学位論文要旨



No 116188
著者(漢字)
著者(英字) I,Made Samudra
著者(カナ) イマデサムドラ
標題(和) ニカメイガにおけるイネ個体群とマコモ個体群の比較生物学的研究
標題(洋) Comparative studies on biological characteristics between rice-feeding and water-oats-feeding populations in the striped stem borer,Chilo suppressalis
報告番号 116188
報告番号 甲16188
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2218号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田付,貞洋
 東京大学 教授 古田,公人
 東京大学 助教授 宮下,直
 東京大学 助教授 石川,幸男
 筑波大学農林学系 助教授 本田,洋
内容要旨 要旨を表示する

 近縁な分類群の昆虫が同所的、かつ同時に発生する場合にはこれらの間にはふつう何らかの生殖隔離機構が存在する。ガ類では性フェロモンを介したコミュニケーションシステムの違いが重要な交尾前の隔離要因として知られるが、隔離を完全なものにするためにそれ以外の隔離要因も働いている場合も多い。

 稲作の重要害虫であるニカメイガChilo suppressalisのおもな寄主植物にはイネOryza sativaとマコモZizania latifoliaが知られている。イネに寄生する集団(イネ集団)とマコモに寄生する集団(マコモ集団)は体サイズに明らかな差が見られるが、それ以外に形態学的な差は認められず、またどちらの寄主植物でも飼うことができ、さらに両集団間の交配が可能であることから、両集団は同じ種として扱われてきた。しかし最近、両者の交尾時間帯に差がある可能性が示され、両者間の生殖隔離機構に新たな関心がもたれている。そこで本研究では、イネ集団とマコモ集団の間の関係を解明するために、両者の配偶システムおよび関連する生物学的諸性質を比較検討し、両者間の生殖隔離の状況について考察を行った。

1.雌のコーリング、雄の雌に対する定位反応、および交尾行動の時間的比較

 イネ集団とマコモ集団の間にはコーリング、定位反応、および交尾行動に明らかな時間的差異が認められた。

 雌のコーリングの開始時間を比較すると、イネ集団で暗期開始後平均3.7時間であったが、マコモ集団では6.8時間で有意な遅れがみられた。コーリング継続時間でも、イネ集団が4.9時間であるのに対し、マコモ集団では1.9時間と有意に短かった。コーリング率のピークも、イネ集団で5.6時間、マコモ集団で8.0時間であった。

 雄の処女雌に対する定位反応を室内風洞で調べたところ、反応のピークはイネ集団で5.2時間に対し、マコモ集団では7.2時間に見られ有意な遅れがあった。また、反応性の高い時間はイネ集団のほうがマコモ集団より有意に長かった。

 交尾行動についてもコーリングと似た関係が見られた。すなわち、開始時間ではイネ集団が3.7時間に対し、マコモ集団が7.4時間で有意な遅れが認められ、交尾継続時間もイネ集団の2.6時間に対し、マコモ集団では2.0時間で有意に短かった。なお、交尾活性のピークはイネ集団では羽化1日後であったが、マコモ集団では羽化当夜に認められた。

 以上から、これまでに示されていた、両集団の交尾時間帯に差がある可能性が確認された。さらに、両集団間の交尾時間帯のずれは雌のコーリング行動の時間的違いに起因する可能性が示された。

2.雌の性フェロモン成分の組成・量、および性フェロモンに対する雄の行動的・電気生理学的反応性の比較

 雌性フェロモン腺中のフェロモン成分を調べたところ、両集団の間で組成には差異が認められず、ともにイネ集団で既知の3成分(Z11-16:Ald,Z13-18:Ald,Z9-16:ALD)が検出された。しかし、組成比には集団間で小さいが有意な差異があり、イネ集団では76:15:9であったのに対し、マコモ集団では65:32:4であった。性フェロモン含量の時間的な変化は両集団のコーリングの動向とほぼ一致して、イネ集団では暗期開始から1-4時間に、マコモ集団では6-9時間にピークが示された。性フェロモンを最も多く生産する日齢は両集団ともに羽化当日であったが、生産量には集団間で違いが見られ、イネ集団の方が有意に多くのフェロモンを生産した。

 室内風洞を用いて、各集団の雄の自集団と他集団の合成性フェロモン組成比に対する定位反応性の比較を行ったところ、どちらの集団の雄も両方の組成比に対してほぼ同等の反応を示した。ただし、イネ集団の組成比に対するマコモ集団雄の反応の場合のみ、最終段階の反応であるフェロモン源への着地の率が他と比べて有意に低かった。

 触角電図(EAG)法を用いて、合成性フェロモン成分に対する雄触角の電気生理学的反応性を比較した。どちらの集団の雄も主成分であるZ11-16:Aldに対して最も強い反応を示した。さらに、いずれの成分についてもイネ集団の方がマコモ集団よりも大きなEAG反応を示した。

 以上から、両集団の雌性フェロモン成分比には有意な差があるものの、雄がその差を識別しているかどうかを十分に明らかにはできなかった。電気生理学的実験の結果は、雄の性フェロモンに対する反応性に顕著な差があることを示しており、このことは性フェロモン感受性にも差異があることを示唆している。

3.集団間の交雑実験

 イネ集団とマコモ集団の間で交雑を行い、F1およびF2世代を得た。集団間での交尾では正逆で交尾率に著しい差が見られた。すなわち、マコモ集団雌とイネ集団雄間(Aグループ)では73%が交尾したが、イネ集団雌とマコモ集団雄間(Bグループ)ではわずか15%にとどまった。交尾開始時間を見ると、いずれもマコモ集団の場合に近く、前者では7.0時間、後者では7.6時間であり、両者間で有意差はなかった。

 F1の交尾開始は、両方の組合せとも両親の交尾開始時間の中間にピークがあり、F1Aでは5.8時間、F1Bでは5.3時間で、両者間に有意差はなかった。F2の交尾開始時間もF1の場合とよく似た一山型の結果を示し、F2A、F2Bともにピークは5.2時間であった。

 以上から、両集団は実験条件下では交雑が可能であるという従来の結果を支持したが、正逆で交尾率が著しく異なることから、実験条件下であってもランダムな交雑は起きないことが示唆された。また、F1およびF2の交尾開始時間から、両集団の交尾時間はポリジーンによる遺伝的支配を受けているのではないかと思われた。

4、配偶行動および産卵行動に及ぼす寄主植物の影響

 ガ類の配偶行動に寄主植物の存在が影響する事例がまれに報告される。室内条件下で雌雄を入れた容器に寄主植物を入れて交尾率に及ぼす影響を調べたところ、イネ集団ではイネの葉が存在しても交尾には影響がみられなかったのに対し、マコモ集団ではマコモの葉が存在すると交尾率が有意に高くなった。

 各集団において、イネとマコモの葉を容器に入れて産卵選択実験を行ったところ、イネ集団では両種の葉に産まれた卵塊の数には有意差がなかったが、マコモ集団ではイネよりもマコモに有意に多くの卵塊が産み付けられた。

 以上から、マコモ集団の方がイネ集団よりも寄主植物により大きく依存している可能性があると思われた。

 ニカメイガのイネ寄生集団とマコモ寄生集団には交尾開始時間帯に明瞭な差があり、その差はおそらく雌のコーリング時間に規定されていると思われた。両集団間の交雑は実験条件下においても少なくとも自由に生じることはないことがわかり、その要因として両者で配偶行動の時間が大きくずれていることが考えられる。雌の性フェロモン成分比には集団間で小さいが有意な差異が見出されたが、このことも両者間の交流が絶たれていることを示唆している。さらに本研究により、マコモ集団の方がイネ集団と比べて、雌の性フェロモン生産量が少なく、雄の性フェロモンに対する反応性も小さいこと、また、配偶行動や産卵行動がより寄主植物に依存して行われていることが示されたが、これらの結果もマコモ集団がマコモ群落に密着した独自の生活環を送っている可能性を示している。以上の結果はマコモ集団とイネ集団が同所的に生息していても隔離が生じていることを示唆している。

 両集団が遺伝的に隔離され、なおかつ両集団で互いの寄主植物間の移動・産卵が無視できるならば、マコモ集団は稲作害虫としての認識が不必要になり、イネ害虫としてのニカメイガの管理システムには大きな変更が求められることになる。

審査要旨 要旨を表示する

 近縁な昆虫が同所的に発生する場合、両者間には何らかの生殖隔離機構が存在する。ガ類では性フェロモンの違いが重要な隔離要因として知られるが、隔離を完全なものにするためにそれ以外の隔離要因も働いている場合も多い。

 稲作の重要害虫であるニカメイガChilo suppressalisのおもな寄主植物にはイネOryza sativaとマコモZizania latifoliaが知られている。イネ集団とマコモ集団は体サイズに差は認められるが、どちらの植物でも飼育でき、さらに両者間で交配可能なため、同じ種として扱われてきた。しかし最近、両者の交尾時間帯に差がある可能性が示され、両者間の生殖隔離機構に関心がもたれている。そこで本研究では、イネ集団とマコモ集団の関係を解明するために、両者の配偶システムおよび関連する生物学的諸性質を比較検討し、両者間の生殖隔離の状況について考察を行った。

1.雌のコーリング、雄の雌に対する定位反応、および交尾行動の時間的比較

 イネ集団とマコモ集団の間にはコーリング、定位反応、および交尾行動に明らかな時間的差異が認められた。雌のコーリング開始時間、コーリング率のピークはいずれも、イネ集団の方がマコモ集団より有意に早く生じた。室内風洞で調べた雌に対する雄の定位反応のピークもイネ集団でマコモ集団より有意に早かった。交尾行動の時間にもコーリングと似た関係が見られた。以上から、両集団間の交尾時間の差が確認され、時間帯のずれは雌のコーリングの時間約違いに起因する可能性が示された。

2.雌の性フェロモン成分、および性フェロモンに対する雄の行動的・電気生理学的反応性の比較

 両集団の雌性フェロモン成分を調べたところ、ともにイネ集団で既知の3成分が検出されたが、組成比に小さいが有意な差異が認められ、両者間の隔離が示唆された。フェロモン含量の時間的変化はコーリングの動向とほぼ一致し、イネ集団ではマコモ集団より早くピークが現れた。また、性フェロモン生産量はイネ集団の方が有意に多かった。室内風洞により調べた両集団雄の性フェロモン組成比に対する定位反応性にはほとんど差が認められなかったが、EAG法による電気生理学的反応は、どの成分に対してもイネ集団の方がマコモ集団よりも大きかった。以上から、両集団の雌性フェロモン組成比に差があること、および、両集団での雄の性フェロモン感受性に差があることが示された。

3.集団間の交雑実験

 イネ集団、マコモ集団間で交雑を行い、F1およびF2世代を得た。集団間交尾率は正逆で著しい差があった。F1の交尾は両親の交尾時間の中間にみられ、F2の交尾時間もF1の場合とよく似た一山型を示した。以上、両集団は実験条件下では交雑可能という従来の結果は支持したが、正逆での交尾率の違いからランダムな交雑は起きないこと、F1およびF2の交尾時間から交尾時間はポリジーンによる遺伝的支配を受けていることが示唆された。

4.配偶行動および産卵行動に及ぼす寄主植物の影響

 室内条件下で寄主植物が交尾率に及ぼす影響を調べたところ、両集団ともに寄主植物の存在下で有意に高い交尾率を示した。つぎに各集団においてイネとマコモの葉の間で産卵選択実験を行ったところ、イネ集団では両者に同程度に産卵したが、マコモ集団ではイネよりもマコモに有意に多く産卵し、マコモ集団の方が寄主植物により大きく依存している可能性が示された。

 本研究は、ニカメイガのイネ集団とマコモ集団には配偶行動に明瞭な時間差があり、そのため両集団間の交雑は実験条件下においても自由にはおこらないこと、また、両集団間での雌性フェロモン成分比と生産量、雄の性フェロモンに対する反応性、産卵行動の寄主植物依存性の相違を明らかにした。これらから、マコモ集団がマコモ群落に密着した独自の生活環を保持し、両者間に隔離が生じている可能性が示された。以上の知見は学術上のみならず応用上もきわめて重要であり、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位を授与するに十分な価値があることを認めた。

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