学位論文要旨



No 116182
著者(漢字) 李,榮珍
著者(英字)
著者(カナ) リ,ヨンジン
標題(和) 植物病原菌類におけるABCトランスポーター遺伝子の分布とその薬剤耐性に関わる機能に関する研究
標題(洋)
報告番号 116182
報告番号 甲16182
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2212号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 日比,忠明
 東京大学 教授 難波,成任
 東京大学 助教授 山下,修一
 茨城大学 教授 阿久津,克己
 明治大学 教授 米山,勝美
内容要旨 要旨を表示する

 植物病害防除のための手段として、現在、殺菌剤の施用は依然としてひとつの大きな柱だが、近年、環境保全重視の立場から開発された選択性の高い殺菌剤の普及に伴って、これら薬剤に対する耐性菌の出現が深刻な問題となっている。植物病原菌の薬剤耐性には各種の機構があるが、最近、一部の植物病原菌類においてABCトランスポーターがその薬剤耐性ならびに病原性に関与していることが示された。そこで本研究では、ABCトランスポーター遺伝子が各種植物病原菌類に普遍的に存在することを明らかにした後、イネいもち病菌のABCトランスポーター遺伝子についてその薬剤耐性に関わる機能を解析した。得られた成果の概要は次のとおりである。

1.各種植物病原菌類におけるABCトランスポーター遺伝子の分布

 各種植物病原菌類におけるABCトランスポーター遺伝子の分布を解析するため、分類学的に所属の異なる7種の植物病原菌類、すなわち、イネいもち病菌Magnaporthe grisea、イネ紋枯れ病菌Thanatephorus cucumeris、灰色かび病菌Botrytis cinerea、タバコ赤星病菌Alternaria alternata tobacco pathotype、ウリ類炭そ病菌Colletrichum lagenarium、トマト萎凋病菌Fusarium oxysporumf.sp lycopersici、およびジャガイモ疫病菌Phytophtora infestansについて、本遺伝子の存在の有無をサザンハイブリダイゼーション法によって調査するとともに、PCRクローニングによってそれらの遺伝子断片を単離してその塩基配列を解析した。

(1)各種植物病原菌類に関わるABCトランスポーター遺伝子の存在

 各植物病原菌類から抽出したゲノミックDNAに対し、Penicillium digitatumのABCトランスポーターPMR1のC-末端側のABC領域をコードしている0.9kbのDNA断片をプローブとしたサザンハイブリダイゼーション解析を行った結果、いずれの菌株からもシグナルが検出され、これらのゲノムにABCトランスポーター遺伝子の配列が存在していることが示された。

(2)各種植物病原菌類のABCトランスポーター遺伝子の部分塩基配列

 既知のABCトランスポーター遺伝子の保存領域のアミノ酸配列に基づいて設計したdegenerateプライマーを用い、各菌株のゲノミックDNAをテンプレートとしたdegenerate PCRを行ってABCトランスポーターのC-末端側のABC領域をコードしているDNA断片を増幅し、それらの塩基配列を決定した。

 その結果、各種植物病原菌類におけるABCトランスポーターの存在を確認するとともに、それらの塩基配列の相同性に基づいて各菌種の分子系統樹を作成した。

2.イネいもち病菌の薬剤耐性に関わるABCトランスポーター遺伝子の機能

 イネいもち病菌は日本の稲作に最大の被害をもたらす病害である。その防除には抵抗性イネ品種の育種や耕種的な防除とともに種々の薬剤が使われているが、現在のところ、幸いに薬剤耐性の深刻な問題は起こっていない。しかしながらイネいもち病がひとたび発生するとその被害は甚大であり、耐性菌の出現も大きな問題となる可能性がある。このような背景のもとに、本研究ではイネいもち病菌のABCトランスポーターに着目し、その遺伝子の単離と構造決定ならびに薬剤耐性に関わる機能の解析を行った。

(1)イネいもち病菌のABCトランスポーター遺伝子の構造

 まず、degenerate PCRによってイネいもち病菌のABCトランスポーター遺伝子断片の単離を試みた結果、計5種のABCトランスポーターホモログの遺伝子断片が得られ、それらをそれぞれH-I、H-II、H-III、H-IV、H-Vと命名した。このうち、(2)に示した発現解析の結果からH-Iが薬剤耐性に関与している可能性が高いことが示されたので、この全長の遺伝子を単離することとし、ゲノムDNAからIPCRとLAPCRによって本遺伝子全長を含む約7.4kbのDNA断片をクローニングした。次いで、このDNA断片の全塩基配列を決定したところ、2箇所のABC領域と2箇所の膜貫通領域を含む典型的なMRP型のABCトランスポーター遺伝子の構造が明らかにされたため、この遺伝子を改めてABC2と命名した。さらに、このABC2と既知のABCトランスポーターとの相同性を調べるため、保存性の高いC-末端側のABC領域のアミノ酸配列を互いに比較し、分子系統樹を作成して相互の類縁関係を解析した。その結果、ABC2と、同じくイネいもち病菌のABC1とは64.1、Saccharomyces cerevisiaeのPDR5およびSNQ2とは、各々64.8%および55.9%、Schizosaccharomyces pombeのHBA2とは66.9%、Candida albicansのCDR1とは61.0%、Penicillium digitatumのPMR1とは65.5%の高い相同性が認められたが、UPGMA法による分子系統樹上では、ABC2は他のABCトランスポーターとは独立したクラスターを形成した。

(2)薬剤処理によるABCトランスポーター遺伝子の発現誘導

 (1)で得られたホモログ遺伝子断片を含む各遺伝子の薬剤耐性との関連性を調べるため、イネいもち病菌に各種の薬剤をそれぞれ処理した後、全RNAを抽出して上記5種のホモログ断片をそれぞれプローブとしたノーザンハイブリダイゼーションを行い、各遺伝子の発現誘導を調べた。その結果、H-II、H-III、H-IV、H-V断片では、どの薬剤を処理した場合にもシグナルが検出されなかったが、H-I断片では、ブラストサイジンSとEDDP(edifenphos)の処理区で強いシグナルが検出され、またプロベナゾール、IBP、イソプロチオラン、トリシクラゾール、ピロキノンの処理区でも弱いシグナルが検出された。このことからH-I DNA断片を含むABCトランスポーター遺伝子ABC2がこれらの薬剤処理によって誘導的に発現すると考えられた。さらに、ABC2の経時的な発現の変化を調べたところ、ブラスサイジンSを処理した場合、処理後20分でシグナルが現れ、1時間後には発現量が急激に上昇する結果となった。EDDPの処理では時間の経過に伴った急激な変化はなく漸進的に発現量が上昇した。このようにABC2は上記の7種類の薬剤処理によっていずれもその発現が誘導されることから、この遺伝子がイネいもち病菌の各種薬剤耐性と関係している可能性が強く示唆された。

 以上、本研究においては、各種植物病原菌類におけるABCトランスポーターの普遍的な分布を明らかにした後、イネいもち病菌のABCトランスポーター遺伝子ABC2を単離し、本遺伝子が各種薬剤処理に対して誘導的な発現を示すことから、この遺伝子が薬剤耐性に関与している可能性を示唆した。各種植物病原菌類、とりわけイネいもち病菌における薬剤耐性とABCトランスポーターとの関連を解明して行く上で極めて重要な知見が得られたものと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 植物病害防除のための手段として、現在、殺菌剤の施用は依然としてひとつの大きな柱だが、近年、環境保全重視の立場から開発された選択性の高い殺菌剤の普及に伴って、これら薬剤に対する耐性菌の出現が深刻な問題となっている。植物病原菌の薬剤耐性には各種の機構があるが、最近、一部の植物病原菌類においてABCトランスポーターがその薬剤耐性ならびに病原性に関与していることが示された。そこで本研究では、ABCトランスポーター遺伝子が各種植物病原菌類に普遍的に存在することを明らかにした後、イネいもち病菌のABCトランスポーター遺伝子についてその薬剤耐性に関わる機能を解析した。得られた成果の概要は次のとおりである。

1.各種植物病原菌類におけるABCトランスポーター遺伝子の分布

 各種植物病原菌類におけるABCトランスポーター遺伝子の分布を解析するため、分類学的に所属の異なる7種の植物病原菌類、すなわち、イネいもち病菌Magnaporthe grisea、イネ紋枯れ病菌Thanatephorus cucumeris、灰色かび病菌Botrytis cinerea、タバコ赤星病菌Alternaria alternatatobacco pathotype、ウリ類炭そ病菌Colletotrichum lagenarium、トマト萎凋病菌Fusariumoxysporum f.sp.lycopersici、およびジャガイモ疫病菌Phytophthora infestansについて、本遺伝子の存在の有無をサザンハイブリダイゼーション法によって調べるとともに、PCRクローニングによってそれらの遺伝子断片を単離してその塩基配列を解析した。その結果、各種植物病原菌類にABCトランスポーター遺伝子が普遍的に存在していることが明らかにされた。

2.イネいもち病菌の薬剤耐性に関わるABCトランスポーター遺伝子の機能

 イネいもち病菌のABCトランスポーターに着目し、その遺伝子の単離と構造決定ならびに薬剤耐性に関わる機能の解析を行った。まず、degenerate PCRによってイネいもち病菌のABCトランスポーター遺伝子断片の単離を試みた結果、計5種のABCトランスポーターホモログの遺伝子断片が得られ、それらをそれぞれH-I、H-II、H-III、H-IV、H-Vと命名した。このうち、薬剤耐性に関与している可能性が高いH-Iについてその全長の遺伝子を単離することとし、ゲノムDNAからIPCRとLA PCRによって本遺伝子全長を含む約7.4kbのDNA断片をクローニングし、その全塩基配列を決定したところ、2箇所のABC領域と2箇所の膜貫通領域を含む典型的なMRP型のABCトランスポーター遺伝子の構造が明らかにされたため、この遺伝子をABC2と命名した。

 次いで、上記で得られたホモログ遺伝子断片を含む各遺伝子の薬剤耐性との関連性を調べるため、イネいもち病菌に各種の薬剤をそれぞれ処理した後、全RNAを抽出して上記5種のホモログ断片をそれぞれプローブとしたノーザンハイブリダイゼーションを行い、各遺伝子の発現誘導を課べた。その結果、H-II、H-III、H-IV、H-V断片では、どの薬剤を処理した場合にも誘導発現のシグナルは検出されなかったが、H-I断片では、ブラストサイジンSとEDDP(edifenphos)の処理区で強いシグナルが検出され、またプロベナゾール、IBP、イソプロチオラン、トリシクラゾール、ピロキノンの処理区でも弱いシグナルが検出された。このことからH-I断片を含むABCトランスポーター遺伝子ABC2がこれらの薬剤処理によって誘導的に発現することが明らかにされた。さらに、ABC2の経時的な発現の変化を調べたところ、ブラストサイジンSを処理した場合では処理後20分でシグナルが現れ、1時間後には発現量が急激に上昇するのに対して、EDDPの処理では時間の経過に伴った急激な変化はなく漸進的に発現量が上昇した。このようにABC2は上記の7種類のいずれもイネいもち病防除剤によってその発現が誘導されることから、この遺伝子がイネいもち病菌の各種薬剤耐性と関係している可能性が強く示唆された。

 以上、本研究は、各種植物病原菌類におけるABCトランスポーターの普遍的な分布を明らかにした後、イネいもち病菌のABCトランスポーター遺伝子ABC2を単離してその構造を決定するとともに、本遺伝子が各種イネいもち病防除薬剤に対する基本的な耐性に関与している可能性を示した。本研究で得られた成果は学術上、応用上寄与するところが大きい。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク