No | 116141 | |
著者(漢字) | 大脇,創 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | オオワキ,ツクル | |
標題(和) | 電極表面における吸着構造と電子移動に関する理論的研究 | |
標題(洋) | Theoretical Studies on the Adsorption and Charge Transfer at Electrode Surfaces | |
報告番号 | 116141 | |
報告番号 | 甲16141 | |
学位授与日 | 2001.03.29 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(工学) | |
学位記番号 | 博工第4978号 | |
研究科 | 工学系研究科 | |
専攻 | 化学システム工学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | <目的> 電極表面と電解質溶液の界面における現象は、最近では走査型トンネル顕微鏡(STM)や低速電子線回折(LEED)といった手法によって、原子・分子レベルでのアプローチができるようになりつつある。また、近年の電気化学は電極表面の構造・機能設計を原子・分子レベルで精密に行なう段階に到っており、今後電気化学はよりミクロスコピックな方向へ大いに発展していくと考えられる。しかし、そうした方向の研究に不可欠な情報、例えば吸着子の振動状態、電極表面と吸着子の相互作用、電子移動過程等、より微視的な情報を実験的に得る事は未だ困難が多いのが現状であり、電気化学に対する原子・分子レベルでの理解には理論計算が不可欠である。 そこで我々は、電極表面上の吸着構造や電子状態を第一原理計算で決定し、それらのデータに基づいた理論的アプローチによって電子移動過程や相互作用エネルギー等に関するより詳しい解析を行ない、電気化学に対する分子レベルでの理解を目指した。 <方法> 本研究では、各電極表面を有限サイズのクラスターでモデル化し、そのクラスターと吸着子との相互作用系における電子状態を密度汎関数法(DFT;B3LYPレベル)を用いて計算した。基底関数に関しては、金属電極モデルではLanL2DZ、炭化水素系電極モデルでは6-31Gを用いた。軌道相互作用の観点から相互作用を解析するために、Natural Bond Orbital(NBO)解析を行った。電場の効果は、ハミルトニアンに一電子演算子を導入する事で考慮した。電場の方向は電子が受ける力の方向とし、表面から吸着子の方向を正(EF>0:カソード)とした。また、電場の強さは0.01a.u.(5.14×109V/m)とした。 <結果と考察> 1.Pt(111)及び(100)電極表面におけるH2O及び(H2O)2の吸着構造 電極表面構造とその表面近傍における電解質溶液の構造との相関は、電気化学の研究の中で基礎的かつ重要な問題である。本研究では,そのうちの一つであるPt(111)及び(100)電極表面とH2O及び(H2O)2との相互作用について検討した。 まず、H2O分子-Pt表面における相互作用を一点計算で検討した結果、最大の相互作用エネルギーを示す吸着構造は、電場の方向や有無に関係なく水分子平面が表面に対して水平かつTopサイト吸着した場合であることがわかった。これは、水平-Topサイト吸着構造では、水分子上にある2つのlone pairのうち、よりエネルギーレベルが高い方(LP2)がPtの6s軌道と強く相互作用していることに起因することがNBO解析で解った(図1)。 更に,水分子の吸着構造を構造最適化計算で求めた結果、EF<0とEF=0の場合では、LP2が表面との相互作用において支配的であるのに対し、EF>0の場合では、水分子の双極子モーメントと電場との静電的相互作用がLP2と表面との相互作用を凌駕していることがわかった(図3)。また、それぞれの構造での振動状態をGF行列法で解析したところ、水分子は吸着によってO-H結合の振動定数は減少し、またH-O-H角の振動定数は電場の影響を受けて変化した水分子の構造を反映することが解った(表1)。 (H2O)2の吸着に関しては、ダイマー中の水素結合が気相中の構造と比較して弱くなる傾向が見出された(図4)。これはPt表面の相互作用を通じて水分子(2)が正に帯電し、それによってダイマー内の静電反発が強くなったためであることが解った。 2.Pt(111)及びAg(111)電極表面近傍におけるプロトン移動過程 電極表面近傍におけるプロトン移動過程は最も基本的でかつ重要な電気化学反応の一つである。その機構については幾つものモデルが提案されているが、最近では、Schmicklerらによって“shuttle waterモデル”が提唱されている。これは、H3O+に溶媒和した水分子(shuttle water)の配向変化が一連の過程の律速段階である、とするモデルであり(図5)、Schmicklerらはモンテカルロ法による水分子群の電極表面近傍での熱運動を解析した結果に基づいてこの機構を提案した。本研究では、この過程の各段階でのエネルギー変化をDFTで計算し、この“shuttle waterモデル”を検証した。 本研究では、図5に示すようなモデルを用い、H1-O2及びH2-表面間距離を変化させてEF=0とEF>0のそれぞれの場合についてのポテンシャル曲面を求めた。 エネルギーダイヤグラムを図6に示す。ここでS1は[H30+…H2O…Pt表面]、S2は[H2O…H30+…Pt表面]、S3は[H2O…H2O…H+-Pt表面]、TS1とTS2はそれぞれS1-S2、S2-S3間の遷移状態とする。図5によると、電場は一連のプロトン移動を効果的に促進していることがわかる。このプロトン移動過程は二段階反応であることもこの結果は示しているが、実際には周辺溶媒分子の熱運動によってこの反応系のエネルギー緩和は小さいので、プロトンはS2に捕捉されることなく、S1から直接TS2のエネルギー障壁(1.8kcal/mol)を越えてS3に到ると考えられる。ところで、用いたモデル中での“shuttle water”がH-down配向から図4に示す配向へ変化する際のエネルギー変化量は4,8kcal/molであり、このことから一連のプロトン移動過程の律速段階は、“shuttle water”の配向変化過程であると考えられる(Ag電極表面の場合も同様)。 3.炭化水素系電極-H+間における電子移動 ホウ素をドープしたダイヤモンドは、その高電気伝導性や広い電位窓、低残余電流という特徴から、優れた電極として注目されているが、基本的特性の発現機構に関する理論的追求の余地は残されているといえる。本研究では、まずダイヤモンド表面(DS)とグラファイト表面(GS)をクラスターでモデル化し(図7)、表面一吸着子(H+)相互作用系の電子状態と電場の影響を、DFTで決定した。更に表面-H+間における電子移動過程についてより詳細に検討するために、Anderson-Newns Hamiltonian(ANH)解析を行なった。このANHは、調和振動子近似で表わされた溶媒分子の熱運動によって起きる吸着子-表面間電子移動を扱うモデルハミルトニアンであり、吸着子の電子状態密度(DOS)に基づいて,吸着子上の電子数<n>を溶媒熱運動座標Qの関数として求めることが出来る(Q-<n>曲線)。尚、この解析に必要な吸着子-表面間のカップリングコンスタントは、NBO解析で求めた重なり積分を用い、Wolfsberg-Helmholz近似に基づいて計算した。 DOSについては、主にGSの場合は表面のπc-c軌道との相互作用、DSの場合は表面のδC-H軌道との相互作用にそれぞれ起因するピークが現れている。その電場によるシフトの幅はDS<GSであった(図8)。電場によるQ-<n>曲線の臨界点シフトの幅は、DOSのシフト傾向を反映して、DS<GSであった(図9)。すなわちDSの場合では、それだけ電子移動を起こすまでに高いバイアスを印可する必要があることに対応する。このシフト幅は、軌道相互作用理論に基づく考察によると、H+-表面間相互作用の最安定点での両者の重なり積分がGSと比較して小さいことに起因していることが解った。本研究では、ダイヤモンド電極の広い電位窓(高過電圧)と吸着子-DS間の弱い相互作用との関連を解明した。 4.Pd超薄膜被覆Au電極の電子構造 近年、原子1個分の厚さのPd超薄膜(monolayer)に被覆されたAu電極(Pd-Au電極)の生成がUosakiらによって報告された。このmonolayer中のPd-Pd原子間距離は、下地Auと同じ2.88Å(通常は2.75Å)をとる。また、この究極的な薄さによってPdの電子構造は、下地Auの強い影響を受けることも考えられ、このPd-Au電極は新しい機能性電極としての期待が持たれている。本研究では、図10に示すようなモデルクラスターを用いて、単結晶の場合とAu上超薄膜の場合のPd表面における電子構造上の違いを検討し、また、2つのモデル表面とCO分子の相互作用エネルギーも比較することで、このPd-Au電極の機能性について考察した。 DFT計算によると、Pd単結晶モデルと比較して、Pd-Auモデルのmonolayer部分の電子数は、(111)及び(100)表面の場合にそれぞれ減少、増加の傾向を示した。更に各モデルのsoftnessは、表面の原子間距離の影響を大きく受けることが解った。 各モデルの表面における原子軌道エネルギー準位を図11に示した。それによると、Pd5s軌道はmonolayerにすることで大きく正の方向にシフトしている。ところでNBO解析によると、PdとCOとの相互作用は、CのLPからPdの5s軌道へのドナー・アクセプター相互作用が支配的であるので、Pd monolayerの5s軌道のエネルギー準位シフトはPd表面とCOの相互作用を弱めることが予想された(図12)。そこで、各モデル表面とCOの相互作用ポテンシャルを求めた結果、monolayerによるCOとの相互作用の減少が確認でき、Pd-Au電極の特性として、耐CO被毒性の向上が予測された(図13)。 <総括> 本研究では、幾つかの電極表面近傍における電気化学現象や電極表面の特性を分子論的立場から検討するために、表面クラスターモデルと一電子演算子近似を用いて電極表面をモデル化し、各系の電子状態を、DFTを用いて計算した。反応種-表面問の相互作用や表面物性を微視的に解析できるという、クラスターモデルの利点を生かし、これまで「化学的直感」で説明されてきた諸現象に対して、より詳細な考察を与えることが出来た。このような手法の研究は、電極表面の構造や機能設計を原子・分子レベルで精密に行なう段階に入りつつある近年の電気化学に有用な見地を与え得ると考えられる。 図1.水分子とPt表面モデルクラスターとの相互作用ポテンシャル:(a)各配向での相互作用ポテンシャル(EF=0);(b)各吸着サイトにおける相互作用ポテンシャル(parallel配向,EF=0). 図2.NBO解析による水分子とPt表面モデルクラスターとの相互作用:(a)水分子のlone pair;(b)水分子のlone pairとPt表面6s軌道との相互作用ダイヤグラム. 図3.水分子の吸着配向:∠αは水分子平面と表面との角度. 表1.Pt表面モデルクラスターに吸着した水分子の振動状態およびその電場の影響. 表2.Pt表面モデルクラスターに吸着した水分子ダイマー(図4)における各構造パラメータ. 図4.Ptクラスターに吸着した水分子ダイマーの最適化構造. 図5.H+(H2O)2/Pt(111)表面系のプロトン移動モデル 図6.H2O-H2O-Pt(111)間におけるプロトン移動のエネルギーダイヤグラム:括弧内の数値はS1を基準にした相対エネルギー値(kcal/mol). 図7.炭化水素系電極のクラスターモデル:(a)ダイヤモンド電極;(b)グラファイト電極). 図8.プロトンDOSの電場依存性:(a)ダイヤモンド電極モデル;(b)グラファイト電極モデル. 図9.Q-<n>曲線の電場依存性:(a)ダイヤモンド電極モデル;(b)グラファイト電極モデル. 図10.クラスターモデル:(a)Pd単結晶電極モデル(Pd-Pd=2.75Å);(b)Pd超薄膜被覆Au電極(Au-Au=2.88Å,Pd-Pd=2.88Å(real model),2.75Å(imaginary model)). 図11.各モデルの表面における原子軌道エネルギー準位;(a)Pd-Au(imaginary)電極モデル;(b)Pd-Au(real)電極モデル;(c)Pd電極モデル;(d)Pd原子 図12.CO分子と各表面モデルとの軌道相互作用ダイヤグラム. 図13.CO分子と各表面モデルとの軌道相互作用ポテンシャル. | |
審査要旨 | 電極表面と電解質溶液の界面における種々の物理化学的現象の研究について、最近では走査型トンネル顕微鏡や低速電子線回折といった実験手法によって、原子・分子レベルでのアプローチができるようになりつつある。また、近年の電気化学は電極表面の構造・機能設計を原子・分子レベルで精密に行なう段階に到っている。そうした方向の研究に必要な微視的情報、例えば吸着子の振動状態、電極表面と吸着子の相互作用、電子移動過程等を得るには、原子・分子レベルでの理解には理論計算が不可欠である。本論文は、「Theoretical Studies on the Adsorption and Charge Transfer at Electrode Surface(電極表面における吸着構造と電子移動に関する理論的研究)」と題し、量子化学計算に基づいた電極表面上の吸着構造や電子状態についての理論的研究をまとめたものであり、7章からなっている。 第1章は、近年の電気化学の新たな展開として、分子レベルでの現象の解析や電極表面デザインが行われつつあることを紹介し、電気化学における分子論的アプローチの必要性を述べている。また、電気化学を対象とした過去の理論的研究を紹介し、それらの利点および問題点について考察した上で、本研究の位置付けについて述べている。 第2章は、本研究で用いられた手法について述べている。電極表面のモデルとして有限サイズのクラスターを採用し、電極表面に特有の電場効果については一電子演算子近似の形で電子ハミルトニアンに取り入れ、密度汎関数法(DFT)を用いて系の電子状態を非経験的に計算している。また、自然結合軌道(NBO)解析法を用い、表面と吸着子の軌道相互作用に関するより詳しい解析が行われている。 第3章は、水分子およびその二量体のPt電極表面への吸着状態についての理論的研究について述べている。金属電極表面と水との吸着相互作用を分子レベルで解明しようとする実験が幾つか報告されているが、本研究では量子化学計算に基づいてPt電極表面と水分子およびその二量体の吸着構造、振動状態についての解析を行なっている。水分子は非共有電子対を通じてPt電極表面に吸着していることを定量的に説明し、水分子の吸着構造および振動状態が軌道相互作用や電場によってどのように支配されているかが考察されている。また、水分子の二量体のPt電極表面への吸着構造を構造最適化計算によって予測し、既に報告されている実験結果の妥当性について言及している。 第4章は、PtおよびAg電極表面近傍におけるプロトン移動の理論的研究について述べている。電極表面近傍におけるプロトン移動は、基礎電気化学における重要な問題の一つであり、これまでに様々なモデルが提唱されている。本研究では、ヒドロニウムイオンに溶媒和した水分子の再配向によって起こるプロトン移動モデルを、DFT計算によって検証している。このモデルの各素反応過程におけるエネルギー変化とその電場による影響を検討した結果、プロトン移動の律速段階がヒドロニウムイオンに溶媒和した水分子の配向変化であり、またそのプロトン移動過程は電場によって効率的に促進されており、これらの点からこのモデルの妥当性が結論付けられている。 第5章は、ダイヤモンドおよびグラファイト電極と吸着子プロトンの間における電子移動に関する理論的研究について述べている。ボロンをドープしたダイヤモンドは、他の電極と比較して非常に広い電位窓と低い残余電流を有することが知られている。本研究では、DFT計算、NBO解析および溶媒分子の熱運動が電子移動に与える影響を考慮したハミルトニアンを用いて、各電極-吸着子プロトンの間における電子移動を考察することにより、ダイヤモンド電極の特徴の発現機構に関する考察が行なわれている。プロトン1s軌道の状態密度および電子数変化の電場に対する応答性が、両電極でどのように異なるのかを明らかにし、その応答性の差が、最安定点におけるプロトンと電極表面との軌道の重なり積分の違いによって現れることが述べられている。また、溶媒熱運動に対するプロトン1s軌道の電子数の依存性に基づいて、各電極の電位窓および残余電流の違いを理論的に明らかにしている。 第6章は、Pd超薄膜被覆Au電極の電子構造に関する理論的研究について述べている。このPd超薄膜中のPd-Pd原子間距離は、下地Auと同じ値をとることが実験的に知られている。また、一方Pdの電子構造は下地Auの強い影響を受けることが考えられ、この電極の新しい機能性が期待されている。本研究では、単結晶Pd電極とPd超薄膜被覆Au電極の、表面における電子構造の違いを明らかにし、Pd超薄膜被覆Au電極の特性を検討している。Pd超薄膜被覆Au電極では、下地Auの影響によってPd超薄膜における53軌道のエネルギーレベルが特異的に上昇していることを、NBO解析によって明らかにしている。更に、その影響によってCO分子とPd超薄膜被覆Au電極表面との相互作用エネルギーが、単結晶Pd電極の場合と比較して大幅に減少していることを見出し、下地Auが表面電子状態に与える影響によってPd超薄膜被覆Au電極が高い対CO被毒性を有する可能性を理論的に示唆している。 第7章は、一連の研究についての総括が述べられている。 以上要するに、本論文は、分子軌道法を中心とした理論計算により、電極表面における吸着構造と電子移動に関して分子論的理解を深めたものであり、電気化学および化学システム工学の進展に大いに寄与するものである。従って、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。 | |
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