アルミ層を持たない素子の場合、β〜0.3、Λ〜10μmである。このことから、本素子のエネルギー分解能の劣化は、実効的な準粒子拡散長が長くなり素子端の影響に敏感になっていること、及び素子端クオリティーの低下によることが判明した。逆に素子中央部ではその影響は少なく、一辺100μmの素子の中央部にX線を入射した場合のエネルギー分解能はこれまでで最高の50eVを示した(図4)。これは素子パラメータと電子回路雑音から見積もられる値のおよそ1.6倍であり、位置依存性の影響を低減できれば設計に近い性能が得られることを確認した。

4.高計数率測定用電流パルス読み出し信号処理系の開発

 STJの超高計数率動作を可能とするための、高速電流パルス読み出し信号処理回路系を開発した(図5)。この処理系の前置増幅回路部は、広周波数帯域幅、低雑音である電流増幅器とパルストランスとを組み合わせたものである。この回路により、素子の安定な定電圧バイアス駆動、電流パルス信号の直接読み出しが可能となり、信号持続時問がμsecオーダーの電流パルスを安定に読み出すことができた。また、信号処理部は信号波高と立ち上がり時間の相関の取得が可能で、これまでの電荷感応型前置増幅器による読み出しでは不可能であった上下電極信号の明確な分離が可能となった。上下電極信号分離の一例として図6に入射X線エネルギーが2.4keVの場合の立ち上がり時間とパルス波高の2次元相関図を示す。この図で電荷出力(横軸)の小さい群は2.4keVX線によるピークでそれよりも大きいものは3次光(7.2keV)によるものである。本相関図より電流パルスの立ち上がり時間を用いることで上下超伝導体電極からの信号を明確に分離できること、電流パルスの立ち上がり時間はX線エネルギーによらず一定であることが判明した。これは一定立ち上がり時間による信号弁別をかけておけば、片方の電極での吸収イベントのみを選択的に取り出すことができることを示しており、本検出器の実用上非常に有用である。

5.電流パルス読み出しによる高計数率特性評価

 2.での素子製作基礎結果を基に、電荷出力は大きく、かつ電流パルス読み出しに最適な低インピーダンスを持つ素子を製作し、開発した電流パルス読み出し信号処理回路系と組み合わせることで提案するX線検出器を試作した。KEKの放射光を用いてその計数率に対する素子応答特性(〜500kcps)を入射X線エネルギー4keVにおいて評価した。

 本検出器を500kcpsという高計数率下で動作した場合においても、スペクトルピークシフトは観測されず本素子の低インピーダンス性の有効性を確認することができた。図7にはエネルギー分解能の計数率依存性を示す。本素子のエネルギー分解能は100kcpsで240eV(上部電極)であった。これは、本素子のクオリティーが従来素子に比べて2桁劣ることと素子の位置依存性が顕著なためであることがIV特性測定、LTSSM測定から判っており素子の改善により解決できる。一方、計数率に対するエネルギー分解能の依存性は100kcpsまでほとんど劣化せず、それ以上においては急激に劣化した。この急激な劣化は基板部分でのX線吸収により生じたフォノン信号の重畳によるものであることを計算により確認した。これは、基板と素子との間にフォノンバッファー層を積むことで低減することができ、さらに高計数率まで引き延ばすことができる。以上の結果、100kcpsという高計数率においてもエネルギー分解能の顕著な劣化なく動作することを確認することができた。

6.結言

 準粒子トラップ層を持つ素子の製作を行い、従来よりも一桁大きい電荷出力を持つ素子を製作することができた。そのエネルギー分解能の劣化要因を探るため素子内での任意のX線入射位置における素子応答が観測可能なLTSSM法を開発し、製作した素子を調べ、素子端部における準粒子損失がその主要因であることを明らかにした。さらに、本素子と高計数率動作に最適な高速・低雑音電流パルス読み出し信号処理回路と組み合わせ高計数率動作をも可能とするX線検出器を試作した。放射光を用いて本X線検出器の高計数率特性評価実験を行い、100kcpsの高計数率下においても良好に動作することを確認し、本検出器の実用可能性を検証することができた。

図1 素子構造(上)エネルギーバンド(下)

図2 電荷出力、素子クオリティー(上)、エネルギー分解能(下)のアルミ層厚さ依存性(50μm素子、Jc=100A/cm2)

図3 電荷出力、エネルギー分解能の位置

依存性(上:電荷出力・下:エネルギー分解能)

図4 中央部入射でのスペクトル(100μm素子、中央10μmに6keVX線を入射)

図5 電流パルス計測用読み出し信号処理系

図6 電流パルスライズタイムによる上下電極信号弁別

図7 開発した検出器のエネルギー分解能-計数率特性

審査要旨 要旨を表示する

 最近、高輝度放射光施設SPring8が出現して以来、X線分光学の分野では、「線源の性能に比べ、X線検出器の性能の方が劣る」という状況が続いており、検出器屋さんはやや苦しい立場にある。実際に、今までの放射線研究の歴史では、優れた検出器が新しい発見や知見をもたらしてきたと言っても過言ではない。これは、GM管、NaIシンチレーション検出器、更にはGeやSiの半導体検出器、或いはイメージング用検出器と続いてきたが、現在はこれらに続く新しい測定原理が求められているという時代にあると言えよう。このような新しい測定の原理になるであろうと期待されているものに「超伝導材を用いた放射線検出器」がある。この超伝導検出器による放射線測定原理には、この論文に紹介されているように4種類あるが、そのうちの1つ、超伝導トンネル接合型X線検出器(Supercouducting Tunnel Junction X-ray Detector,略してSTJ検出器)に関する研究が本論文の主題テーマである。

 まず第1章は序論で、本研究の背景、特に一般的な放射線検出器の歴史と、その中における超伝導放射線検出器の位置づけについて述べ、また、その詳細な種類や型について俯瞰したあとで、STJ検出器の開発状況と本論文の目的と論文構成についてまとめている。超伝導材を用いた放射線検出原理には、STJ以外にNIS型、TES-ETF型、磁気マイクロカロリメータ型があると紹介しているが、時間分解能とエネルギー分解能の点でSTJ検出器が最も有力候補としている。

 次に、第2章はSTJ検出器の説明であり、検出素子としてのSTJの構造や電流・電圧特性に続いて、X線測定原理の説明から検出システムの構成まで紹介している。素子は、2枚の100nm程のNb超伝導膜の間にnmオーダーの絶縁層をサンドイッチした構造である。ここに放射線が入射すると、超伝導膜中のクーパー対が放射線により壊れて準粒子になるが、この純粒子、すなわち電子が絶縁体中をトンネル効果で通過して、2つのNb膜中に電流信号が流れるので放射線が測定されるというものである。測定はNbを超伝導状態にするため、0.35Kまで冷却するので、3He-4Heクライオスタットを使用している。また、このNb膜には、DCジョセフソン電流が流れるので、STJ素子接合面に平行な磁場を80から200ガウス程加えておく。STJ素子の動作条件としてのバイアス電圧を0.4mV程度加えている。

 第3章では、この標準的なSTJ検出器の最適動作条件について検討しており、前置増幅器については最低の雑音条件、従って最適なJFET(ジャンクション型フィールド効果トランジスター)の選択、バイアス電圧の最適条件について、エネルギー分解能を最小にするという最適化条件から検討している。ここで、エネルギー分解能をよくするために改良すべき課題を(1)信号自身を大きくすること、(2)低雑音な信号読み出しにすること、(3)Nbの上下膜からの2つの信号を分離、補正できるようにすること、と設定し、この3つの改善課題が本論文の標的となっている。

 第4章は、前章で挙げられた課題(1)を準粒子トラップ層をつけることにより改善しようとするものである。準粒子トラップ層とは、中心の絶縁層の両側に10-30nm程の超伝導Al層を設けるもので、ここで準粒子トラップ効果により電荷出力の増大をねらうものであり、そのような素子を作って、信号自身は大幅に増大させることに成功した。ところがこの電荷出力信号が検出器の入射位置によって大幅に変化してしまい、この入射位置依存性のために結局のところエネルギー分解能の改良には至らなかった。但し、検出器中央部の入射面を中心の10μm角の領域のみに制限すると、50-60eVの半値巾(Feの5.9keVのX線の入射に対して)となり、全入射面〜200μmを使ったときよりも1/5-1/6の半値巾になっているという成果を出している。

 また上記課題(2)に対しては、読み出し回路を工夫した改善策を示し、更に、上記課題(3)の上下Nb膜信号の分離についても波形の形成過程を考慮した立ち上がり時問法により解決している。

 第5章は、総合的な検出システムとしての評価で、上記課題(1)が解決できないままであるので、エネルギー分解能はFeの5.9keVに対して200-300eVになったが、計数率は100kcpsでも可能という良好な成果を示した。

 第6章は全体としての結論と今後の課題をまとめており、上述したような成果以外に、上記課題(1)を解決するため、再度STJ素子自身の作成法を検討することとしている。

 以上のように、本論文は、超伝導検出器、特にSTJ検出器の開発を通じてX線測定器の開発、更には量子ビーム工学全体に寄与するところが少なくない。

よって本論文は、博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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