学位論文要旨



No 116187
著者(漢字) 藤本,浩文
著者(英字)
著者(カナ) フジモト,ヒロフミ
標題(和) ウイルスベクターを用いた転移因子の宿主ゲノムへの挿入機構の解析
標題(洋)
報告番号 116187
報告番号 甲16187
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2217号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小林,正彦
 東京大学 教授 日比,忠明
 東京大学 教授 田付,貞洋
 東京大学 教授 岸野,洋久
 東京大学 助教授 石川,幸男
内容要旨 要旨を表示する

 転移因子(transposableelements)は、生物ゲノム中のある場所から別の場所への自立的移動を可能とする塩基配列である。転移因子もしくは転移活性を有すると想定される配列を生物ゲノムへ人為的に挿入する実験系を構築し、これらの配列の宿主ゲノムへの挿入機構を明らかにすることは、あらゆる生物ゲノム中に存在し現在もなお一部で転移を繰り返している多種多様な転移因子の生物ゲノムへの侵入機構を解明する上で、大きな意義がある。また、解析対象となる転移因子が侵入可能な生物種において、形質転換生物作成のための強力な道具を提供することにもつながる。真核生物における転移因子の挿入機構に関する研究は、主に酵母(Saccaromyses serevisiae)を宿主とした実験系で精力的にすすめられているが、解析に適した宿主と導入ベクターが存在しない等の理由から、酵母以外の生物種においてはほとんどおこなわれていない。

 そこで、本研究では、転移因子もしくは転移因子様配列の宿主ゲノムへの挿入機構を解明するための一般的なモデルとなるような実験系の構築を試みた。

1.実験系の構築

 まず、対象となる転移因子、宿主、導入ベクターを選考した。実験に用いる転移因子は、(日)転移因子自身の機能による挿入が確認できること、(月)挿入の検出が容易であること、(火)性状がある程度判明していること、等の理由から、宿主ゲノムに部位特異的に挿入し、転写によってmRNAが生成されなければ転移活性を持たないRNA介在型が適当ではないかと考え、カイコ由来のnon-LTR型レトロトランスポゾンR2Bmを選考した。R2因子は、多くの昆虫種ゲノムのrRNA遺伝子28S領域に部位特異的な挿入が確認され、配列内部に存在する単一のORFがコードするタンパク質がTPRT(Target Primed Reverse Tanscription)活性を有していることが既にin vitroの実験系において判明している。また、宿主には、ゲノム中にR2Bmを持たない培養細胞C65を選考し、R2Bmを細胞核内で発現させるための導入ベクターとしては、既に昆虫細胞における遺伝子発現系として実用化されているバキュロウイルスAcNPV(Autographa californica Nuclear Polyhedrosis Virus)を選考した。

 次にこれらの選考した転移因子、培養細胞、導入ベクターの組合わせが適切であるかを検証した。R2Bmは、カイコN4系統ゲノムよりクローニングし、全塩基配列を決定した。その配列を、in vitroの実験系でR2Bmタンパク質がTPRT活性を有していると報告されているR2Bmの塩基配列と比較し、5'UTR,ORF,3'UTRの各構成配列がほぼ完全に保存されていることを確認した。次に、C65細胞におけるrRNA遺伝子28S領域のR2Bm挿入部位近傍の配列を調査し、これらの配列がN4系統ゲノム中のR2Bm挿入部位前後の配列と完全に一致することを確認した。これにより、C65細胞ゲノム中にはR2Bmが部位特異的挿入をおこなう際に必要な認識配列が保存されていると判断した。また、PCR法を用いてC65培養細胞にR2Bm様配列がないことも確認した。従って、R2Bmの挿入の有無は、rRNA遺伝子R2Bm挿入部位の上下流およびR2Bm内部に設計したプライマーを組み合わせたPCRを行い、R2Bmが宿主ゲノムに挿入した場合に予想されるサイズの増幅産物を観察することによって検出できるはずであると考えた。

 バキュロウイルスAcNPVをC65培養細胞へ感染させた例はこれまで報告されていない。そこで、C65培養細胞にAcNPV野生株を感染させ、細胞の増殖能への影響とポリヘドリンタンパク質の発現を調査し、ポリヘドリンプロモーターを用いた遺伝子発現系が転移因子挿入機構の解析に利用できるかどうかを検討した。実験の結果、細胞増殖率は低下するものの、完全な増殖停止は観察されなかったことから、AcNPVはC65培養細胞に感染可能だが、細胞内でのウイルスの増殖はほとんど無いか非常に緩やかであると判断された。また、感染9日目の細胞懸濁液のSDS-PAGE像にポリヘドリンの発現が僅かに観察されたことから、ポリヘドリンプロモーターは感染後に正常に作動しているものと判断した。

 以上から、R2BmのmRNAおよびタンパク質を、組換えAcNPVをベクターとして、C65培養細胞核内で発現させる実験系が構築されたと判断し、R2Bmの配列を含む種々の組換えAcNPVを作成し、これらの組換えAcNPVをC65培養細胞に感染させ、細胞ゲノムへの挿入をPCRによって確認することにした。

2.R2Bm配列3'側の挿入様式

 PCRの結果、rRNA遺伝子R2Bm挿入部位の上下流に設計したプライマーを組合わせR2Bmの全長の増幅を試みたが、R2Bmが挿入していないrRNA遺伝子配列の増幅が優先され、アガロースゲル電気泳動像からだけでは挿入の確認が困難であることが判明した。そこで、R2Bmの挿入をR2Bmの3'端と5'端とにわけて観察した。その結果、3'側の挿入が検出された場合には C65細胞に導入したR2Bmの配列のうちORFと3'UTR(UnTranslatedRegion/非翻訳領域)全長が必ず含まれており、3'UTRの一部もしくは全部を欠損した配列、あるいは、ORFの内部の1塩基欠損により正常なR2Bmタンパク質の翻訳が不能となった配列を導入した場合には、両者とも3'側の挿入を示す増幅産物が得られなかった。従って、R2Bmの3'側の挿入にはR2Bmタンパク質の翻訳が可能なORFと3'UTR全長が必須であると判断された。

 当初、R2Bmは自身の構成要素だけで宿主ゲノムへの全長の完全な挿入が可能であると予想し、R2Bm配列の構成要素5'UTR,ORF,3'UTRを組み合わせた配列のみを導入していたが、実験の結果は予想に反し、R2Bm単独では3'側の挿入のみがおこり5'側をゲノムに挿入する能力がないことが判明した。in vitroの実験系によるR2Bmタンパク質の機能解析の結果からも5'側の挿入は確認されていないことから、5'側の挿入には宿主細胞側の機能が必要であることが示唆された。そこで、R2Bmの5'側の挿入は宿主細胞側のDNA修復機能を利用した相同的組換えによって行われるのではないかと予想し、R2Bm配列の5'上流にrRNA遺伝子28S領域のR2Bm挿入部位上流の配列を付加した配列をC65細胞に導入した。その結果、これら28S側の配列を付加した配列を導入したすべての場合で3'側の挿入活性とは無関係に5'側の挿入が観察された.このことは、5'側の挿入と3'側の挿入は独立に行われ、別々に挿入が確認されたからといって、必ずしもR2Bm全長が挿入されたことを示す証拠とはならないことが判明した。

 そこで、R2Bm全長の挿入を確認するために、rRNA遺伝子R2Bm挿入部位の上下流に設計したプライマーを組合わせて行ったPCRの増幅産物に対して、R2Bmの配列をプローブにサザンハイブリダイゼーションを行った。その結果、R2Bm全長に28S側の配列を付加した場合にのみ、R2Bmの全長の挿入を示すシグナルが検出された。従って、R2BmをC65細胞ゲノムに挿入するには、R2Bmタンパク質、3'UTR配列全長、5'上流領域、および、rRNA遺伝子28S領域中のR2Bm挿入部位上流、の配列が必要であることが示唆された。このとき、R2Bmの5'側は宿主ゲノムとの相同的組換えによって、3'側はR2BmタンパクによるTPRT反応によって挿入したのではないかと考えられた。

3.実験系の応用

 以上の推論が正しいことを示すために、R2BmORFのみの配列を導入した組換えAcNPVと、5'端上流にrRNA遺伝子R2Bm挿入部位上流の600bpsの配列を付加し、3'UTR全長を含むが、ORF内に存在する1塩基欠損をもつ配列を導入した組換えAcNPVの2つのベクターを、C65培養細胞に共感染させることでR2Bm配列全長が培養細胞ゲノムへ挿入されるか否かを検証した。これは、前者の組換えウイルスが翻訳したR2Bmタンパク質が、後者のmRNAにtransに作用し、後者の配列をC65細胞ゲノムに挿入するはずであるという考えに基づくものである。結果は予想通り、各々の組換えウイルスを別個に感染させても検出されなかった3'端の挿入が、両ウイルスを混合して細胞に感染させた場合には明瞭に観察されるようになった。また、サザンハイブリダイゼーションの結果から、混合ウイルス感染細胞では、R2Bm全長の挿入を示すシグナルが観察された。

 以上から、本研究において構築した実験系を利用し、実際に転移活性を有しているであろうと推定される転移因子様配列をin vivoで宿主ゲノムに導入することが可能であることが示された。この実験系は対象となる生物種にあわせて適当な転移因子を選択することで、ひとつは転移因子の転移機構の解明に、また形質転換生物を作成するための道具の開発に幅広い応用が期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 転移因子(transposable elements)を生物ゲノムへ人為的に挿入する実験系を構築し、転移因子の宿主ゲノムへの挿入機構を明らかにすることは、あらゆる生物ゲノム中に存在し現在もなお一部で転移を繰り返している多種多様な転移因子の生物ゲノムへの侵入機構を解明する上で、大きな意義があり、形質転換生物作成のための強力な道具を提供することにもなる。真核生物における転移因子の挿入機構に関する研究は、主に酵母を宿主とした実験系で進められているが、解析に適した宿主と導入ベクターが存在しない等の理由から、他の生物種においてはほとんど行われていない。本研究は、カイコを用いて、転移因子の宿主ゲノムへの挿入機構を解明するための実験系の構築を試みたものであり、論文は3章からなる。

第1章 実験系の構築

 転写因子は、宿主ゲノムに部位特異的に挿入し、転写によってmRNAが生成されなければ転移活性を持たないRNA介在型である、カイコ由来のnon-LTR型レトロトランスポゾンR2Bmを用いた。R2因子は、多くの昆虫種ゲノムのrRNA遺伝子28S領域に部位特異的な挿入が確認され、配列内部に存在する単一のORFがコードするタンパク質がTPRT(Target Primed Reverse Tanscription)活性を有していることがin vitroの実験系において判明している。宿主には、ゲノム中にR2Bmを持たない培養細胞C65を用いた。導入ベクターとしては、既に昆虫細胞における遺伝子発現系として実用化されているバキュロウイルスAcNPV(Autographa californica Nuclear Polyhedrovirus)を用いた。

 R2Bmは、カイコN4系統ゲノムよりクローニングし、全塩基配列を決定した。その配列を、酵母のR2Bmの塩基配列と比較し、5'UTR,ORF,3'UTRの各構成配列がほぼ完全に保存されていることを確認した。次に、C65細胞におけるrRNA遺伝子28S領域のR2Bm挿入部位近傍の配列がカイコN4系統ゲノム中のR2Bm挿入部位前後の配列と完全に一致することを確認し、R2Bmが部位特異的挿入を行う際に必要な認識配列が保存されていると判断した。C65培養細胞にAcNPV野生株を感染させ、細胞増殖率は低下するが、ポリヘドリンプロモーターを用いた遺伝子発現系が転移因子挿入機構の解析に利用できることを確認した。

 以上から、組換えAcNPVをベクターとして、R2BmをC65培養細胞核内に導入し、R2BmのmRNAおよびタンパク質を発現させる実験系が構築できると判断し、R2Bmの配列を含む種々の組換えAcNPVを作成し、これらの組換えAcNPVをC65培養細胞に感染させ、細胞ゲノムへの挿入をPCRによって確認することにした。

 第2章 R2Bm配列3'側の挿入様式

 PCRの結果、R2Bmが挿入していないrRNA遺伝子配列の増幅が優先され、挿入の確認が困難であったので、R2Bmの挿入をR2Bmの3'端と5'端とにわけて観察した。その結果、R2Bmの3'側の挿入にはR2Bmタンパク質の翻訳が可能なORFと3'UTR全長が必須であると判断された。また、R2Bm単独では3'側の挿入のみがおこり5'側をゲノムに挿入する能力がないことが判明し、5'側の挿入には宿主細胞側の機能が必要であることが示唆された。そこで、R2Bm配列の5'上流にrRNA遺伝子28S領域のR2Bm挿入部位上流の配列を付加した配列をC65細胞に導入した結果、すべての場合で3'側の挿入活性とは無関係に5'側の挿入が観察された。

 次に、R2Bm全長の挿入を確認するために、PCRの増幅産物に対して、R2Bmの配列をプローブにサザンハイブリダイゼーションを行った。その結果、R2Bm全長に28S側の配列を付加した場合にのみ、R2Bmの全長の挿入を示すシグナルが検出された。従って、R2BmをC65細胞ゲノムに挿入するには、R2Bmタンパク質、3'UTR配列全長、5'上流領域、および、rRNA遺伝子28S領域中のR2Bm挿入部位上流、の配列が必要であることが示唆された。このとき、R2Bmの5'側は宿主細胞側のDNA修復機能を利用した宿主ゲノムとの相同的組換えによって、3'側はR2BmタンパクによるTPRT反応によって挿入したものと考えられた。

 第3章 実験系の応用

 以上の推論の検証のため、R2BmORFのみの配列を導入した組換えAcNPVと、5'端上流にrRNA遺伝子R2Bm挿入部位上流の600bpsの配列を付加し、3'UTR全長のORF内に1塩基欠損をもつ配列を導入した組換えAcNPVの2つのベクターを、C65培養細胞に共感染させて、R2Bm配列全長が培養細胞ゲノムへ挿入されるか否かを検証した。その結果、両ウイルスを混合して細胞に感染させた場合には3'端の挿入が明瞭に観察され、サザンハイブリダイゼーションの結果から、混合ウイルス感染細胞では、R2Bm全長の挿入が確認された。

 以上要するに、本論文は、RNA介在型であるカイコ由来のnon-LTR型レトロトランスポゾンR2BmをC65細胞にAcNPVをベクターとして導入する実験系を確立し、転移因子をin vivoで宿主ゲノムに導入することが可能であることを示したものであり、転移因子の転移機構の解明に、また形質転換生物を作成するための道具の開発に幅広い応用が期待される。よって、審査委員一同は、本論文が、博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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