学位論文要旨



No 116197
著者(漢字) 尾崎,紀昭
著者(英字)
著者(カナ) オザキ,ノリアキ
標題(和) 円石藻の石灰化に関与する酸性多糖の構造と機能に関する研究
標題(洋)
報告番号 116197
報告番号 甲16197
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2227号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長澤,寛道
 東京大学 教授 山崎,素直
 東京大学 教授 北原,武
 東京大学 教授 山口,五十麿
 東京大学 助教授 作田,庄平
内容要旨 要旨を表示する

 バイオミネラリゼーションとは生物が鉱物を形成する作用を意味し、これは原核生物から高等動物に至るまで広く見られる現象である。実際、自然界では生物によって多様な鉱物が作り出されているが、その中でも軟体動物の貝殻や脊椎動物の歯や骨を形成する石灰化という現象について古くから研究が進められてきた。石灰化部位には微量の有機基質が含まれており、これらの成分が鉱物形成に深く関与すると考えられてきた。しかしながら、これらの有機基質の構造に関してはいくつかの成果はでているものの、脊椎動物以外では情報が乏しく、それらの石灰化における機能については不明な部分が多いのが現状である。本研究では生物による石灰化現象を解明するのに適した材料として円石藻を選出した。円石藻は海洋性の単細胞藻類であり、炭酸カルシウム結晶を主成分とする「コッコリス」と呼ばれる微細な鱗片を細胞内のゴルジ体由来の小胞中で形成し、開口分泌によって細胞外へ放出して細胞表面に配置する。このコッコリスの形態は種によって異なり、遺伝的に厳密に制御されていることから、円石藻の分類基準に用いられてきた。これまでの研究から、他の石灰化組織と同様にコッコリスの形成にも微量の有機基質が関与していることが推定されてきた。そこで本研究では、コッコリスの有機基質を精製単離し、その構造解析と炭酸カルシウム結晶形成に対する作用を明らかにすることを目的とした。さらにin vitroでの炭酸カルシウム結晶形成実験法について検討し、石灰化に関与する有機基質を探索できる汎用性の高いアッセイ系の開発を目指した。また、その方法を用いてコッコリスの有機基質および種々の有機化合物の結晶形成に及ぼす効果を調べた。

第一章 円石藻のコッコリス由来、有機基質の精製と構造解析

 海水培地に終濃度15mMになるようにNaHCO3を添加して円石藻円Pleurochrysiscarteraeの石灰化を促進させ、大量のコッコリスを生産させた。藻体を超音波破砕し、洗浄と遠心分離を繰り返すことによってコッコリスを単離した。単離したコッコリスを0.5M EDTAで脱灰し、可溶性区を陰イオン交換HPLCで分離した。溶出画分について炭酸カルシウム形成阻害能を判定できるpH下降法を用いて、結晶形成阻害活性を調べた。その結果、2つのピークに強い結晶形成阻害活性が認められたので、これらの画分の解析を行った。ポリアクリルアミドゲル電気泳動を行ったところ、両画分ともCBB染色に陰性で、Stains-all染色によって青く染色されたことから、非タンパク性のポリアニオンであることが示唆された。さらに、アルシアンブルー染色に陽性であることおよびカルバゾール硫酸法に陽性であることから、ウロン酸を含む酸性多糖であることが示唆された。溶出順に多糖A,Bと名付けた。電気泳動上で多糖Aのバンドの巾が収束していたことから、多糖Aは分子量が比較的均一であること、多糖Bは非常に巾の広いバンドとして検出されたことから、分子量に巾をもつことが推定された。このことは実際にゲル濾過法によっても確かめられた。また、45Caを用いた実験から、両多糖は強いカルシウム結合能を有することが分かった。pH下降法による検定の結果、多糖Bは多糖Aに比べて炭酸カルシウム結晶形成阻害能が強いこと、コッコリスの最も主要な基質成分であることから、特に多糖Bに絞って詳細な解析を行うことにした。

 多糖Bの1H-NMR、13C-NMRスペクトルを測定したところ、繰り返し構造を有するポリマーであることが予想され、175ppm付近に4級の炭素のシグナルが強く観測されたことから、カルボキシル基に富むポリマーであることが分かった。しかし、多糖Bはなお不純であることが推定されたので、多糖Bのさらなる精製を行うために逆相HPLC、配位子交換カラム、ゲル濾過カラム等、様々なカラムクロマトグラフィーや等電点電気泳動を検討したが、良好な結果は得られなかった。そこで、再び陰イオン交換HPLCによって塩濃度勾配を緩くして、多糖BをB1-B6の6つの画分に細分し、それぞれの1H-NMRスペクトルを測定したところ、シグナルの特徴から多糖Bは主に2種のポリマーから成り、前半と後半ではそれらの組成比が異なっていることが分かった。1H-1H COSYおよびHMBCスペクトルから前半の画分は未同定のウロン酸、メソ酒石酸およびグリオキシル酸がこの順序で結合したユニットの繰り返しのポリマー構造を有する新規化合物であることが分かったので、コッコリス基質酸性多糖(CMAP)と命名した(図1)。このユニットを構成する二糖のうち、片方のメソ酒石酸-グリオキシル酸残基は、ウロン酸残基の2位-3位間が酸化的に切断されて生じたことが推定された。従ってCMAPは1ユニット(二糖)あたり4つのカルボキシル基を持つ、非常に酸性度の高いポリマーであることが分かった。また、HMBCスペクトルからCMAP中の糖残基間の結合は1-4結合であることが分かった。CMAP中の構成成分であるウロン酸はNOESYおよびPECSYスペクトルから、現時点においては、イズロン酸である可能性が最も高い。陰イオン交換溶出画分のうちの後半の画分には、このCMAPの他に、グルクロン酸とメソ酒石酸、グリオキシル酸からなる、既に報告されている多糖成分(RS-2)が混在していることが分かった。以上のことから、コッコリス有機基質の主要な成分である多糖BはCMAPおよびPS-2という1ユニット(二糖)あたり4つのカルボキシル基を有する非常に酸性度の高い特殊なポリマーの混合物であることが分かった。また、このようなポリマーはコッコリス形成能を欠く非石灰化株からは検出されなかったことから、石灰化に重要な役割を果たしていることが推定される。また、ウロン酸を含む繰り返し構造を持つ酸性多糖は他の藻類(褐藻、紅藻)の細胞壁成分として普遍的に存在するが、糖残基が酸化によって開裂してカルボキシル基を生じている例は、円石藻以外では発見されていない。他の石灰化生物、例えば軟体動物の貝殻や哺乳類の歯の象牙質等の石灰化部位にも同様に酸性の高分子が存在するが、それらは酸性アミノ酸に富むタンパク質やリン酸化されたアミノ酸を多く含む酸性のタンパク質であり、カルシウムイオンの供給や結晶形成の制御を担っているものとして考えられている。以上のことを考えあわせると、タンパク質と多糖という物質レベルの相違は見られるものの、石灰化という生物種を越えた共通の現象に必須な有機基質として、石灰化部位には高度に酸性化したポリマーが含まれることが共通点として挙げることができる。

第二章 有機基質による炭酸カルシウム結晶形成の制御

 生物が炭酸カルシウム結晶形成を制御していることは既に述べたが、石灰化部位に存在する有機基質の探索法の開発および有機基質の機能を調べる目的でin vitro炭酸カルシウム形成実験について詳細な検討を行った。本研究で用いたpH下降法は試験管内において20mM NaHCO3と20mM CaCl2を混合することで積極的に過飽和状態の炭酸カルシウム溶液を作りだし、その結果として炭酸カルシウム結晶が形成される際にプロトンが放出されるので、石灰化の進行に伴ってpHが低下することを利用したものである(反応式:HCO3-+Ca2+→CaCO3+H+)。従って、結晶形成を阻害する物質が添加された際にはpHの低下が抑制される。様々な有機化合物を添加して結晶形成実験を行った結果、市販の有機化合物と比較して石灰化部位に存在する有機基質は極めて低濃度で結晶形成を阻害することが分かった。すなわち、阻害活性を示す市販のウロン酸ポリマーや酸性アミノ酸の添加濃度(数百μg/mlから数mg/ml)と比較して、CMAPは約2μg/mlという低濃度で完全に結晶形成を阻害した。他の石灰化生物由来の有機基質もCMAPと同様に低濃度で阻害活性を有するものが報告されている。さらにこの原理を応用して、より微量で解析できる方法を検討した。pH下降法では結晶形成に伴って放出されるプロトンの量を計測しているが、形成された炭酸カルシウム結晶量をミクロセルを用い、溶液の濁度を測定することによって、従来法の1/50量で活性を検定できることが分かった。これまでに様々な結晶形成法が考案されているが、その中でも本法は最も簡便で、かつ再現性高く微弱な活性を検出できるので、未知の有機基質の探索および機能解析に大変有効であると考えられる。また、本法を検討した際に、PS-2を含む画分がヴァテライト結晶形成を特異的に誘導することを見いだした。ヴァテライトは炭酸カルシウム結晶の同質多型(方解石、アラレ石、ヴァテライト)のうち最も不安定な結晶型であり、自然界において生成する例は数少ない。コッコリスが方解石であることを考えると、ヴァテライト結晶を誘導する活性をもつ成分がコッコリス中に存在する理由は不明であるが、ヴァテライトを特異的に誘導するという性質は材料科学の分野に新しい知見を与えるものである。

 以上のように本研究では、円石藻の石灰化部位に含まれる主要な有機基質である多糖Bは、主成分として高度に酸性化した新規なポリマー化合物を含むことを突き止めた。さらに、in vitro炭酸カルシウム結晶形成実験について詳細に検討し、pH下降法が石灰化制御物質のスクリーニング法として有効であることを示すと同時に、その改良法として、従来よりも微量で活性測定ができるアッセイ系を開発した。これらの成果は有機物と無機結晶間の分子相互作用という特異な側面をもつバイオミネラリゼーションの機構の解明に新たな知見を提供するものである。

図1 CMAPの化学構造

審査要旨 要旨を表示する

 生物が鉱物を形成する反応はバイオミネラリゼーションと呼ばれ、微生物から高等動植物にいたるまで幅広い生物に見られる。なかでも、炭酸カルシウムや燐酸カルシウムが関与する鉱物化反応は石灰化と呼ばれ、骨、歯、無脊椎動物の外骨格などの組織を形成し、生体の維持や防御に重要な役割を果たしている。本研究では、海洋の単細胞藻類である円石藻を対象にして、この藻が形成する炭酸カルシウムの鱗片(ココリスと呼ばれる)に含まれる微量の有機物のうち、石灰化に重要と考えられる化合物の精製と構造、機能に関する研究を行った。

 序論では、バイオミネラリゼーション全般について概観し、これまでに同定された有機基質の特徴を述べている。その背景を踏まえて、円石藻を材料にした意義を説明している。円石藻は、海洋における主要な二酸化炭素固定者であり、地球上の炭素循環に重要な役割を果たしているが、炭酸カルシウム固定の機構はほとんどわかっていないことから、有機基質の構造と機能解析を通じて固定の機構に迫ろうとするものである。

 第1章では、まずpH下降法を用いた有機基質の検定法について述べている。この方法は、過飽和の炭酸カルシウム溶液から結晶が析出するのを阻害するのを溶液のpHの変化で判定する方法である。海水を主とした培地で培養した円石藻(Pleurchrysis carterae)の藻体を超音波処理し、ココリスを集めた。これをEDTA溶液で溶かすことによって脱灰し、脱灰液を陰イオン交換HPLCにかけたところ、結晶化阻害活性は2つの画分(A,B)に認められた。それぞれ食塩濃度0.24,0.28Mに溶出された。いずれの画分もCBBに染まらず、Stains-all、アルシアンブルー、カルバゾール硫酸で染色されたことから、酸性多糖と推定された。阻害活性のより強いBについて再度陰イオン交換HPLCにかけ、より緩い塩濃度勾配で溶出し、連続した6つの画分(B1-B6)に分離した。これら6つの画分はすべて結晶化阻害活性を示した。B1-B6について、それぞれ1H NMRを測定したところ、これの画分には主に2種類の化合物が含まれることがわかった。一つは、B1-B6に共通に含まれ、他方はB4からB6になるにしたがって増加した。後者は、さらに解析した結果、すでに同種の円石藻から1992年に同定され、PS-2と命名された酸性多糖であることがわかった。前者は新規化合物と考えられたので、ココリス基質酸性多糖(coccolith matrix acidic polysaccharide,CMAP)と命名した。CMAPの構造は各種NMR(13CNMR,1H-1H COSY,HMQC,HMBC,HOHAHA)を測定したスペクトルの解析から図に示す構造であることが明らかとなった。すなわち、イズロン酸、メソ酒石酸、グリオキシル酸を単位とするポリマーであることが判明した。ココリス酸性多糖(CMAP)の化学構造

 第2章では、有機基質による炭酸カルシウム結晶形成の制御について述べている。すなわち、第1章で用いた検定法およびそれよりさらに微量で検定できる方法を開発したことについて詳しく述べている。市販のウロン酸ポリマーや酸性アミノ酸は数百μg/mlで阻害活性を示したのに対して、第1章で単離したCMAPは2μg/mlというきわめて低濃度でで阻害活性を示した。一方、結晶誘導化条件において、B1の画分(CMAP)は方解石結晶を、B6(CMAPとPS-2を含む)はバテライト結晶を誘導した。これまで、天然の有機化合物でパテライトを誘導する化合物はほとんど見つかっておらず、材料化学の分野に新しい知見を与えるものである。

 以上、本論文は円石藻の有機基質中の新規酸性多糖の精製と構造解析、さらには結晶形成に対する作用について新たな知見を提供したもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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