学位論文要旨



No 116142
著者(漢字) 熊崎,美枝子
著者(英字)
著者(カナ) クマサキ,ミエコ
標題(和) 含窒素エネルギー物質の熱的挙動に関する研究
標題(洋)
報告番号 116142
報告番号 甲16142
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4979号
研究科 工学系研究科
専攻 化学システム工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田村,昌三
 東京大学 教授 越,光男
 東京大学 助教授 新井,充
 東京大学 助教授 土橋,律
 東京大学 助教授 茂木,源人
内容要旨 要旨を表示する

1 序

 エネルギー物質とは単位重量あたり多量のエネルギーを含む物質であり、外部から熱・打撃・摩擦・静電気などのエネルギーを与えることによってエネルギーを放出する性質を有している。この特徴から、用途開発とともに、新規高エネルギー物質の開発に対する要望はますます高まっている。

 利用分野にもよるが、新規高エネルギー物質の開発目標として高爆発性(高反応熱高反応性)、高安定性があげられる。高反応熱を達成するには反応系と生成系のエンタルピー差が大きいことが必要であるため、分解による生成物が安定でなくてはならない。このような条件を見たすエネルギー物質として、含窒素エネルギー物質のアジ化物、テトラゾール、トリアゾールがある(図1)。これらは高い窒素含有率を示し、分子構造上分解によって容易に窒素ガスを放出する。生成する窒素分子が非常に安定であることから大きな生成熱を発生するため、今後新規エネルギー物質の基本構造として多用されるものと思われる。その際、目的に応じた分子を設計するためには、これらの構造の持つ特性について基本的な知見が必要となる。

 そこで、本研究ではエネルギー発生挙動の中でも熱的挙動に着目して、高窒素含有化合物であるアジ化物、テトラゾール・トリアゾールについて基本的な知見を得ることを目的とした。また、これらの特質を生かした高エネルギー物質の設計指針を得ることをめざした。

2 有機アジ化物

 有機アジ化物には鋭敏なものが多く、利用において安定性が重要な課題であることから、安定性を操作できるような分子設計の指針が期待される。分子設計で最も一般的な手法は置換基を分子内に付与することであるが、安定性における置換基効果についての知見はまだない。そこで、簡単な骨格を持ち、一般的な置換基を有する低分子量のモデル化合物を合成し、熱安定性に対する置換基効果の評価を試みた。

 既往の研究で提案された合成方法は、加熱・蒸留操作が必要なものである。本研究ではアジ化物の潜在的危険性に配慮して溶媒などを選択することによって加熱・蒸留操作を伴わない合成方法を提案した。また、得られたアジドアセトアミドについて単結晶X線構造解析を行った。アジド基周りの構造は折れ曲がっており、結合長、結合角のパラメータは、既往の研究と同様の値を示した。

 置換基効果を評価する熱安定性の指標としては、密封セル−示差走査熱量測定(SC-DSC)による熱分解開始温度(TDSC)を用いた。置換基に着目するとメチル基、メトキシ基、アミド基、アセチル基の順に置換有機アジ化物の熱安定性を低下させる効果が大きくなることがわかった。TDSCと置換基定数との比較から、電子吸引性の大きい置換基はアジド基を不安定化させる傾向にあるといえる。さらに各アジ化物について構造解析の結果を用いて活性化エネルギーを計算し、各置換基について比較したところ、熱安定性の低下に伴って活性化エネルギーが低下する傾向がみられた。以上のことより、アジ化物については、置換基によって熱安定性が変化すること、特に電子吸引性基によって活性化エネルギーが低下し、不安定化することが明らかになった。

3 テトラゾール類

 テトラゾール類は高窒素含有率にも関わらず、比較的安定な化合物である。熱分解機構について知見を得るために、最も基本的な1H-テトラゾール(以下1HT)について加熱条件による分解機構の変化を系統的に検討した。昇温速度と到達温度を変化させて分解生成物を測定したところ、低温領域ではHCNとHN3が得られた。また高温領域ではHCN、NH3、C2H2、CH4が得られた。

 400℃以上の高温領域では、構造上1HTから直接生成しないCH4とC2H2が生成した。1HTの光分解との関連から、窒素の脱離に引き続いてカルベンが生成していると考えられる。

 一方低温領域、高温領域ともにHCNが検出されることから、同様の結合解離が起こっていると考えられる。しかし高温領域ではNH3が低温領域で生成するHN3の代わりに検出される。このことから、高温領域では1HTから直接生成するHN3からN2が解離している機構が考えられる。分子軌道計算により低温領域ではHN3が生成し、高温領域ではHN3が励起状態を経てN2が解離することが示された。

4 トリアゾール

 トリアゾール類はテトラゾール類よりも窒素含有率が僅かに低いが、テトラゾール類よりも安定な化合物である。トリアゾール類の熱分解機構について知見を得るために、最も基本的な1H-1,2,4-トリアゾール(以下1HTRI)の加熱条件による分解機構の変化を系統的に検討した。その結果、昇温速度1000K/s、到達温度が600℃の以下のとき生成物はHCN、NH3が得られ、到達温度が700℃以上の時生成物はHCNとCH4が得られた。

 到達温度によらず、1HTRIの熱分解はHCNが特徴的な生成物である。分子軌道計算を用いて、熱分解の引き金となる最弱結合を決定した。さらに最弱結合の解離によって生成するニトリルイミンHNNCHの基底状態からは、結合解離してHCNと励起状態NHを生成しやすいことがわかった。一方励起状態のHNNCHからは、分子内の水素移動が起こり窒素解離とカルベン生成が起こると考えられた。よって、低温での熱分解ではHNNCHの基底状態、高温での熱分解ではHNNCHの励起状態を経由すると考えられる。また、この機構から考えられる生成物の両論比は、実際に熱分解によって得られる生成物比と一致した。

5 アゾール類を用いた金属錯体

 テトラゾール類、トリアゾール類は安定な化合物であるため、より高性能化するには反応性の向上が求められる。そこで、エネルギー物質の反応性向上のために金属酸化物が添加されることを利用して、これらの金属錯体を合成し、反応性向上効果を検討した。配位子として用いる化合物には1HTと1HTRIを、錯体を構成する中心金属には燃焼性向上効果のある銅を、陰イオンには酸化剤である硝酸イオンを用いた。合成の結果、1HT錯体は分子式[Cu(CHN4)2] (以下1HTCu),1HTRI錯体は分子式[Cu(CH3N3)2] (NO3)2 (以下 1HTRICu)が得られた。

 配位子単体の場合に観測された吸熱ピークは錯体状態では消失し、さらに発熱ピークが鋭くなった。配位子単体と硝酸銅3水和物を混合した試料について同様の測定を行ったが、なだらかなピークが観測されるのみであった。この結果から、配位子が銅に配位することにより分解が促進されていることがわかる。また、1HTCuは熱安定性が上昇した。1HTRICuは1HTRIと比較して熱安定性が低下したものの、依然高い熱安定性を示した。また、分解の促進による高い発熱量を示した。

 反応性を定量的に評価するために当研究室で開発された52ml爆燃性試験装置を用い、最大発生圧力および最大圧力発生速度を用いて圧力発生挙動を評価した。1HTCuについてはエアバッグ用ガス発生剤に用いられる酸化剤であるSr(NO3)2と混合したところ、発熱分解したため、比較的威力の小さい硝酸アンモニウムを酸化剤として用いた。その結果、一般的な酸化剤を用いたのと同等の威力が得られ、配位子単体と比較して反応性の向上が見られた。1HTRICuについてはSr(NO3)2を酸化剤として用いたが、やはり配位子単体と比較して反応性の向上が見られた。以上のことより、錯体化は反応性の向上に有効であることが明らかになった。

6 まとめ

 新規高エネルギー物質の開発目標である高反応熱、高反応性、高安定性を達成するために、高い反応熱を発生する有機アジ化物、テトラゾール、トリアゾールの熱的挙動を高性能化するような指針を探索した。その結果、アジ化物については置換基効果によって安定性が変化することを見いだし、分子設計によって安定性を操作できる可能性があることを示した。テトラゾール類、トリアゾール類については金属への配位が反応性の増大に有効であることを示した。

図1 含窒素エネルギー物質

図2 低分子量モデルアジ化物

図3 分解温度による生成物分布

図4 HN3とNH3が生成する機構

図5 1HTRIの分解機構

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、「含窒素エネルギー物質の熱的挙動に関する研究」と題し、熱分解によって毒性の無い窒素分子を放出し、大きい熱量を発生する含窒素エネルギー物質である有機アジ化物、テトラゾールおよびトリアゾールに着目し、それらの熱的挙動を明らかにすることにより、その化学構造面から新規エネルギー物質を設計する際の指針を提案することを目的として行った研究の成果をまとめたもので6章からなる。

 第1章は序論であり、含窒素エネルギー物質の有用性について述べるとともに、本論文の対象とした有機アジ化物、テトラゾールおよびトリアゾールをはじめとするエネルギー物質のエネルギー発生挙動とその制御に関する既往の研究を紹介し、本論文の目的と研究方針について述べている。

 第2章は熱安定性の低い有機アジ化物の熱安定性の向上のために置換基効果が有効であるとし、4種類の代表的な置換基を有する低分子アジ化物をモデル化合物として選定し、それらを安全性に配慮した新しい方法を用いて合成している。また、アジドアセトアミドについて単結晶構造解析を行い、その構造パラメータを明らかにしている。アジドアセトアミドは、これまで構造解析されたアジ化物の中で最も低分子量の化合物であり、この成果によって低分子量のアジ化物の構造パラメータが既往の研究により解明されている有機共役系アジ化物と同様の構造パラメータを有していることを示した。

 次いで、4種類のアジ化物の熱分解機構に関する検討から熱分解開始反応の引き金となる解離結合を明らかにしている。また、4種類のアジ化物の熱安定性に及ぼす置換基効果について検討し、電子吸引性の置換基が熱安定性を低下させることを実験的に明らかにした。さらに、熱安定性と熱分解機構の検討において、結合解離の活性化エネルギーと熱安定性の間に相関があることから1有機アジ化物の熱安定性は置換基効果によって制御できる可能性があることを示している。

 第3章は高速熱分解装置とFT-IRを組み合わせた方法を用いて昇温速度と到達温度を変化させることにより、1H-テトラゾールの熱分解を系統的に検討し、熱分解機構の解明を試みている。その結果、テトラゾールの熱分解機構は熱分解温度によって変化することを実験的に示すとともに、分子軌道計算を行い、低温領域と高温領域における熱分解反応経路について検討し、高温領域での反応が低温領域で起こる反応と比較して大きなエネルギーが必要であることを示した。また、生成物の熱力学的な検討から、高温では低い生成エンタルピー化合物が生成するため発熱量が大きくなり、加速度的に反応が進行することを明らかにしている。

 第4章はテトラゾールよりも熱安定性は高いが、発熱量および反応性の低い1H-1,2,4-トリアゾールに着目し、高速熱分解装置とFT-IRを組み合わせた装置を用いて昇温速度と到達温度を変化させることにより、1H-1,2,4-トリアゾールの熱分解について系統的な検討を行い、熱分解機構を明らかにすることを試みている。その結果、1H-1,2,4−トリアゾールの熱分解は1H−テトラゾールの場合と類似の機構で進行することを明らかにしたが、その際得られる熱分解生成物が異なる理由の一つは、1H-1,2,4-トリアゾールと1H−テトラゾールの標準生成エンタルピーの差に起因するとしている。また、1H−テトラゾールの場合と同様、高温反応では低い生成エンタルピー化合物が生成することを明らかにしている。

 第5章は1H−テトラゾールおよび1H-1,2,4−トリアゾールの熱分解機構に関する検討結果から、高温での反応によって大きい発熱量を得ることができるという知見を基に、反応温度を増大させる金属の添加効果に着目し、1H−テトラゾールおよび1H-1,2,4−トリアゾールを配位子とした金属錯体を合成することに成功している。次いで、それらの密封セル-DSC測定および爆燃性試験を行った結果、金属錯体は、その安定性をほとんど低下することなく、反応性を顕著に向上することを示しており、錯体化がテトラゾールやトリアゾールの高性能化の達成に有効であることを見いだしている。

 第6章は総括であり、本論文の成果をまとめている。

 以上要するに、本論文はエネルギー物質の熱的挙動を明らかにすることにより、それらの高性能化の手法を提案しており、エネルギー物質化学ならびに化学システム工学の発展に寄与するところが少なくない。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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