学位論文要旨



No 116200
著者(漢字) 柴垣,奈佳子
著者(英字)
著者(カナ) シバガキ,ナカコ
標題(和) シロイヌナズナにおける硫酸トランスポーター変異株の解析
標題(洋) Isolation and characterization of Arabidopsis thaliana mutants defective in sulfate uptake
報告番号 116200
報告番号 甲16200
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2230号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 米山,忠克
 東京大学 教授 森,敏
 東京大学 教授 山口,五十麿
 東京大学 教授 阿部,啓子
 東京大学 助教授 林,浩昭
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

 硫黄は全ての生物に不可欠な元素の一つである。環境中において硫黄は、主に酸化された形(SO42-,-SO3)で存在し、植物の根より硫酸イオン(SO42-)の形で吸収された後、種々の硫黄化合物へ同化されていく。根から植物体内に入った硫酸イオンは、維管束系を通って地上部へ移動する。そして主に葉において、光合成で得た還元力によって還元され、様々な一次、二次代謝産物の生合成に用いられる。あるいは、還元を受けずにスルフォリピッドなどの生合成の基質となる。

 硫酸イオンの還元系を構成する酵素は植物と微生物体内にしか存在しない。したがって動物は、植物や微生物を経口摂取することによってのみ、必須アミノ酸であるメチオニンを含む還元型硫黄を体内に取り込むことができる。動物体内に取り込まれた硫黄は、異化によって再び硫酸イオンとなり、環境中に戻る。このような生態系における硫黄の循環において、植物による硫酸イオンの吸収は、硫黄が生体内に入る最初のステップである。植物による土壌からの硫酸イオンの取り込みと還元という一連の過程は、動物の生存にも不可欠な重要な反応であるといえる。

 硫酸イオンは、土壌中から根に存在する細胞と導管を通って各組織に運ばれるまでの間に、細胞膜を数回通らなければならない。植物細胞膜上には、プロトンと硫酸イオンの共輸送体が存在し、細胞内への硫酸輸送に働いていると示唆されていたが、長い間その分子は明らかにされていなかった。近年、酵母の硫酸輸送系変異株のfunctional complementationによって、Stylosanthes hamataの硫酸トランスポーター遺伝子が単離されたのを皮切りに、オオムギやシロイヌナズナなどの高等植物から、お互いに相同性の高い、多くの硫酸トランスポーター遺伝子が急速に同定されてきた。

 現在、全ゲノム配列が解読されようとしているシロイヌナズナでは、少なくても遺伝子配列として11個の硫酸トランスポーター遺伝子が存在することが明らかとなっており、それぞれの遺伝子についてその発現特異性が調べられつつある。遺伝子によって、主に根で発現するもの、葉で発現するものなどがあることが示されている。

 発現特異性が各々異なることからも示唆されるように、それぞれの硫酸トランスポーターは、植物体内の硫酸輸送において独自の役割を担っていると考えるのが妥当である。そしてそれは、植物体内の位置によって異なる硫酸トランスポーターを発現することによって、もっとも合目的的な硫酸輸送を実現するように高等植物が進化してきた結果であると考えられ、そのような高等植物における硫酸輸送の仕組みを知ることは非常に興味深い。

 本研究は、シロイヌナズナの硫酸トランスポーター遺伝子の一つSultr1;2に変異を持つ変異株の解析により、高等植物の硫酸吸収、輸送におけるSultr1;2の役割を知ることを目的として行われた。

セレン酸耐性変異株3 2-4及び1-8の単離

 本研究の対象とする変異株は、セレン酸耐性変異株として単離された。セレン酸イオンは、硫酸イオンのアナログとして硫酸トランスポーターを介して植物細胞内に吸収され、硫酸代謝系で還元を受けた後に生育を阻害するようになることが知られている。そこで、セレン酸の毒性に対して耐性を示す変異株の中には、硫酸トランスポーターに変異を持つものが含まれると考え、セレン酸耐性変異株のスクリーニングを行なった。

 約10,000個のEMS処理種子M2世代から1ライン、約9,500のT-DNAタグラインから1ライン、特に根の伸長において顕著なセレン酸耐性を示す変異株を得た。それぞれ、ライン“3 2-4”および“1.8”と名付けた。

3 2-4及び1-8の硫酸吸収

 3 2-4および1-8ともに、硫酸欠乏条件下でも十分条件下でも、セレン酸による生育阻害の影響が、野生型株よりも少ないことを、根の伸長の測定により確かめた。このセレン酸耐性の表現型が、セレン酸吸収の低下によるものであるならば、硫酸吸収の低下も予想される。そこで次に、野生型株と両変異株の硫酸吸収速度を調べた。

 硫酸イオンの吸収速度を調べる実験は、寒天培地に播種後2週間目の植物体を用いて行なった。実験開始の3日前に寒天培地から取り出し、硫酸イオンを0あるいは0.7mM含む培地で液体培養していた植物体を、各濃度の硫酸イオンと放射性ラベルされた硫酸イオン(S35-SO42-)を含む液体培地に1時間浸け、吸収を行わせた。細胞に取り込まれなかった細胞壁に付着しているS35を植物体から取り除くために、その後1時間、1.5mMの硫酸イオンを含む液体培地に置いた。地上部と根とに切り分けて新鮮重を測り、液体シンチレーションカクテルを加えて24時間室温においた後、植物体に取り込まれた放射活性を計測した。

 その結果、両変異株とも、野生型株よりも硫酸吸収能が低下していることが示唆された。

1-8では、前培養において硫酸イオンストレスを受けた場合にも受けていない場合にも、硫酸イオン濃度10μMから100μMにかけて、野生型株より低い吸収を示した。3 2-4では、硫黄十分条件の前培養を受けたときには、野生型よりも低い硫酸吸収が20μMから100μMで観察されたのに対し、前培養で硫黄欠乏ストレスにおかれたときには、野生型株との硫酸吸収能の差は、高い硫酸イオン濃度でのみ大きかった。これらの結果から、両変異株において、硫酸輸送に関わる分子に何らかの異常がある可能性が高いと考えられた。

 またその表現型は、1-8でより強いこと、硫黄欠乏条件下では、変異株における硫酸吸収能の低下が、他のおそらくは高親和型の硫酸イオントランスポートシステムにより、カバーされていることを示唆する結果であるといえる。

3 2-4及び1-8における原因遺伝子の同定と発現解析

 野生型株と掛け合わせたF2世代植物において、セレン酸耐性を示す個体が、全体の4分の1程度出現することから、3 2-4変異、1-8変異ともに、一遺伝子座に起こった劣性変異であることが示された。また、両変異株を互いに掛け合わせて得られたF1、F2世代では調べた植物がすべてセレン酸耐性を示したことから、3 2-4変異、1-8変異は同じ遺伝子座に起きた変異であると言える。

 さらに、他のエコタイプと掛け合わせたF2世代の解析によって、3 2-4変異は、一番染色体下腕の2つの分子マーカーの間、約400kbpの領域にマッピングされた。この領域は全シークエンスが明らかとなっており、3 2-4変異がマッピングされた付近に、2つの硫酸トランスポーター遺伝子、Sultr2;2及びSultr1;2が見つかった。3 2-4のゲノム上の、この2つの遺伝子を含む領域約12kbpをPCR増幅し塩基配列を決定したところ、Sultr1;2をコードする遺伝子の9番目のエクソン中に、ミスセンス変異(イソロイシンからスレオニン)が存在することが明らかとなった。塩基配列を決定した領域内には、その他には一つも塩基置換は見つからなかった。

 3 2-4変異とアリリックな変異を持つ1-8のゲノムにおいては、Sultr1;2の翻訳開始点の440bp上流にT-DNAのLeft border配列が挿入されていることが、PCR増幅した断片の塩基配列から明らかとなった。ノーザン解析の結果、1-8から調製したRNAサンプルからはSultr1;2の転写産物は検出されず、1-8は、Sultr1;2の発現がなくなった変異株であることが分かった。一方、ごく近傍に位置するもう一つの硫酸トランスポーター遺伝子Sultr2;2の上流は、1-8ゲノムにおいて、翻訳開始点から少なくとも1.7kbpまでは保存されていることがPCRにより確認された。また、Sultr2;2の転写産物も、1-8において野生型株とほぼ同程度検出された。よって、Sultr2;2遺伝子は1-8においても野生型同様に発現していると思われる。Sultr1;2は、2000年4月にそのcDNAがGenBankに登録されている(GenBank Accesion No.AB042322)。そのコードする654アミノ酸の配列はSultr1;1,Sultr1;3のものと高い相同性を示し、高親和型の硫酸トランスポーターと考えられる。ノーザン解析により、野生型植物におけるSultr1;2の発現パターンを調べたところ、培地に含まれる硫黄条件によらず、根において比較的高レベルに発現しており、地上部ではほとんどその転写産物が検出されないことがわかった。

酵母を用いたSultr1;2の解析

 高等植物の硫酸トランスポーターは、12の膜貫通領域というヒトや酵母などの硫酸トランスポーターと共通する構造をもつ。そして細胞内につきだしたC末端には、STAS domainと呼ばれ、硫酸を含むいくつかのアニオントランスポーターとアンチシグマファクターに保存されたアミノ酸配列がある。ヒトの硫酸トランスポーターにおいてこの領域に起こった変異は重大な遺伝病の原因であることからSTAS domainの硫酸輸送における重要性が示唆されている。3 2-4変異は、12番目の膜貫通領域とSTAS domainの間に位置する。3 2-4の硫酸吸収能の低下という表現型は、この領域の、植物体内の硫酸輸送における重要性を示唆している。

 3 2-4変異の、酵母細胞での硫酸輸送に対する影響を調べるために、Saccharomyces cerevisiaeの硫酸トランスポーター破壊株、CP154-7Bを用いた。CP154-7Bは、酵母の硫酸トランスポーター遺伝子SUL1及びSUL2の両方が破壊されており、硫酸イオンを培地からほとんど吸収できないため、硫黄源としてメチオニンなどの硫黄化合物を生存に必要とする。このCP154-7Bに、適切なベクターに組み込んだ野生型シロイヌナズナ由来のSultr1;2のcDNAを導入したところ、その硫酸吸収能の回復が見られた。このことはシロイヌナズナ由来のSultr1;2遺伝子が、酵母の細胞膜上で硫酸トランスポーターとして機能することを示している。一方、3 2-4変異を持つSultr1;2のcDNAはCP154-7Bの硫酸吸収能を相補しなかった。この結果は、3 2-4変異は、酵母細胞内の硫酸イオン吸収にも影響し、3 2-4変異によってスレオニンに置き換えられた、511番目のイソロイシンを含む領域が、酵母の細胞内においてもSultr1;2による硫酸輸送に何らかの重要な役割を果たしていることを示唆している。

まとめ

 本研究は、セレン酸という、毒性アナログを利用して、硫酸イオンの輸送あるいは代謝の変異株を、高等植物において単離した、世界で最初の報告であり、セレン酸を利用してそのような変異株を単離することが、植物の硫酸代謝に関しても可能であることを示した。そしてさらに、それらの変異株を用いて、特定の硫酸トランスポーターの機能を調べることができた。まず、Sultr1;2遺伝子の発現していない1-8の硫酸吸収能の解析から、Sultr1;2は、硫黄が十分なときと欠乏しているときの両条件下で、培地からの硫酸イオン吸収に働いていることが示唆される。また、1-8と3 2-4の両変異株において、硫酸欠乏条件では十分な条件のときとくらべて、特に低濃度の硫酸イオン条件での硫酸吸収速度の野生株と変異株の違いが見られにくいことは、硫酸欠乏ストレスを受けた植物体では、Sultr1;2以外の、おそらくより硫酸イオンに親和性の高いトランスポーターが発現し、硫酸吸収に大きく寄与していることを示唆していると考えられる。さらに、3 2-4変異の解析からは、Sultr1;2の機能に重要な部位が示された。

 1-8は生育が野生型株に比べてやや劣る傾向が見られるものの、両変異株とも、硫酸吸収速度の低下による生育不良などの重大な影響は見られない。これは、変異植物体内において、硫酸イオンの根からの吸収以降の硫黄代謝系の制御が働き、生育に必要な硫黄化合物を効率よく生合成しているためである可能性がある。シロイヌナズナでは、硫酸トランスポーターやATP sulphurylase,adenosine 5'phosphosulfate reductase(APR)の発現が転写レベルで硫黄条件により制御されていること、APRやserine acetyl transferaseはタンパク質レベルでもその発現が制御されていることが知られている。予備的にいくつかの遺伝子の、転写レベルでの発現を調べたところ、野生型と変異植物において大きな違いは見られなかった。今後、より詳細に転写産物の量を調べることにより、また、遺伝子発現の制御と関わっていると考えられているグルタチオンなど硫黄化合物の濃度を調べ比較することによって、変異植物が硫酸イオンの根からの吸収の低下にどのように対処しているかを明らかにしようと考えている。

審査要旨 要旨を表示する

 硫黄は全ての生物に不可欠な元素の一つであり、高等植物は根で硫酸イオンの形で吸収し地上部へ移動し、硫酸は細胞に入った後、還元され種々の硫黄化合物へ同化される。硫酸イオンは、根、導管を通って各組織に運ばれるまでの間に細胞膜を数回通らなければならない。植物細胞膜上には、プロトンと硫酸イオンの共輸送体が存在し、細胞内への硫酸を輸送すると示唆されていたが、その分子自体は明らかにされていなかった。近年、yeastの硫酸輸送系変異株を用いて、functional complementationによってStylosanthes hamata、オオムギ、Arabidopsisなどの高等植物から、多くの硫酸トランスポーター遺伝子が急速に同定されてきた。現在、全ゲノム配列が解読されたArabidopsis thalianaでは、遺伝子配列として少なくとも11個の硫酸トランスポーター遺伝子が存在することが明らかとなっている。

 本論文は、A.thalianaの硫酸トランスポーター遺伝子の一つSultr1;2に変異を持つ変異株の解析により、高等植物の硫酸吸収、輸送におけるSultr1;2の役割を知ることを目的として行われた。序論では研究の背景と意義について、次いで研究結果と考察を述べている。

(1)本研究の対象とする変異株を硫酸イオンのアナログ、セレン酸に耐性の変異株として単離している。約10,000個のEMS処理種子M2世代から1ライン“32-4”、約9,500のT-DNAタグラインから1ライン“1-8”、特に根の伸長においてセレン酸耐性を示す変異株を得た。35S-SO42-を用いて野生型株と両変異株の硫酸吸収速度を調べたところ、変異株1-8では、硫酸イオン濃度10μMから100μMにかけて、前培養中の硫黄条件によらず、野生型株より低い吸収を示した。32-4変異株では、硫黄十分条件下では野生型よりも低い硫酸吸収が20μMから100μMで観察されたのに対し、硫黄欠乏条件におかれたときの野生型株との硫酸吸収能の差は、低い硫酸イオン濃度ではほとんど見られなかった。これらの結果から、両変異株において、硫酸輸送に関わる分子に何らかの異常がある可能性が高いと結論している。

(2)遺伝解析により32-4変異、1-8変異ともに、セレン酸耐性は劣性の一遺伝子座に起こった変異によること、さらに、32-4変異は、一番染色体下腕のマッピングによって約400kbpの領域に存在することを示している。この領域に二つの硫酸トランスポーター遺伝子、Sultr2;2及びSultr1;2が存在し、この二つの遺伝子を含む領域約12kbpの塩基配列を決定したところ、32-4変異株ではSultr1;2をコードする遺伝子の9番目のexon中に、ミスセンス変異(IsoleucineからThreonine)が存在し、1-8変異株においては、Sultr1;2の翻訳開始点の440bp上流にT-DNAのLeft border配列があることを明らかにした。またノーザン解析から、1-8はSultr1;2の発現がなくなった変異株であった。これらの結果より、Sultr1;2におこった変異が表現型の原因であると結論している。Saccharomyces cerevisiaeの硫酸トランスポーター破壊株、CP154-7Bに、適切なベクターに組み込んだ野生型A.thaliana由来のSultr1;2のcDNAを導入したところ、その硫酸吸収能の回復が見られたが、32-4変異を持つSultr1;2のcDNAはCP154-7Bの硫酸吸収能を相補しなかった。

 本研究は、セレン酸という毒性アナログを利用して、硫酸イオンの輸送あるいは代謝の変異株32-4と1-8を、高等植物において単離した、世界で最初の報告となった。それらの変異株の分子遺伝学的解析から、変異が硫酸トランスポーター遺伝子Sultr1;2にあることを明らかとし、さらにそれら変異株をもちいて硫酸トランスポーターの硫酸吸収の生理機能を調べることができた。

 以上、本論文は高等植物の硫酸トランスポーター遺伝子の突然変異体を世界で始めて単離し、硫酸トランスポーターの機能の解析に成功したものであり、学術上、応用上貢献するところがすくなくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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