学位論文要旨



No 116186
著者(漢字) 野村,路一
著者(英字)
著者(カナ) ノムラ,ミチカズ
標題(和) タマネギバエにおける冬休眠と夏休眠の覚醒に関する研究
標題(洋) Studies on completion of winter and summer diapause in the onion maggot,Delia antiqua
報告番号 116186
報告番号 甲16186
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2216号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田付,貞洋
 東京大学 助教授 嶋田,透
 東京大学 助教授 石川,幸男
 玉川大学農学部 教授 佐々木,正己
 聖マリアンナ医科大学 講師 小川,賢一
内容要旨 要旨を表示する

 タマネギバエ(Delia antiqua)は、ハナバエ科(Anthomyiidae)に属する著名なネギ類(Allium属)の害虫で、ヨーロッパ、北アメリカ、アジアなど北半球に広く分布する。本種は日本において年3〜4世代を繰り返すが、この間、冬休眠蛹として越冬するほか、夏休眠蛹として盛夏を過ごすことが知られている。冬休眠と夏休眠は、「発育の自発的停止」という点では共通しているが、その生理的状態の相違についてはほとんど何もわかっていないのが現状である。冬休眠と夏休眠を同一発育ステージでおこなう昆虫の例はあまり多くはなく、本種は夏休眠と冬休眠の生理的特性を比較・検討するための優れた研究材料であると考えられた。本研究は、冬休眠と夏休眠における生理的状態の相違をその覚醒条件の相違から明らかにようとしたものであり、具体的には、温度、日長などの環境要因が夏休眠および冬休眠の覚醒に及ぼす影響を綿密かっ詳細に調査し、比較・検討したものである。

1)休眠誘導点に関する研究

 上述のように、冬休眠と夏休眠が同じ発育ステージで誘導される種では、それらの生理特性を比較することで、休眠に関するより深い知見を得ることが可能である。しかし、これら2種の休眠が同一ステージ内における異なる発育停止点(休眠誘導点)でおこなわれる種が報告されている。タマネギバエにおける冬休眠と夏休眠の誘導点を、蛹の全発育と後休眠発育に必要な有効積算温度から推定した。冬休眠蛹は蛹期間の15%が終了した点で発育停止し、夏休眠蝿においても15%であった。この結果からタマネギバエにおいては、冬休眠と夏休眠の休眠誘導点は同じであると推定された。

2)環境要因が冬休眠の覚醒に及ぼす影響に関する研究

温度の影響

 低温が休眠覚醒に及ぼす影響を詳細に調べるために短期間(20または30日)の低温(5.6℃)処理を、開始期を様々に変化させておこなったところ、休眠の前期と後期とでその影響が異なることが判明した。休眠前期に低温処理を施した場合、無処理区と比較して休眠期間に変化は見られなかった。一方、休眠後期に施した場合は処理期間に応じて休眠期間が延長された。この結果により、冬休眠の休眠発育(休眠終了過程)には温度感受性が異なる2つの相(第1相および第2相)が存在することが示唆された。また、休眠発育の相変化は休眠発育が約45%進行した点でおこなわれると推定された。

休眠発育第1相における温度と休眠発育速度の関係

 囲蛹化10日後の冬休眠蝿に、様々な温度(-5℃から20℃)処理を、期間を変化させて施し、15℃一定条件下と比較した休眠期間の変化から休眠発育第1相における温度と休眠発育速度の関係を調べた。-5℃と0℃による温度処理では、その処理期間に比例し休眠期間が延長された。これは、休眠発育速度が低下したことを示している。一方、2.5℃以上の温度処理では休眠期間に大きな変化は見られなかった。これは、休眠発育が同じ速度で進んだためと考えられる。

 15℃の温度条件下では休眠発育が一定速度で進行すると仮定し、それぞれの処理温度下における休眠発育速度を推定した。15℃条件下での休眠発育速度を1とした場合、-5℃、0℃、2.5℃、5.6℃、10℃、および20℃条件下での休眠発育速度は、それぞれ、0.4、0.5、0.9、1、1、および1であった。

休眠発育第2相における温度と休眠発育速度の関係

 囲蛹化55日後の冬休眠蛹に、様々な温度(-5℃から20℃)処理を、期間を変化させて施し、休眠発育第2相における温度と休眠発育速度の関係を調べた。-5℃から10℃の温度処理では、処理期間に比例して休眠発育が延長され、この温度範囲では休眠発育速度が低下することが判明した。しかし、20℃の温度処理では休眠期間が短縮され、この温度下では休眠発育速度が上昇することが示された。

 第1相と同様に15℃の温度条件下における休眠発育速度から、それぞれの処理温度下における休眠発育第2相の速度を推定した。15℃条件下での休眠発育速度を1とした場合、-5℃、0℃、2.5℃、5.6℃、10℃、および20℃条件下での休眠発育速度は、それぞれ、0.2、0.3、0.4、0.6、0.7、および1.4であった。これにより休眠発育第2相では、温度上昇に従い休眠発育速度が上昇することが判明した。

休眠覚醒に及ぼす日長の影響

 多くの昆虫において、冬休眠の覚醒に日長が関わることが報告されている。タマネギバエの冬休眠蛹を囲蛹化10日、50日、80日後から長日条件(16L-8D)下に移行したところ、どの実験区においても休眠期間が短縮された。これにより長日条件が休眠覚醒を促進することが示された。また、休眠期間の短縮日数がどの実験区においても同程度であったことから、囲蛹化80日目以後の長日条件が有効であると推察された。また、30日間の長日処理を、それぞれ囲蛹化10日、30日、50日、および80日後から施した場合、80日から処理した実験区のみ休眠期間が短縮された。これらの実験から、長日条件に対する感受性が囲蛹化80日目以後に現れると推察された。

3)環境要因が夏休眠の覚醒に及ぼす影響に関する研究

温度低下が休眠覚醒に及ぼす影響

 夏休眠蛹を休眠誘導条件である25℃、16L-8D条件下に置くと自発的に休眠から覚醒し、囲蛹化25日後から100日後の長期間にわたり散発的に羽化が観察される。囲蛹化10日後の夏休眠蝿を25℃、16L-8D条件から、日長条件は変えずに22.3℃、21℃、18.3℃、15.8℃、および10℃条件下に移し、その後の羽化を調べた。21℃以下の温度処理では顕著な羽化ピークが見られたが、22.3℃では認められなかった。しかし、囲蛹化40日後の夏休眠蝿に同様の処理を施したところ、22.3℃においても羽化ピークが現れた。このことから、夏休眠蛹の低温感受性は日数とともに増すことが示唆された。

休眠覚醒のための最適温度と日数

 夏休眠の最適覚醒温度を求めるために、囲蛹化10日後および20日後の夏休眠蛹に対し、短期間(1日から5日間)の処理を、温度を様々に変化させて施し、それによる休眠覚醒率を求めた。最適温度は囲蛹化後の日齢にかかわらず約16℃であったが、休眠覚醒に要する日数は囲蛹化10日後の蛹では16℃で5日間であったのに対し、20日後の蛹では3日間で十分であることが判明した。日数とともに休眠発育が進行し、それによる休眠深度の低下が原因であると推察された。

日長が休眠覚醒に及ぼす影響

 日長が休眠覚醒に及ぼす影響を調べるために、25℃一定条件下で日長を16L-8D条件から12L-12Dまたは恒暗条件へ移行する処理を、開始期を様々に変化させておこない、その後の羽化を調べた。どの実験区においても羽化パターンに顕著な変化は見られず、日長は夏休眠の覚醒に影響を及ぼさないことが示唆された。

水分が休眠覚醒に及ぼす影響

 亜熱帯性昆虫の夏休眠において、水分との接触が休眠覚醒に影響を与える可能性が示唆されている。タマネギバエの夏休眠に関して、水分との接触が休眠覚醒に及ぼす影響を調べた。乾燥条件においても羽化がみられたことから、水分が休眠覚醒に必須ではないことが示された。しかし、夏休眠蛹を、7日毎、または10日毎に水分と接触させたところ、それぞれ7日毎、10日毎の羽化リズムが現れた。これにより水分との接触が休眠覚醒を促進しているものと推察された。また、それぞれの羽化ピークは水分接触の約14日後に現れており、後休眠発育に12日間を要することから、水分刺激後約2日間で休眠から覚醒しているものと推察された。

 以上、本研究により、夏休眠と冬休眠はその表面上の類似性にかかわらず、休眠覚醒の観点からみると非常に大きく異なっていることが明らかとなった。これは、それぞれの休眠における休眠発育機構が大きく異なるものであることを示し、夏休眠と冬休眠の生理状態自体も大きく異なっていることを示唆している。また、本研究によって、1)夏休眠も冬休眠も発育ゼロ点以下で覚醒し得ること、すなわち、夏休眠においても冬休眠においても、休眠発育は通常の発育とはきわめて異質なプロセスであること、2)冬休眠の休眠発育には温度に対する反応性を異にする2つの相があること、を示すことができた。「休眠発育」はその性質の解明が遅れているため、抽象的な概念に留まっており、現時点ではその分子的メカニズムを調べる段階に達しているとは言い難い。本研究によって得られた、冬休眠および夏休眠の覚醒条件に関する詳細な知見は、今後タマネギバエの休眠発育の生化学的実態に迫るうえで大きく貢献するものと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 ネギ類の害虫、タマネギバエ(Delia antiqua)は日本において年3〜4世代を繰り返すが、いずれも蛹で冬休眠と夏休眠を行う。冬休眠と夏休眠は、「発育の自発的停止」という点で共通しているが、生理状態の相違はほとんどわかっていない。本研究は、本種の冬休眠と夏休眠の生理的相違をその覚醒条件の相違から明らかにするために、温度、日長などが夏休眠および冬休眠の覚醒に及ぼす影響を詳細に比較・検討したものである。

1)休眠誘導点に関する研究

 冬休眠と夏休眠が同じ発育段階で誘導される種では、それらが異なる発育停止点(休眠誘導点)で生じるかどうかに注意を要する。本種では、両休眠の休眠誘導点は蛹の全発育と後休眠発育の有効積算温度から推定したところ、ともに蛹期間の15%点にあった。

2)冬休眠の覚醒に及ぼす環境要因の影響

 温度の影響 種々の時期に低温(5.6℃)処理を行い、低温が休眠覚醒に及ぼす影響を調べた。休眠前期の処理では休眠期間に変化は見られず、休眠後期で処理期間に応じて休眠期間が延長し、冬休眠の休眠発育には温度感受性が異なる2相の存在が示唆された。また、休眠発育の相変化は休眠発育の約45%点でおこると推定された。

 休眠発育第1相における温度と休眠発育速度の関係 休眠発育第1相における蛹に種々の温度処理を施し、温度と休眠発育速度の関係を調べた。0℃以下の処理では処理期間に応じて休眠期間が延長したが、2.5℃以上の処理では休眠期間は変わらなかった。-5℃から20℃までの休眠発育速度は、10℃までは上昇し、それ以上では一定となった。

 休眠発育第2相における温度と休眠発育速度の関係 休眠発育第2相における蛹に種々の温度処理を施し、温度と休眠発育速度の関係を調べた。10℃以下の処理では処理期間に応じて休眠発育速度が低下したが、20℃の処理では休眠発育速度が上昇した。-5℃から20℃までの休眠発育速度は温度上昇に従い上昇した。

 休眠覚醒に及ぼす日長の影響 冬体眠蛹を囲蛹化10日から80日以後に長日条件下に移すと、休眠期間がいずれも同程度短縮され、囲蛹化80日以後の長日条件が短縮に有効であり、長日に対する感受性が囲蛹化80日以後に現れると推察された。

3)夏休眠の覚醒に及ぼす環境要因の影響

 温度低下が休眠覚醒に及ぼす影響 夏体眠蛹は休眠誘導条件下(25℃、16L-8D)でも自発的に休眠覚醒したが、羽化は囲蛹化後25日から100日にわたり散発的行われた。また、囲蛹化10日から40日の間に低温感受性の増大が認められた。

 休眠覚醒のための最適温度と日数 夏休眠の最適覚醒温度を求めるために、囲蛹化10日後および20日後の夏休眠蛹に対し種々の温度処理した結果、最適温度は約16℃であった。また、蛹化後日数の経過とともに休眠発育が進行していることが推察された。

 日長が休眠覚醒に及ぼす影響 25℃で、種々の時期に16L-8D条件から12L-12Dまたは恒暗条件へ移行する処理を行い、その後の羽化を調べた。どの実験区においても羽化パターンには顕著な変化は見られず、日長は夏休眠覚醒に影響を及ぼさなかった。

 水との接触が休眠賞醒に及ぼす影響 夏休眠で水との接触が休眠を覚醒する例が示されている。本種でも水との接触の影響を調べた。夏休眠蛹を一定間隔で水と接触させたところ、それぞれの間隔に対応した羽化リズムが現れ、水との接触が休眠覚醒を促進したと推察された。

 本研究は、タマネギバエの夏休眠と冬休眠は表面上の類似にかかわらず、その生理状態および休眠発育機構が大きく異なること、すなわち夏休眠も冬休眠も発育ゼロ点以下で覚醒し得ること、冬休眠の休眠発育には温度に対する反応性を異にする2つの相があること、などを示した。これらの知見は、本種はもちろん、他の昆虫における休眠発育の生化学的実態に迫るうえできわめて重要であるとともに、応用上にも貢献するところが大きく、審査委員一同は本論文に博士(農学)の学位を授与するに十分な価値を認めた。

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