学位論文要旨



No 116177
著者(漢字) 大林,富美
著者(英字)
著者(カナ) オオバヤシ,フミ
標題(和) ショウジョウバエの性決定遺伝子doublesexおよびfruitlessに相同なカイコの遺伝子の構造と発現
標題(洋)
報告番号 116177
報告番号 甲16177
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2207号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 嶋田,透
 東京大学 教授 小林,正彦
 東京大学 教授 長戸,康郎
 東京大学 教授 田付,貞洋
 東京大学 助教授 石川,幸男
内容要旨 要旨を表示する

 昆虫の雌雄は、体液性のホルモンに依存せず、遺伝的機構によって細胞自律的に決定される。昆虫の性決定機構は、ショウジョウバエを用いて詳しく研究されている。キイロショウジョウバエの体細胞では、X染色体の数と常染色体の数の比が、性決定の最初のシグナルであり、それがSXLとTRAという雌特異的なRNA結合タンパク質を次々に誘導し、TRAの存否が最終的な性決定遺伝子doublesex(dsx)およびfruitless(fru)の性特異的な発現をもたらす。一方、カイコは、雌ZW、雄ZZの性染色体構成を有し、W染色体上に存在する仮想上の雌決定遺伝子Femによってエピスタティックに雌性を決定することが知られているが、Femの下流にある性決定機構は不明である。本研究は、キイロショウジョウバエとは異なる性決定システムを持つカイコから、性決定遺伝子dsxやfruに相同な遺伝子を単離し、それら相同遺伝子の構造と発現を解析することによって、カイコの性決定機構の一端を解明しようとしたものである。

1.ショウジョウバエのdsxに相同なカイコの遺伝子BmdsxのcDNAの構造と雌雄差

 キイロショウジョウバエの性決定遺伝子dsxは、標的遺伝子の性特異的な転写を制御するDNA結合タンパク質をコードする。dsxのpre-mRNAは選択的スプライシングを受けて性特異的なmRNAを生じ、それらが雌雄で異なるタンパク質を翻訳する。カイコのEST(Expressed sequence tags)データベースを探索した結果、キイロショウジョウバエのdsxに相同な塩基配列をもつcDNAを2個発見した。そのcDNAをプローブとしてカイコのBACライブラリーフィルターのハイブリダイゼーションおよびゲノムDNAのサザンハイブリダイゼーションを行った結果、遺伝子はハプロイドゲノムあたり1コピーで存在することが明らかになった。そこでこの遺伝子をBmdsxと命名した。カイコ-クワコ間でBmdsxの一部にPCRで検出できる変異があることを見いだし、その変異を利用して連鎖解析を行った結果、Bmdsxは第25染色体に座乗することが判明した。

 BmdsxのmRNAの1次構造に、ショウジョウバエdsxと同様の雌雄差が生じているか否かを検討するため、雌成虫フェロモン腺と雄幼虫精巣のcDNAライブラリーから1個ずつ陽性クローンを得た。それぞれの塩基配列3249bpおよび3000bpを決定して比較したところ、精巣由来のBmdsx cDNAの塩基配列では、フェロモン腺cDNAの配列の713〜961塩基に相当する領域が抜けていることが明らかになった。いろいろな発育段階の脂肪体、中腸など種々の組織のRNAを鋳型にしてRT-PCRを実行したところ、フェロモン腺-精巣間の差異と同じ249bpの長さの違いが常に検出された。よって、Bmdsx mRNAの塩基配列の差は、組織や発現時期の差ではなく、雌雄差によって生じることが証明された。遺伝子は1コピーしか存在しないので、雌雄で異なるBdsx mRNAは、同一のpre-mRNAから選択的スプライシングによって生じると考えられる。

 雌型Bmdsx cDNAのORFは795ntであり、265アミノ酸残基からなるポリペプチドをコードしていた。一方、雄型Bmdsx cDNAのORFは801ntの長さで、267アミノ酸残基からなるポリペプチドをコードしていた。雌雄のタンパク質(BmDSX)の推定アミノ酸配列を比較したところ、N末端側215残基は雌雄共通であったが、C末端側(雌50残基、雄52残基)は雌雄で異なっていた。BmDSXのN末端側には、ショウジョウバエDSXのDMドメインと呼ばれるDNA結合領域に80%の相同性を示すアミノ酸配列が存在した。また、DSXの多量体形成に必要とされるOD2ドメインもBmDSXで保存されていた。

2.Bmdsx mRNAおよびBmDSXタンパク質の発現時期、発現組織、およびその雌雄差

 Bmdsx mRNAの発現量の組織や発育段階による差異を検討するため、幼虫、蛹、成虫の種々組織からRNAを抽出し、ノーザンブロッティングを行った。その結果、Bmdsx mRNAの発現量は組織や発育段階で大きく異なり、終齢幼虫の生殖巣と脂肪体、および成虫のフェロモン腺でにおいて最も多量のmRNAが存在することが判明した。Bmdsx mRNAは、いずれの組織でも雌で10.6kb、雄で10.4kbの1本のバンドとして検出された。脂肪体におけるBmdsx mRNAの発現を経時的に調査したところ、Bmdsx mRNAの量は雌雄とも4齢幼虫期から5齢の吐糸期に向けて急増し、蛹化後にやや減少した。一方、タンパク質の解析のため、BmDSXの雌雄共通領域のアミノ酸配列に基づいて20アミノ酸残基のペプチドを合成し、それをウサギに免疫して抗体を得た。その抗体を利用して、脂肪体におけるBmDSXタンパク質の発現をウェスタンブロットにより解析したところ、終齢幼虫では雌雄ともに約39kDaのバンドが検出されたが、蛹期にはこのバンドが雌のみで検出され雄にはほとんど認められなくなった。カイコでは終齢幼虫や蛹の脂肪体でビテロジェニンなどの雌特異的タンパク質が合成されることが知られており、Bmdsxの発現量がこの時期に多いことと関係がある可能性がある。

 吐糸開始日と蛹化当日の精巣と卵巣からパラフィン切片を作製し、in situハイブリダイゼーションと免疫組織化学的手法により、Bmdsx mRNAとBmDSXタンパク質の発現部位を特定した。卵巣では吐糸開始日、蛹化当日とも卵巣被膜や卵管膜でmRNAおよびタンパク質が多く検出され、精巣では精巣被膜や精室内の体細胞においてmRNAおよびタンパク質が多く見いだされた。したがって、Bmdsx mRNAおよびBmDSXタンパク質は生殖細胞よりも体細胞において強く発現していると言える。

 また、胚子におけるBmdsx mRNAの雌雄差を、限性黒卵系統を利用してRT-PCR法で解析した結果、発生初期においては雌雄とも雌型・雄型いずれのmRNAも検出されたが、産下後90時間頃から後は、雌は雌型の、雄は雄型のmRNAが優勢になり、雌雄差が明瞭になった。一方、卵の温湯処理によって作出した3倍体ZZW♀および4倍体ZZZW♀の幼虫からは、いずれも雌型のBmdsx mRNAのみが検出された。これらは、胚子発生中期以降において、W染色体の存否がBmdsxの性特異的な発現を支配することを示唆している。

 以上の結果から、カイコは、性決定機構がショウジョウバエと異なるにもかかわらず、ショウジョウバエと同じようにdoublesex相同遺伝子を性のスイッチとして使っているものと考察される。

3.キイロショウジョウバエのfruに相同なカイコの遺伝子BmfruのcDNAの構造とその多様性

 fruはキイロショウジョウバエの神経系の性決定遺伝子であり、性行動や雄特異的筋肉(ローレンス筋)の形成を制御することが知られている。カイコのESTデータベースを探索した結果、fruに相同な塩基配列を持つcDNAクローンを2つ発見した(以下NV型およびe40型と称する)。cDNAをプローブとしてBACライブラリーフィルターのハイブリダイゼーションおよびゲノムDNAのサザンハイブリダイゼーションを行ったところ、遺伝子はハプロイドゲノムあたり1コピーで存在すること推定されたので、Bmfruと命名した。なお、カイコ-クワコ間の塩基配列多型を利用して連鎖解析を行ったところ、Bmfruは第6染色体に座乗することがわかった。

 キイロショウジョウバエfru mRNAには少なくとも7種類のアイソフォームが存在するとされているので、カイコでも多くのmRNAアイソフォームが存在する可能性がある。そこで、さらに終齢吐糸開始日の精巣および、蛹化当日の脳のcDNAライブラリーをスクリーニングしたところ、新たに3種類のcDNAクローンを得た(以下tes4型、br6型、br9型と称する)。これら5つのBmfru cDNAクローンは5'寄りの931bp(NV型の85〜1015ntに相当)にほぼ完全に一致する塩基配列を共有していた。しかし、5'非翻訳領域の一部、ORFの3'側、および3'非翻訳領域の塩基配列は、各クローンごとに大きく異なっていた。cDNAの塩基配列より予想されるORFは、NV型が386アミノ酸残基、e40型が410アミノ酸残基よりなるポリペプチドを、それぞれコードしていた。また、tes4型、br6型、br9型のORFはそれぞれ410、390、457残基より成るポリペプチドをコードしていた。5通りのアミノ酸配列は、いずれもN末端側に二量体形成に必要なBTBドメインが認められ、BTBドメインを含む301残基のアミノ酸配列は全5クローンで完全に一致していた。C末端側には3タイプの異なるジンクフィンガーモチーフが存在していた。BTBドメインのアミノ酸配列におけるキイロショウジョウバエfruとの相同性は89%と顕著に高く、ジンクフィンガーモチーフにおいてもfruと74〜91%の相同性を示した。5'RACEおよびその産物の塩基配列決定の結果、少なくとも3種類の5'非翻訳領域が存在することが明らかになったが、キイロショウジョウバエfruの場合のように翻訳開始点に雌雄差が見られることはなかった。Bmfru遺伝子は1コピーしかないので、そのmRNAに見られる多様性は、選択的スプライシングあるいは選択的転写開始部位によって生じると考えられる。

4.Bmfru mRNAの発現に関する解析

 Bmfru cDNAをプローブにし、幼虫期・蛹期の種々の組織から抽出したRNAのノーザンブロッティングを行った。その結果、Bmfru mRNAは生殖巣と頭部に偏って発現していることが明らかになった。精巣では4.6kb、3.6kb、2.8kb、2.6kbの4種類のmRNAが検出されたのに対し、卵巣や頭部では4.6kb以外の3種類のmRNAはほとんど検出されなかった。一方、複数のcDNAに対応するmRNAアイソフォームの発現をRT-PCRにより解析したが、雌雄間での量的・質的な差異は認められなかった。ショウジョウバエfruにおいては、選択的スプライシングだけでなく性特異的な翻訳抑制が知られているので、Bmfruが性分化に関与するか否かを結論するには、さらにタンパク質レベルでの解析が必要である。

 以上要するに、本研究は、ショウジョウバエの性決定遺伝子dsxおよびfruに対するカイコの相同遺伝子BmdsxおよびBmfruを発見し、cDNAの構造ならびにmRNAの発現について解析したものであり、Bmdsxからは雌雄で異なるmRNAアイソフォームが生成すること、Bmfruからは雌雄共通の複数のmRNAアイソフォームが生じることを、それぞれ明らかにした。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文「ショウジョウバエの性決定遺伝子doublesexおよびfruitlessに相同なカイコの遺伝子の構造と発現」にまとめられた研究は、ショウジョウバエとは異なる性決定システムを持つカイコから、ショウジョウバエの性決定遺伝子dsxやfruに相同な遺伝子を単離し、それら相同遺伝子の構造解析と発現解析によって、カイコの性決定機構の一端を解明しようとしたものである。論文は2章からなり、骨子は以下の4項目である。

1.ショウジョウバエのdsxに相同なカイコの遺伝子BmdsxのcDNAの構造と雌雄差

 ショウジョウバエの性決定遺伝子dsxは、遺伝子の性特異的転写を制御する転写因子をコードする。カイコのESTを探索した結果、dsxに相同な配列を2個発見した。これに対応する遺伝子はカイコの第25染色体に1コピー存在しており、遺伝子名をBmdsxとした。cDNAのクローン化や、様々な発育段階の諸組織を用いたRT-PCRにより、雄のBmdsx cDNAの塩基配列には、雌cDNAの配列の一部249塩基に相当する部分が無いことが判った。雌雄で異なる石Bmdsx mRNAは、同一のpre-mRNAから選択的スプライシングによって生じると考えられた。予想されるBmDSXのアミノ酸配列を雌雄で比較したところ、N末端側は雌雄共通で、ハエDSXのDMドメインに80%の相同性を示すDNA結合領域が存在した。C末端側は雌雄で異なっていた。

2.Bmdsx mRNAおよびBmDSXタンパク質の発現時期、発現組織、およびその雌雄差

 ノーザン解析により、Bmdsx mRNAは、雌で10.6kb、雄で10.4kbの長さであり、生殖巣、脂肪体、フェロモン腺などで強く発現していた。脂肪体でのBmdsx mRNAの量は変態に伴って変動した。BmDSXの雌雄共通領域のアミノ酸配列に基づいて抗体を作製し、脂肪体におけるBmDSXタンパク質の発現をウェスタン法で解析した結果、BmDSXは終齢幼虫では雌雄ともに発現するが、蛹期では雌特異的に発現していた。精巣と卵巣におけるBmdsx mRNAとBmDSXタンパク質の局在を組織学的に観察したところ、生殖細胞よりも体細胞において顕著であった。また限性黒卵系統を利用し、胚子におけるBmdsx mRNAの雌雄差を解析した結果、Bmdsx mRNAの雌雄差は産下後90時間以降に見られた。一方、倍数体の利用により、Bmdsxの性特異的な発現がW染色体の存否に強く支配されることが示された。以上の結果から、カイコは、性決定機構がショウジョウバエと異なるにもかかわらず、doublesex相同遺伝子を性のスイッチとして使っているものと考察した。

3.キイロショウジョウバエのfruに相同なカイコの遺伝子Bmfru cDNAの構造とその多様性

 fruはキイロショウジョウバエの神経系の性決定遺伝子である。カイコのESTデータベースを探索した結果、fruに相同な塩基配列を持つcDNAクローンを2つ発見した。その遺伝子はカイコの第6染色体に1コピー存在すると推定され、Bmfruと命名された。cDNAライブラリーをスクリーニングし、新たに3種類のcDNAクローンを得た。これら5つのBmfru cDNAクローンは5'寄りの931bpにほぼ完全に一致する塩基配列を共有していた。しかし、5'-UTRの一部、ORFの3'側、および3'-UTRの塩基配列は、各クローンごとにまったく異なっていた。cDNAの塩基配列より予想されるアミノ酸配列は、N末端側301残基が全5クローンで完全に一致していた。C末端側には3タイプの異なるジンクフィンガーモチーフが存在しており、そのうち一つのタイプは、キイロショウジョウバエの性決定に関与する「タイプB」のFRUのジンクフィンガーと91%の相同性を示した。Bmfru mRNAには構造上の雌雄差が見られなかった。

4.Bmfru mRNAの発現に関する解析

 ノーザンブロッティングの結果、Bmfru mRNAは生殖巣と頭部で発現しており、4種類のmRNAが検出された。しかし、mRNA発現量の雌雄差は認められなかった。ショウジョウバエfruにおいては、性特異的な翻訳抑制が知られているので、Bmfruがカイコの性分化に関与するか否かを結論するには、さらにタンパク質レベルでの解析が必要である。

 以上のように、本論文で述べられた研究結果は、カイコおよび昆虫の性の理解に大きな前進をもたらすものであり、基礎生物学・農業生物学の両面に貢献する内容である。よって、審査委員一同は本論文を博士(農学)の学位論文としての価値があるものと判断した。

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