学位論文要旨



No 116193
著者(漢字) 青野,俊裕
著者(英字)
著者(カナ) アオノ,トシヒロ
標題(和) セスバニアのリン酸欠乏応答に関する研究
標題(洋)
報告番号 116193
報告番号 甲16193
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2223号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小柳津,広志
 東京大学 教授 松本,聰
 東京大学 教授 森,敏
 東京大学 教授 米山,忠克
 東京大学 助教授 西山,雅也
内容要旨 要旨を表示する

 セスバニア(Sesbania rostrata)は西アフリカ原産のマメ科植物であり、Azorhizobium caulinodans ORS571が感染することによって、根粒のみならず茎粒も形成する。セスバニアの生長は非常に早く、多大なバイオマスを生み出す。また、リン酸肥料の代わりに廉価なリン灰岩を投与しても正常に生長するため、熱帯地方では優れた緑肥植物として用いられている。マメ科植物は非常に多くのリン酸を要求し、リン酸の供給を絶たれると窒素固定活性が著しく低下するため、リン酸は窒素固定の最も重要な限定要因の一つであると考えられている。

 土壌中に存在するリンの10〜80%は有機態リンであり、残りの無機態リンも、リン酸イオンとFe、Al、Ca原子との非常に強い親和性のため、ほとんどがこれらの原子と強く結合した難溶性リン酸化合物として土壌に固定されている。このため、植物の利用できる土壌中水溶性無機リン酸濃度はきわめて低い。植物は一度根付いた場所から移動することができないので、環境中の栄養条件の変動に対して敏感に適応する能力を発達させてきたと考えられる。リン酸に関しても、土壌への固定や植物自体による吸収のために環境中リン酸濃度が低下した場合、植物は様々な反応を示し、致命的なリン酸欠乏を回避している。植物のリン酸獲得戦略の一部として、リン酸吸収能の促進、根からの有機酸、プロトン分泌などがよく知られている。根から分泌された有機酸とプロトンは難溶性リン酸化合物を溶解する働きがある。

 本研究は、セスバニアのリン酸欠乏に対する応答を、リン酸吸収促進、有機酸及びプロトンの放出を中心に、生理学的ならびに分子生物学的に解析したものである。

1.リン酸欠乏がセスバニアの生長に及ぼす影響

 発芽後6日目及び15日目の植物体を様々なリン酸濃度の水耕液(1mM,50μM,30μM,0μM Pi水耕液、及び0μM Pi水耕液にFePO4・nH2Oを懸濁した水耕液)に移したところ、0μM Pi条件下では生長が抑制されたが、他の条件下では抑制されなかった。また、体内リン酸濃度を測定したところ、発芽後6日目の植物体の場合、根、茎、葉でのリン酸濃度は0μM Pi,30μM Pi,FePO4条件下では、3日以内に約半分まで低下した。一方、発芽後15日目の植物体の場合、30μM Pi条件下ではわずかにしか低下しなかった。茎頂部のリン酸濃度は0μM Pi条件下でのみ低下した。これらのことから、セスバニアは体内リン酸濃度の低下に対して強い耐性を持ち、茎頂部のリン酸濃度が低下しない限り生長しうることが示唆された。また、30μM Pi条件下での体内リン酸濃度の測定結果から、リン酸吸収能もしくはリン酸消費量が植物体の生育段階によって異なることが示唆された。

2.リン酸欠乏によるリン酸吸収機構、有機酸分泌機構の促進

 植物のリン酸吸収は二つの吸収システムから成り立っている。一つはKm値が十数μM以下の高親和性吸収機構であり、もう一つはKm値が数百μMの低親和性吸収機構である。リン酸濃度の低い土壌からのリン酸吸収には高親和性吸収機構が主に働いており、リン酸欠乏条件下ではこの機構が促進されると考えられている。セスバニアの初期リン酸吸収速度を測定したところ、高親和性吸収機構のKm値は約7μMであった。一方、低親和性吸収機構のKm値は約20-30μMと、これまで調べられている他の植物に比べて、かなり低いことがわかった。この結果から、セスバニアは低親和性吸収機構によっても低濃度のリン酸を吸収できるのではないかと考えられる。この低親和性吸収機構によるリン酸吸収速度は、発芽後6日目の植物体より発芽後15日目の植物体の方が高いこともわかった。このことが30μM Pi条件下での体内リン酸濃度の生育段階による差の原因ではないかと考えられる。セスバニアを0μM Pi条件下に移すと高親和性吸収機構によるリン酸吸収速度は2日以内に促進された。

 リン酸欠乏条件下では、根におけるホスホエノールピルビン酸カルボキシラーゼ(PEPC)の活性が促進され、それに伴い根から多量の有機酸が分泌されることが多くの植物で知られている。セスバニアの場合、0μM Pi条件下に移されるとリンゴ酸の分泌と根におけるPEPC活性が2日以内に促進されることがわかった。

 発芽後6日目の植物体を30μM以下のリン酸を含む水耕液に移した場合、根におけるリン酸吸収速度とPEPC活性は促進されたが、発芽後15日目の植物体の場合は30μM Pi条件下では促進されなかった。この結果から、セスバニアは体内リン酸濃度の低下に対してリン酸欠乏応答するのであって、環境中リン酸濃度に対してではないことが示唆された。

 セスバニアに多数の茎粒を形成させると、体内リン酸濃度が低下することがわかった。これは窒素固定のために多量のリン酸が消費されることが原因であると考えられる。このとき、根におけるリン酸吸収速度とPEPC活性がともに促進されていた。この結果も、セスバニアが体内リン酸濃度の低下に対して応答していることを支持している。

3.高親和性リン酸トランスポーター遺伝子とPEPC遺伝子の単離

 すでに報告されている他の植物の高親和性リン酸トランスポーター遺伝子、PEPC遺伝子の推定アミノ酸配列を基にしてPCRプライマーを合成し、リン酸欠乏条件下で生育させたセスバニアの根から抽出したmRNAを用い、RT-PCRを行った。この結果、高親和性リン酸トランスポーターをコードしていると思われる増幅断片が二種類、PEPCをコードしていると思われる増幅断片が一種類得られた。さらに5'-,3'-RACEを行い、これらの完全長cDNAを単離した。既知のリン酸トランスポーター遺伝子、PEPC遺伝子との相同性の高さ、推定二次構造の類似性より、これらは高親和性リン酸トランスポーター遺伝子(SrPT1,SrPTC2)、PEPC遺伝子(SrPEPC)であると判断した。

 様々なリン酸欠乏処理期間、リン酸濃度条件で生育させた植物体、及び茎粒を形成させた植物体を用いてノーザン解析を行った。その結果、SrPT1、SrPT2の転写促進とリン酸吸収速度の促進は同調しており、同様にSrPEPCの転写促進とPEPC活性の促進も同調していた。この結果は、リン酸トランスポーターの発現とPEPCの発現は両方とも転写レベルで体内リン酸濃度により調節されていることを示唆する。酵母においてリン酸トランスポーターを含むいくつかの遺伝子がリン酸欠乏により転写促進されることが知られており、それらは同じレギュロン(pho-レギュロン)に属していると報告されている。セスバニアの場合もリン酸トランスポーターとPEPCがほぼ同様にリン酸欠乏により転写促進されることから、これらは同じレギュロンに属しており、同様な調節を受けているのではないかと考えられる。

 高親和性リン酸トランスポーター遺伝子、PEPC遺伝子と同様に、細胞質リンゴ酸デヒドロゲナーゼ(cMDH)をコードするcDNAも単離した。ノーザン解析の結果、cMDH遺伝子もリン酸欠乏により転写が促進されることがわかった。リン酸欠乏条件下においてセスバニアの根からリンゴ酸が多量に放出されるのは、PEPCによりホスホエノールピルビン酸から合成されたオキサロ酢酸が、速やかに細胞質においてcMDHによりリンゴ酸に変換されるためではないかと考えられる。

 各組織を用いてノーザン解析を行ったところ、SrPEPCは根粒及び茎粒でも高発現していることがわかった。また、茎粒におけるSrPEPCの発現はリン酸欠乏により抑制された。いくつかのマメ科植物で根粒で高発現するPEPC(nodule PEPC)の遺伝子が単離されているが、これらは根での発現が弱く、根で発現するタイプのPEPC(root-form PEPC)とは異なると考えられている。しかしセスバニアのSrPEPCはroot-form PEPCとしても、nodule PEPCとしても機能しているのではないかと考えられる。あるいは、これまでに報告されたnodule PEPCもリン酸欠乏によって根での発現が促進されるのかもしれない。

4.リン酸欠乏応答型H+-ATPase遺伝子の単離

 リン酸欠乏条件下では根におけるH+-ATPaseの活性が上昇し、根からのプロトン放出量が増加するのではないかと、多くの研究者たちにより推測されている。しかし、未だにリン酸欠乏に応答するH+-ATPase遺伝子は単離されていなかった。このリン酸欠乏応答型のH+-ATPase遺伝子を探索するために、既知のH+-ATPaseのアミノ酸配列を基にディジェネレートプライマーを合成し、リン酸欠乏条件下で生育させたセスバニアの根から抽出したmRNAを用い、RT-PCRを行った。その結果、H+-ATPaseをコードする増幅断片が五種類(SrHA1、SrHA2、SrHA3、SrHA4、SrHA5)得られた。さらにこれらの塩基配列を基にディジェネレートプライマーを合成し3'-RACEを行った結果、SrHA1、SrHA4、SrHA5のみが伸長され、また新たに一種類の断片(SrHA6)が得られた。さらに5'-RACEによりSrHA1,SrHA4,SrHA5の完全長cDNAを単離した。

 ノーザン解析の結果、SrHA1は子葉で、SrHA4は根で、SrHA5は根粒及び茎粒でそれぞれ主に発現していた。セスバニアをリン酸欠乏条件下におくと、処理後2日目からSrHA4の発現は抑制され始めた。さらに条件を細かくすると、高親和性リン酸トランスポーター遺伝子とPEPC遺伝子の発現が促進される条件下ではSrHA4の発現は抑制されることがわかった。リン酸欠乏に対する応答の早さから、この転写抑制は積極的なものではないかと思われる。この結果はこれまでの仮説に全く反するものである。セスバニアが特殊であるのか、仮説が間違いなのか、他の植物でのリン酸欠乏応答型H+-ATPase遺伝子の単離が待たれる。

まとめ

 本研究により、セスバニアの低親和性リン酸吸収機構のKm値が低いこと、高親和性リン酸吸収機構によるリン酸吸収速度とPEPCの活性が非常に早く体内のリン酸濃度低下に応答することわかり、セスバニアは低リン酸条件によく適応していることが示された。また、リン酸トランスポーター、PEPCの発現はともに転写レベルで調節されており、これらの遺伝子が同じレギュロンに属している可能性が示唆された。さらに、SrPEPCはroot-for mPEPC及びnodulePEPCとして機能している点において、SrHA4はリン酸欠乏に応答して転写が抑制される点において特異な遺伝子であることが示された。

審査要旨 要旨を表示する

 土壌中に存在するリンの10〜80%は有機態リンであり、残りの無機態リンも、リン酸イオンとFe、Al、Ca原子との非常に強い親和性のため、ほとんどがこれらの原子と強く結合した難溶性リン酸化合物として土壌に固定されている。このため、植物の利用できる土壌中水溶性無機リン酸濃度はきわめて低い。植物は一度根付いた場所から移動することができないので、環境中の栄養条件の変動に対して敏感に適応する能力を発達させてきたと考えられる。リン酸に関しても、土壌への固定や植物自体による吸収のために環境中リン酸濃度が低下した場合、植物は様々な反応を示し、致命的なリン酸欠乏を回避している。植物のリン酸獲得戦略の一部として、リン酸吸収能の促進、根からの有機酸、プロトン分泌などがよく知られている。根から分泌された有機酸とプロトンは難溶性リン酸化合物を溶解する働きがある。本論文は、西アフリカ原産のマメ科植物であるセスバニア(Sesbania rostrata)を用いて、リン酸欠乏に対する応答を、リン酸吸収促進、有機酸及びプロトンの放出を中心に、生理学的ならびに分子生物学的に解明したものである。

 第1章では研究の背景を記述している。続く第2章では、リン酸欠乏がセスバニアの生長に及ぼす影響について検討を行った。生理的な試験の結果、セスバニアは体内リン酸濃度の低下に対して強い耐性を示し、茎頂部のリン酸濃度が低下しない限り生長しうることが示唆された。つぎに、セスバニアの根におけるリン酸欠乏によるリン酸吸収機構、有機酸分泌機構の促進について調べた。植物のリン酸吸収は高親和性吸収機構および低親和性吸収機構で行われおり、リン酸濃度の低い土壌からのリン酸吸収には高親和性吸収機構が主に働いており、リン酸欠乏条件下ではこの機構が促進されると考えられている。さまざまな生理試験の結果、セスバニアは低親和性吸収機構によっても低濃度のリン酸を吸収できると考えられた。また、セスバニアは体内リン酸濃度の低下に対してリン酸欠乏応答するのであって、環境中リン酸濃度に対してではないと結論づけた。

 第3章では、リン酸欠乏応答に関与すると考えられる高親和性リン酸トランスポーター遺伝子とホスホエノールピルビン酸カルボキシラーゼ(PEPC)遺伝子の単離を試みた。最終的に高親和性リン酸トランスポーターをコードしていると思われる増幅断片を2種類、PEPCをコードしていると思われる増幅断片を1種類取得し、5'-,3'-RACEを行い、これらの完全長cDNAを取得した。既知のリン酸トランスポーター遺伝子、PEPC遺伝子との相同性の高さ、推定二次構造の類似性より、これらは高親和性リン酸トランスポーター遺伝子(SrPT1,SrPTC2)、PEPC遺伝子(SrPEPC)であると判断した。つぎに、これらの遺伝子の発現について、さまざまなリン酸欠乏処理期間、リン酸濃度条件で生育させた植物体、及び茎粒を形成させた植物体を用いてノーザン解析を行った。その結果、SrPT1、SrPT2の転写促進とリン酸吸収速度の促進は同調しており、同様にSrPEPCの転写促進とPEPC活性の促進も同調していた。この結果は、リン酸トランスポーターの発現とPEPCの発現は両方とも転写レベルで体内リン酸濃度により調節されていることを示唆した。さらに、細胞質リンゴ酸デヒドロゲナーゼ(cMDH)をコードするcDNAも単離した。ノーザン解析の結果、cMDH遺伝子もリン酸欠乏により転写が促進されることがわかった。リン酸欠乏条件下においてセスバニアの根からはリンゴ酸が多量に放出されるが、PEPCによりホスホエノールピルビン酸から合成されたオキサロ酢酸が、速やかに細胞質においてcMDHによりリンゴ酸に変換されるためではないかと推測された。つぎに、各組織を用いてノーザン解析を行ったところ、SrPEPCは根粒及び茎粒でも高発現していることがわかった。また、茎粒におけるSrPEPCの発現はリン酸欠乏により抑制された。いくつかのマメ科植物で根粒で高発現するPEPC(nodule PEPC)の遺伝子が単離されているが、これらは根での発現が弱く、根で発現するタイプのPEPC(root-form PEPC)とは異なると考えられている。セスバニアのSrPEPCはroot-form PEPCとしても、nodule PEPCとしても機能していると考えられた。

 第4章では、リン酸欠乏応答型H+-ATPase遺伝子の単離を行った。リン酸欠乏条件下では根におけるH+-ATPaseの活性が上昇し、根からのプロトン放出量が増加するのではないかと、多くの研究者たちにより推測されているが、未だにリン酸欠乏に応答するH+-ATPase遺伝子は単離されていなかった。最終的に、H+-ATPaseをコードする増幅断片を5種類(SrHA1、SrHA2、SrHA3、SrHA4、SrHA5)取得し、3'-RACEおよび5'-RACEによりSrHA1,SrHA4,SrHA5の完全長cDNAを単離した。ノーザン解析の結果、SrHA1は子葉で、SrHA4は根で、SrHA5は根粒及び茎粒でそれぞれ主に発現していた。セスバニアをリン酸欠乏条件下におくと、処理後2日目からSrHA4の発現は抑制され始めた。さらに条件を細かくすると、高親和性リン酸トランスポーター遺伝子とPEPC遺伝子の発現が促進される条件下ではSrHA4の発現は抑制されることがわかった。この結果はこれまでの仮説に全く反するものであった。

 本論文は、マメ植物セスバニアのリン酸欠乏応答に関与する主要な遺伝子を取得し、その発現を検討し、いくつかの新しい知見を明らかとしたものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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