学位論文要旨



No 116174
著者(漢字)
著者(英字) Kim,Yon Hui Sarah
著者(カナ) キム,ヨン ヒ サラ
標題(和) c-junアンチセンス細胞株の樹立、活性酸素により惹起されるアポトーシスの抑制及び蛋白生産への応用
標題(洋) Establishment of c-jun AS cell line, Suppression of Apoptosis Induced by Reac-tive Oxygen Species and Its Application for Protein Production.
報告番号 116174
報告番号 甲16174
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博工第5011号
研究科 工学系研究科
専攻 先端学際工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 油谷,浩幸
 東京大学 教授 児玉,龍彦
 東京大学 助教授 浜窪,隆雄
 東京大学 講師 池袋,一典
 東京大学 助教授 山本,順寛
 宇都宮大学 教授 二木,鋭雄
 地球環境産業技術研究機構 主席研究員 鈴木,栄二
内容要旨 要旨を表示する

 本論文では、原がん遺伝子c-junのアンチセンス配列を導入することにより、細胞周期をコントロールでき、かつ培養系から増殖因子を除去した場合でもアポトーシスを抑制できるようにした細胞株の樹立をおこなった。本細胞株は、バッチ・フィードバッチあるいは灌流培養系、さらには血清成分の使用を避ける培養系において、アポトーシスを抑制することで高い生存率を維持でき、有用蛋白質の効率的な生産に応用できる。

 本論文は以下の5章から構成されている。

 第1章では、マウスFriend白血病細胞株(以下、FMEL細胞)に原がん遺伝子c-junのアンチセンス配列を導入し、その発現を制御することにより生存率を維持したまま可逆的に細胞周期を停止することが可能な細胞株(以下、c-junAS細胞)の樹立に関して述べている。このc-junAS細胞はグルココルチコイドホルモン(dexamethasone)の添加によりc-junのアンチセンス鎖の転写を誘導し、c-junの発現が抑制され、低血清培養時にも増殖可能である。一方、同じ条件下ではFMEL細胞は急速に細胞死する。

 原がん遺伝子c-junは初期応答遺伝子として知られ、増殖刺激に反応して急速に誘導され、AF1トランス活性化に働く転写活性化因子複合体を構成し、細胞周期の進行に必要な種々の遺伝子の転写を誘導することにより、細胞増殖の調節に重要な役割を果たしている。これまでにc-jun遺伝子発現の選択的阻害は細胞増殖の阻害をもたらし、c-Junが自然細胞死、アポトーシスの誘導因子である可能性が報告されている。本研究で得られた結果も、c-junの発現が少なくとも幾つかのタイプのアポトーシスを誘導することを強く示唆している。

 第2章では、c-junAS細胞の無血清培地培養下あるいは血清存在下で細胞周期停止状態における蛋白質生産性を評価した。アポトーシス抵抗性を持つ細胞株の樹立は、培養細胞を用いた有用物質の生産性を改善すると期待される。例えば、ワクチンや遺伝子治療用ベクターを生産する場合、血清中のウイルスやマイコプラズマの混入を避けるために血清成分を含まない培地中での培養が望ましいが、培地からの血清除去はしばしば細胞をアポトーシスに誘導する。

 c-junAS細胞はアポトーシスを抑制し、また細胞周期を停止することが可能であり、無血清培地下での培養や過剰増殖により誘導されるアポトーシスに抵抗性を示した。その結果、細胞の生存率が長期に渡って高く維持され、有用蛋白質の生産性を向上することができた。

 第3章では、c-junAS細胞を用いて、c-junの発現と過酸化水素により誘導されるアポトーシスとの関係を示した。過酸化水素は血清除去により誘導されるアポトーシスに関与すると考えられており、また過酸化水素によりHMEL細胞にアポトーシスを誘導する際のc-jun発現の関与が明らかにされている。

 c-jun発現とアポトーシスの関係を解明するために、本研究で樹立したc-junAS細胞のようなアンチセンスc-junの発現を調節可能な細胞が、理想的なツールとなりうることを示した。

 第4章では、c-junAS細胞を用いて、一酸化窒素による酸化ストレスとc-junの発現との関係をアポトーシスと関連させて調べた。一酸化窒素やペルオキシナイトライトなどの種々の活性酸素種(以下、ROS)は、多くの細胞株でアポトーシスを誘導することが知られている。非酸化的刺激により誘導された場合でもアポトーシス時に細胞内でROSの生産が観察されており、細胞内での酸化ストレスがアポトーシス進行の一般的特徴であることを示唆している。細胞内の酸化ストレスの状態と細胞の抗酸化機構による防御とのバランスにより、細胞がアポトーシスへ向かうかどうかの運命を決定すると考えられる。

 c-junの発現が、酸化ストレスで誘導されるアポトーシスを仲介することを示した。

 第5章では、c-junAS細胞を用いて、c-Junの発現と細胞内抗酸化ネットワークの関係を調べた。細胞内の抗酸化機構には、ビタミンEやビタミンCやユビキノール等の低分子抗酸化物質に加えて、スーパーオキシドディスムターゼ(SOD)、カタラーゼ、グルタチオンペルオキシダーゼ(GPx)、やグルタチオン−S−転位酵素(GST)などの抗酸化酵素が含まれ、これらの物質は個別にあるいは共同して相乗的に働き、堅固な抗酸化ネットワークを形成している。

 c-junの発現を抑制することにより、抗酸化酵素(SOD, GPx, カタラーゼ, GST)の酵素活性およびその蛋白発現が誘導され、また血清除去によりGSHレベルが著しく増強されることを見い出した。このことは、c-jun/AP-1シグナル経路と抗酸化酵素の発現との関連を示唆している。

審査要旨 要旨を表示する

 原がん遺伝子c-junは初期応答遺伝子として知られ、増殖刺激に反応して急速に誘導され細胞増殖の調節に重要な役割を果たしている。核内蛋白質c-junは、細胞周期の進行に必要な様々な遺伝子の転写を促進するトランス作用転写活性化複合体AP-1の主要な構成因子である。c-jun遺伝子発現の選択的阻害は細胞周期の進行を抑え、つまり細胞の増殖を抑制する。また、c-junが自然細胞死、アポトーシスの誘導因子である可能性が報告されている。しかし、c-jun遺伝子の発現誘導とアポトーシスとを結び付ける分子機構は現在のところ、よくわかっていない。そこで、本論文においてキムはc-jun遺伝子のアンチセンス鎖を発現させることにより、c-junの発現を抑制した細胞株c-junASを樹立し、細胞周期およびアポトーシスとの関係を調べた。

 キムは、アポトーシスを抑制し、また細胞周期を停止することが可能な細胞株c-junASの樹立に成功した。マウスFriend白血病細胞株(以下、F-MEL細胞)にc-jun遺伝子のアンチセンス配列を導入し、その発現を制御することにより生存率を維持したまま可逆的に細胞周期を停止することが可能な細胞株c-junASは、血清成分の欠乏または細胞周期の停止に惹起するアポトーシスに抵抗性を示した。c-junAS細胞はグルココルチコイドホルモン(dexamethasone)の添加によりc-junアンチセンス鎖の転写が誘導され、その結果c-junの発現が抑制され、低血清培養時にも増殖が可能となる。少なくとも幾つかのタイプのアポトーシスの開始にc-jun遺伝子の発現が必要であることが強く示唆される。

 また、過酸化水素は血清除去により惹起されるアポトーシスに関与すると考えられているが、アンチセンスc-junの発現によるその阻害を示し、c-jun発現とアポトーシスの関係を解明するための理想的なツールであることを示した。c-junの発現を抑制することにより、抗酸化酵素(スーパーオキシドディスムターゼ(SOD)、グルタチオンペルオキシダーゼ(GPx)、カタラーゼやグルタチオン-S-転位酵素(GST))の酵素活性およびその蛋白発現が誘導され、また血清除去によりGSHレベルが著しく増強されることを見い出した。このことは、c-Jun/AP-1シグナル経路と抗酸化酵素の発現との関連を示唆している。

 アポトーシス抵抗性を持つ細胞株の樹立は、培養細胞を用いた有用物質の生産性を改善すると期待される。例えば、ワクチンや遺伝子治療用ベクターを生産する場合、血清中のウイルスやマイコプラズマの混入を避けるために血清成分を含まない培地中での培養が望ましいが、培地からの血清除去はしばしば細胞をアポトーシスに誘導する。c-junAS細胞はアポトーシスを抑制し、また細胞周期を停止することが可能であり、無血清培地下での培養や過剰増殖により誘導されるアポトーシスに抵抗性を示した。その結果、細胞の生存率が長期に渡って高く維持され、有用蛋白質の生産性を向上することができた。アンチセンスc-jun遺伝子を用いるこの方法を他の細胞株に適応するためには、今後さらに研究をすすめる必要があると考えられた。

 一酸化窒素やペルオキシナイトライトなどの種々の活性酸素種(以下、ROS)は、多くの細胞株でアポトーシスを誘導することが知られている。非酸化的刺激により誘導された場合でもアポトーシス時に細胞内でROSの生産が観察されており、細胞内での酸化ストレスがアポトーシス進行の一般的特徴であることを示唆している。細胞内の酸化ストレスの状態と細胞の抗酸化機構による防御とのバランスにより、細胞がアポトーシスへ向かうかどうかの運命を決定すると考えられる。c-junAS細胞を用いて、アポトーシスへとつながるc-jun発現に関して、一酸化窒素による酸化ストレスの関係を明らかにした。

 本論文は、第一にアポトーシスを抑制し、また細胞周期を停止することが可能な細胞株c-junASの樹立に成功、第二にc-junの発現を抑制することにより、抗酸化酵素の酵素活性およびその蛋白発現が誘導され、また血清除去によりGSHレベルが著しく増強されることの発見、最後にアポトーシス抵抗性を持つ細胞株の樹立は、培養細胞を用いた有用物質の生産性を改善することを示した。

 よって本論文は博士(学術)の学位請求論文として合格と認められる。

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