学位論文要旨



No 116151
著者(漢字) 城野,貴史
著者(英字)
著者(カナ) キノ,タカシ
標題(和) 光化学ホールバーニングを用いた両親媒性高分子の構造緩和の研究
標題(洋)
報告番号 116151
報告番号 甲16151
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4988号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 堀江,一之
 東京大学 教授 荒木,孝二
 東京大学 教授 相田,卓三
 東京大学 教授 西,敏夫
 東京大学 助教授 古澤,明
内容要旨 要旨を表示する

1 緒言

 色素タンパクや光機能材料においては、色素を取り巻くマトリックスがその機能発現に大きな役割を果たす場合が多い。光化学ホールバーニング(PHB)測定は色素周りの環境を敏感に反映した情報を得る手法であり、PHBの温度サイクル実験では色素周りのマトリックスの局所構造緩和を測定することができる。田中らはポリメタクリル系のポリマーを用いてPHB測定によりエステル末端の回転運動が始まる温度を感度よく測定することに成功した。

 これまで高分子系のPHBの報告例は、そのほとんどが単一組成のポリマーよりなるバルクなフィルムに関してであった。しかし、本研究では親水基および疎水基を含む両親灘ランダム共重合体を用いてナノスケールに構造を制御したナノ組織体についてPHBを行っている。この両親媒性高分子は、水溶液中で一本の鎖からなる高分子ミセルを形成し(図1)、その内部に導入された疎水性色素が外部環境から孤立化されることから人エタンパクなどへの応用が期待されている。PHB測定により、両親媒性高分子中の局所的な構造緩和を評価し、色素−マトリクス間相互作用およびナノスケールのミクロ相分離状態に関する知見を得ることが、本研究の目的である。

2 両親媒性高分子ミセルを高分子マトリクス中に分散させたときのミセル内部の構造緩和

 疎水性色素を側鎖に含む両親媒性高分子ミセルをポリビニルアルコール(PVA)中に分散した試料を用いてPHB実験を行った。参照実験として、親水基、疎水基、PVAそれぞれ単独からなる試料でも実験を行い、ミセル内部の構造緩和の特徴を考察した。

 アクリルアミド−2−メチルプロパンスルホン酸ナトリウム塩(AMPS)とシクロドデシルメタクリルアミド(CDMAm)と色素(テトラフェニルポルフィン(TPP))、を側鎖に持つモノマーの三元ランダム共重合体poly(A/CD/TPP)(Mw=3.2x 105)をポリビニルアルコール(PVA)水溶液中に溶解し、溶媒キャスト法によりフィルムを作製した。小角X線散乱により水溶液中と同じ半径(5.5nm)を持つミセルができていることを確認した。(図2)

 温度サイクル実験の結果を図3に示す。TPP/polyCDMAmは100K以降でホール幅の増加すなわち緩和が起こっている。poly(A/CD/TPP)/PVAはTPP/polyCDMAmに比べて100K以降のホール幅の広がりが抑えられており、TPPS/polyAMPSやTPPS/PVAに近い値となっている。疎水性色素であるTPPが親水基の凝集しているところやPVAマトリックスに存在していることは考えにくい。実際、疎水性色素TPPがpolyAMPSよりもpolyCDMAmに溶解しやすいという結果がポリマーブレンドの蛍光顕微鏡観察より得られている。従って、色素はシクロドデシル基が凝集し、ミセルを形成している場所に存在していると考えられる。さらに、ミセル内部では分子運動が抑制されているので、ホール幅の広がりがTPPS/PVAに近い値を示していると考えられる。室温、水溶液中において、シクロドデシル基望で作られるミセルのコア内部の分子運動が抑制されるという結果が、遅延蛍光の観測やNMR測定などからわかっている。本実験によって、極低温における局所的な分子運動に関しても高分子マト_リックス中に分散した高分子ミセル内部において抑制されるということを初めて明らかにした。

3 色素はどの距離まで構造緩和による環境変化を敏感に感じているか

 一般にPHB測定では色素の極めて近傍に関する情報が得られると考えられている。しかし、実際に色素からどの程度まで離れた部位の影響が観測されるかは未解明であった。そこで、粒径の異なる両親媒性高分子ミセルをPVAに分散してPHBを行い、マトリクスが色素の感じる環境に影響を与えうる距離を推測した。

 CDMAmを含む三元ランダム共重合体の分子量を変化させたものを3種類重合した。これをそれぞれPVAの水溶液に溶解し、溶媒キャスト法によりフィルムを作製した。これにより、粒径の違うミセルが分散したマトリックスを3種類作製した。分子量からミセルの半径を求めると、それぞれ5.5nm,2.6nm,2.3nmとなる。(図2)

 温度サイクル実験の結果を図4に示す。Poly(A/CD/TPP)(5.5nm,2.6nm,2.3nm)/PVAはTPPS/PVAに近い値を示し、粒径によってあまり差がみられない。これは一番小さな半径である2.3nm以内のコア部分の影響のみを色素が受けているということを意味する。従って、PHBの温度サイクル実験によって、色素近傍2.3nm以内の情報を得られることがわかる。

4 両親媒性ランダム共重合体バルクフィルムにおけるミクロ相分離の検出

 高分子ブレンドやブロック共重合体バルクフィルムのミクロ相分離構造は多くの研究が行われている。しかし、ランダム共重合体バルクフィルムにおけるナノスケールのミクロ相分離を評価した報告例は非常に少ない。TEM観察によりラウリルメタクリルアミド(LAMAm)とAMPSの両親媒性高分子バルクフィルムはナノスケールにクロ相分離していると報告されている。本章では、両親媒性ランダム共重合体バルクフィルムをマトリクスとしてPHB測定を行い、ミクロ相分離構造中の疎水部の構造緩和を評価し、ナノスケールのミクロ相分離状態の評価法としてのPHBの可能性を検討した。

 LAMAmまたはCDMAmとAMPSの二元ランダム共重合体を異なる組成比で三種類作製した。(図5)溶媒キャスト法により色素TPPを分散させた二元ランダム共重合体バルクフィルムを作製した。

 LAMAmとAMPSのランダム共重合体における温度サイクル実験の結果を図6に示す。ここでランダム共重合体の各側鎖が均一に分散している時は、ホール幅の広がりに関して加成性が成り立つと予想される。その仮定に従って得た値をそれぞれ線で示した。親水基とラウリル基の割合は25:75(上)、50:50(中)、75:25(下)である。この仮想的な曲線と比較するとTPP/poly(A/LA)系の結果はどの割合に関しても同じかまたは上に位置している。さらに高温ではほとんどTPP/polyLAMAmに近い値を示している。これより、ラウリル基を持つ両親媒性高分子バルクフィルムにおいては、ラウリル基が凝集しミクロ相分離していると考えられる。さらに、疎水性の色素であるTPPはラウリル基が凝集した相に分散していると考えられる。これより、PHB測定はランダム共重合体が作るナノサイズのミクロ相分離を検出するのに有効な手段であることが言える。

 CDMAmとAMPSのランダム共重合体におけるホール幅の広がりの結果を図7に示す。ここで先程と同じように、ランダム共重合体の各側鎖が均一に分散している時は、ホール幅の広がりに関して加成性カミ成り立つと仮定する。その仮定に従って得た値をそれぞれ線で示した。親水基とシクロドデシル基の割合は25:75(上)、50:50(中)、75:25(下)である。この仮想的な曲線と比較するとTPP/poly(A/CD)系の結果はどの割合に関しても下に位置している。しかし、2章で説明した通り、疎水性の色素TPPはpolyAMPSよりもpolyCDMAmに溶解しやすいことがわかっており、TPPがAMPSの凝集している相に溶解しているとは考えにくい。従って、シクロドデシル基を持つ両親媒性高分子バルクフィルムにおいては、シクロドデシル基の凝集している相にTPPが分散しているが、凝集による分子運動の抑制効果のためにホール幅の広がりが抑えられ、TPPS/polyAMPSに近い値をとったものと考えられる。

5 ランダム共重合体バルクフィルムにおけるミクロ相分離の検出

 疎水性モノマー同士のランダム共重合体バルクフィルムは、疎水基と親水基のランダム共重合体バルクフィルムと異なり、均一分散していると一般的には考えられている。しかし、このような試料は染色が困難なためにTEMによる観察も困灘である。そこで、PHB測定を用いてナノスケールにおけるミクロ相分離状態を評価した。

 MMAとnBMAの二元ランダム共重合体を異なる組成比(26:74,42:58,73:27)で3種類作製した。(図8)溶媒キャスト法により色素TPPを分散させた二元ランダム共重合体バルクフィルムを作製した。

 温度サイクル実験の結果を図9に示す。5章での議論と同じように、ホール幅の広がりに関して加成性が成り立つと仮定する。その仮定に従って得た値をそれぞれ線で示した。この仮想的な曲線と比較するとTPP/poly(MMA/nBMA)はどの割合に関しても同じかまたは上に位置している。従って、MMAとnBMAのランダム共重合体バルクフィルムもミクロ相分離しており、色素TPPはnBMAが凝集している相に分散していると考えられる。疎水号性色素TPPがPMMAよりもPnBMAにより溶解しやすいことはポリマーブレンドの蛍光顕微鏡観察によって確認している。以上の結果より、染色ができないためにTEMでの観察が困難な系において、ナノスケールのミクロ相分離状態を検出する手段としてPHB測定が有用であることが示された。

7 まとめ

 両親媒性高分子ミセルを高分子マトリックスに分散させることに成功した。高分子マトリックスに分散させた高分子ミセル内部は極低温においても水溶液中、室温同様、固いパッキングにより、分子運動が抑制されることが始めて示された。さらにミセルの粒径を変化させて調べた結果、色素は半径2.3nm以内の構造緩和による環境の変化に大きく影響されていることがわかった。これより、PHB測定はナノサイズの構造を持つ系の特定の場所における環境を調べることに適していることが示された。ここでは、両親媒性高分子バルクフィルムを用いることによって、PHB測定でランダム共重合体バルクフィルムにおけるミクロ相分離の検出が可能であることが示された。さらに一般的には均一に分散していると考えられる疎水性のモノマーのランダム共重合体バルクフィルムにおいてもPHB測定によりミクロ相分離していることを本研究で明らかにした。さらに溶解度パラメータの差が小さいモノマー同士のランダム共重合体バルクフィルムを用いてPHBによりそのミクロ相分離状態を評価した。PHB測定だけでなく蛍光測定も行って、ランダム共重合体バルクフィルムがミクロ相分離していることを示した。

図1 ミセルの形成

図2 化学構造式

図3 ホール幅の広がり

図4 ホール幅の広がり

図5 化学構造式

図6 ホール幅の広がり

図7 ホール幅の広がり

図8 化学構造式

図9 ホール幅の広がり

審査要旨 要旨を表示する

 光化学ホールバーニング(PHB)はマトリックスに分散させた個々の色素の吸収を観測する手法である。従って、PHB測定は色素とマトリックスの相互作用を測定することができ、構造緩和や低エネルギー励起モードなどのマトリックス固有の性質を測定することができる。これまでPHB測定で低温の物性を評価した例として、単一組成のポリマーや無機ガラスなどがあり、複雑な系としてたんぱく質の系がある。たんぱく質はその低温における特異な性質がPHB測定で明らかになっており、たんぱく質の特異な機能解明に大きく貢献している。構造緩和については、これまでに化学構造の違うさまざまなポリメタクリル酸エステル系のポリマーを使って、構造緩和の原因になる具体的な分子運動が明らかにされてきた。しかし、PHB測定が具体的に色素周りのどの距離までの情報を得ることができるのか、実験的に距離依存性を求めた研究はこれまで行われてこなかった。

 本研究は、粒径を三種類に変化させた両親媒性高分子単一ミセルを高分子マトリックス中に分散した系でPHB測定を行い、色素とマトリックスの相互作用の距離依存性を、構造緩和について求めたものである。さらに、その知見を基にランダム共重合体バルクフィルムのナノスケールの相分離について評価を行い、PHB測定の有用性を示している。ランダム共重合体は一般的によく使用されている高分子材料であるが、そのミクロ構造は微小かつ測定困難であり研究報告例があまりない。しかしミクロ構造はマクロな物性と相関を持っており、ミクロ構造を解明することはマクロな物性を理解する上で不可欠である。従って、ランダム共重合体バルクフィルムのミクロ構造を評価する手段を提案することは高分子材料研究としても重要な意味がある。

 第1章では、PHB測定で得られる情報と最近の研究例をまとめ、構造を制御したナノ組織体、特に両親媒性高分子の研究を紹介し、本研究の背景と各章の目的について述べている。

 第2章は、両親媒性高分子単一ミセルを高分子マトリックス中に分散させ、そのミセル内の環境をPHB測定により評価している。嵩高い環状のシクロドデシル基を持つ両親媒性高分子ミセルはミセルの形態を保持したまま高分子マトリックスに分散することができたが、直鎖状のラウリル基を持つ両親媒性高分子はミセルの形態で高分子マトリックス中に分散させることは困難であった。さらに、高分子マトリックスに分散されたシクロドデシル基を持つ単一高分子ミセル内部は水溶液中の単一高分子ミセル同様、特異な環境を色素に提供していることが明らかとなった。

 第3章では、三種類の分子量を変えた、シクロドデシル基を持つ両親媒性高分子を合成し、その単一高分子ミセルを高分子マトリックスに分散させた系についてPHB測定を行っている。色素が感じる構造緩和情報の距離依存性を初めて実験的に明らかにし、色素から半径2.3nm以内の情報が得られることを示している。

 第4章では、第3章で明らかになった距離依存性に関する知見を基にして、TEM測定によりナノスケールにおける相分離構造が明らかになっているラウリル基を持つ両親媒性ランダム共重合体パルクフィルムの相分離状態をPHB測定により評価できることをまず確認している。この実験で、ランダム共重合体バルクフィルムにおけるナノスケールの色素まわりの相分離構造の評価にPHB測定が有効な手段であることが明らかになった。さらに、シクロドデシル基を含む両親媒性ランダム共重合体パルクフィルムについては疎水基の凝集によるパッキング効果が働き、水溶液中と同様に疎水部が色素に対して特異な環境を提供していることを明らかにしている。

 第5章ではナノスケールにおける相分離構造が明らかになっていない疎水性モノマー同士のランダム共重合体について、PHB測定によりその色素まわりの相分離構造を評価している。ランダム共重合体poly(MMA/nBMA),poly(MMA/BzMA)のバルクフィルムはホモポリマー同士の溶解度パラメータは差が小さいけれども、PHB測定の結果は、ナノスケールに色素まわりで相分離していることを示している。この結論はランダム共重合体に対する一般的な認識を変えるものであり、重要な結論である。ただし、PHB測定は、色素をマトリックスに分散させて、色素の吸収を測定する手法である。従って、色素の影響を受けない状態と違いがあるかどうかがこれからの検討課題である。

 以上のように本論文は、PHB測定で観測可能なまわりのマトリックスの構造緩和の色素からの距離依存性を求め、その知見を基にして、ランダム共重合体バルクフィルムのナノスケールにおける相分離構造を評価したものである。ランダム共重合体パルクフィルムのナノスケールにおける相分離構造は、相分離構造の微細さやコントラストのつけにくさより、これまでの測定手段では測定困難な状況である。そこで、構造緩和の差を用いて相分離を検出するPHB法を新たに提案することは意義があり、高分子物理化学、特にランダム共重合体パルクフィルム系のミクロ構造の解明に寄与するところが大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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