学位論文要旨



No 116184
著者(漢字) 岩永,将司
著者(英字)
著者(カナ) イワナガ,マサシ
標題(和) カイコ核多角体病ウイルスによる宿主制御に関する研究
標題(洋)
報告番号 116184
報告番号 甲16184
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2214号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小林,正彦
 東京大学 教授 日比,忠明
 東京大学 教授 田付,貞洋
 東京大学 教授 永田,昌男
 東京大学 助教授 嶋田,透
内容要旨 要旨を表示する

 バキュロウイルスは節足動物に特異的に感染するウイルスで、核内で増殖し、多角体または顆粒体と呼ばれる包埋体を多量に形成する。バキュロウイルスは、野外での保存性に優れた包埋体に包含される包埋ウイルス(ODV)と、宿主内での感染に必須の出芽ウイルス(BV)という異なる二段階の形態をとり、迅速な感染を果たすことができる。一般に、バキュロウイルスは130〜180の遺伝子をもつとされ、その中には宿主の細胞周期を制御する遺伝子や、宿主昆虫を死後に溶解する遺伝子など、宿主を細胞レベルから個体レベルで制御している遺伝子の存在が明らかにされているが、半数近い遺伝子の機能については未だ明らかになっていない。

 一方、バキュロウイルスの主な宿主である鱗翅目昆虫は、完全変態によってその発育階梯の目的に適応した形態を形成することができる。特に蛹化期には、幼虫組織が崩壊され、成虫原基が著しい成長を遂げる。この幼虫組織の崩壊は再現性を持って観察されることから、programmed cell deathと定義できる。programmed cell deathは、その過程の違いによってアポトーシスとネクローシスとに分類されるが、変態期に崩壊する代表的な組織である幼虫脂肪体組織は、アポトーシスによって崩壊するものと推測されている。

 本研究は、バキュロウイルスの一種であるカイコ核多角体病ウイルス(BmNPV)の宿主制御機構について、ウイルス感染が蛹化期の脂肪体崩壊を阻止するという現象を中心に、解明を試みたものである。

 1.BmNPV感染によるカイコ蛹化期脂肪体崩壊阻止の解析

 カイコの脂肪体の崩壊がBmNPVによって阻止されるかどうかを調べるため、蛹化直後のカイコ蛹にBmNPVを接種し、脂肪体の様子を観察した。その結果、BmNPVの感染は蛹化後48-72時間で脂肪体の崩壊を阻止することが明らかになった。また、BmNPVの感染を経時的に行った場合(蛹化前48、24時間、蛹化後0時間、24時間)、どの場合にも蛹化後48時間で脂肪体崩壊阻止が観察された。しかし、蛹化後48時間においてBmNPVを感染させた場合には、24時間後の蛹化後72時間に崩壊阻止が観察された。これらのことから、脂肪体の崩壊阻止にはウイルス感染後少なくとも24時間を必要とするものと考えられた。更に、脂肪体の崩壊はゲノムDNAのラダー化を伴うアポトーシスによるもので、ウイルスの感染はこのゲノムDNAのラダー化までを阻止することが分かった。パルスラベルアッセイからは、ウイルスの感染は低く抑えられていた蛹の脂肪体のタンパク質合成能を復帰させていることが分かった。BmNPVは、アポトーシスの阻止因子であるp35を持つことが知られているが、興味深いことにp35の欠損株Bmp35Dの感染によっても脂肪体の崩壊は確認された。これはウイルス感染による脂肪体の崩壊阻止が一つの遺伝子産物の結果ではなく、より複雑な機構に基づくことを示唆した。

 次に、蛹化期脂肪体のprogrammed cell deathの機構について総合的な解析を試みた。まず、ウイルス感染カイコ蛹脂肪体のcDNAライブラリーを作製し、ランダムDNAシークエンス解析から得られたEST(Expressed Sequence Tag)を構築した。得られたクローンの相同性検索の結果、蛹化期脂肪体は遺伝子発現の4.5%を種々のプロテアーゼが占める異常な状態にあることが明らかになった。これらはprogrammed cell deathによる脂肪体崩壊の直接的要因になっていると考えられたので、バキュロウイルスはこの様な異常な状況でも感染し、なおかつ増殖を果たしていることが示唆された。更に、ウイルスによる脂肪体崩壊阻止に関わる宿主側因子を同定する為、diffrential display(DD)法及びcDNAサブトラクション法を用いた。その結果、ガン細胞で特異的に発現するprotein OS-9や、protein D53の相同遺伝子の発現が抑制され、抗バクテリア活性を持つヘモリンの相同遺伝子の発現は促進されていることが明らかになるなど、ウイルスによる宿主遺伝子の発現制御が確認された。しかし、多くのクローンについては既知遺伝子に相同性が認められていなく、さらに解析を進めることで脂肪体崩壊やウイルスによる崩壊阻止機構について理解が得られるものと考えられた。

 2.BmNPV遺伝子欠損株を用いた蛹化期脂肪体崩壊阻止機構の解析及びorf68遺伝子の解析

 脂肪体崩壊阻止に関わるウイルス側因子を同定する為、62種類のBmNPVの遺伝子欠損株を蛹化直後のカイコに感染し、脂肪体崩壊の様子を観察した。その結果、BmNPVのorf68の欠損株(BmD68)が脂肪体崩壊阻止に著しい遅延をもたらすことがわかった。そこで、BmD68の感染能力を個体・細胞レベルにおいて調べた。個体レベルではウイルスの半数致死量(LD50)と半数致死時間(LT50)を解析した結果、BmD68のLD50は野生株と同程度であったがLT50には著しい遅延が認められた。また二次感染に働くBVの増殖曲線を細胞系で調べた結果、BmD68のBV増殖は野生株に比べて著しい遅延が観察され、このBVの増殖の遅延が脂肪体崩壊阻止の遅延に結びついたものと考えられた。遺伝子解析の結果、のorf68は感染後12時間よりバキュロウイルスの後期遺伝子発現モチーフから転写される典型的な後期遺伝子であることが明らかになった。これはORF68がウイルスゲノムDNAの複製には無関係で、他の段階のBVの増殖において何らかの機能を果たしていることを示唆する。そこで、BVのattachment、entry、buddingについて解析を行った結果、BmD68にはentry及びbuddingの能力の低下が認められた。更にORF68の抗体を作製しウェスタン解析を行った結果、ORF68はBVのエンベロープタンパク質であることが分かった。これは、orf68の欠損がBVのentry及びbuddingに影響を与えたという結果を強く支持した。更に、ORF68には何らかの翻訳後修飾がなされている可能性の示唆や核膜の核内側に凝集している様子の観察は、ORF68がBVのtegumentとしてキャプシドの核内外輸送や細胞質移行に関与していることを示すものであった。

 3.BmNPV感染によるBmN細胞での宿主遺伝子発現制御の網羅的解析

 バキュロウイルスによる宿主制御機構をより詳細に解析するために、培養細胞を用いたサブトラクションを行った。その結果、多様なクローンがウイルスの感染によって発現の制御を受けていることが判った。中には、細胞周期に関わるCDK7や、哺乳類でのウイルス感染後に見られるCTL(cytotoxic T lymphocyte)による感染細胞溶解などの毒性を阻害するserpinなど、非常に興味深いクローンが多数得られた。また、既知の遺伝子に相同性の認められないクローンも多数得られ、ウイルスが制御する宿主側の遺伝子発現が多岐に渡ることが推測された。今後詳細な研究を行うことで、ウイルスの果たす宿主制御が包括的に理解されると考えられた。

 本研究では、主に鱗翅目昆虫の特徴である変態期のprogrammed cell deathとウイルス感染という異なる現象を実験的に組み合わせることにより、バキュロウイルスによる宿主制御について新たな知見を得ることができた。それにより、バキュロウイルスが多様な宿主制御を行うウイルスであり、感染遂行のために複雑な宿主制御機構を構築していることが示唆されたが、今後は、現在進んでいるカイコのESTやBACのデーターベース等を利用することで、さらに多くの情報を得ることができると考えられる。これらを利用したBmNPVによるカイコに対する宿主制御機構の更なる解明は、ヒトなど免疫系が複雑な為に宿主制御機構が解明し難い分野の研究に対しても、新たな発展をもたらすものであると期待できる。

審査要旨 要旨を表示する

 バキュロウイルスは節足動物に特異的に感染するウイルスで、核内で増殖し、多角体または顆粒体と呼ばれる包埋体を多量に形成する。バキュロウイルスは、保存性に優れた包埋体に包含される包埋ウイルス(ODV)と、細胞間及び組織間の感染に必須の出芽ウイルス(BV)という二つの異なる機能形態をとり、迅速な感染を果たすことができる。同時に、バキュロウイルスのもつ130〜180の遺伝子の中には宿主の細胞周期を制御する遺伝子や、宿主昆虫を死後に溶解する遺伝子など、宿主の発生等を種々のレベルで制御している遺伝子の存在が少しずつ明らかにされてきている。

 本論文は、バキュロウイルスの一種であるカイコ核多角体病ウイルス(BmNPV)の宿主制御機構について、ウイルス感染が蛹化期の脂肪体崩壊を阻止するという新たに発見した現象を中心に解明を試みたもので、4章からなる。

 第1章では、BmNPV感染によるカイコ脂肪体の崩壊の阻止現象について、蛹化前後のカイコにBmNPVを経時的に接種し、脂肪体の形態的な変化と分子レベルの変化を解析した。すなわち、蛹化後24時間までにBmNPVを接種した場合には、通常では蛹化後48時間で始まる脂肪体の崩壊が起こらず、蛹化後48時間に接種した場合には、蛹化後72時間に崩壊阻止が観察されたことから、脂肪体の崩壊阻止にはウイルス感染後少なくとも24時間を要するものと考えた。また、脂肪体の崩壊はゲノムDNAのラダー化を伴うが、ウイルスの感染はこのラダー化を阻止することも明らかにした。崩壊過程では脂肪体のタンパク質合成能は極めて低い状態になるが、ウイルスの感染によりこれが復活することをパルスラベルアッセイにより明らかにした。BmNPVは、アポトーシスの阻止因子であるp35を持つことが知られているが、p35の欠損株(Bmp35D)の感染によっても脂肪体の崩壊は起きたことから、ウイルス感染による脂肪体の崩壊阻止は複数の遺伝子が関与する複雑な機構に基づくことが示唆された。

 第2章では、蛹化期脂肪体のprogrammed cell death機構の解析結果を述べている。まず、ウイルスに感染したカイコの脂肪体のcDNAライブラリーを作製し、ランダムDNAシークエンス解析から得られたEST(Expressed Sequence Tag)を構築した。得られたクローンの相同性検索の結果、蛹期脂肪体は遺伝子発現の4.5%を種々のプロテアーゼが占める状態にあり、これらが脂肪体崩壊の直接的要因になっていると考えられた。バキュロウイルスはこの様な状況で感染し、増殖するため脂肪体の崩壊を阻止するが、それに関わる宿主側因子は、ガン細胞で特異的に発現するprotein OS-9や、proteinD53の相同遺伝子の発現が抑制され、抗バクテリア活性を持つヘモリンの相同遺伝子の発現は促進されていることを、differential display法及びcDNAサブトラクション法を用いて明らかにし、ウイルスによる宿主遺伝子の発現制御を確認した。

 第3章では、62種類のBmNPVの遺伝子欠損株について調べ、orf68の欠損株(BmD68)が脂肪体崩壊阻止に著しい遅延をもたらすことを明らかにした。すなわち、二次感染に働くBmD68のBVの増殖は野生株に比べて著しく遅延し、これが脂肪体崩壊阻止の遅延に結びついたものと考えられた。また、orf68は感染12時間後より後期遺伝子発現モチーフから転写される典型的な後期遺伝子で、その転写産物のORF68は、entryやbuddingの能力の低下をもたらすBVのエンベロープタンパク質であり、BVのtegumentとしてキャプシドのbuddingや細胞質移行に関与していることを示した。

 第4章では、BmNPV感染による培養細胞での宿主遺伝子発現制御について、サブトラクションを行った結果について述べている。すなわち、多様なクローンがバキュロウイルスの感染によって発現の制御を受けていることが判明し、中には、細胞周期に関わるCDK7や、哺乳類でのCTL(cytotoxic T lymphocyte)による細胞毒性を阻害するserpinなど、興味深いクローンが多数得られた。また、既知の遺伝子に相同性の認められないクローンも多数得られ、ウイルスが制御する宿主側の遺伝子発現が多岐に渡ることが推測された。

 以上要するに、本研究は、カイコ核多角体病ウイルスの感染により脂肪体の崩壊が阻止される現象を、分子生物学的に解明しバキュロウイルスの多様な宿主制御機構の一面を明らかにしたものであり、学術上、応用上、有意義な知見を得ている。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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