学位論文要旨



No 116159
著者(漢字) 松浦,志のぶ
著者(英字)
著者(カナ) マツウラ,シノブ
標題(和) シリコン表面における不純物原子の微視的解析
標題(洋)
報告番号 116159
報告番号 甲16159
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4996号
研究科 工学系研究科
専攻 超伝導工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北澤,宏一
 東京大学 教授 内野倉,國光
 東京大学 教授 前田,康二
 東京大学 助教授 渡邉,聡
 東京大学 助教授 花栗,哲郎
 東京大学 助教授 藤岡,洋
内容要旨 要旨を表示する

 シリコン半導体デバイスはその微細化技術の進歩により近年急速に集積度が増し、高性能化・高速化を達成している。しかし微細化が進んでデバイス構成要素のサイズがナノスケールになると、半導体中の不純物原子の分布の不均一さに伴う物理的性質の空間変化も無視できなくなる。さらに、近い将来には物理的・化学的要因により半導体デバイスの微細化に限界がくると予想され、新たな動作原理をもつデバイスの開発が要求されている。現在、将来のデバイス構成要素のひとつとして注目されているものに、半導体上の原子細線など原子スケールの人工微細構造がある。この構造は、原子スケールの物理の解明や新たな物理現象の発見に寄与する可能性があり、その物性面においても急速に研究が進展している。そこで本論文では、半導体デバイスに最も多く用いられているSi(100)基板の(2×1)表面において、原子スケールの物性制御・構造作製にも影響を与えると考えられる、金属不純物原子、ドーパント原子の挙動を走査型トンネル顕微鏡(STM)により探ることを目的とした。

本論文は二つのテーマからなる。

A.不純物添加Si(100)表面における水素終端による形状変化

B.水素終端Si(100)-(2×1)表面におけるドーパント原子の観察

実験には超高真空低温STMを用い、試料温度80K付近においてトンネル電流一定モードで測定を行った。探針はタングステン単結晶を電解研磨することで作製し、超高真空中で加熱後、電界イオン顕微鏡により先端を調整して用いた。上記テーマAに用いた試料は、PドープSi(100)(抵抗率:7-18mΩ・cm)基板で、700℃で一晩加熱した後、1220℃まで段階的に温度を上げながらフラッシングを行うことで清浄表面を作製した。タングステン原子の添加は、超高真空中で試料表面から約5cm離れたタングステンフィラメントを約1550℃に加熱することで行った。この試料の扱いは非金属性ピンセットにより行った。ニッケル添加表面は試料表面をステンレス製のピンセットに接触させることで作製し、SIMS測定により表面ニッケル濃度が約6×1013個/cm2であることを確認した。水素終端表面は、清浄表面である試料を約400℃に10分間維持した状態で、原子状水素を吹き付けて作製した。その後の水素原子の脱離は、清浄表面作製時と同様に1220℃でフラッシングすることで行った。テーマBでは表2に示す5種類の異なるドーピング状態の試料を用いた。テーマAと同様の方法で、清浄表面、水素終端表面を作製した。

A.不純物添加Si(100)表面における水素終端による形状変化

 図1(a)(i)にタングステン(W)添加前のSi(100)清浄表面のSTM像を示す。ダイマー欠損欠陥がほとんどなく、(2×1)再構成表面となっている。この表面にW原子を添加し、再びフラッシングを行った表面のSTM像を図1(a)(ii)に示す。欠陥が非常に多く、ダイマー列に垂直方向に整列する傾向にあることがわかる。ニッケル(Ni)などの比較的原子半径が大きい原子に汚染されたシリコン表面は、構造的な歪みを緩和するために欠陥が増加し、欠陥密度が著しく増加すると図1(b)の模式図に示すように欠陥同士の相互作用により整列することが知られており、W原子の場合も同じ現象が起こっていると考えられる。この試料を水素終端したところ、図1(a)(iii)に示すように欠陥密度が減少した。さらに水素を脱離すると、欠陥密度は再び水素終端前の程度まで戻った(図1(a)(iv)).表2に図1(a)(i)-(iv)に示したW添加表面における欠陥密度の変化を示す。タングステンを添加することで欠陥密度は10倍に増加し、水素終端することで約2/5に減少した。Ni添加表面においても同様に、水素終端することで欠陥密度が2/3に減少し、水素を脱離すると欠陥密度は水素終端前の値に戻った。

 水素終端することで生じたこの表面形状変化は、欠陥増加の起因となる不純物原子の表面密度を減少させる以下の効果が考えられる:1.水素の化学吸着エネルギーの差に起因する不純物表面偏析の抑制、2.水素終端表面層における不純物原子のエネルギー不安定性、3.不純物原子のバルクから表面への拡散障壁の低下。まず、1の効果を議論するため、熱力学に基づく古典的な表面偏析の理論を用い、清浄表面と水素終端表面との表面エネルギーの差から、各表面における不純物の表面偏析の程度の差を見積もった。その結果、水素終端することによる不純物表面原子密度の減少量の見積値は、W添加表面では約1/300、Ni添加表面では約1/210となった。これまでの研究で、欠陥1つ当たり不純物は1原子または2原子存在すると報告されていることを考慮する。と、実験ではW添加表面では2/5、Ni添加表面では欠陥が2/3、と減少量が不純物原子の表面偏析抑制による減少量の見積値より少ないことから、この理論では欠陥の減少を定量的には説明できない。次に、水素終端過程中に不純物が表面層から析出することが予想される2と3の効果を検証するために、水素終端過程の条件で長時間アニールを行った結果、W添加シリコン表面、Ni添加シリコン表面上共にシリサイドと見られる島状微結晶が観察された。Higai(S.Higai et al., PRB62(2000)R7711)らによる第-原理計算によると、ニッケル原子は、Si(100)清浄表面では室温でシリコンバルク内に拡散し、表面上よりも表面下の格子間サイトが安定であることに対し、水素終端表面では表面への拡散障壁が低く、表面上のダイマー間の溝サイトが表面下よりも安定となる。さらに、観測した水素終端シリコン表面上のシリサイドの体積から見積もった不純物原子密度が欠陥密度の減少量と同程度であることも考慮すると、不純物原子が-部表面上に析出したと考えられる。以上により、不純物原子に起因する欠陥が増加したシリコン表面を水素終端することで、NiまたはW原子が、結晶内での不安定性と拡散障壁の低下が生じて表面析出したために、表面欠陥密度が減少したと考えられる。

B.水素終端Si(100)-(2×1)表面におけるドーパント原子の観察

 水素終端Si(100)表面において、これまでの研究では報告例がない微細構造を発見した。

 図2(a)に水素終端PドープSi(100)(抵抗率:7-18mΩ・cm)-(2×1)表面の同じ走査表面の占有状態((i), (iii))と非占有状態(ii), (iv))におけるSTM像を示す。図2(a)に示すように、表面にはダイハイドライド構造や3×1構造など通常観測される構造の他、非占有状態像のみに現れる特徴的な構造が観測された。この構造は試料バイアス電圧が正(非占有状態)のSTM像でのみ観測され、負バイアス(占有状態)像では図2(a)(iii)に示すように、僅かな電子状態の乱れとして観測される。また、これらは表面上でランダムに分布し、ダイマー欠損欠陥やステップなど他の特徴的な表面構造の位置との相関関係はなかった。シリコンダイマー中心軸に対称であることから、この微細構造の起源としては、(1)シリコンダイマーが別の原子に置換したダイマー、(2)一つのダイマーの各シリコン原子に吸着した二つの異原子、(3)ダイマー下の格子間に入った異原子、(4)ダイマー中心上に吸着した異原子などがあげられる(図3(a))。占有状態像では周囲のシリコンダイマーとほとんど変わらないことから、吸着原子である可能性は低い。高密度で置換する可能性が高いドーパント原子が起源である可能性を調べるため、ドーピング状態が異なる5種類の試料において観測を行った。各試料において観測された微細構造とドーパント原子の表面密度の比較を図2(b)に示す。Bドープ試料についてはこの微細構造が全く観測されなかったため、図中には示されていない。これは、B原子は最表面層よりも表面第二層以下の方が安定であるためと考えられる。Pドープ、Asドープ試料については、微細構造の面密度は試料のドーパント濃度にほぼ比例し、構造の起源がこれらドーパント原子にある可能性を示唆している。微細構造がドーパント由来であることを検証するため、水素終端Si(100)-(2×1)表面内のシリコンダイマー一つがドーパントダイマーに置換されたモデルの第一原理計算によるSTM像と比較した。図3(b)(i), (ii)に計算結果を, (iii), (iv)に実験によるSTM像を示す。計算では占有状態ではシリコンダイマーより電子密度がやや高いものの顕著な変化はない一方、非占有状態ではシリコン原子サイトが最も電子密度が低いなどシリコンダイマーとは著しく異なるといった特徴が実験結果と一致することが明らかになった。ドーパントダイマーにそれぞれ水素原子が吸着している可能性もあるが。計算と実験とのSTM像の比較から水素は吸着していないと考えられる。エネルギー計算の結果からは水素が吸着したドーパントダイマーの方が安定であるが。水素終端表面に必ず存在するシリコン原子の未結合ボンドの存在を考慮すると、拡散した水素原子が未結合ボンドに結合してより安定状態となり、ドーパントダイマーには水素が未吸着となっている可能性が考えられる。

表1:微細構造観測に用いた試料

図1(a)

図2(b)

表2

図1:(a)Si(100)表面のSTM像(試料バイアス電圧Vs=-2.0V,トンネル電流It=20pA、走査範囲40nm×40nm)(i)(2×1)清浄表面、(ii)タングステン蒸着後、フラッシングした表面、(iii)水素終端表面、(iv)水素を離脱させた表面、(b)表面欠陥列の模式図。表2:タングステン添加表面における表面欠陥密度の変化。DV/SiDはシリコンダイマーと欠陥の面密度の比を表す。

図2:(a)水素終端Si(100)-(2×1)表面において観測された微細構造を含むSTM像(Vs=-2.0V(i,iii),Vs=2.0V(ii,iv),It=20pA)(i),(ii)(20nm×20nm)中の白枠はそれぞれ(iii),(iv)(4nm×4nm)の測定範囲を表す。白矢印は微細構造の位置、円内はダイハイドライド構造、黒矢印は3×1構造をそれぞれ示す。(b)微細構造とドーパント原子の表面密度の比較横軸は各試料の抵抗率から見積もったバルクのドーパント濃度、縦軸は微細構造とドーパント原子の表面密度を表す。

図3:(a)微細構造の可能性ある原因の模式図, (i)水素吸着異原子ダイマー, (ii)水素未吸着の異原子ダイマー, (iii)異原子吸着シリコンダイマー, (iv)シリコンダイマー下の格子間サイトの異原子, (V)シリコンダイマー上に吸着した異原子(b)第一原理計算による水素終端Si(100)-(2×1)表面内の水素未吸着ドーパントダイマーの電子密度分布像((i)占有状態、(ii)非占有状態)とSTM像(1.7nm×2. 2nm, It=20pA, (iii)Vs=-2.0V, (iv)Vs=2.0V)。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、半導体デバイスに最も多く用いられているSi(100)基板の(2X1)表面において、半導体デバイスの微細化技術の進歩や原子スケールの物性制御・構造作製に影響を与えると考えられる、半導体中の金属不純物原子・ドーパント原子の挙動を原子分解能を有す走査型トンネル顕微鏡(STM)を用いて明らかにすることを目的としたものである。具体的には、金属不純物の挙動に関しては金属不純物を添加したSi(100)表面における水素終端による表面欠陥密度の変化の様子とその起源を明らかにした。さらに、ドーパント原子に関しては、水素終端Si(100)-(2X1)表面においてこれまで報告例のないドーパント原子のSTM像を観測し、第一原理計算の結果と比較検討し、その構造や表面物性に及ぼす影響を明らかにした。本論文は4章で構成されており、半導体デバイス技術とナノテクノロジーの関わり、実験に用いたSTH装置の詳細と実験手法、シリコン表面の金属不純物原子やドーパント原子の挙動に関するSTM測定とその考察、本研究の総括とに分類されている。

 第1章では序論で本研究の背景と目的について述べている。

 第2章では実験装置と方法について説明している。本研究における測定は超高真空低温走査型トンネル顕微鏡(Scanning Tunneling Microscopy:STM)を用いている。このSTH装置の要素技術である制御方式や走査方法、除振機構、冷却機構などが詳細に述べられている。また、高分解能STM像に欠かせない良質な探針の作製方法と先端調整法、シリコン表面の作成法に関する記述もある。

 第3章では、STMを用いた不純物原子の挙動の観測の結果と考察が、第1節「不純物添加Si(100)表面における水素終端による形状変化」と第2節「水素終端Si(100)-(2×1)表面におけるドーパント原子の観察」に分けて述べられている。

 第1節では表面水素終端に対するシリコン表面中の金属不純物の挙動が調べられている。シリコン清浄表面がニッケルに汚染されると表面欠陥密度が増加し、欠陥がほぼ等間隔で配列する(2×8)表面構造をとることが知られているが、本研究ではタングステン汚染によっても同様の構造が現れることをSTM観測により確認した。

さらに、このニッケル、またはタングステン汚染のために増加した表面欠陥密度が、水素終端することで減少すること、この水素終端表面から水素を脱離した後の表面では水素終端前の密度密度に戻ることを見出した。水素終端による表面欠陥の減少は表面近傍の金属不純物の濃度減少によるものだが、この濃度減少の起源として本研究では、金属不純物のシリコン表面層からバルクへの拡散とシリコン表面上への析出の二つの可能性を検討・考察している。バルクへの拡散としては表面エネルギーの変化に起因する表面偏析の抑制効果が挙げられるが、熱力学に基づく古典的な表面偏析の理論を用い、水素終端表面の不純物原子の移動に伴う表面エネルギーの変化を表面偏析の駆動力とし、水素終端前後の不純物の表面偏析の程度の差を見積もったところ、実験で観測した欠陥密度の減少量から予測される不純物濃度の変化量よりも2桁程度大きい値となった。さらに表面欠陥密度の減少量から概算される水素終端過程の10分間でのニッケル原子の内部拡散量は固溶限を越える量となった。従って、水素終端によってニッケル原子がシリコン内部へ拡散したために表面欠陥が減少した可能性は低いと結論づけられている。次にニッケル原子が表面上へ析出する可能性に関しては、Si(100)表面近傍におけるニッケル原子の清浄表面と水素終端表面での第一原理計算によるエネルギー計算により、清浄表面よりも水素終端表面の方がシリコン内部での安定性が減少し、表面への拡散障壁が低くなるという報告があることから、本研究では試料を水素終端時と同じ条件で長時間アニールして表面析出による不純物濃度の減少を検証した。その結果、ニッケル添加シリコン試料、タングステン添加シリコン試料共に水素終端表面上にシリサイドが多数観測された。このシリサイド中に含まれるニッケル・タングステン原子の数を概算したところ、双方とも水素終端表面上に析出した原子量は欠陥密度の減少量よりやや少ないものの、ほぼ同じ程度であることが明らかにされた。以上により、不純物原子に起因する欠陥が増加したシリコン表面を水素終端することで、ニッケルまたはタングステン原子のシリコン表面での安定性が変化して表面に析出したために、表面欠陥密度が減少したと結論づけられている。

 第2節では、本研究において水素終端Si(100)表面で観測された、これまでの研究では報告例がない微細構造がドーパント原子由来であることを追究している。この構造は試料バイアス電圧が正(非占有状態)のSTM像でのみ観測され、負バイアス(占有状態)像では僅かに高い電子状態として観測される。異なるドーピング状態の5種類の試料においてこの微細構造の面密度を調べたところ、ボロンドープ試料についてはこの微細構造が全く観測されなかったが、ヒ素ドープ、リンドープ試料については、微細構造の面密度が試料のドーパント濃度にほぼ比例し、構造の起源がドーパント原子にある可能性があることが明らかにされた。

微細構造がドーパント由来であると仮定し、水素終端Si(100)-(2×1)表面にドーパント原子を含む構造の第一原理計算の結果と比較検討した結果、エネルギー安定性と理論によるSTM像のシミュレーション結果から、水素吸着ドーパントダイマーが起源であると結論づけられた。また、この微細構造がヒ素、リンドープ試料では全体的にドーパントよりも面密度が高く、ボロン試料では観測されない原因として、最表面置換位置におけるドーパント原子の安定性の差が挙げられ、砒素原子、リン原子はバルク濃度よりも最表面に偏析しやすいことに対し、ボロン原子は最表面層ではエネルギー的に不安定であるために第二層以下に存在し、上述の結果となったと述べられている。さらに、水素終端si(100)-(2×1)表面上を100K付近で拡散するガリウム原子の挙動とドーパント原子由来の微細構造との関係を調べたところ、特に位置の相関関係は見られなかったことから、水素吸着ドーパントダイマーは表面拡散するガリウム原子への影響はないか小さいと述べられている。

第4章は総括であり、本研究で得られた知見についてまとめ、今後の展望について述べられている。

以上・本研究はシリコン表面におけるSTM測定により、表面欠陥増加の原因となる金属不純物原子が水素終端することで表面上に析出し、結果として表面欠陥が減少することを明らかにした。また、水素終端表面におけるドーパントダイマーの存在を明らかにし、第一原理計算の結果と比較検討し、その原子構造と表面拡散原子への影響を解明した。これらの知見が、今後微細化が進む半導体デバイスや将来のデバイス要素技術として期待されている原子細線の特性制御や設計への指針を与えることになると思われる。

よって、本論文は博士(工学)の学位論文として合格と認められる。

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