学位論文要旨



No 116138
著者(漢字) 崔,隆基
著者(英字)
著者(カナ) チェー,ユンキ
標題(和) 多参照摂動論の開発と分子の基底および励起状態への応用
標題(洋) Development and Application of Perturbation Theory for Ground and Excited States of Molecules
報告番号 116138
報告番号 甲16138
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4975号
研究科 工学系研究科
専攻 応用化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 平尾,公彦
 東京大学 教授 山下,晃一
 東京大学 教授 相田,卓三
 東京大学 教授 山口,由岐夫
 東京大学 講師 中野,晴之
内容要旨 要旨を表示する

 量子化学の分野では大きく二種類の研究がある。一つ目は既存の開発済みの方法論を用いて、実際の化学の問題を解く応用研究である。これは主に実験結果の解釈、また実験で見抜けなかった現象を理論的に究明し、化学現象を解明したり、予測することである。もう一つは、より深い理解を得るために新しい有法論を開発することである。これは物理的に妥当と考えられる近似を用いて、数理物理的に方程式を導きプログラムを作成、実際の化学系に応用しその理論の長所と短所を評価することである。

 本論分は大きく三つのテーマで構成されている.一つは鉄ポルフィリンの基底状態の電子構造に関する理論的研究である。これは既存の量子化学の方法論を用いて、化学者の間で長い間議論の対象であった鉄ポルフィリンの電子状態に関する研究である。これは応用研究であり、実際の化学の問題を量子化学の手法を用いて解こうとする試みである。もう一つは、Diagrammatic complete active space perturbation theoryの開発及び励起状態への応用である。これは新しい理論の開発及びその性能の評価に関する研究である。最後のトピックは多配置摂動論で問題になっているintruder stateに関する研究を扱う。

 非常に高精度なab initio計算の結果、鉄ポルフィリンの基底状態は5A1g状態がもっとも安定な状態であることを明らかにした。これは過去の磁気モーメントの実験結果を支持する。D-CASPT2法の化学の問題への適用可能性を探るためにC2,H2O,CO,formamideの励起状態を計算した。C2,H2O,CO,formamide関する平均誤差は1eV程度であり非常にいい与えを出している。また計算速度をMRMP法と比べたところ、計算速度が格段に速くなっていることが分かった。したがってこの方法はより大きな系や生体分子系などへの応用が期待される。最後にintruder stateに関する分析を行った。分析の結果N2の場合は約0.5eV,COは0.1eVがintruder stateによって引き起こされるエラーであることが分かった。Intruder stateの影響を取り除く方法として過去にRoosらによって提案されたlevel-shift法と異なり、intruder stateのみをシフトさせる新しい方法を提案した。

 本研究はヘム蛋白質の活性化サイトに関する研究の最初のステップである。本研究で明かされた鉄ポルフィリンの電子構造に関する詳細は様々な生体反応に関与するこのユニットを理解するのに貢献したと思われる。ここで得られた知識をもとに、ポルフィリンを含む分子系の電子構造および反応性はより深いレベルで理解が期待できる。第四章で述べたD-CASPT2法はこれらの分子系を高速に計算しようとする試みの一つである。最後にintruder stateの問題に関した議論した。生体分子系など巨大な系では活性化軌道を十分に取り入れることが難しく、基底状態でもintruder stateの問題が生じる可能性がある。従って本研究で提案された方法を利用すれば生体系分子もintruder state影響を受けず計算することが可能であり、MRMP法をよりたくさんの系に適用することが可能である。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は「Development and Application of Perturbation Theory for Ground and Excited States of Molecules(多参照摂動論の開発と分子の基底及び励起状態への応用)」と題し、多参照摂動論の開発とその分子の基底及び励起状態への応用に関する研究をまとめたもので全6章から構成されている。第2、第3章は理論化学の既存の方法論を用いて長い間議論の対象であった鉄ポルフィリンの電子状態を解明した研究である。第4章のDiagrammaticcomplete active space perturbation theoryの開発および第5章の多配置摂動論におけるintruder stateに関する研究は新しい理論の開発及びその理論の評価に関する研究である。

 第1章は序論であり、研究の背景および研究目的が述べられている。

 第2章および第3章では鉄ポルフィリンの基底状態の電子構造に関する理論的研究が述べられている。鉄ポルフィリンは様々な生化学反応に関与する重要な化合物であるにもかかわらず、不明な部分が多く基底状態の電子構造についても結論がでていない。過去の実験結果では磁気モーメントの結果は5重項を、分光学による実験は3重項を支持している。本研究は理論計算により鉄ポルフィリンの基底状態の電子構造を詳細に研究したものである。鉄ポルフィンの分子構造はD4h対称性であり、5重項から3重項になることでFe-Nの結合距離が短くなる。5重項はdx2-y2に1個電子が占有されて状態であり、このことが分子の構造に大きな影響を与えていることを見いだしている。またポルフィリンのπ軌道と鉄のd軌道との相互作用は大きくないことを数値計算から示している。ab initio計算の結果、5Alg状態がもっとも安定な状態であると結論している。これは磁気モーメントの実験結果を支持するものである。なお、この系では相対論効果はほとんど無視できることも明らかにしている。

 第4章はDiagrammatic complete active space perturbation theory(D-CASPT2)法の開発及び励起状態への応用の研究をまとめたものである。おもな高精度分子理論としてはMultireference configuration intereaction(MRCI)法とCoupled-Cluster singles,doubles,(triples)(CCSD(T))法である。しかしMRCI法は計算負荷が多いため小さい系にしか応用できず、CCSD(T)法は比較的大きい分子にも適用できるものの、平衡構造付近の分子でなければ妥当な結果を与えない。Multireference MΦller-Plesset(MRMP)法は比較的低コストで相関エネルギーを見積もりポテンシャル曲面の全領域で適応可能であり、さまざまな化学の問題に応用されてきた。D-CASPT2法はMRMP法の長所を生かし、かつエネルギーをより高速に見積ることを目的として開発された理論である。本研究ではD-CASPT2法をさまざまな分子の励起状態に応用してその有用性を検証している。計算精度を損なうことなく、MRMPと比べ計算速度が格段に速い。この方法はより大きな系や生体分子系などへの応用が期待されている。

 第5章はMRMP法におけるintruder stateの問題に関する研究である。MRMPのようなstate-specific typeの多参照摂動論において問題となっているintruder stateの解決法が具体的に提案されている。つまり摂動論におけるintruder state問題を定義し、いかにすればその問題を解決しうるかを述べ、実際の例(N2、CO分子)をもとにintruder stateの電子状態を究明し、intruder stateのみを除去あるいはシフトさせる新しい方法を提案している。本理論により多参照摂動法にあらわれるintruder state問題を一部、解決できることを示したものでその有用性は高い。

 第6章は結論であり、同時に将来の展望がまとめられている。

 以上のように本論文は、理論研究により鉄ポルフィリンの電子構造に関する新しい知見を提供し、理論的方法論である多参照摂動理論の課題を解決したもので、理論化学、分子工学に貢献するところが大きい。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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