学位論文要旨



No 116183
著者(漢字) 柳,蔘奎
著者(英字)
著者(カナ) リュウ,サンケイ
標題(和) イネのアルカリ性土壌耐性機構に関する研究
標題(洋)
報告番号 116183
報告番号 甲16183
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2213号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 高野,哲夫
 東京大学 教授 平井,篤志
 東京大学 教授 長戸,康郎
 東京大学 教授 白子,幸男
 東京大学 助教授 堤,伸浩
内容要旨 要旨を表示する

 人類は、地球上の陸地の約11%の限られた優良農地とその他の生産性の低い農地とで、60億人にものぼる人類の食糧を生産しているが、地球上の人口が100億人を突破することがほぼ確実視されている21世紀中頃の時点では深刻な食糧不足の生じることが予想されている。そのため現在の主要な食糧生産を担っている優良農地を保全しながら、新しい土壌を開発すること、また、不良土壌に耐性を持つ新しい品種を創出する試みは基礎応用を問わず大変興味ある研究課題である。中国での不良土は全耕地(1.0億ha)の1/3に当たる。その中でもアルカリ性土壌は720万haあり、中国の遼寧省、吉林省、黒龍江省などの地域に広く分布し、大きな問題である。アルカリ性土壌は塩類集積土壌で、主に炭酸水素ナトリウムや炭酸ナトリウムが集積しているが、これらの塩が加水分解することによってアルカリ性を呈する。この2種類の塩が植物に与えるストレスを本論文で炭酸塩ストレス(Carbonate stress)と呼ぶ。本研究では、イネにおいて炭酸塩ストレスと関連すると考えられる遺伝子、またこのストレスに対して応答する遺伝子をクローニングし解析した。またその結果に基づき、新たな視点から植物の炭酸塩耐性のメカニズムの検討を試みた。

1.炭酸塩ストレスがイネの成育におよぼす影響

 本研究では、まず炭酸塩ストレスにおいてイネの成育への影響の特性について検討した。イネの幼植物体および発芽時に炭酸ストレスを与え、生育阻害の程度について検討した。その際、ナトリウム濃度およびpHを調節したNaCl溶液を対象として用いて、炭酸ストレスの特徴について検討した。その結果、炭酸ナトリウムストレスと炭酸水素ナトリウムストレスを比較すると炭酸ナトリウムストレスの方が生育阻害の程度が大きいことが分った。また、ほぼ同じpH、ナトリウムイオン濃度に調製しても、NaCl処理に比べ炭酸塩ストレスの方が植物に強い生育阻害を与えていることを明らかにした。この結果から、炭酸塩ストレスには高濃度のナトリウムイオンによるストレス、高pHストレスに加えて、HCO3-とCO32-とが植物に強い生育阻害効果を持つことが示唆された。

2.炭酸脱水酵素遺伝子のクローニングおよび発現特性の解析

 炭酸塩ストレス条件においてHCO3-とCO32-が植物の成育に障害を与えることから、細胞内でのHCO3-+H+〓CO2+H2O反応を触媒する炭酸脱水酵素(CA)に着目し、CA遺伝子のクローニングを行うとともに、CA遺伝子の発現特性を解析した。ゲノムライブラリーをスクリーニングしてCA遺伝子を単離し、全塩基配列を決定した。その結果、イネのCA遺伝子はORFに対応する塩基配列が8060bpで、この遺伝子は8つのexsonとは7つのintronから構成されていることが判明した。次にCA遺伝子の発現特性について解析した。CA遺伝子は葉で多く発現しているが、根においては炭酸塩ストレスに誘導されることが明らかになった。また、酸ストレスや弱アルカリ性条件下で大量的に誘導されるなど外部環境のpHに応答することが明らかになった。さらに光の強さなどの因子にも応答していることが判明した。

3.炭酸塩ストレスと関連する遺伝子の単離および解析

 ストレス耐性機構を解明したり、耐性植物を作出するためにはストレス耐性と相関する遺伝子を単離することが必要である。本研究ではデイファレンシャルデイスプレイ法により炭酸塩ストレスにおいて特異的な発現する遺伝子の単離を行った。一方、原核生物と高等植物とが共通のストレス耐性の機構を持つ可能性があると考え、イネ根から得たcDNAを大腸菌における発現ベクターに組み込んだcDNAライブラリーを作成し、大腸菌を用いて炭酸塩ストレス耐性の機能スクリーニングを行い、高等植物において炭酸塩ストレスに関与する遺伝子を単離することを試みた。その結果、NADP-Malic Enzyme I(NADP-ME1)、NADP-Malic Enzyme II(NADP-ME2)、Heat shock protein90、L-ascorbate peroxidase(APX)、thioredoxin、ABA and stress inducible protein(Asr1)などの遺伝子、およびこれまで相同な配列が報告されていない数種類のタンパク質の遺伝子を単離し、これらの塩基配列と発現特性を解析した。その中で細胞内pHの調節と関わるNADP-Malic Enzyme遺伝子が炭酸塩ストレスに誘導されることから、炭酸塩ストレス条件下では細胞内のpHが異常になることによって、植物は障害を受けることが推察された。一方、活性酸素の解毒系に関与するL-ascorbate peroxidase(APX)遺伝子の発現が炭酸塩ストレスによって誘導されているため、炭酸塩ストレスによっても活性酸素が生成することにより酸化ストレスを受けていることが示唆された。

4.炭酸塩ストレスが細胞内のpH制御メカニズムに及ぼす影響

植物細胞内pH制御機構については、これまで生物物理学的機構(biophysical mechmanism)および生化学的機構(biochemical mechmanism:pH-state)による仮説が提唱されいる。本研究では、細胞内pHの調節(pH-stat)にかかわるNADP-ME1とNADP-ME2遺伝子が単離され、炭酸塩ストレスに誘導されることから、NADP-MEは炭酸塩ストレス耐性に関与することが強く示唆された。炭酸塩ストレス下で植物細胞内pHはどのように変化するか明らかにするために、植物細胞内のpH調節に関わると考えられる遺伝子のストレス下における発現特性などを調べた。その結果、NADP-ME、PEPCase遺伝子は炭酸塩ストレスに誘導されること、さらに3つの酵素は根およびカルスにおいては酸性ストレス条件下で発現量が増加することが分かった。また、細胞膜ATPase(P-ATPase)遺伝子の発現は炭酸塩ストレスによって大量に誘導されており、また液胞膜PPase(v-PPase)遺伝子も炭酸塩ストレスによって誘導されることが示された。この結果は以下のように解釈できる。植物が炭酸塩ストレスを受けると細胞内HCO3-濃度が増加するためPEPCaseの活性が上昇して解糖系の反応を促進し、細胞質が酸性に傾くことが考えられた。これに対してNADP-MEはプロトンを消費して細胞内のpHを調節するという重要な役割を果たすと考えられた。一方、P-ATPase遺伝子は炭酸塩ストレスによって大量に誘導されることから、プロトンを細胞外に排出することによって酸性化された細胞内のpHを調節することが示唆された。

 本研究の結果から炭酸塩ストレス下においては、細胞内の代謝が変化し、プロトンの生産・伝達あるいは電子伝達の過程で異常が起こることが考えられ、細胞内のpHが変化することと、電子伝達の障害により活性酸素が生じるため酸化ストレスを受けることによって植物の成育に障害を起こるが考えられた。したがって細胞内pHの調節機構と、活性酸素の解毒の機構を強化することによって、植物のストレス耐性を高めることができる可能性があると考えられた。また、植物細胞内における電子伝達系の機能安定性を強化することにより、植物のストレス耐性を高めることができるのではないかと考察することができた。

審査要旨 要旨を表示する

 中国での不良土は全耕地の1/3に当たる。その中でもアルカリ性土壌は、中国の遼寧省、吉林省、黒龍江省などの地域に広く分布し、大きな問題である。アルカリ性土壌は塩類集積土壌で、主に炭酸水素ナトリウムや炭酸ナトリウムが集積しているが、これらの塩が加水分解することによってアルカリ性を呈する。この2種類の塩が植物に与えるストレスを本論文で炭酸塩ストレス(Carbonate stress)と呼ぶ。本論文では、イネにおいて炭酸塩ストレスと関連すると考えられる遺伝子、またこのストレスに対して応答する遺伝子をクローニングし解析した。またその結果に基づき、新たな視点から植物の炭酸塩耐性のメカニズムの検討を試みた。

 1章の緒論では、研究の背景、意義と目的について述べている。

 2章では炭酸塩ストレスがイネの成育におよぼす影響について解析した。炭酸ナトリウムストレスと炭酸水素ナトリウムストレスを比較すると炭酸ナトリウムストレスの方が生育阻害の程度が大きいことが分った。また、ほぼ同じpH、ナトリウムイオン濃度に調製しても、NaCl処理に比べ炭酸塩ストレスの方が植物に強い生育阻害を与えていることから、炭酸塩ストレスには高濃度のナトリウムイオンによるストレス、高pHストレスに加えて、HCO3-とCO32-とが植物に強い生育阻害効果を持つことが示唆された。

 3章では炭酸脱水酵素遺伝子のクローニングおよび発現特性の解析を行った。その結果、イネのCA遺伝子はORFに対応する塩基配列が8060bpで、この遺伝子は8つのexsonとは7つのintronから構成されていることが判明した。次にCA遺伝子の発現特性について解析した。CA遺伝子は葉で多く発現しているが、根においては炭酸塩ストレスに誘導されることが明らかになった。また、酸ストレスや弱アルカリ性条件下で大量的に誘導されるなど外部環境のpHに応答することが明らかになった。さらに光の強さなどの因子にも応答していることが判明した。

 4章ではディファレンシャルディスプレイ法と大腸菌を用いた炭酸塩ストレス耐性の機能スクリーニングにより、炭酸塩ストレスと関連する遺伝子の単離および解析を行った。その結果、NADP-MalicEnzyme I(NADP-ME1)、NADP-Malic Enzyme II(NADP-ME2)、Heat shock protein90、L-ascorbate peroxidase(APX)、thioredoxin、ABA and stress inducible proteinなどの遺伝子、およびこれまで相同な配列が報告されていない数種類のタンパク質の遺伝子を単離し、これらの塩基配列と発現特性を解析した。その中で細胞内pHの調節に関わるNADP-ME遺伝子が炭酸塩ストレスに誘導されることから、炭酸塩ストレス条件下では細胞内のpHが異常になることによって、植物は障害を受けることが推察された。一方、活性酸素の解毒系に関与するAPX遺伝子の発現が炭酸塩ストレスによって誘導されているため、炭酸塩ストレスによっても活性酸素が生成することにより酸化ストレスを受けていることが示唆された。

 5章では炭酸塩ストレスが細胞内のpH制御メカニズムに及ぼす影響について解析するために、植物細胞内のpH調節に関わると考えられる遺伝子のストレス下における発現特性を調べた。その結果、NADP-ME、PEPCase遺伝子は炭酸塩ストレスに誘導されること、さらに3つの酵素は根およびカルスにおいては酸性ストレス条件下で発現量が増加することが分かった。また、細胞膜ATPase(P-ATPase)遺伝子の発現は炭酸塩ストレスによって大量に誘導されており、また液胞膜PPase(v-PPase)遺伝子も炭酸塩ストレスによって誘導されることが示された。この結果は以下のように解釈できる。植物が炭酸塩ストレスを受けると細胞内HCO3-濃度が増加するためPEPCaseの活性が上昇して解糖系の反応を促進し、細胞質が酸性に傾くことが考えられた。これに対してNADP-MEはプロトンを消費して細胞内のPHを調節するという重要な役割を果たすと考えられた。一方、P-ATPase遺伝子は炭酸塩ストレスによって大量に誘導されることから、プロトンを細胞外に排出することによって酸性化された細胞内のpHを調節することが示唆された。

 以上本研究はアルカリ性土壌における炭酸塩ストレスが植物に与える障害と耐性機構について分子レベルで詳細に検討したものであり、学術上、応用上貢献することが少なくない。よって審査委員一同は本論分が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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