学位論文要旨



No 116196
著者(漢字) 大木,宏之
著者(英字)
著者(カナ) オオキ,ヒロユキ
標題(和) in vitro evolution法によるアルカリ土壌耐性タバコの作出
標題(洋)
報告番号 116196
報告番号 甲16196
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2226号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 森,敏
 東京大学 教授 米山,忠克
 東京大学 教授 高橋,秀夫
 東京大学 教授 太田,明徳
 東京大学 助教授 山川,隆
内容要旨 要旨を表示する

 鉄は全ての生物にとって必要不可欠で、光合成や呼吸など細胞を機能させるのに関わる多くの酵素に必要である。鉄は地殻中において、酸素、ケイ素、アルミニウムに次いで4番目に多い元素であり、絶対量として不足する鉄欠乏土壌というものは存在しない。しかしながら現実には豊富に存在する鉄を利用できないために植物の生育が阻害される土壌は存在する。そのような土壌のうちの1つが石灰質アルカリ土壌である。石灰質アルカリ土壌は土壌pHが高く、鉄が溶解度の低い水酸化鉄(III)として不溶態化しているので、フリーのFe3+とFe2+イオンの濃度は10-15M以下である。それゆえ土壌中の鉄を吸収できず植物は鉄欠乏症を示す。イネ科以外の高等植物は鉄欠乏に対して次のような応答(StrategyI)を示す。

1)根圏へのプロトンの放出

2)根の細胞膜における三価鉄還元活性の増加

3)還元・キレート性物質の根からの分泌

など。つまり放出したキレート物質により三価鉄をキレートし、根のフリースペース中の三価鉄-キレートを細胞膜上で三価鉄還元酵素によって二価鉄に還元し、二価鉄トランスポーターを通して吸収するという仕組みである。根圏へプロトンを放出し、フリースペースのpHを下げることで還元酵素の活性を増加させているとも考えられている。しかし三価鉄の還元活性は高pHで阻害されるため、高濃度の炭酸カルシウムによる強いpH緩衝作用により石灰クロロシスを起こすという問題がある。

 「三価鉄還元酵素遺伝子を植物で過剰発現することにより、石灰質アルカリ土壌での鉄欠乏に耐性な植物を作ることが出来る」という考えで研究を始めた。実験を開始した当初は植物の三価鉄還元酵素遺伝子はクローニングされていなかったため、酵母の遺伝子を用いた(植物の三価鉄還元酵素遺伝子は1999年になってようやくシロイヌナズナから単離された)。真核生物のモデルとして知られる酵母Saccharomyces cerevisiaeにおける鉄の獲得機構はイネ科を除く植物の鉄獲得機構(StrategyI)に類似している。Saccharomyces cerevisiaeでは、まず三価鉄還元酵素(FRE1とFRE2)により三価鉄の二価鉄への還元を行った後、高親和性(FTR1)および低親和性(FET4)のトランスポーターで細胞内に取り込む。Saccharomyces cerevisiaeの三価鉄還元酵素遺伝子FRE1は三価鉄還元酵素活性を示さない変異株をコンプリメントする遺伝子として1992年にクローニングされた。本研究ではアルカリ土壌耐性植物の作出を目的として、FRE1遺伝子を植物にあった配列に設計し直し、さらに進化工学的手法により高pHで活性を持つ三価鉄還元酵素を作出し、植物へ導入してアルカリ土壌での検定を行った。

1. 再構築した酵母のFRE1遺伝子(refre1)のタバコへの導入

 FRE1遺伝子をタバコ(Nicotiana tabacum L.cv.SR1)へアグロバクテリウム法により導入したが、形質転換タバコは三価鉄還元酵素活性を示さなかった。その理由はFRE1の転写産物が酵母で発現しているときよりも短く、コーディングリージョンの途中でpoly(A)が付加していたからであった。そこでFRE1遺伝子の塩基配列を植物用に設計し直し、全塩基配列を人工的に合成した。新しく合成した遺伝子をrefre1(reconstructedFRE1)と命名し、CaMV35Sプロモーターの下流につないでタバコへ導入した。refre1遺伝子を持つ形質転換タバコは完全長のmRNAを生産し、恒常的な強い三価鉄還元酵素活性を示した。形質転換タバコの葉における金属含量を分析したところ、鉄の含量が約1.7倍に増加していた。しかし水耕栽培での鉄欠乏条件における三価鉄還元酵素活性は、野生型の植物と比較して差が見られなかった。これは鉄欠乏条件下では野生型の植物においても三価鉄還元酵素活性が強く誘導されることに起因していると考えられた。

2. in vitro evolution法によるrefre1遺伝子の改良

 過剰発現による耐性の付加があまり効果的ではないと考えられたので、三価鉄還元酵素の量的な変化ではなく、質的な変化を求めた。至適pHがアルカリ側にシフトした、あるいはアルカリ条件でも強い活性を持っている三価鉄還元酵素をrefre1遺伝子への変異の導入とスクリーニングによって作出した。refre1遺伝子は植物用に書き直した配列を持っているがSaccharomyces cerevisiaeでも機能する。refre1遺伝子へのランダムな変異の導入はMn2+を加えたPCRにより行い、refre1遺伝子(約2000bp)に平均で5塩基の置換が入るようにMn2+の濃度を調節した。変異を導入した遺伝子群を酵母のアルコール脱水素酵素(ADH1)のプロモーターとターミネーターを持つ発現ベクターに挿入し、ライブラリーを作成した。ライブラリーのスクリーニングには酵母のin vivoアッセイ系を用いた。pH8.0とpH8.5でのスクリーニングにより、10個の候補遺伝子が得られた。定量的解析は同様にin vivoで行った。最も優れた変異遺伝子(variant372)を持つ酵母は元のrefre1遺伝子を持つ酵母に比べ、pH8.0,8.5,9.0においてそれぞれ6.0,8.7,38倍の活性を示した(図1)。

 得られた変異遺伝子の配列の解析からN末から312番目のアミノ酸への共通した変異が確認された。この変異が高pHでの強い三価鉄還元酵素活性に重要な役割を果たしていると考えられる。この変異部位はヘムを配位するヒスチジン残基の近くに存在し、細胞質に近い側の細胞膜内に存在していると思われる。得られた変異遺伝子はアルカリ土壌での鉄欠乏ストレスに耐性を持つ植物の作出に役立つと思われる。

3. アルカリ土壌耐性タバコの作出

 変異の導入によって得られた高pHで強い三価鉄還元酵素活性を示す変異遺伝子(variant241,281,282,372)をCaMV35Sプロモーターの下流につないでタバコへ遺伝子導入した。アルカリ条件で最も活性の強かった変異遺伝子(variant372)についてはおそらく強すぎる三価鉄還元酵素活性のために再生体を得ることが出来なかった。それ以外のvariant241,281,282については再生体を得ることが出来、開花結実に至るこれまでの2回にわたる繰り返し実験の結果、T2植物(形質転換当代をT1として)が野生型の植物に比べて石灰質アルカリ土壌に対してより耐性であることが確認されている。

まとめ

 石灰質アルカリ土壌で良好な生育を示す形質転換タバコの作出に成功した。

1.Oki,H.,Yamaguchi,H.,Nakanishi,H.and Mori,S.1999.Introduction of the reconstructed yeast ferric reductase gene,refre1,into tobacco.Plant and Soil 215:211-220.

2.Oki,H.,Yamaguchi,H.,Nakanishi,H.and Mori,S.Directed evolution of yeast ferric reductase.(submitted)

図1 variantの三価鉄還元酵素活性

審査要旨 要旨を表示する

 石灰質アルカリ土壌は土壌pHが高く、鉄が溶解度の低い水酸化鉄(III)として不溶態化しているので、フリーのFe3+とFe2+イオンの濃度は10-15M以下である。それゆえ土壌中の鉄を吸収できず植物は鉄欠乏症を示す。イネ科以外の高等植物は鉄欠乏に対して次のような応答(Strategy I)を示す。1)根圏へのプロトンの放出、2)根の細胞膜における三価鉄還元活性の増加、3)Fe2+イオンの根からの吸収など。しかし三価鉄の還元活性は高pHで阻害されるため、高濃度の炭酸カルシウムによる強いpH緩衝作用により石灰クロロシスを起こすという問題がある。そこで、「三価鉄還元酵素遺伝子を植物で過剰発現することにより、石灰質アルカリ土壌での鉄欠乏に耐性な植物を作る」という目的で研究を始めた。実験を開始した当初は植物の三価鉄還元酵素遺伝子はクローニングされていなかったため、酵母(Saccharomyces cerevisiae)の3価鉄還元酵素遺伝子(FRE1)を用いた。本研究ではFRE1遺伝子を植物にあった配列に設計し直し、さらに進化工学的手法により高pHで活性を持つ三価鉄還元酵素を作出し、植物へ導入してアルカリ土壌での検定を行った。

 第1章では、再構築した酵母のFRE1遺伝子(refre1)のタバコへの導入について述べている。

 FRE1遺伝子をタバコ(Nicotiana tabacum L.cv.SR1)へアグロバクテリウム法により導入したが、この形質転換タバコは三価鉄還元酵素活性を示さなかった。その理由はFRE1の転写産物が酵母で発現しているときよりも短く、コーディングリージョンの途中でpoly(A)が付加していたからであった。そこでFRE1遺伝子の塩基配列を植物用に設計し直し、全塩基配列を人工的に合成した。新しく合成した遺伝子をrefre1(reconstructed FRE1)と命名し、CaMV35Sプロモーターの下流につないでタバコへ導入した。refre1遺伝子を持つ形質転換タバコは完全長のmRNAを生産し、恒常的な強い三価鉄還元酵素活性を示した。形質転換タバコの葉における金属含量を分析したところ、鉄の含量が約1.7倍に増加していた。しかし水掛栽培での鉄欠乏条件における三価鉄還元酵素活性は、野生型の植物と比較して差が見られなかった。

 第2章ではin vitro evolution法によるrefre1遺伝子の改良について述べている。

 過剰発現による耐性の付加があまり効果的ではないと考えられたので、三価鉄還元酵素の量的な変化ではなく、質的な変化を求めた。至適pHがアルカリ側にシフトした、あるいはアルカリ条件でも強い活性を持っている三価鉄還元酵素をrefre1遺伝子への変異の導入と酵母によるスクリーニングによって作出した。pH8.0とpH8.5でのスクリーニングにより、10個の候補遺伝子が得られた。最も優れた変異遺伝子(variant 372)を持つ酵母は元のrefre1遺伝子を持つ酵母に比べ、pH8.0,8.5,9.0においてそれぞれ6.0,8.7,38倍の活性を示した。得られた変異遺伝子の配列の解析から主としてN末から

312番目のアミノ酸への共通した変異が確認された。この変異部位はヘムを配位するヒスチジン残基の近くに存在し、細胞質に近い側の細胞膜内に存在していると思われた。この変異が高pHでの強い三価鉄還元酵素活性に重要な役割を果たしていると考えられた。

 第3章ではこの改変酵素遺伝子を導入したアルカリ土壌耐性タバコの作出について述べている。

 変異の導入によって得られた高pHで強い三価鉄還元酵素活性を示す変異遺伝子(4種)をCaMV35Sプロモーターの下流につないでタバコへ遺伝子導入した。アルカリ条件で最も活性の強かった変異遺伝子についてはおそらく強すぎる三価鉄還元酵素活性のために再生体を得ることが出来なかった。しかしそれ以外の3種については再生体を得ることが出来、開花結実に至る2回にわたる繰り返し実験の結果、T2植物(形質転換当代をT1として)が野生型の植物に比べて石灰質アルカリ土壌に対してより耐性であることを確認した。

 以上要するに、本研究により石灰質アルカリ土壌で良好な生育を示す形質転換タバコの作出に成功した。ここで開発された技法は今後の双子葉の食用作物の作出に適用可能であり、アルカリ土壌の農業生産力の向上に貢献すると考えられ、学術上応用上に貢献するところが少なくない。よって審査委員一同本研究が博士(農学)に値すると認めた。

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