学位論文要旨



No 116155
著者(漢字) 香山,健太郎
著者(英字)
著者(カナ) カヤマ,ケンタロウ
標題(和) 短期記憶に基づくロボット行動環境の記述作成と行動制御に関する研究
標題(洋)
報告番号 116155
報告番号 甲16155
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4992号
研究科 工学系研究科
専攻 情報工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 井上,博允
 東京大学 教授 田中,英彦
 東京大学 教授 武市,正人
 東京大学 教授 佐藤,知正
 東京大学 教授 稲葉,雅幸
内容要旨 要旨を表示する

 本論文では、多センサ多機能知能ロボットのためのロボットアーキテクチャとして、従来型のロボットアーキテクチャであるハイブリッド型Behavior-Based Architectureに感覚情報を短期的に記憶しておく層を導入し、それによってロボットが行動環境についての抽象度の高い情報を得るためにかかるためのコスト、およびロボットの行動設計者が感覚情報部の設計に費やすコストの削減を実現した。

 従来より、知能ロボットのアーキテクチャとしては、その行動のロバスト性、および処理がモジュールに分散されていることによる開発の容易さなどからBehavior-Based Architectureの枠組が用いられることが多い。このアーキテクチャでは、ロボットの感覚情報処理・行動決定・行動制御などをいくつかの並列に実行されるモジュール(プロセス)に分け、それらの間に情報をやりとりするネットワークをはってロボットシステム全体を構成している。

 しかし、近年の人間型ロボットあるいはエンターテイメント・福祉用途のロボットは、あらかじめ単一の目的を与えられているのではなく汎用的なものを目指しており、多種類のセンサを持ち多種類の行動が可能となっている。従って、各処理モジュールの入出力の接続の設計、および各瞬間にどのモジュールを実行させるべきかというactivate制御が複雑化している。

 さらに、感覚情報に関しては、従来のシステムが対象としている行動では、抽象度の低いすぐ得ることのできる情報のみを用いるものであったりあるいは情報を記憶しておくとしても行動目的が単一なためにそれほど難しいシステムを必要としないものであったりして、その情報の獲得自体に別の行動をとる必要があるなどのコストを要する情報を利用するような場合についてはあまり考慮されていない。しかし、多センサ多機能ロボットにおいては獲得にコストのかかる情報を用いる機会が多くなる。

 そこで、本論文では、各瞬間に取り込まれ、また遂行中の行動に必要な抽象化処理によって生み出される感覚情報の断片を整理して蓄積し、かつ環境の変化についての情報も検出・蓄積できるような感覚情報統一短期記憶層をBehavior-Based Architecture内に導入し、このような問題の解決をはかる。

 本論文は全6章から構成される。以下に各章の概要について述べる。

 第1章「序論」では、本研究の背景と目的、および本論文の構成について述べる。

 第2章「ロボットシステムにおける感覚情報と短期記憶」では、まず、Behavior-Based Architectureで多センサ多機能ロボットシステムの感覚入力部を構成しようとすると、次のようなコストの大きさが問題となることを述べる。

 ・現在センサに捉えられていない範囲の情報を得るためのコスト(ロボットの行動自体のコスト)

 ・行動設計者が、作成したい行動の各局面での必要な情報およびその情報の有無・信頼性を分析し、それを生成するためのモジュールおよびその入出力の接続法を設計するコスト(ロボットの行動設計者のコスト)

 そして、それらを解決するために次のような感覚情報統一短期記憶層(以下、短期記憶層と呼ぶ)をシステムに導入することを提案する(図1)。

 1.蓄えられる情報を洗練すること自体を目的とするのではなく、任意の目的の行動を遂行中に得られた画像データ・認識結果等の情報をバックグラウンドで記憶・蓄積することを目的とする

 2.特定のモジュールのみで使われることを想定するのではなく、画像データ・認識結果等の情報を入力として要求するモジュール全てに対して統一した方法で情報を提供する

 3.各情報の格納されるべき場所があらかじめ用意されており、さらに情報の値だけでなく情報の有無・更新時刻・信頼性も参照可能である

 4.要求された情報を作るために必要なモジュールを自動的にactivateする機能を有する

 次に、第3章から第5章で、短期記憶層をロボットシステムに導入するにあたっての「短期記憶としての環境記述の作成」「ロボットシステムへの短期記憶層の組み込み」「短期記憶を利用した行動制御の実現」のそれぞれの過程で発生する問題点とその解決法、そしてその過程の実現がロボットの行動設計および行動自体に与える効果について論じる。

 第3章「短期記憶としての環境記述の作成」では、まず、短期記憶層に蓄えられる環境記述は各瞬間に入力される情報をもとに逐次的・連続的に更新されていくことになるが、その際に抽象的情報の一貫性を保つこと(ある瞬間に「物体A」とされたものと別の瞬間に「物体A」とされたものの同一性を保証することなど)が難しいことを述べる。そして、その解決法として

・各瞬間に得られる情報と記憶されている情報との対応を取る処理を効率的なものにするため、環境を同一物体に属すると思われる適当な領域単位で記述する(図2)

・一旦目を離した(センサで捉えられなくなった)物体についても正しく一貫性を保てるような対応探索を行う

 ・新しく得られた情報を重視し、古い情報は少しずつ忘れていくようにする

 ・完全な記述を目指すのではなく、情報に空白や信頼度の低いものがあることを許し、必要に応じてその記述を獲得・精緻化できる

という性質を持つ記述法を提案する。そして、それによってロボットが環境の変化を検出すること、および変化を利用した行動を取ることが可能になったことを示す。

 第4章「統覚アーキテクチャ:短期記憶の感覚入力部への組込み」では、短期記憶層を感覚入力部に導入する方法として「統覚アーキテクチャ」を提案し、これを用いて感覚情報を生成・利用するモジュール設計の簡略化・モジュールの入出力の接続設計の簡略化・モジュールのactivate制御の簡略化がなされることを示す。

 このアーキテクチャでは情報の種類を感覚・抽象度・瞬間情報か記憶情報か・属性の種類、からなる4つの数字で明確に定義して分類し、その情報を効率的に生成・利用するための以下のような機構(図3)を設けて上にあげた簡略化を実現する(図4(a))。図4(a)では、思考部(行動計画部)の設計と感覚情報処理部の設計とが完全に分離されている。

 ・様々な感覚情報を分類し記憶しておくSensor Data Pool(SDP)

 ・センサの実体やSDPと通信して処理を行う感覚処理モジュール(プロセス)群

 ・思考部(行動計画部)・行動部(行動出力部)からの情報要求を受け付け、それに応じてSDPから情報を抽出して送信するインターフェース部

 ・思考部・行動部からの要求に応じて、必要な感覚処理プロセスを推論してactivateする感覚処理制御中枢部

 第5章「短期記憶を用いたロボットの行動制御」では、ロボットの個々の行動の目的には環境を変化させるため、および環境から情報を得るための二つの側面が存在することを述べ、そのうち環境から情報を得るための「情報獲得行動」は短期記憶層を利用することによって省略できることがあることを示す。

 まず情報の種類と行動モジュールとの結び付きについては、情報の種類ごとにその情報を獲得するためのAction Selectorモジュールを統覚アーキテクチャ内部からactivateできることとする。そして、そのactivate制御は統覚アーキテクチャ内部で情報の有無・信頼度を検出して行うものとする。なお、情報獲得行動が他の行動と競合した場合の制御に用いられる優先度は、情報要求の優先度をそのまま伝達するものとする。

 この機構によって、全体の行動設計者が設計すべき行動モジュール・入出力のリンク数が大幅に削減される(図4(b))。

 第6章「結論と今後の展望」では,これまで各章で述べた内容をまとめて本研究を総括する。

 本論文では、これまでロボットシステム内にimplicitに埋め込まれていた次のような情報・知識をexplicitに記述する上での問題点とその解決法を示している。

 ・これまでセンサに捉えられた情報、およびそれに抽象化処理を施した結果

 ・あるモジュールを実行するために必要な情報

 ・各感覚情報処理モジュールの情報変換能力

 ・各情報を生成するために必要な行動

 そして、これにより、ロボット自体が情報を獲得するための行動コスト、および行動設計者が感覚情報処理モジュール・モジュールの入出力をつなぐリンクの設計に費やすコストが削減できることを示している。

 このように知識を外在化させることはロボットソフトウェアを構造化し、様々な知識・労力を集約するのに有効であり、今後、細かいハードウェアの違いを吸収して様々なロボットで同様のソフトウェアを使用できるようにするロボットオペレーティングシステムの実現等につながると考えられる。

図1:感覚情報統一短期記憶層を含む並列分散型ロボットアーキテクチャ

図2:領域主体表現を用いた環境記述

図3:統覚アーキテクチャのシステム構成

図4:人間からの命令により箱を運搬する行動における行動計画部・行動出力部のモジュール構成

審査要旨 要旨を表示する

本論文は「短期記憶に基づくロボット行動環境の記述と行動制御に関する研究」と題し、多種類のセンサに基づいて多種類の行動をとることのできる多機能ロボットシステムの感覚情報処理部に短期記憶機能を組み込むことによって、情報獲得行動を効率化すると共に、反射的行動と推論的行動を統合しうるロボットシステムアーギテクチャを提案したもので、6章からなっている。

 第1章「序論」では、本研究の背景と目的、および本論文の構成について述べている

 第2章「ロボットシステムにおける感覚情報と短期記憶」では、これまでのロボットシステムのアーキテクチャの発展について述べ、多センサ多機能ロボットシステムの感覚情報処理部に必要な機能を分析し、感覚情報処理部に短期記憶の導入が必要なことを指摘し、要求される性質や、導入による効果などについて論じている。

 第3章「短期記憶層に蓄えられる環境記述の作成」では、短期記憶層に蓄えられる環境記述は各瞬間に入力される情報をもとに逐次的・連続的に更新されていくことになるが、その際に抽象的情報の一貫性を保てるようにするために、次のような性質を持つ記述法を提案している。即ち、(1)各瞬間に得られる情報と記憶されている情報との対応を取る処理を効率的なものにするため、環境を同一物体に属すると思われる適当な領域単位で記述する、(2)一旦目を離した物体についても正しく一貫性を保てるような対応探索を行う、(3)新しく得られた情報を重視し、古い情報は少しずつ忘れていくようにする、(4)完全な記述を目指すのではなく、情報に空白や信頼度の低いものがあることを許し、必要に応じてその記述を獲得・精繊化できる、という性質を持つ記述法を提案し、それによってロボットが環境の変化を検出し、変化を利用した行動を取ることが可能になったことを示している。

 第4章「統覚アーキテクチャ:短期記憶層の感覚入力部への組み込み」では、短期記憶層を感覚入力部に導入する方法として「統覚アーキテクチャ」を提案し・これを用いて感覚情報を生成・利用するモジュール設計の簡略化・モジュールの入出力の接続設計の簡略化・モジュールの活性化制御の簡略化がなされることを示す。統覚アーキテクチャは、様々なセンサから入力される感覚情報、および、それに対する抽象化を行った結果を集中管理し統一的な方法でアクセスできるようにしたもので、情報の種類を感覚・抽象度・瞬間情報か記憶情報か・属性の種類、からなる4つの数字で明確に定義して分類することによって、上にあげた簡略化を実現する。

 第5章「短期記憶を用いたロボットの行動制御」では、ロボットの個々の行動の目的には環境を変化させるため、および環境から情報を得るための二つの側面が存在することを述べ、そのうち環境から情報を得るための「情報獲得行動」は短期記憶層を利用することによって省略できることがあることを示す。そして、統覚アーキテクチャ内に、情報の種類ごとにそれを獲得するために必要な行動モジュールを活性化するための機構を設けることに寄って、全体の行動設計者が情報獲得行動を設計する手間を省くことができることを示している。

 第6章「結論と今後の展望」では,これまで各章で述べた内容をまとめて本研究を総括すると共に、今後の発展について展望している。

 以上、これを要するに本論文は、多種類のセンサに基づいて多様な行動をとることのできる多機能ロボットシステムの感覚情報処理部に、短期記憶機能を組み込むことによって、情報獲得行動を効率化すると共に、反射的行動と推論的行動を統合しうるロボットシステムアーキテクチャを提案したもので、情報工学上貢献するところ少なくない。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク