学位論文要旨



No 116194
著者(漢字) 浅井,和美
著者(英字)
著者(カナ) アサイ,カズミ
標題(和) 経口免疫寛容におけるT細胞内情報伝達機構の解明
標題(洋)
報告番号 116194
報告番号 甲16194
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2224号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上野川,修一
 東京大学 教授 野口,忠
 東京大学 教授 阿部,啓子
 東京大学 客員助教授 戸塚,護
 東京大学 助教授 八村,敏志
内容要旨 要旨を表示する

 免疫系とは、我々の生体に侵入し害を与える外来抗原を排除する生体防御機構で、あらゆる物質に対応可能だが、自己抗原および生体にとってエネルギー源となる経口摂取された食物抗原を排除するような免疫応答は誘導されない。この現象は自己免疫寛容および経口免疫寛容と呼ばれている。これら免疫寛容の誘導にはCD4 T細胞が重要な役割を演じていることが知られており、特に、経口免疫寛容状態での末梢CD4 T細胞には、抗原特異的な低応答(不応答)性が誘導されることが知られているが、その分子メカニズムについては不明な点が多い。近年、この経口免疫寛容が、自己免疫疾患やアレルギーの治療などに応用され、成果を挙げている事実をみても、経口免疫寛容の分子機構を解明することは非常に重要である。

 この機構を解析するために、通常のマウスを用いた場合は、単一抗原を認識するリンパ球の頻度が低いために、抗原特異的なT細胞応答を分子レベルで観察することは困難である。そこで我々は、抗原特異的T細胞の頻度が高い、卵白アルブミン(OVA)に特異的なT細胞抗原レセプター(TCR)を発現するトランスジェニックマウス(OVA23-3 Tgマウス)を用い、抗原の経口摂取により誘導されるT細胞の特性について、細胞分子生物学的立場から細胞内シグナル伝達系に着目して解析を行った。

1・経口免疫寛容の誘導と低応答性T細胞の特性

 OVA23-3 TCR-TgマウスにOVAを8%含む卵白食を28日間自由摂取させ、その脾臓細胞からMACS法によりCD4 T細胞を単離してその解析を行った。はじめに、その細胞の大きさをフローサイトメトリーを用いて観察した結果、コントロール群より卵白食群のCD4 T細胞の方がやや肥大していた。さらに、T細胞表面分子の発現も調べた結果、抗原の経口摂取により誘導されるCD4 T細胞では、未感作型マーカー分子CD62L、CD45RBの発現量が低下していることからin vivoにおいて抗原感作され、活性化型マーカー分子CD69、CD25、CD44の発現量が高いことからin vivoにおいて活性化されていることが示された。そこで、特異的抗原であるOVAペプチドに対するin vitroでの細胞応答を検討した。コントロール群に対し卵白食群で、その特異的抗原であるOVAの刺激に対して、[3H]-チミジンの取り込み、IL-2サイトカイン産生量の低下及び活性化T細胞表面マーカーCD40L分子の発現能の低下が見られ、CD4 T細胞が低応答化し、経口免疫寛容が誘導されていることが確認された。

 TCRからのT細胞シグナル伝達経路には、大きく分けてCa/CN系とRas/MAPK系があることが知られているが、経口免疫寛容状態にある脾臓CD4 T細胞におけるシグナル伝達についての知見は乏しい。そこで、それぞれの経路を活性化する薬剤、イオノマイシンとPMAを用いて細胞内シグナル伝達経路の検討を試みた。結果、細胞増殖応答、IL-2サイトカイン産生量、CD40L分子の発現能の全ての応答において、経口免疫寛容状態におけるCD4 T細胞の方がこれらの薬剤刺激に対して強く応答していることが明らかになった。故に、先のOVAペプチドを用いたTCR刺激と細胞内シグナル伝達経路を直接刺激する薬剤刺激ではその細胞応答が異なることから、この経口免疫寛容状態のCD4 T細胞では、TCRからの刺激を下流に伝えることができなくなっている可能性、つまりTCR近傍に障害があることが示唆された。

2・経口免疫寛容状態の低応答性T細胞のTCRシグナル伝達系

 T細胞は、抗原提示細胞(APC)によって提示された抗原をTCRが認識することによって活性化される。TCRがCD4/CD8とともに抗原-MHC複合体を認識すると、チロシンキナーゼによりTCR-ζchainがリン酸化される。そこにZAP-70が結合しリン酸化されてキナーゼ活性を持ち、LATなどの分子をリン酸化して、MAPKの活性化(Ras/MAPK系)や細胞内Ca濃度の上昇(Ca/CN系)を介してシグナルが伝わり、T細胞は活性化される。そこで、経口免疫寛容状態におけるCD4 T細胞の分子メカニズムを明らかにするために、主にウエスタンブロット法を用いて、細胞内シグナル伝達分子の解析を行った。

 はじめに、抗TCR抗体と抗CD4抗体でTCRを刺激して誘導される細胞内カルシウム濃度上昇を検討した。結果は、経口免疫寛容状態における低応答性CD4 T細胞では、細胞内カルシウム濃度上昇が減少しており、さらに、TCR刺激によって誘導されて細胞内カルシウム濃度の上昇に続いて起こる転写因子であるNF-AT分子の核への移行も起こっていないことが示された。そこで、TCRからの刺激をCa/CN系に伝えるT細胞シグナル伝達物質であるPLCγ-1の活性化を、リン酸化を指標にして解析した結果、タンパク質量には変化が見られなかったが、低応答性CD4 T細胞においてリン酸化が著しく低下していることが明らかになり、以上の解析から、Ca/CN系に障害があることが確認された。

 そこで、さらに上流のTCR近傍のシグナル伝達分子の解析を行った。PLCγ-1の上流のLAT、ZAP-70、TCR-ζの活性化を、リン酸化を指標に解析した結果、それぞれタンパク質量には変化が見られなかったが、低応答性CD4 T細胞において各分子のリン酸化が減弱していた。また、低応答性CD4 T細胞でのTCR-ζに会合する分子を調べたところ、ZAP-70、LATの会合が確認されたが、そのリン酸化は低下していた。これらの結果から、TCR近傍、特にTCR-ζの活性化低下によって、その下流のシグナル伝達経路に障害が起きていることが示され、先の推測が裏付けられた。また、TCR-ζの活性低下がCa/CN系には障害をもたらすが、Ras/MAPK系には影響を及ぼさない可能性が示唆された。

 不応答(低応答)性を示すT細胞は一般的にアナジーと称され、T細胞クローンを用いたin vitroの実験系で、副刺激(CD28分子)を欠落した抗原刺激によって誘導され、IL-2サイトカイン産生が低下し、細胞増殖が起こらない状態を示すことが知られている。このようなクラシカルなアナジーT細胞内シグナル伝達ではRas/MAPK系に障害があるという報告が多くされている。先に述べたように、本研究で得られる経口免疫寛容状態の低応答性CD4 T細胞は、このアナジーに非常に似た現象を示す。そこで、Ras/MAPK系の解析を行った,ところ、ERK/MAPKとSAPK/MAPKともにTCR刺激によって誘導されるその活性化は変わらない、もしくは活性化が維持されており、経口免疫寛容状態の低応答性CD4 T細胞は、クラシカルなアナジーとは異なる機構によって低応答化していることが示唆された。

3・経口免疫寛容状態の低応答化T細胞のIL-2シグナル伝達系

 クラシカルなアナジーT細胞は、IL-2の付加によりその不応答性が回復することも知られている。そこで、経口免疫寛容状態における低応答性T細胞のIL-2に対する応答性を調べた結果、IL-2の付加によりこの低応答性は回復せず、通常のアナジーとは異なることが示された。

 IL-2は、細胞表面の受容体とそれに結合するJAK型チロシンキナーゼによりSTAT5などの転写因子を活性化し(JAK-STAT系)、細胞応答に作用する。近年、STAT5の下流に存在し、STAT5の負のフィードバック調節因子であるCIS1の存在が知られるようになってきた。そこで、経口免疫寛容状態における低応答性CD4 T細胞のIL-2サイトカインシグナル経路の解析を行った。その結果、STAT5のリン酸化は低応答性CD4 T細胞でやや高く、活性化されていることが示された。これは、先に示したように、低応答牲CD4 T細胞ではCD25(IL-2受容体)分子の発現能が高くなっているためと考えられた。また、CIS1の発現量もコントロールと差が無く、IL-2の下流にあるJAK-STAT系には障害が認められなかった。

 しかし、IL-2の付加によって細胞増殖せず、低応答性が回復しないことから、IL-2によって誘導される別のシグナル経路の影響が考えられた。そこで、細胞増殖応答の抑制因子であるp27kip1分子の関与を検討した。p27kip1は、IL-2刺激によってその発現が低下し、その結果、細胞増殖応答が起こると考えられている。ウエスタンブロット解析の結果、コントロールでは刺激後p27kip1の発現が低下したのに対し、低応答性CD4 T細胞では刺激後もp27kip1の発現低下が見られず、このためにIL-2刺激によって低応答性が回復しないことが明らかになった。

 以上、抗原の経口摂取によって誘導される経口免疫寛容状態の低応答性CD4 T細胞における細胞内情報伝達系の解析を行った結果、TCRシグナル伝達系ではTCR-ζの活性低下によって引き起こされるCa/CN系の障害が起きており、IL-2シグナル伝達系ではp27kipの蓄積による細胞増殖応答の抑制が起きていることが明らかになった。また、この経口免疫寛容状態の低応答性CD4 T細胞には、MAPK系に障害が無く、またIL-2の添加によってその低応答性が回復しないことから、これまでに報告のあるクラシカルなアナジーT細胞とは異なる機構によって、制御されていることが明らかになった。

審査要旨 要旨を表示する

 経口免疫寛容とは、生命を維持しエネルギー源となる食物抗原に対して、それが異物であるにもかかわらず免疫反応を起こさない現象であり、その機構にはCD4 T細胞が重要な役割を担っていることが知られている。近年、この経口免疫寛容が自己免疫疾患やアレルギーの治療などに応用されて成果を挙げているが、その機構については末だ不明な点が多い。本論文は、経口免疫寛容のCD4 T細胞の情報伝達系について解析したもので、その解析を容易に行うことが可能な卵白アルブミン(OVA)に特異的なT細胞抗原レセプター(TCR)を発現するトランスジェニックマウス(OVA23-3 Tgマウス)を用いており、序論と3章、結語より構成されている。

 序論において研究の背景を述べた後、第1章では、抗原の経口摂取により誘導されるCD4 T細胞の特性を検討した結果を述べている。OVA抗原の長期経口摂取によりOVA23-3 Tgマウスの脾臓CD4 T細胞はin vivoで抗原感作されてやや活性化されるが、特異的抗原であるOVAの再刺激に対しては、増殖応答やサイトカイン産生の低下および活性化T細胞表面マーカーCD40Lの発現能の低下など、抗原の経口摂取により誘導されるCD4 T細胞は低応答性を示し、経口免疫寛容が誘導されることが示された。また、経口免疫寛容状態におけるCD4 T細胞が、TCRを介さず細胞内を直接刺激する薬剤イオノマイシンとPMAに対しては正常に応答していることを明らかにし、経口免疫寛容状態のCD4 T細胞には、TCR近傍に障害があることが示唆された。

 第2章では、経口免疫寛容の低応答性CD4 T細胞におけるTCRを介したシグナル伝達系をウエスタンブロット解析を中心に検討し、その結果を述べている。抗原提示細胞によって提示された抗原をTCRが認識すると、細胞内の情報伝達物質がリン酸化などの修飾を受けてT細胞が活性化され、その経路は主にCa/CN系とRas/MAPK系に大別できる。経口免疫寛容の低応答性CD4 T細胞では、情報伝達分子PLCγ-1タンパク質のリン酸化の低下、細胞内カルシウム反応の障害、転写因子NF-ATの核内移行への障害が明らかになり、Ca/CN系の障害が示された。さらにTCR近傍の情報伝達分子LAT、ZAP-70、TCR-ζのリン酸化が減弱していることが示され、TCR近傍にも障害があることを確認し、第1章の結果を裏付けた。しかし、ERK/MAPKとSAPK/MAPKの活性は正常であり、Ras/MAPK系には障害がないことが示された。副刺激を欠落した抗原刺激によって誘導され、IL-2サイトカイン産生と細胞増殖が起こらない状態はクラシカルアナジーと呼ばれる。このクラシカルアナジーの不応答性はIL-2の付加により回復し、またそのT細胞内情報伝達ではRas/MAPK系に障害が多いことが知られている。しかし、経口免疫寛容の低応答性CD4 T細胞は、IL-2の付加によってもその低応答性は回復せず、MAPK系に障害がないことから、クラシカルなアナジーとは異なる機構によって低応答化していることが示唆された。

 第3章では、IL-2の付加により低応答性が回復しないことに着目し、経口免疫寛容の低応答性CD4 T細胞のIL-2情報伝達系を検討した結果を述べている。IL-2受容体を介するこの情報伝達系は、主にJAK-STAT系により制御され、この系によって誘導される負のフィードバック調節因子CIS1によりこの系が抑制されることが近年明らかになっている。経口免疫寛容の低応答性CD4 T細胞のJAK-STAT系では、情報伝達分子STAT5のリン酸化およびCIS1の発現量が正常であることが示され、JAK-STAT系に障害がないことが示された。しかし、IL-2によって誘導される別の情報伝達経路、PI3K/PKB系によって分解される細胞増殖応答の抑制因子であるp27kip1分子が、経口免疫寛容の低応答性CD4 T細胞では蓄積しており、その結果IL-2を付加してもその低応答性が回復しないことが示された。

 結語では、本研究の成果とこれまでの知見を基に、総合的な討論を行っている。

 以上、本論文は、経口免疫寛容における低応答性T細胞の細胞内情報伝達系について解析を行い、TCR近傍の障害に続くCa/CN系の障害によりTCRからの情報伝達に異常が起きていること、またIL-2情報伝達系においてはp27kipの蓄積による細胞増殖応答の抑制が起きていること示し、これまでに報告のあるクラシカルなアナジーT細胞とは異なる機構によって経口免疫寛容の低応答性が制御されていることを明らかにしたものであり、学術上、応用上貢献するところが多い。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値のあるものと認めた。

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