学位論文要旨



No 116201
著者(漢字) 杉山,靖正
著者(英字)
著者(カナ) スギヤマ,ヤスマサ
標題(和) 糖由来シクロペンタン環骨格を有する微生物二次代謝産物の生合成に関する研究
標題(洋)
報告番号 116201
報告番号 甲16201
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2231号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長澤,寛道
 東京大学 教授 北原,武
 東京大学 教授 山口,五十麿
 東京大学 助教授 早川,洋一
 東京大学 助教授 作田,庄平
内容要旨 要旨を表示する

 微生物の二次代謝産物は多彩であり、現在までに多くの有用物質が見い出され、抗菌活性をはじめ、酵素阻害活性、レセプター結合阻害活性など様々な生理活性を有する微生物代謝産物が見い出されている。微生物の生産する生理活性物質の化学構造は多種多様であり、それらの生合成を明らかにすることは、微生物の代謝生理の解明のみならず、有用物質の生産という面からも重要である。トレハゾリン1は、トレハラーゼ阻害物質としてMicromonospora coriaceaの代謝産物中に見い出された化合物であり、グルコース残基と、シクロペンタン環を有するアグリコン部分が、N-グルコシル結合した特異な骨格を有している。一方、アロサミジン2は、キチナーゼ阻害物質としてStreptomyces sp. AJ9463の菌体抽出液から単離された化合物であり、2分子のアロサミンと1分子のシクロペンタン環を有するアグリコンから構成されている。天然物で糖由来のシクロペンタン環を持つ化合物は、比較的少なく、その生合成に含まれる炭素一炭素結合形成反応は特異的なものであり、その反応機構及びその反応を触媒する酵素・遺伝子の解析は、有機化学の基礎のみならず、糖質分子変換などへの応用面においても重要である。本研究では、1の生合成機構を解明し、2のシクロペンタン環骨格の生成機構の詳細について解明することを目的とする。

第一部 トレハラーゼ阻害物質トレハゾリンの生合成

第一章 トレハゾリンを構成する炭素及び窒素原子の由来

 まず、1の前駆体と考えられる物質の各種ラベル化合物の取り込み実験を行うため、培養及びラベル化合物の添加の条件を検討した。その結果、培養には、0.1%グルコース濃度の生産培地を使用し、回転数は210rpmとし、ラベル化合物は、培養開始後72時間目と120時間目の2回、あるいは96時間目に1回添加し、培養時間は240時間とすることにした。

 1を構成する炭素及び窒素原子の由来を明らかにするため、各種ラベル化合物の取り込み実験を行った。まず、[1-13C]-グルコースの取り込み実験を行い、得られた1の13C-NMRスペクトルを測定した結果、1、1'位の炭素シグナルが明白にエンリッチされていた。続いて、[6-13C]-グルコースの取り込み実験を行ったところ、6、6'位の炭素シグナルに13Cの取り込みが認められた。これらの取り込み実験の結果より、1のグルコースとアグリコン部分ともに炭素骨格は、グルコース由来であることが明らかとなった。更に、1のシクロペンタン環部分において、前駆体であるグルコースのC-1、C-5間での環化が起きていることが判明した。

 次に、アミノオキサゾリン部分の2つの窒素原子と4級炭素の由来を調べるため、[13C,15N2]-尿素より調製した、L-[グアニジノ-13C,15N2]-アルギニンの取り込み実験を行った。その結果得られたトレハゾリンノナアセテートの13C-NMRスペクトルを測定したところ、7'位の4級炭素のシグナルが明白にエンリッチされていた。更にそのシグナルは、ダブルダブレットで観測された。このことは、得られた1のアミノオキサゾリン部分では、4級炭素が13Cでラベルされるとともに、2つの窒素原子が同時に15Nでラベルされていることを示していた。即ち、1の生合成の過程でアルギニンのグアニジノ基より生じたアミジノ基が、切断されることなくそのままアミノオキサゾリン骨格部分に導入されることが明らかとなった。以上明らかとなったトレハゾリンを構成する炭素及び窒素原子の由来を図1に示した。

第二章 トレハゾリンのシクロペンタン環骨格の生成機構

 1のシクロペンタン環骨格の生成機構を各種重水素ラベルグルコースの取り込み実験により調べた。シクロペンタン環形成は、図2に示すように、前駆体であるグルコースの4位あるいは6位が酸化される経路、フルクトースを経由する経路の3つの経路が考えられる。そこでまず、環化の際の、グルコースの4位及び6位の水素の去就を、それぞれ[4-2H]-グルコース、[6,6-2H2]-グルコースの取り込み実験により調べた。[4-2H]-グルコースの取り込み実験により得られた1を、2H-NMR解析したところ、4'位への重水素の取り込みが観測された。[6,6-2H2]-グルコースの取り込み実験により得られた1からトレハゾラミン3を得、さらにヘキサアセテートに誘導した後、2H-NMR及びESI-MSスペクトルを測定した。

その結果、6'位に同時に2つの重水素が導入されていることが判明した。この2つの取り込み実験から、グルコースの4位の水素及び6位の2つの水素は、シクロペンタン環生成の際に保持されることが示された。次に、フルクトースを経由する経路を検討するため、グルコースの2位の水素の去就を調べた。[2-2H]一グルコースの取り込み実験を行うにあたって、生産菌が高いグルコースイソメラーゼ活性を有していたため、4時間おきに12回にわたって[2-2H]一グルコースを添加する方法で取り込み実験を行った。その結果、得られた1の2'位に重水素が保持されていることが示された。更に、[1-2H]-グルコース及び[1,2,3,4,5,6,6-2H7] グルコースの取り込み実験により得られた1及び3の、2H-NMR及びESL-MSスペクトル解析の結果、シクロペンタン環生合成において、前駆体であるグルコースの水素は、5位を除いて全て保持されることが明らかになった。そのため1のシクロペンタン環は、図2のAあるいはBの経路で補酵素が関与し、一連の酸化・還元の過程で補酵素との間で同一の水素のやりとりがあり、見かけ上の水素の去就が観測されない反応機構により生成することが示唆された。シクロペンタン環生成反応途中で、4位あるいは6位が一旦酸化されるのであれば、それらの部位を重水素ラベルしたグルコースの変換では、同位体効果による重水素の取り込みの差が観測できる可能性がある。そこで、[4-2H]-トグルコース及び[6,6-2H2]-グルコースを等量用いた取り込み実験を行った。その結果得られた1のシクロペンタン環部分を2H-NMR解析したところ、6'位に比較して4'位への重水素の取り込みが少ないことが判明した。このことから、1のシクロペンタン環は、補酵素が関与する4位酸化経路(図3)によって、グルコースから生合成されることが推定された。

第三章 セルフリー系でのシクロペンタン環の形成

 第二章で推定した、1のシクロペンタン環の形成機構を証明するために、無細胞抽出液を用いたシクロペンタン環形成反応を試みた。まず、推定される環化反応生成物の標品として、4を調製した。1の生産菌の菌体を超音波破砕したセルフリー系を用い、グルコース-6-リン酸、NAD、NADPを添加して酵素反応を行った反応液に、アルカリホスファターゼを作用させ、さらにベンゾイル化後、生成物をHPLC及びLC-MSにより解析する酵素反応系を確立した。現在、生成物の詳細な解析を行っている。

第二部 キチナーゼ阻害物質アロサミジンのシクロペンタン環骨格の生成機構

 これまでに、2のシクロペンタン環骨格は、2位の窒素を含めグルコサミン由来であり、[6,6-2H2]-グルコサミンの取り込み実験から、6-アルデヒド体経由で生成することが明らかになっている。そこで、6位の酸化・還元過程での立体選択性を明らかにするために、(6R)-及び(6S)-[6-2H1]-グルコースの取り込み実験を行った。その結果、グルコースの(6R)の重水素は、2の6位のproSの位置へ取り込まれたが、(6S)の重水素は、2のシクロペンタン環へ取り込まれなかった。このことより、図4に示すように、6位の酸化・還元はそれぞれ立体特異的に起こり、その際グルコースの6位の水素の反転が伴うことが示された。次に、[1-2H]-グルコースの取り込み実験を行ったところ、重水素の2の1位への取り込みが認められた。以上のことより、2のシクロペンタン環骨格の生成過程で生じる6-アルデヒド中間体は、シクロペンタン環の環化及び5位のデオキシ化あるいはそのどちらかの反応に関与することが示唆された。

図1 トレハゾリンの生合成

図2 グルコースからのシクロペンタン環生成機構

図3 トレハゾリンのシクロペンタン環の推定生成機構

図4 アロサミジンのシクロペンタン環生合成

審査要旨 要旨を表示する

 微生物の二次代謝産物は多様であり、これまでに多くの有用物質を提供してきた。それらの生合成経路を明らかにすることは、微生物自身の代謝生理の解明だけでなく、有用物質の効率的生産にも直接結びつくという点から重要である。多様な微生物代謝産物のなかから、本論文では特にこれまで詳細な研究が行われていなかったシクロペンタン環骨格を有する化合物に着目し、その生合成に関する研究を行った。

 まず、序論では生合成研究の方法論およびその有用性を述べた後,糖に由来すると考えられるシクロペンタン環骨格を有する化合物についてこれまでに得られている知見をまとめている。本論文では2つの化合物、トレハゾリンとアロサミジンについて、なかでも特に前者についてその生合成経路を詳細に解析した。

 第一部では、トレハラーゼ阻害物質であるトレハゾリンの生合成について述べている。まず、トレハゾリンを構成する炭素および窒素原子の由来について調べた。安定同位体でラベルした化合物が効率よく取り込まれるための培養条件を検討したのち、[1-13C]-グルコースの取り込みを13C-NMRスペクトル解析によって調べたところ、1および1'位の炭素に取り込まれた(図1)。また、[6-13C]-グルコースを取り込ませたところ、6および6'に取り込まれた。これらのことから、炭素原子はすべてグルコースに由来することがわかった。一方、窒素原子については、L-[グアニジノ-13C,15N2]-アルギニンを取り込ませたところ、7'位の4級炭素および2つの窒素が同時にラベルされたことから、アルギニンのグアニジノ基から生じたアミジノ基が切断されることなくそのままの形でアミノオキサゾリン骨格部分に導入されることが明らかとなった。

 上記の実験から,トレハゾリンのシクロペンタン環部分はグルコースのC-1とC-5の間で環化することが明らかとなったが,その機構について検討した(図2)。すなわち,考えられる3通りの経路(4位酸化経路,6位酸化経路,フルクトース経路)について,それぞれ[4-2H]-グルコース,[6-2H2]-グルコースおよび[2-2H]-グルコースの取り込み実験により得られたトレハゾラミンのアセチル化物のNMRおよびESI-MSスペクトルを測定した。その結果,[4-2H]-グルコースからは4'位に,[6-2H2] グルコースからは6'位に2つの2Hが取り込まれた。[2-2H]-グルコースについては,本菌が高いグルコースイソメラーゼを有していたため,4時間ごとに12回パルス投与したところ,2'位に2Hが取り込まれた。さらに,[1-2H]-グルコースおよび[1,2,3,4,5,6,6-2H7]-グルコースの取り込み実験から5位以外はすべて保持されることがわかった。以上のことから,補酵素が関与し,一連の酸化還元のあいだに同一の水素のやり取りがあり,見かけ上水素の移動がないことが示唆された。しかし,[4-2H]-グルコースと[6,6-2H2]-グルコースを等量取り込ませたところ,同位体効果により6'位より4'位のほうが取り込みが少なかったことから,補酵素関与の4位酸化経路が最も有力であることが示された。

 第二部では,キチナーゼ阻害物質アロサミジンのシクロペンタン環骨格の生合成機構について調べている。(6R)および(6S)-[6-2H1]-グルコースの取り込み実験を行った結果、グルコースの6Rの重水素は6位のProSの位置に取り込まれたが、6Sの重水素は取り込まれなかった。このことから、6位の酸化・還元はそれぞれ立体特異的に起こり、その際に6位の反転を伴うことがわかった。また、[1-2H]-グルコースの取り込み実験と合わせて、シクロペンタン環生成の過程で生じる6-アルデヒド中間体は、シクロペンタン環の環化および5位のデオキシ化、あるいはそのどちらかの反応に関与することが示唆された。

 以上、本論文は微生物の生産する活性物質に含まれる糖由来のシクロペンタン環骨格の生合成機構について新たな知見を提供したもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

図1 トレハゾリンの生合成

図2 グルコースからのシクロペンタン環生成機構

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