学位論文要旨



No 116128
著者(漢字) 呂,広宏
著者(英字)
著者(カナ) ロ,コウコウ
標題(和) 第一原理電子論によるAl粒界構造と物性の研究
標題(洋)
報告番号 116128
報告番号 甲16128
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4965号
研究科 工学系研究科
専攻 材料学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山本,良一
 東京大学 教授 菅野,幹宏
 東京大学 教授 七尾,進
 東京大学 助教授 渡邉,聡
 東京大学 助教授 幾原,雄一
内容要旨 要旨を表示する

 高純度Alの入手が可能になったことと、極微量分析技術が発展したことからこれまで検討が困難とされていたNa,Ca,Sなど各種の微量元素におけるAl合金の粒界破壊現象について多くの実験がなされるようになった。Ga,Siが不純物としてAl粒界を破壊させるという報告もある。しかし、これらの不純物による粒界脆化について詳しい理論的な研究は少ない。粒界脆化の機構の解明には電子論的な考察が必要である。

 不純物原子の偏析による粒界脆化のメカニズムについて大きく二通りの説が提案されている。第一は不純物原子の偏析による周囲の金属間結合あるいは界面そのものの結合が弱まるとする「decohesionモデル」であり、第二は不純物偏析により界面の構造や結合性、原子の動きやすさが変化し、界面での転位の生成や移動が困難になるという説の「bond mobilityモデル」である。

 本研究の目的は金属および非金属不純物が偏析したAl粒界構造を第一原理分子動力学法によって計算し、電子構造的に粒界偏析が粒界破壊に及ぼす影響を比較し考察する。さらに、Naの偏析がある場合とない場合のAl粒界の「第一原理引張試験」を行い、粒界面の最大応力を計算し、ボンドが切断される様子を電子の動きまで掘り下げて調べる。

 本研究の計算方法は第一原理分子動力学法(FPMD)である。第一原理分子動力学法は原子の動きの度毎に電子系についての密度汎関数理論(DFT)と、局所密度近似(LDA)に基づく第一原理擬ポテンシャル法バンド計算を、高速、高効率且つ少ないメモリで実行する計算技術であり、電子構造計算を高効率化するテクニックと、平面波基底数を減らすような効率的なポテンシャルを構築して用いるテクニックとからなる。大規模構造や金属的な系を計算できる。共役勾配法(金属に対してBKL法)や高速フーリエ変換などの新たな高速技法が多く用いられる。「第一原理引張試験」はDFT-LDA理論に基づいてNielsen-Martin法を使って、システムの平均応力を計算する「引張試験のコンピュータシミュレーション」である。経験的なパラメータを一切導入しないため、第一原理動力学法は良い精度で精密に材料の電子構造と原子構造を計算できる。

 作成した擬ポテンシャルはNa,Ca,Ga,SiがHSC型、Al,SがTM型である。また、Na,Ca,Gaの場合に、交換相関ポテンシャルでの内殻電子と価電子の相互作用の問題があるため、core correction効果を考慮した。擬ポテンシャルから計算した格子定数は実験値とよく合っており、作成した擬ポテンシャルは良好なものであると言える。

 本研究の結晶粒界スーパーセルはΣ9(221)/[110]傾角粒界であり、Al原子数は84個である。偏析した不純物原子は結晶粒界でのAl原子を置換する。計算したAl粒界の緩和構造はHRTEMの結果と良く一致している。粒界において、原子同士の間で金属結合によるボンドを形成していることが価電子密度と局所状態密度の結果から判る。

Na,Caの偏析したAl粒界構造

 4原子置換した場合のNa,Caの偏析エネルギーはそれぞれ0.14eV、1.63eVである。Na,Caの偏析した場合の全エネルギーが低いため、Na,Caの偏析したAl粒界構造は安定であると考えられる。不純物Na,Ca原子はAl粒界に偏析すると、Al粒界が膨張し、不純物(NaあるいはCa)周囲および粒界面に沿うAl-Al原子間およびAl-不純物原子間の価電子密度が大幅に減少する(図1)。低価電子密度の領域は全粒界面に広がる。価電子密度の減少した原因は以下のように考えられる。まず、Al原子が3個の価電子を持つのに対しNa原子は1個、Ca原子は2個の価電子を持つ。価電子数の差異は、Na,Caの偏析したAl粒界での価電子密度の低下の主な原因であると考えられる。そして、Naの偏析によりAl粒界が膨張するため、さらに粒界での価電子密度が減少する。

 粒界付近の局所状態密度の結果により、純Al粒界、Al-Na系、Al-Ca系はいずれも金属自由電子の特徴をもっている。粒界で共有結合やイオン結合のような強い結合が存在していないことが判る。

 不順物偏析により、価電子密度が大幅に減少するため、界面の結合強度(adhesion)が大きく弱まると考えられる。結合が弱い領域は、応力が加わったとき、クラック源あるいはクラック伝播の優先経路になり、Na,Ca偏析によってAl粒界破壊の原因になると考えられる(図5a)。

Al粒界の第一原理引張試験

 以上の計算における研究では静的なモデルしか扱っていないために議論が不十分である。そこで、応力下におけるAl結晶粒界の原子配置と電子構造変化を計算し、Naの偏析がある場合とない場合のAl粒界の「第一原理引張試験」を行った。応力-ひずみの関係により(図2)、純Al粒界の場合には、ひずみが31%で最大応力は9.9GPaであり、Naの偏析した場合には、ひずみが25%で最大応力は9.3GPaである。Naの偏析した場合の応力は純Al粒界に比べて少し低くなり、純Al粒界より先に最大応力に達したことが判る。そこで、Naが偏析した場合の塑性仕事は純Al粒界の場合より小さいと推測でき。

 Ganeらが行ったAl繊維のベンディング試験による最大応力2.25GPa、及び実際の場合の多結晶Alの標準サンプルの引張強さ0.05GPaと比べると、本計算のAl粒界の最大応力(9.9GPa)は非常に高い。これは本計算では転位などの欠陥を考えていないためであると考えられる。実際の場合には転位などの欠陥が存在する。一般にクラックは欠陥などの弱いところで発生するはずであるため、破壊に必要な応力はかなり低い。

 ひずみの増加にともなう価電子密度とボンド長の変化の結果により、純Al粒界の場合には粒界でのAl-Alボンドのみが切れることが判る。これに対して、Na原子の偏析したことにより、Al粒界でAl-Naボンドの結合強度(adhesion)が低くなるため、Naの偏析した場合はNa周辺のAl-Naボンドは全て切れることが判る。

Gaの偏析したAl粒界構造

 GaはAl粒界を極端に脆化させる元素である。価電子密度分布の結果によってGa近傍の価電子密度が増加し、価電子がGa近傍に集まることが判る。Ga原子の隣のAl原子の価電子はGa原子へ移動すると言える。Ga原子が3d殻(3d10)を持つため、Ga原子の4sと4p電子はAl原子の場合より強く束縛されている。これは同じ3個の価電子を持つが、価電子がAl原子からGa原子へ移動する原因であろうと考えられる。

 価電子はGa原子の近傍に集まる結果、隣のAl原子の間の価電子密度が低くなり、その結合強度(adhesion)が弱くなる可能性がある(図5b)。

Si,Sの偏析したAl粒界構造

 Siの偏析により、Si原子付近のAl原子がSi原子に近づく方向に移動したため、粒界体積が減少する。また、価電子密度分布の結果(図4)により、不純物Si原子ととなりのAl原子の間の価電子密度が非常に高くなり、その分布には方向性があることが判る。Siは典型的な共有結合の元素であるため、粒界のSi-Al原子間で共有結合と金属結合の混合的なボンドが形成されると考えられる。そのボンドの重心はSi原子側に傾く。Al-Si原子間の結合に共有結合の成分が増加するため、Al-Si原子間のボンドは動きにくくなる。応力が加わったとき、界面で転位の生成や移動が困難になり、応力集中が起きやすくなり、粒界破壊の原因となると考えられる(図5c)。「bond mobility」モデルと一致すると考えられる。

 Sの偏析により、S原子周囲にレベルFのAl原子はS原子に近づく方向に移動する。その原子間の価電子密度(図4)が非常に高くなり、強い共有-金属の混合的な結合が形成されると考えられる。これに反して、S原子とレベルHのAl原子との間の距離が長くなり、価電子密度が低くなり、そのAl-Sボンドの結合強度が弱まる可能性がある。そこでSの場合に、粒界でのAl-Sボンドが強くなる場合と弱くなる場合がともに考えられる。応力が加わったとき、「bond decohesionモデル」と「bond mobilityモデル」はともに働く可能性がある(図5d)。

 以上のように、周期表における異なるグループの元素の偏析と、Al粒界の破壊メカニズムは様々である(図5)。第I,IIグループのNa,CaではAl粒界で価電子密度が大幅に減少するため、破壊のメカニズムは「decohesionモデル」の一種であると考えられる。Naの偏析したAl粒界の「第一原理引張試験」の結果はさらにこの結論を支持する。第IIIグループのGaは「decohesionモデル」の可能性がある。第IVグループのSiでは粒界のAl-Si原子間で強い金属結合-共有結合の混合的なボンドが形成されるため、「bond mobilityモデル」であると考えられる。第VIグループのSは「decohesionモデル」、「bond mobilityモデル」あるいは2つのモデルがともに働くであろうと考えられる。

 本研究では第一原理分子動力学法により、初めて周期表における異なるグループ(I,II,III,IV,VI)の元素の偏析がAl粒界に及ぼす影響について調べ、比較した。電子構造の観点から不純物の偏析によるAl粒界の破壊メカニズムを提案した。また、Naの偏析がある場合とない場合の「Al粒界の第一原理引張試験」を初めて行った。「最大応力」と「ヤング率」を計算し、ボンドが切断する様子を電子の動きまで掘り下げて調べた。第一原理分子動力学法による「Al粒界の引張変形のコンピュータシミュレーション」を行って粒界脆化メカニズムの解明を試みた研究例はないため本研究は独創的であると言える。

図1 Na,Caの偏析したAl粒界の価電子密度分布(a)純Al粒界 (b)Na偏析 (c)Ca偏析。等高線の間隔は0.004/a.u.3である。[110]と[001]は粒界に構成した元のfcc-Al結晶粒の結晶軸方向である。

図2 Naの偏析がある場合とない場合のAl粒界のxx方向の応力とひずみの関係。丸:Na偏析なし 三角:Naの偏析あり

図3 Gaの偏析したAl粒界の価電子密度(図中の記号は図1と同じ)

図4 Si,Sの偏析したAl粒界の価電子密度分布 (図中の記号は図1と同じ)(a)Si(b)S

図5  不純物の偏析によるAl粒界の破壊メカニズム

(a)Na,Ca (b)Ga (c)Si (d)S

審査要旨 要旨を表示する

 高純度Alの入手が可能になったこと、極微量分析技術が発展したことなどから、これまで検討が困難とされていたNa,Ca,Sなど各種の微量元素によるAl合金の粒界破壊現象について多くの実験がなされるようになった。しかし、これらの不純物による粒界脆化について詳しい理論的な研究はなされていない。粒界脆化の機構の理論的解明には電子論的な考察が必要である。本研究では、電子構造の観点から周期表における異なるグループの元素の偏析がAl粒界破壊に及ぼす影響が系統的に検討され、粒界破壊の微視的メカニズムをが考察されている。

 論文は全8章から成っている。

 第1章では、コンピュータシミュレーションの発展の歴史を概観し、金属の粒界偏析・脆化に関する最新の実験結果と理論的研究の現状および問題点を述べている。また、従来の粒界偏析による脆化メカニズムがまとめられている。不純物原子の偏析による粒界脆化のメカニズムについては大きく二通りの説が提案されている。第一は不純物原子の偏析による周囲の金属間結合、あるいは界面そのものの結合が弱まるとする「decohesionモデル」であり、第二は不純物偏析により界面の構造や結合性、原子の動きやすさが変化し、界面での転位の生成や移動が困難になるという「bond mobilityモデル」である。

 第2章では、計算方法に関して詳細に説明している。採用され第一原理分子動力学法は原子の動きの度毎に電子系についての密度汎関数理論と、局所密度近似に基づく第一原理擬ポテンシャル法バンド計算を、高速、高効率且つ少ないメモリで実行する計算技法である。

 第3章では、擬ポテンシャルの具体的な計算方法を説明し、また、AlΣ9(221)/[110]傾角粒界構造を計算して、実験より得られた粒界原子配列と比較している。

 第4章では、Na,Caが偏析したAl粒界の構造について述べている。不純物Na,Ca原子はAl粒界に偏析するとAl粒界が膨張し、不純物周囲および粒界面に沿うAl-Al原子間、およびAl-不純物原子間の価電子密度が大幅に減少することが判った。このため、界面の結合が大きく弱まると考えられる。結合が弱い領域は、応力が加わった場合クラック源あるいはクラック伝播の優先経路になり、Al粒界破壊の原因になると考えられる。

 第5章では、Naの偏析がある場合とない場合のAl粒界の「第一原理引張試験」のシミュレーションについて述べている。応力-ひずみの関係により、純Al粒界の場合には、ひずみが28%で最大応力は9.9GPaであり、Naの偏析した場合には、ひずみが20%で最大応力は9.3GPaである。Naの偏析した場合の応力は純Al粒界に比べて低くなることが判った。これは第4章での「Na偏析によるAl粒界の破壊メカニズムはdecohesionモデルの一種である」という結論をさらに支持するものとなった。

 第6章では、Gaの偏析したAl粒界構造について論じている。価電子がGa近傍に集まった結果、Al-Ga原子間の価電子密度は減少したため、Al-Ga間の結合が弱化した。液体GaによるAlの粒界脆化も、「decohesionモデル」の一種ではないかと結論されている。

 第7章では、Si,Sの偏析したAl粒界構造について述べている。

 siの粒界偏析により、不純物si原子と隣のAl原子の間の価電子密度が非常に高くなり、共有結合と金属結合の混合的なボンドが形成された。このため、Al-Si原子間のボンドは動きにくくなり、応力が加わった場合、界面で転位の生成や移動が困難になり、粒界破壊の原因となると考えられる。したがって、「bond mobility」モデルと一致すると結論されている。

 Sの粒界偏析により、S原子の周囲でAl原子との間の価電子密度が非常に高くなり、強い共有結合-金属結合の混合的なボンドが形成されるが、別のAl原子との間の価電子密度は低くなり、その結合が弱化している可能性がある。この場合は、「decohesionモデル」と「bond mobilityモデル」はともに働く可能性があると結論している。

 第8章では論文の結果を総括している。

 本研究は第一原理分子動力学法により、周期表における異なるグループ(I,II,III,IV,VI)の元素の偏析がAl粒界の原子間結合に及ぼす影響について詳細に検討したものである。また、Naの偏析がある場合とない場合の「Al粒界の第一原理引張試験」を行い、不純物偏析によるAl粒界脆化メカニズムの電子論的な解明を試みたものであって材料工学に対する寄与はきわめて大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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