学位論文要旨



No 116166
著者(漢字) 沖本,優子
著者(英字)
著者(カナ) オキモト,ユウコ
標題(和) 新規螢光プローブDPPPを用いた生物学的酸化反応分析法の開発
標題(洋)
報告番号 116166
報告番号 甲16166
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5003号
研究科 工学系研究科
専攻 先端学際工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 児玉,龍彦
 東京大学 教授 輕部,征夫
 東京大学 教授 橋本,和仁
 東京大学 助教授 油谷,浩幸
 東京大学 助教授 浜窪,隆雄
内容要旨 要旨を表示する

 動脈硬化をはじめとする種々の疾病、ガン、老化の進展には活性酸素種による生体組織の損傷が深く関わっていると考えられる。活性酸素の標的となるのは脂質、タンパク、DNAであるが、脂質は高度不飽和脂肪酸のビスアリル水素が非常に酸化されやすい性質を持つため最も攻撃を受けやすい。動脈硬化に於いては動脈硬化と血液中の低比重リポタンパク(LDL)濃度が高い相関を示すこと、動脈硬化病巣から酸化的変性を受けたLDLが回収されたことなどから1989年Steinbergらにより酸化LDL仮説が提唱された。それによるとLDLが血管壁で酸化変性を受けると、通常のLDLレセプターではなく、スカベンジャーレセプター経由でマクロファージがそれを貧食し、泡沫化して血管壁内部に蓄積・隆起することで動脈硬化が進行するというものである。LDLの酸化は生体内で発生する活性酸素種が関与すると考えられているが、具体的な酸化機構は明かではない。

 従来LDLの酸化を測定する試みとして脂質の酸化一次生成物であると考えられている過酸化脂質を紫外吸収や化学発光を用いて測定する方法が行われてきた。しかし、これらの方法は特異性が低いという問題があった。そこで本研究では高感度性と高選択性を兼ね備えた蛍光法により脂質の過酸化物を検出する新規の方法を開発し、生物学的な系における酸化を追跡することを目的とした。過酸化物が共通に持っているヒドロペルオキシドの選択的な反応としてトリフェニルフォスフィンの還元が知られている。このフェニル基の一つを蛍光性の発色団であるピレンに置換したジフェニル−1−ピレニルフォスフィン(DPPP)は、トリフェニルフォスフィンと同様ヒドロペルオキシドを還元しジフェニル−1−ピレニルフォスフィンオキシド(DPPP=O)となる。この際DPPPは無蛍光であるのに対しDPPP=Oは蛍光を生じるため(式[1])、DPPP=Oの蛍光を利用して系の過酸化物の量を追跡することができる。

 まず、均一系およびリポソーム系におけるDPPPの過酸化物との反応性を調べた。均一溶液中ではDPPPは水溶性の過酸化物である過酸化水素(H202)とも脂溶性の過酸化物であるリノール酸メチルヒドロペルオキシド(MeLOOH)とも反応性を示した。生体膜やLDLのモデルとして使用されるジオレオイルフォスファチジルコリンリポソーム懸濁液にDPPPを取り込ませ、同様に過酸化物を添加したところ、H202との反応性は大幅に減少し、MeLOOHとの反応性は増大した。DPPPは脂溶性のため、リポソーム膜内の疎水領域に局在すると考えられるがLこの時水溶性の過酸化物とは共存しないため反応性がほとんど消失する。一方、脂溶性の過酸化物とは膜という限られた領域に共存するため両者の局所濃度が非常に増大し、反応速度が非常に大きくなる。すなわち、不均一系においてはDPPPは疎水性の過酸化物である過酸化脂質と主に反応するプローブとして用いることができることがわかった。

 そこで、DPPPを用いてマウス腹腔白血球の細胞膜内の脂質過酸化を検出した。マウス白血球にDPPPをDMSO溶液として添加すると一部が膜に取り込まれる。取り込まれなかったものを取り除いたのち、H202およびMeLOOHと反応させた。リポソーム懸濁液の場合と同様に、白血球中のDPPPはH202よりもMeLOOHによって非常に効率よく酸化された。DPPPの入った白血球をPMAで刺激すると、DPPP=Oが生成し蛍光が経時的に増加した。DPPP=Oの生成は刺激をしない場合はほとんど起こらなかったことから考えると、刺激によって生成した活性酸素種が脂質の過酸化を引き起こしていると考えられる。細胞膜中の脂質過酸化は顕微鏡を用いて観察することもできた。MeLOOHを白血球に添加した30分後、蛍光が増加しているのを顕微鏡によって可視化することが出来た(図1A)。過酸化物を添加しない場合は蛍光はほとんど増加しなかった(図1B)。

 さらに、DPPPを用いてLDL内の脂質過酸化を検出した。LDLにDPPPをDMSO(10 %Pluronic F-127)溶液として添加すると一部が膜に取り込まれる。取り込まれなかったものを取り除いたのち、H202およびMeLOOHと反応させた。やはりLDL中のDPPPはH202よりもMeLOOHによって非常に効率よく酸化された。DPPPで標識したLDLをラジカル開始剤により酸化したところ、DPPP=Oが生成し蛍光が経時的に増加した。DPPP=Oの生成はラジカル開始剤を添加しない場合はほとんど起こらず、ラジカル開始剤の濃度に依存した。未標識LDLおよび標識LDL内のコレステリルリノリエートヒドロペルオキシド(CEOOH)およびヒドロキシド(CEOH)をHPLCを用いて定量したところ、未標識LDLと標識LDLを酸化した際のCEOOHとCEOHの総和が両者でほぼ等しく、標識LDLでCEOHが多くなっていた。これは、LDL粒子中でラジカル開始剤によって生じた過酸化脂質(CEOOH)がDPPPと反応してDPPP=Oを与えていることを示している。また、ヒト好中球をPMAで刺激し、PPPP-LDLとインキュベートしたところただちにLDLが酸化され蛍光が増加することがわかった(図2)。細胞を刺激しない場合ほとんどLDLは酸化されないことから、好中球活性化で発生する何種類かの活性酸素種がLDLの脂質過酸化を起こし、DPPP=Oが生成したのであろう。また、DPPP-LDLを用いてマクロファージ中でのLDLの酸化についても観測することができた。マクロファージをF-10中でDPPP-LDLおよびDPPP=O標識LDL(DPPP=O-LDL)とインキュベートすると4時間後までに細胞内に蛍光が蓄積する。両者の蛍光を比較すると0,2時間後ではDPPP=O-LDLを加えた方がDPPP-LDLを加えたものより蛍光が強いのに対して4時間後の両者の差はほとんど見られない。これは、細胞内に未酸化の状態で取り込まれたDPPP-LDLが細胞内で酸化されている現象を示していると考えられる。

 以上のように新規の蛍光プローブを用いて生物学的脂質過酸化を追跡する方法を開発した。これにより、マウス白血球細胞膜内の脂質過酸化および、ヒトLDL内の脂質過酸化を追跡することに成功した。

 従来の過酸化脂質検出法に比べ、DPPPを用いた本法は以下のような特色を持つ。第一に高感度性である。検出に蛍光を用いているため、紫外吸収を用いる方法に比べ感度は10〜100倍高い。第二に簡便さである。本法では生細胞浮遊液またはLDL溶液を蛍光セルに入れるだけで脂質過酸化が測定できる。これは抽出してHPLCで分析する方法と比較すると格段に操作が少ないため、操作中の影響を最低限に抑えることができる。第三に可視化できる点である。脂質過酸化を蛍光の増加により可視化できるため細胞を培養した状態のまま連続的に顕微鏡で観察することができる。系を破壊しないで脂質過酸化の様子を視覚的に表現できるということはより生理的な環境での脂質過酸化を検出できることにつながる。Dichlorodihydrofluorescein や dihydrorhodamine 123も同様に細胞や組織内の酸化ストレスに応答して蛍光が増加することが知られているプローブであるが、これらは反応過程でラジカル中問体を経由し、O2と反応してO2・-を発生させるとの報告がある。そのため特異性が低く、人為的な酸化を起こす危険性がある。また、ペルオキシダーゼ等の酸化酵素の存在を必要とするため蛍光強度が過酸化物の量のみに依存しているとは言い難い。DPPPは過酸化物と直接反応して蛍光を発するためそのような問題は生じない。

 このような性質から、混合培養系、組織、whole bodyでの細胞膜またはLDLの脂質過酸化の可視化あるいは尿・血液中の脂質過酸化の微量分析の分野等に本法が応用できることが期待できる。

図1 リノール酸メチルヒドロペルオキシド(MeLOOH)添加時におけるDPPP標識白血球中の蛍光増加。DPPP標識PMN1×106ceIIs/mI,HBSS(1%FBS)A:5μM MeLOOH添加30分後 B:過酸化物無添加30分後

図2.活性化好中球によるLDLの酸化。DPPP標識LDL0.1μM,ヒト好中球5×105ceIIs/ml,100nMフォルボールエステルinHBSS

審査要旨 要旨を表示する

 活性酸素種により生成する脂質過酸化物は脂質酸化の一次生成物であり、生体内の酸化ストレスの指標として測定されている。特に、動脈硬化において低比重リポタンパク(LDL)由来の脂質過酸化物は初期病変の指標であると同時に病巣の進展にも大きく関与することが示唆されており、注目を集めている。従来の生体試料の脂質過酸化物の測定法として使用されてきたTBARS法や紫外吸収、化学発光法は検出特異性が低く、細胞や個体などに添加して直接脂質過酸化を検出することはできず、HPLCを用いての分離検出が行われていた。一方、蛍光を用いて生きた細胞での酸化ストレスを測定する試薬が開発されていたものの、反応特異性に問題があった。本論文では蛍光法により脂質の過酸化物を特異的に検出する新規の方法を開発し、生物学的な系における酸化を追跡することに成功した。

 本論文では過酸化物と特異的に反応することにより蛍光性となる化合物を脂質過酸化物の検出に用いた。ジフェニル−1−ピレニルフォスフィン(DPPP)は無蛍光であるが、ヒドロペルオキシドと反応し、ジフェニル−1−ピレニルフォスフィンオキシド(DPPP=O)となることで蛍光性を持つ。DPPPは化学式から想像できるように脂溶性が高いので、これを細胞やLDLに添加した場合、膜成分に取り込まれ、保持される上、膜内の過酸化物と反応して蛍光を発することが予想されたため、本論文の目的には理想的な条件を備えていた。

 第二章ではDPPPの溶解性やDPPP=O の蛍光強度の検量線作製に関する基礎的なデータおよび従来の紫外吸収・化学発光法との比較実験により、DPPP=Oによる過酸化物の検出が充分定量的・高感度であり、生物学的酸化で起こりうる酸化を検出できることを示した。さらに第三、四、五章の前半で均一溶液とリポソーム溶液、マウス白血球膜、LDLでのDPPPの過酸化物との反応性を調べた結果から、細胞やLDL中ではDPPPが予想通り疎水性部位に局在し、脂質過酸化物と高選択的に反応していることを示した。

 本論文で確立した分析法の具体的応用例として第三章ではマウス腹腔内白血球およびヒト好中球の細胞膜中にDPPPを取り込ませ、白血球の活性化に伴う細胞膜内脂質過酸化反応の追跡を試みた。その結果活性化した白血球膜の脂質過酸化という生理的な酸化を本法により高感度・特異的に定量し、可視化できることが明らかとなった。さらに第四章ではLDLにDPPPを取り込ませ、LDL内脂質過酸化反応を活性化した好中球で行った。この場合も経時的に脂質過酸化を検出できることが明らかとなった。さらにLDLのマウス腹腔マクロファージ内での酸化も本法により可視化することができた。

 本論文で意義として、開発した新規の生物学的酸化反応の分析法が高反応特異性かつ高検出特異性という従来法にない利点を持つことが挙げられる。両者を兼ね備えたプローブはこれまでなかったため、生物学的酸化を検出した既往研究は測定物を同定することができず、酸化物ではなく酸化ストレスを測定するのにとどまっていた。それに対して本法は過酸化脂質を特異的に検出することに成功した。また、検出物質に脂質過酸化物という蓄積型のものを選択したため、蛍光が蓄積されるのも大きな利点である。生理的な酸化反応は刺激に応答して一過性に起こり、酸化物も微量にしか発生しないので、微分型のプローブは扱いにくく、長時間の測定には適さない。DPPPで標識した試料の蛍光を測定することで蓄積する過酸化脂質を定量的に検出できる本分析法は、現在最も簡便・迅速で明快な測定法であることは明らかである。さらに、標識による検出は、HPLCで分離分析する方法と比較すると格段に操作が少ないため、操作中の酸化を最低限に抑えることができる。もっとも特筆すべきは、蛍光を画像的に解析することで脂質過酸化を可視化できる点である。このような試みは今まで例が無く、この方法を用いることで、マクロファージの内部でLDLの酸化が進行している可能性があることを初めて示すことに成功した。本論文で示された生物学的酸化の追跡応用例に加え、混合培養系・組織・個体など対象物を単離することが困難であることが予想される試料における脂質過酸化を測定するという要請に本分析法が広く対応できると考えられる。

 本審査委員一同は,本論文がきわめて独創的なものであり、新規法の開発が生化学的、臨床学的に意義があることを認めた。さらに提出者の経歴・実績についても検討を行い、学位を取得するのに充分妥当であると判断した。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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