学位論文要旨



No 116176
著者(漢字) 陳,鵬
著者(英字)
著者(カナ) チン,リー
標題(和) 数種作物における光合成の低温および高温阻害機構の解析
標題(洋)
報告番号 116176
報告番号 甲16176
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2206号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石井,龍一
 東京大学 教授 平井,篤志
 東京大学 教授 坂,齊
 東京大学 助教授 山岸,徹
 東京大学 助教授 園池,公毅
内容要旨 要旨を表示する

 温度は、光合成反応を通じて種々の作物の生長や収量に大きな影響を及ぼす。しかし、光合成に対する温度の影響に関する研究は、主に炭酸固定反応系に対して行われてきたため、温度が光化学系にどのような影響を及ぼすかについての情報は極めて少ない。本研究は、最近開発されたクロロフィル蛍光測定システム(Pulse Amplified Modulation (PAM)Fluorometer)を用い、夏作物で低温感受性作物のイネとトウモロコシ、冬作物で高温感受性作物のコムギにおける光合成速度(本研究ではCO2交換速度(CER)で測定した)に対する低温および高温の影響を,光化学系活性に注目して解析したものである。結果の概要は次の通りであった。

1、イネの光合成の低温阻害と回復

 低温(10℃)処理したイネの光強度-CER曲線をとったところ、炭酸固定系が律速していると考えられる飽和光下のCERも、また、光化学系が律速していると考えられる弱光下のCERも、ほぼ同程度に低温阻害を受けていた。このことから、低温は、炭酸固定系のみでなく光化学系に対しても、ほぼ同じ程度の阻害効果を有していると考えられた。そこで、低温処理された植物体の葉のクロロフィルから誘導される蛍光励起カーブをPAMで測定することによって、光化学系に対する低温の阻害効果を調べた。その結果、低温処理開始後3日目の植物体の処理葉における電子伝達速度は低下していた。その理由としては、光化学系IIの反応中心の励起量子収率の低下と光合成をしうる光化学系IIの割合の低下によっていると考えられた。さらに、励起量子収率の低下は、最大量子収率(Fv/Fm)の低下に由来していた。光合成をしうる光化学系IIの割合の低下は、光化学系Iの酸化活性の低下に求められた。また、低温処理による電子伝達速度の低下はCER程大きくなかった。このことは、低温処理により、電子伝達系から供給される電子が、炭酸固定以外の反応、例えば光呼吸で消費されている可能性が示唆された。また、イネの光化学系の活性は、低温処理期間中の光強度に左右されていた。すなわち、低温・強光下では、系Iに比べ系IIの活性が大きな低温阻害を受け、弱光条件下では系Iの活性が系IIに比べて相対的に大きな阻害を受け、さらに微弱光下では、系Iだけが大きな低温阻害を受けることが判った。

 10日間程度の低温阻害を受けたイネ植物体を常温(25℃)に復帰させると、CERの回復は約1週間を要したのに対して、電子伝達速度は3日間程度で完全に回復した。このことは、CERの回復には光化学系以外の要因が関与鵜していることを意味していた。

2、トウモロコシの光合成の低温阻害と回復

イネと同様に、CERのレベルでも光化学系の低温阻害が認められた。低温処理3目後の植物体の蛍光励起カーブのから求めた光化学系IIの反応中心の最大量子収率は、低温処理により無処理葉の87%にまで低下していることが判った。これはイネのそれに比べると低下程度が小さく、イネの方が系IIの低温阻害を受けやすいと考えられた。また、低温処理でCERの低下をもたらした要因は、3日目までは、エネルギー消去系、すなわち非光化学消光系の誘導による光化学系IIの励起量子収率の低下と考えられた、3日目以後は系Iの阻害に起因する光合成をしうる光化学系IIの割合の低下と考えられた。しかし、低温処理期間中の光強度は、イネと異なり、系I、IIのいずれの活性にも影響を及ぼさなかった。

 また、7日間低温処理をした植物体を常温に戻すと、CERは7日程度かけてゆっくり回復したが、光化学系IIは3日以内に回復が完了した。このことから、トウモロコシでもイネと同様に、光化学系IIの回復は炭酸固定系の回復より早いことが判った。

3、コムギの光合成の低温阻害

低温処理を受けたコムギの光強度-CER曲線はイネ、トウモロコシと大きく異なっており、弱光域において低温阻害を受けず、強光域においても、イネやトウモロコシに比べ阻害の程度が小さかった。弱光域において低温阻害を受けていないことから、コムギの光化学系活性は低温に対して大きな耐性があると考えられた。PAMによる解析から、コムギでは、光エネルギーを非光化学消光の形で消耗することにより、系II反応中心を過剰な光エネルギーによる阻害から保護することによって、系II反応中心の実効量子収率を維持していると考えられた。さらに、非光化学消光は、励起光を消すとすぐに元のレベルに戻り、可逆性が維持されていた。これはイネとトウモロコシには見られなかった。このことが、コムギの光合成がイネやトウモロコシの光合成よりも低温に強い原因であると考えられた。

 低温処理を受けたコムギが常温に戻されるとCERはほぼ元のレベルにまで復元した。そして、再び低温に置かれるとCERは最初の低温によるほどには低下していなかった。すなわち、低温を反復することによって耐性が発現することが示唆された。

4、イネの光合成の高温阻害

 光強度-CER関係において、飽和光下のCERは高温阻害を受けていたが、弱光下のCERは高温阻害が見られなかった。このことから、イネの光合成の光化学系は高温に対する耐性が強いと考えられた。さらに、光化学系をIとIIに分けて調べてみると、系IとIIの活性は高温に影響されていなかった。

 一方、高温処理期間中の土壌水分乾燥条件下でCERは大幅に低下した。これには、葉の気孔伝導度が低くなったことによる葉温の上昇とCO2の拡散流入が阻止されたことに起因していると考えられ、光化学系の活性低下は関与していなかった。

5、トウモロコシの光合成の高温阻害

 トウモロコシは、イネと異なり、光強度-CER関係において、飽和光下のCERも、弱光下のCERも高温阻害が見られた。このことから、トウモロコシの光合成の光化学系は高温に対して耐性が小さいと考えられた。そこでこの原因を光化学系IとIIに分けて解析したところ、高温処理期間中の光強度により、CERの低下の原因が異なっていた。すなわち、高温処理期間中の光強度が低い場合には、系Iと系IIの両方の活性低下が原因となる。一方、高温処理期間中の光強度が高い場合には、系IIの活性低下が原因となっていると考えられた。

 また、クロロフィル蛍光の光化学消光と非光化学消光の変化から、光化学消光は高温によって低下するが、非光化学消光は高温下では維持されることが判った。したがって、非光化学消光が、過剰な光エネルギーを消耗し、系IIの実効量子収率を高く保つことによって、次に述べるコムギのようにはCERを大きく低下させないでいると考えられた。

6、コムギの光合成の高温阻害

コムギの光強度-CER関係において、CERは強光域だけではなく、弱光域でも大きく高温阻害を受けていた。すなわち、コムギでは炭酸固定系とともに光化学系も大きく高温阻害を受けていることが示された。しかし、電子伝達速度自体は高温処理によって大きな影響を受けていなかったことから、過剰な還元力の消去系、例えば光呼吸が高温処理によって誘導されていることが示唆された。この点がイネ、トウモロコシと異なっていた主な点である。また、光化学系活性の高温阻害は、高温処理期間中の光条件によって大きな影響を受けなかった。

 コムギでは、7日間の高温処理により受けた光化学系の阻害は、イネやトウモロコシの場合と異なり、常温に戻して7日経過しても完全には回復しなかった。

 以上より、本研究によって、温度に対する生育反応が異なる3種の作物のCERの低温阻害あるいは高温阻害には、光化学反応活性の阻害が関与し、その活性の阻害程度が種によって異なることが明らかにされた。今後、温度ストレス環境下の作物の光化学系機能を調べることによって、温度ストレス耐性品種の育成に有益な情報を得ることができると思われた。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、夏作物のイネとトウモロコシ、冬作物のコムギの光合成速度に対する低温および高温の影響を、最近開発されたクロロフィル蛍光測定システム、Pulse Amplified Modulation Fluorometer(PAM)を用い、光化学系の中の低温、および高温阻害部位を同定することによって明らかにしようとして行われたものである。

I.イネの光合成の低温阻害と回復

1)10℃の低温処理をしたイネの光強度-CO2交換速度(CER)曲線で、光化学系が律速していると考えられる弱光下のCERは阻害を受けていた。そこで光化学系の活性を調べたところ、光化学系II反応中心の量子収率、および光合成をしうる光化学系IIの割合の低下が観察された。さらに後者の低下の原因は、光化学系I活性の阻害であることが明らかとなった。また、CERに比べて低温下で電子伝達速度が高く維持されていたことから、光呼吸などにより過剰な電子が消費されている可能性も示唆された。

2)10日間程度の低温阻害を受けた植物体を常温に復帰させた場合、CERの回復には約1週間を要したのに対して、電子伝達速度は3日程度で完全に回復した。このことは、CERの回復は電子伝達速度以外の要因の回復によって左右されることを示唆していた。

II.トウモロコシの光合成の低温阻害と回復

1)イネと同様、低照度レベルでのCERは低温によって阻害されていたため、光化学系の低温阻害が予測された。光化学系IIの活性を調べてみたところ、イネと比べると系IIの活性の低温阻害は大きくなく、低温耐性が比較的強いと考えられた。

2)7日間低温処理を受けた植物体を常温に戻すと、CERの回復には7日程度要したが、光化学系IIは3日以内に回復が完了した。すなわち、光化学系IIの回復は炭酸固定系の回復より早いことが判った。

III.コムギの光合成の低温阻害

1)光-CER間係から、10℃の低温処理による光化学系の阻害は小さいと考えられた。これは、過剰な電子を非光化学消光の形で消耗することにより、系II反応中心の実効量子収率を低温から守った結果と考えられた。また、光合成の進行中に起こした非光化学消光は、励起光を消すとすぐに元のレベルに戻った。このことが、イネやトウモロコシの光合成よりもコムギの光化学系が低温に強い原因であると考えられた。

2)低温処理を受けたコムギが常温に戻された後に再び低温に置かれた時、CERは最初の低温による低下ほどには低くなっていなかった。すなわち、低温を反復することによって耐性が発現することがわかった。

IV.イネの光合成の高温阻害

1)光化学系IIの活性は高温(40℃)に影響されていなかったことから、イネは高温に耐性があると考えられた。

2)高温処理期間中の土壌水分乾燥条件下でCERは大幅に低下した。これには、光化学系IIの活性低下は関与していなかった。

V.トウモロコシの光合成の高温阻害

1)トウモロコシは、イネと異なり、光強度-CER関係における弱光下のCERに高温阻害が見られた。このことから、トウモロコシの光合成の光化学系は高温に対して耐性が弱いと考えられた。

2)光化学消光は高温によって低下するが、非光化学消光は高温下では維持されていた。したがって、非光化学消光が過剰な光エネルギーを消耗し、系IIの実効量子収率を高く保つことによって、コムギのようにはCERを大きく低下させない理由となっていると考えられた。

VI.コムギの光合成の高温阻害

1)コムギの光強度-CER間係から、コムギでは炭酸固定系とともに光化学系が大きく高温阻害を受けていることが示された。しかし、電子伝達速度は高温処理によって大きな影響を受けておらず、過剰な還元力の消去系が高温処理によって誘導されていることが示唆された。さらに高温処理による光呼吸の促進も考えられた。この高温処理による光呼吸促進が、高温下でのCER低下を引き起こしていると考えられた。

2)高温7日間処理により受けた光化学系の阻害は、イネやトウモロコシの場合と異なり、植物を常温に戻した後7日経過しても完全には回復しなかった。

 以上、本研究は、作物の光合成の光化学反応系における低温および高温阻害部位を明らかにし、温度ストレス耐性品種の育成に有益な情報を与えたものであって、学術上、応用上貢献するところが大きい。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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