学位論文要旨



No 116185
著者(漢字) 高梨,琢磨
著者(英字)
著者(カナ) タカナシ,タクマ
標題(和) アズキノメイガにおける性フェロモン生産と反応性の遺伝学
標題(洋) Genetics of sex pheromone production and response in the adzuki bean borer,Ostrinia scapulalis
報告番号 116185
報告番号 甲16185
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2215号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田付,貞洋
 東京大学 教授 岸野,洋久
 東京大学 助教授 久保田,耕平
 東京大学 助教授 嶋田,透
 東京大学 助教授 石川,幸男
内容要旨 要旨を表示する

 一般的にガのメスは複数の化学物質からなる性フェロモンを生産・放出し、オスは性フェロモンに反応して交尾にいたる。性フェロモンは種認識のシグナルとして重要で、高い種特異性を示すのが普通である。同種のオス・メス間で円滑な性的コミュニケーションができるように、メスが生産する性フェロモン組成とオスの反応する性フェロモン組成は同調し、変異が減る方向に進化してきたとしばしば考えられてきた。しかし、メスの性フェロモン生産とオスの反応性には種内変異が存在することも報告されている。このような変異の遺伝基盤を知ることは、性フェロモンとそれに対する反応性の進化を考える上で必須であるが、研究例は非常に少ない。

アズキノメイガのメス性フェロモンの遺伝的変異

 アワノメイガ属の一種、アズキノメイガのメス性フェロモン成分は、11-テトラデセニルアセテートの2種の幾何異性体(E11-14:OAc、Z11-14:OAc)である。野外(千葉)より採集したメスのフェロモンを個体毎にガスクロマトグラフィー分析したところ、E11-14:OAcの比率(%E)で示すと、(1)0-30%EのZタイプ、(2)35-95%EのIタイプ、(3)95-100%EのEタイプ、の3種のフェロモンタイプがあることがわかった。これらのフェロモンタイプが遺伝的支配を受けているかを明らかにするため、野外採集個体よりZタイプとEタイプの変異系統の選抜を試みた。その結果、Zタイプ、Eタイプともに変異系統を確立でき、数世代に渡り表現型が安定していることから、両者は遺伝的な変異であることが明らかになった。

メス性フェロモンの遺伝

 メス性フェロモン組成比の遺伝様式を調べるために、Zタイプ、Eタイプの変異系統間の交雑実験をおこなった。F1メスは中間的なIタイプのフェロモンを生産した。正逆交配で差が見られなかったことから、フェロモンタイプを支配する遺伝子座は常染色体上にあると推測された。F1をZタイプ、Eタイプへ戻し交雑した結果、Iタイプと親系統の表現型が1:1の比で見られた。F2では、Zタイプ、Iタイプ、Eタイプのフェロモンが1:2:1で現れた。これらのことから、フェロモン組成変異の遺伝様式がメンデル則に従い、常染色体にある単一遺伝子座上の2対立遺伝子Z,Eに主に支配されていることが明らかになった。すなわち、Zフェロモンタイプは遺伝子型ZZ、Eフェロモンタイプは遺伝子型EE、Iフェロモンタイプは遺伝子型ZEとそれぞれ表せられる。

 メス性フェロモン組成比の変異はIタイプ、Zタイプ内でも見られた。特にIタイプの変異の幅は広く、フェロモン組成比の頻度分布が2山型になる場合もあった。このようなIタイプ内の変異を家族分析により検討した結果、Iタイプフェロモンの組成比を変える遺伝因子の存在が明らかになった。Zタイプ内の変異についても、組成比を変える遺伝因子があると推測された。こられのことから、メス性フェロモン変異には、1つの遺伝子座と少なくとも2つの遺伝因子が関与していると考えられた。

野外におけるメス性フェロモンの変異

 フェロモン変異が野外でどのように存在するかを知るために、野外集団(千葉、宮城、岩手、他計11地点)の調査をおこなった。その結果、フェロモンタイプの存在比率に地理的変異がみられた。すなわち、宮城・岩手を含む東北地方の7集団ではEタイプが多く、千葉を含む関東地方の4集団では3タイプすべてが見られた。性フェロモンの集団内変異は昆虫において非常に珍しい。

 千葉・宮城・岩手3集団のフェロモンタイプの動態を2-5年間に渡って調べたところ、千葉・宮城の2集団では変動が小さかった。一方、岩手ではZタイプ優勢からEタイプ優勢へと大きな変動が見られた。岩手を含む東北7集団ではヘテロ接合体Iタイプがほとんど見られず、同一フェロモンタイプ内の交配が多くおこっていると思われた。しかし、千葉では、フェロモン遺伝子Z、Eの頻度がハーディー・ワインベルグ平衡を仮定した場合の期待値と変わらず、異なるフェロモンタイプ間の交配も多くおこっていると考えられた。野外採集したメスの次世代を調べた結果によっても上記の集団ではそれぞれ、同一フェロモンタイプ内、異なるタイプ間の交配がおこっていることが示された。

オス反応性の変異

 メスの性フェロモン変異に対応して、フェロモンに対するオスの反応性にも遺伝的変異があると予測された。フェロモンZタイプの系統とEタイプの系統それぞれのオスについて、合成フェロモンの各タイプに対する行動反応を室内風洞中で調べた。その結果、Zフェロモン系統のオスはZタイプの合成フェロモン(2%E)を選択的に好むZ反応タイプであること、Eフェロモン系統のオスはEタイプの合成フェロモン(99%E)を好むE反応タイプであること、が示された。数世代にわたって観察した結果、Zフェロモン系統、Eフェロモン系統のオスの反応性は安定していた。このことから、ZおよびEフェロモン系統はフェロモンに対するオスの反応に関しても遺伝的に異なる系統、ZおよびE反応系統であると考え、以下の交雑実験をおこなった。

オス反応性の遺伝

 Z反応系統とE反応系統の交雑実験により、フェロモンに対するオスの反応性の遺伝様式を調べた。F1オスは、正逆ともにIタイプの合成フェロモン(65%E)に強く反応し、Zタイプ、Eタイプの合成フェロモンにも反応した(I反応タイプ)。戻し交雑とF2、Z反応系統、E反応系統およびF1の反応性を比較した。その結果、オスの反応性の変異は性染色体上の遺伝子座の支配を強く受けていることが考えられた。

 メスには様々なフェロモン組成がみられるが、それらに対してZ、I、E反応タイプのオスがどのように反応するのかを調べた。I反応タイプのオスはZタイプ(2%E)、Iタイプ(65%E)、Eタイプ(99%E)の合成フェロモンの他に15,45,75,90%Eの合成フェロモンにも反応した。Z反応タイプは2-65%Eの合成フェロモンに対して、E反応タイプは45-99%Eの合成フェロモンに対して反応した。フェロモンに対する反応性の広さがタイプ間で異なる結果、フェロモンおよび反応性の変異に基づく選択的な交配がおこっていることが示唆された。

野外におけるメス性フェロモンとオス反応性の遺伝的な連関

 メスの性フェロモン変異を支配する遺伝子座は常染色体に、オスの反応性変異を支配する遺伝子座は性染色体に座乗しており、連鎖していないにもかかわらず、ZおよびE系統にはフェロモンと反応性に遺伝的な連関が見られた。このような遺伝的な連関が野外集団内でどの程度あるのか、千葉と岩手から次世代メスのフェロモンがZタイプかEタイプだけの単型家族を選抜し、そのオスの反応性を観察した。Eフェロモンタイプが優勢の岩手集団のオスは、メスのタイプと対応したE反応タイプを示す家族が多かった。E反応タイプとI反応タイプの交雑と思われる家族もみられた。これらのことから岩手集団内ではメスのフェロモンとオスの反応性の連関が強いと考えられた。次に、Z、I、Eフェロモンタイプのすべてが見られる千葉の集団で、メスがZフェロモンタイプだけの家族の反応性を調べた。その結果、Z反応タイプの家族は見つからず、I反応タイプの家族およびZ、I、Eタイプの合成フェロモンに等しく反応する家族が見つかった。千葉ではメスのフェロモンとオスの反応性の連関がとても弱いことが示され、野外集団によって連関の程度が異なることがわかった。

性的魅力と性的好みの進化

 オス・メス間の性的魅力と性的好みに関する遺伝様式や遺伝的な連関は、性選択における重要な理論の前提条件であるにもかかわらず、動物全体を見渡しても報告例は非常に少ない。本研究はアズキノメイガについて、メスの性フェロモン生産とオスの反応性の種内変異が、少数の遺伝子座によって支配されることを明らかにした。また、野外においてメスの性フェロモン、オスの反応性、そして両者の遺伝的な連関が集団間で異なっていることも示された。フェロモンおよび反応性に関して異なるタイプ間の交配が野外集団内でおこっていることから、それらの変異が種内で維持されていることが示唆された。理論的には、性選択によって性的魅力と性的好みの進化的な変化により分化がおこり、その結果、それらの変異はなくなると考えられている。しかし、アズキノメイガにおいてメスの性フェロモンとオスの反応性が共に進化的変化の途中であるとは結論できず、それらの変異が集団の分化、さらには種分化にいたりそうにもない極めて珍しい事例であると考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

 昆虫の性フェロモンは高い種特異性を示すのが普通である。同種の雌雄間で円滑な性的コミュニケーションができるように、雌の性フェロモン組成と雄の反応する性フェロモン組成は同調し、多くの場合これらの変異は小さい。しかし、これらに種内変異が存在する例もあり、変異の遺伝的基盤を知ることは、性フェロモンとそれに対する反応性の進化を考える上で重要であるが、研究例は非常に少ない。本研究はマメ科作物の重要害虫アズキノメイガの性フェロモンにおいて、稀な現象である集団内変異を含む種々の変異の遺伝的解析を行ったものである。

アズキノメイガの雌性フェロモンの遺伝様式および地理的変異

 本種の性フェロモン成分は、11-テトラデセニルアセテートの2種の幾何異性体(E体とZ体)である。野外雌を個体別に分析し、Z体の多いZタイプ、E体の多いEタイプ、中間のIタイプの3タイプを認めた。野外個体からZタイプとEタイプを選抜し、安定した両タイプの系統を確立した。つぎに遺伝様式を調べるために、Z、Eタイプ間の交雑を行った。F1はIタイプを示し、かつ正逆で差がなかったので、支配する遺伝子座は常染色体上にあると推測された。さらに、戻し交雑およびF2における分離比から、遺伝様式がメンデル則に従い、単一遺伝子座上の2対立遺伝子Z,Eに支配されていると考えられた。さらに、性フェロモン組成比の変異はIタイプ、Zタイプ内でも見られた。家族分析の結果、それぞれ組成比を変える遺伝因子の存在を明らかにした。これらから、雌性フェロモンの変異には、1遺伝子座と少なくとも2遺伝因子が関与していると考えられた。

 野外での性フェロモンの変異を11地点で調べた。東北地方の7集団ではEタイプが優勢、関東地方の4集団では集団内に3タイプすべてが見られた。このような性フェロモンの集団内変異は昆虫では稀である。東北地方の集団にはIタイプがほとんど見られず、同一タイプ内の交配が多いと思われたが、千葉では同一タイプ内と異なるタイプ間の交配がともによくおこることが示された。アズキノメイガ雄の性フェロモン反応性の変異と遺伝様式

 性フェロモンに対する雄の反応性にも遺伝的変異があると予測された。Z、Eタイプ系統それぞれの雄の各タイプのフェロモンに対する行動反応を室内風洞で調べた。ZとEタイプ系統の雄はそれぞれのタイプのフェロモンを好むZ反応タイプとE反応タイプであることが示された。反応性は安定しており、ZおよびEフェロモン系統はフェロモンに対する雄の反応性に関しても遺伝的に異なる系統、ZおよびE反応系統であると考えられた。

 Z、E反応系統の交雑実験により、雄反応性の遺伝様式を調べた。F1雄は、正逆ともIタイプのフェロモンに最も強く反応し、Zタイプ、Eタイプの合成フェロモンにも反応した(I反応タイプ)。Z反応系統、E反応系統およびF1、戻し交雑およびF2の反応性の比較から、雄の反応性の変異は性染色体上の遺伝子座の支配を受けていると考えられた。様々なフェロモン組成に対する各反応タイプの雄の反応性を調べたところ、反応性の広さがタイプ間で異なり、フェロモンおよび反応性の変異に基づく選択的交配が示唆された。

野外における雌性フェロモンと雄反応性の連関

 雌の性フェロモン変異を支配する遺伝子座と雄の反応性変異を支配する遺伝子座は別の染色体に座乗するにもかかわらず、ZおよびE系統ではフェロモンと反応性に連関が見られた。野外での状況を知るために、千葉と岩手から次世代の雌フェロモンがZかEタイプだけの単型家族を選抜し、その雄の反応性を調べた。フェロモンEタイプが優勢な岩手集団では、雄もE反応タイプを示す家族が多く、フェロモンと反応性の連関が示唆された。3タイプのフェロモンが見られる千葉集団では、Zフェロモンタイプだけの家族でも雄反応性はZ反応タイプに加えてI反応タイプの家族、どのタイプのフェロモンにも等しく反応する家族が見つかり、フェロモンと反応性の連関は弱かった。以上から野外集団によって連関の程度が異なることがわかった。

 本研究は、アズキノメイガにおける性フェロモン生産と反応性の種内変異がいずれも少数の遺伝子座の支配下にあることを明らかにし、また、雌の性フェロモンと雄の反応性、および両者の遺伝的連関が集団間で異なることを示した。さらにフェロモンおよび反応性に関する変異が種内で維持されていることから、雌の性フェロモンと雄の反応性の変異が共に集団の分化にいたる可能性を示さない極めて珍しい事例であると考えられた。以上の知見は学術上および応用上の価値が高く、審査委員一同は本論文が博士(農学>を授与するに十分であると認めた。

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