学位論文要旨



No 116189
著者(漢字) 姜,東鎮
著者(英字)
著者(カナ) カン,ドンジン
標題(和) イネの耐酸性機構に関する研究 : タイ南部酸性土壌地域におけるイネ収量の改善を目指して
標題(洋)
報告番号 116189
報告番号 甲16189
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2219号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石井,龍一
 東京大学 教授 秋田,重誠
 東京大学 教授 杉山,信男
 東京大学 助教授 山岸,徹
 東京大学 助教授 中西,友子
内容要旨 要旨を表示する

 本研究は、酸性硫酸塩土壌を有するタイ南部ナラチワ県を研究対象とし、酸性土壌地域でのイネ収量を向上させることを目指して行われたものである。まず、強酸性土壌を人工的に作出し、それを使って酸性土壌耐性イネ品種を選抜することから研究を開始した。そして、それら耐性品種の耐酸性機構を形態学的・生理学的側面から調べた。その際、低pHによる作物の生長阻害はAl過剰に起因することが多いので、Alの吸収パターンを耐性品種で調べるとともに、Alに対する耐性機構をいくつかの面から調べることに重点をおいた。最後に、ナラチワ県内の主な生産地における収量レベルの実態を調査し、本研究で同定した耐酸性品種を導入することによって酸性硫酸塩土壌地域の収量を改善できる可能性を検討した。本研究で得られた結果の概要は次の通りである。

I.酸性土壌条件下における耐性イネ品種の形態学的・生理学的特徴

1.通常の土壌を、黄鉄鉱(FeS2)あるいは黄鉄鉱の酸化過程の中間生成物である硫酸鉄水和物[Fe2(SO4)3・nH2O]で処理し、酸性硫酸塩土壌を人工的に作成した。そうして作られたpH3.3〜3.5の強酸性土壌を用いて、アジアイネ(Oryza sativa L.)48品種、アフリカイネ(Oryza glaberrima Steud.)29品種、合計77品種から、移植後4週間での生存の可否によって耐酸性品種24品種を選抜した。アジアイネとアフリカイネを比較すると、アフリカイネの方が高い生存率を示したがその差は小さかった。また、アジアイネの生存率については、インディカ品種の方がジャポニカ品種よりもやや高く、インディカ品種の方が酸性土壌に強い傾向がうかがえた。

2.選抜された24品種のうち、強酸性土壌で最も高い生長量を示した4品種と、タイ南部ですでに耐酸性があるとされている2品種、それに本実験で耐酸性がないとされた3品種を、選抜実験条件よりもややマイルドな酸性土壌(pH3.8〜4.0)で生育させ、根の形態学的特徴として根長を、また葉の形態学的特徴として葉面積と比葉重とを取り上げ、それらの違いを耐性品種と非耐性品種で比較した。

 (i)根長:対照区に対する処理区の相対的根長は、耐性品種で大きく、非耐性品種で小さい傾向を示した。この傾向は、生育の進行にともなって拡大し、移植後10週日には耐性品種と非耐性品種で有意な差を示した。

 (ii)葉面積・比重:移植後10週目で、処理区の植物体の葉面積は、対照区の植物体に対し耐性品種で9%〜39%と大きく減少していた。非耐性品種では、さらに大きく減少しており、対照区の10%〜15%にまで低下していた。この結果、処理区の植物体の比葉重(単位葉面積当たり葉乾重)は、対照区に比べて、大きくなる(葉が厚くなる)傾向が認められた。

3.酸性土壌条件下で起こる植物の生理活性低下は、Alイオン(以下Alと言う)の吸収に起因することが多い。酸性土壌条件下で吸収されたAlの、植物体内での分布、Alによる無機養分の競争的吸収阻害の有無、そして葉の光合成速度を調べた。

 (i)植物体内でのAlの分布:根および葉鞘におけるAlの濃度は、葉身に比べて低く、かつ、耐性品種と非耐性品種との間に大きな差はなかった。しかし、葉身のAl濃度については、耐性品種よりも非耐性品種の方で高くなる傾向が認められた。このことから、耐性品種においては、吸収されたAlを葉身にまで移行しにくい性質があることが示唆された。

 (ii)Alによる他の無機養分の競争的吸収阻害:酸性土壌条件下では、Alの吸収による他の無機養分の競争的吸収阻害が起こり、無機養分欠乏になると考えられる。そこで、Ca、P、Mnなどの吸収量を調べたが、Alによる他の無機養分の競争的な吸収阻害は起こっていないと考えられた。

 (iii)葉の光合成速度(LPS):酸性土壌条件下で生育させた植物体のLPSは、耐性品種のいずれにおいても、対照区の52%以上を維持していた。しかし、いずれの非耐性品種でも対照区の47%以下しか維持できていなく、耐性品種が非耐性品種よりも有意に高いLPS値を示した。

II.低pH/Al過剰に対する耐性イネ品種の反応

 上記のIでみた通り、酸性土壌条件下で生ずる植物の生長抑制は、Al過剰害に起因することが示唆された。ここで、Alによる植物への影響を明確にとらえるため、Alを過剰量含ませた低pH(pH=3.8)の水耕液で耐性品種と非耐性品種イネを栽培し、Alに対する反応をさらに詳細に調べた。

1、低pH/Al過剰条件におけるイネの根端でのAlの蓄積を調べ、次のような結果を得た。

 (i)Al集積パターン:Al処理後10日目のイネの根端組織内でのAlの濃度分布をルモガリオン染色法を用いて調べた。根端でのAl濃度は、耐性品種で低く、非耐性品種で有意に高かった。耐性品種の根端でのAl集積は、表皮細胞で多くみられたが、非耐性品種では皮層や中心柱など根の内部組織で多く観察された。また、非耐性品種では、Alによる内部組織の破壊から形成されたと思われるフリースペースで、高濃度Alの集積が認められた。

 (ii)有機酸量:イネ植物体をまず、低pH条件に曝すと、クエン酸やリンゴ酸よりコハク酸が著しく多量に形成されていた。この条件にAlを加えると、いずれの品種でもクエン酸やリンゴ酸が急激に増加した。耐性品種と非耐性品種を比較してみると、クエン酸量は耐性品種の方が非耐性品種より有意に多かった。したがって、耐性品種は根端で有機酸、特にクエン酸を多く生産し、根圏や根内に取り込まれたAlに結合させてAl-複合体を形成し、Alを無毒化していると考えられた。

2.低pH/Al過剰条件によって植物体内に水ストレスが生じ、それが酸性土壌における植物の生育阻害を引き起こす原因となる可能性が認められたので、Al耐性と水ストレス耐性との相互関係について検討し、つぎのような結果を得た。

 (i)植物体内での水の動態:まず、Alを添加しないで低pH(pH=3.8)に調整した水耕液で48時間生育させたイネについて、18F-を用いて非破壊的に植物体内の水の動態を調べた。その結果、低pH区のイネは対照区のイネに比べ、水の吸収量が減少していた上、水の輸送速度が遅くなっていた。耐性品種と非耐性品種を比べると、耐性品種では、低pH条件にした当初は水の吸収速度がやや遅かったものの、その後徐々に上昇し、非耐性品種を凌駕する傾向がみられた。

 (ii)Al過剰害は、水ストレス害と共通であると言われている。その点を確かめるため、低pH区(pH=3.8)、Al処理区(pH=3.8)、水ストレス区(pH=5.0)を設け、それらの葉の水ポテンシャル(LWP)を対照区(pH=5.0)と比較検討した。その結果、低pH区では対照区に比べていずれの品種でもLWPが低下していた。さらに、Alを加えるとその低下は顕著に現れ、非耐性品種では耐性品種より大きく低下した。また、水ストレス区でもAl処理区と同様、大きく低下しており、その低下は、耐性品種で小さく、非耐性品種で大きかった。このLWPの低下はAl処理区と水ストレス区とで共通な傾向がみられたことから、植物体の水分生理活性に対する影響については、Al処理と水ストレス処理との間に共通性があることが認められた。

III.タイ南部酸性土壌地域におけるイネの収量性

 タイ南部酸性硫酸塩土壌でのイネ収量の実態を調査し、耐酸性イネ品種の導入の可能性を検討した。

1.酸性土壌地域の中でも、酸性硫酸塩土壌を有し、特に酸性土壌の被害が大きいTak-bai地域では、石灰による土壌矯正にも関わらず収量が他の酸性土壌地域のYi-ngo、Bachoより有意に低かった。このことから、Tak-bai地域のイネ収量を向上させるには、さらに強い耐酸性イネ品種の導入が必要と考えられた。

2.本研究で選抜された耐酸性イネ品種を、酸性硫酸塩土壌をつめたポットで現地栽培した。石灰で矯正しなかった区では、耐性品種でさえも植物体は生存できなかった。しかし、石灰要求量(LR)0.5レベルで矯正した区ではいずれの品種も生存できたが、収量については大きな差が生じ、本研究で最も強い耐酸性を示したIR53650の収量が最も高い値を示した。

3.酸性硫酸塩土壌を有する実際の水田条件下においても収量を調べると同時に、光合成速度などの収量に関連すると考えられる生理的要因について調べた。その結果、耐酸性品種のIR53650のイネ収量は、最近この地方に導入が計画されているタイ2品種(S-buri90、Chainat 1)よりも有意に高く、LPSの傾向と一致していたことから、IR53650の子実収量は、酸性硫酸塩土壌条件下において高かった。これらのことから、この品種は酸性硫酸塩土壌地域のイネ収量の改善に貢献できる有望な品種であると考えられた。

4.上述の1〜3の実験結果を踏まえ、Yi-ngo地域で多収であった在来2品種、実験レベルで多収を示したIR53650、Tak-baiの奨励品種であるJan homを、Tak-bai地域の農民にその管理を委託して栽培した。その結果、まず、Yi-ngo地域から持ち込んだイネ2品種、Colijor、Litmusの収量が、この酸性土壌地域で長年栽培し続けられていたLuk-daengやJanteのみならず、最近栽培の始った品種Jan homよりも有意に高かった。このことから、Yi-ngoの2品種の高い潜在収量は、この酸性硫酸塩土壌地域においても発揮されることを示し、他の地域に栽培されている品種の中に、Tak-bai地域のイネ収量の改善に貢献できるものがあることが示された。また、酸性硫酸塩土壌条件下で高い収量を示したIR53650は、残念ながらこの試験では生育期間中にネズミの害により、収量解析に至らなかった。本研究でこの品種が有望であることが示されたので、この品種をこの地域に導入する試みを続けて行きたいと考えている。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、酸性硫酸塩土壌を有するタイ南部ナラチワ県を研究対象とし、酸性土壌地域でのイネ収量を向上させることを目指して行われたものである。

I.酸性土壌条件下における耐性イネ品種の形態学的・生理学的特徴

 硫酸鉄水和物で処理したpH3.3〜3.5の酸性硫酸塩土壌で、アジアイネとアフリカイネを栽培し、その生存の可否によって耐酸性品種を選抜した上、耐酸性機構を調べた。

1.アフリカイネの方がアジアイネよりやや高い生存率を示した。また、アジアイネでは、インディカ品種の方がジャポニカ品種よりも高い生存率を示した。

2.根長を耐性品種と非耐性品種で比較した。移植後10週目には耐性品種の根長が非耐性品種よりも有意に大きい傾向を示した。また、植物体の葉面積についても、耐性品種では減少率が低く、根長と同様に葉面積においても耐性を示していた。

3.根および葉鞘におけるAlの濃度は、葉身に比べて低く、かつ、耐性品種と非耐性品種との間に大きな差はなかった。しかし、葉身のAl濃度については、耐性品種よりも非耐性品種の方が高い傾向を示した。このことから、耐性品種においては、吸収されたAlを葉身にまで移行させにくい性質があることが示唆された。

4.酸性土壌条件下で生育させた植物体の葉身の光合成速度は、耐性品種の方が非耐性品種よりも有意に高い値を示した。これは、上の3の結果と関係していると考えられた。

II.低pH/Al過剰に対する耐性イネ品種の反応

 Alによる植物への影響を明確にとらえるため、Alを過剰量含ませた低pH(pH=3.8)の水耕液で耐性品種と非耐性品種イネを栽培し、Alに対する反応をさらに詳細に調べた。

1.低pH/Al過剰条件におけるイネの根端でのAlの蓄積は、耐性品種で低く、非耐性品種で有意に高かった。耐性品種の根端でのAl集積は、表皮細胞で多くみられたが、非耐性品種では皮層や中心柱など根の内部組織で多く観察された。

2.イネ植物体を低pH条件に曝すと、根でクエン酸やリンゴ酸よりコハク酸が著しく多量に形成されていた。この条件にAlを加えると、クエン酸やリンゴ酸が急激に増加した。耐性品種と非耐性品種を比較してみると、クエン酸量は耐性品種の方が非耐性品種より有意に多かった。したがって、耐性品種は根端で有機酸、特にクエン酸を多く生産し、根圏や根内に取り込まれたAlに結合させてAl-複合体を形成し、Alを無毒化していると考えられた。

3.Alを添加しないで低pH(pH=3.8)に調整した水耕液で生育させたイネについて、18Fを用いて非破壊的に植物体内の水の動態を調べた。低pH区のイネは対照区のイネに比べ、水の吸収量が減少していた上、水の輸送速度が遅くなっていた。耐性品種と非耐性品種を比べると、耐性品種の水の吸収速度は非耐性品種を凌駕する傾向がみられた。さらに、低pH区では対照区に比べていずれの品種でも葉の水ポテンシャル(LWP)が低下していた。さらに、Alを加えるとその低下は顕著に現れ、非耐性品種では耐性品種より大きく低下した。また、水ストレス区でもAl処理区と同様、大きく低下しており、その低下は、耐性品種で小さく、非耐性品種で大きかった。これらのことから、植物体の水分生理活性に対する影響については、Al処理と水ストレス処理との間に共通性があると考えられた。

III.タイ南部酸性土壌地域におけるイネの収量性

 タイ南部酸性硫酸塩土壌でのイネ収量の実態を調査し、耐酸性イネ品種の導入の可能性を検討した。

1.本研究Iで選抜された耐酸性イネ品種を、現地の酸性硫酸塩土壌をつめたポットで栽培した。石灰で矯正しなかった区では、耐性品種でさえも植物体は生存できなかった。しかし、石灰要求量(LR)0.5レベルで矯正した区ではいずれの品種も生存できたが、収量については大きな差が生じ、本研究で最も強い耐酸性を示したIR53650の収量が最も高い値を示した。

2.酸性硫酸塩土壌を有する実際の水田において収量を調べた。その結果、耐酸性品種のIR53650の収量は、最近この地方に導入が計画されているタイ品種よりも有意に高かった。このことから、この品種は酸性硫酸塩土壌地域の収量改善に貢献できる有望な品種であると考えられた。

 以上、本論文は、イネの耐酸性品種を選抜し、その耐性機構を明らかにするとともに、タイ南部における硫酸酸性土壌地帯で実際に栽培し、その耐酸性を証明したものであり、学術上、応用上貢献するところが大きい。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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