学位論文要旨



No 116203
著者(漢字) 中谷,英樹
著者(英字)
著者(カナ) ナカヤ,ヒデキ
標題(和) 超臨界二酸化炭素の溶媒特性の解析とその酵素反応への応用
標題(洋)
報告番号 116203
報告番号 甲16203
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2233号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 教授 山崎素直
 東京大学 教授 清水,誠
 東京大学 助教授 若木,高善
 東京大学 助教授 宮脇,長人
内容要旨 要旨を表示する

有機溶媒のもたらす環境、人体への悪影響を考慮し、現在、超臨界流体(SCFs)はその代替溶媒として大きな関心を集めている。特に、超臨界二酸化炭素(SCCO2)は臨界温度、臨界圧力が共に低い値であるため、比較的穏和な条件で操作ができ、さらに、化学的に不活性な天然溶媒として、食品や医薬品の生産プロセスへの利用が期待されている。本論文はSCCO2の抽出溶媒、酵素反応溶媒としての可能性について検討することを目的とし、SCCO2の溶媒特性の解析、SCCO2中における酵素反応特性の解析、およびその油脂改変への応用について論じたものである。

1. 非水系酵素反応溶媒の溶媒指標1)

 有機溶媒中における酵素活性と溶媒指標との関係について、比誘電率(εr)、極性指標Er(30)などの溶媒特性に比べ、log P(溶媒の水と1-octanolへの分配比の常用対数値)が最も相関性が高いことが知られている。そこで、これまで求められていなかったSCCO2のlog P 値を求め、SCCO2の酵素反応溶媒としての指標を明らかにすることを試みた。log Pを1-octanolおよび水へのCO2溶解度の比として近似し、CO2への1-octanolの溶解度を測定し、これにPeng-Robinson状態方程式を用いた高圧気液平衡推算法を適用し、1-octanolへのCO2溶解度を求め、水へのCO2溶解度は文献値を用い、これらの比を計算することでSCCO2を含む高圧CO2のlog P値を算出した。50℃、3.0〜11.8MPaにおける高圧CO2のlog P値は圧力上昇に伴い、0.9から2.0と増加しより疎水的となり、有機溶媒ではベンゼンやフェノールと近い値となった。次に、種々の有機溶媒に対する水の溶解度をlog Pに対してプロットしたところ、良好な負の相関が見られたが、一方、CO2は圧力の上昇と共にlog P および水の溶解度は共に上昇したため、正の相関を示し、このCO2の相関線は高圧においては有機溶媒の負の相関線に近づく傾向が見られた。

 以上により、SCCO2はlog Pより判断し、比較的親水的であることが明らかとなり、さらに、圧力変化により極性や水の溶解度を変化させることができるため、ユニークな抽出溶媒、反応溶媒としての応用可能性が示された。

2. 超臨界CO2への溶質溶解度2)

 SCFsの物質溶解能力は有機溶媒と比較し、一般的に低いことが知られており、これはSCCO2中における酵素反応や抽出操作を行う際に考慮すべき重要な点である。そこで、lipaseの基質として考えられる脂肪酸、脂肪酸エステル、油脂等の溶解度を実測し、さらに、それらの推算方法の確立を試みた。40℃、12.3〜22.1MPaでSCCO2へのべヘン酸(BA)及びベヘン酸エチル(EB)の溶解度を実測したところ、BAとEBの溶解度には約1000倍の差があり、エステル化によって大きく溶解度が変化することが明らかとなった。さらに、測定データをいくつかの推算式で相関してみたところ、高沸点化合物であるBA、EBはFlory-Huggins式を用いて正則溶液理論を補正した式により最も良好に相関されることが明らかとなった。特に、BAの溶解度はこれまで広く用いられていたChrasti1の経験式による既報結果とは大きく異なっており、この傾向は低圧側でより顕著であり、ステアリン酸に関しても同様な傾向を見ることができた。さらに、この式を用い、高級飽和脂肪酸については、分子量によって溶解度を予測することが可能となった。

3. 非水系における酵素活性と酵素反応1)

 SCCO2中における酵素反応特性を明らかにするため、SCCO2、ベンゼン、ヘキサン中における酵素の安定性、反応活性の測定を行った。酵素には固定化 1ipase(EC.3.1.1.3;Mucor miehei由来)を用いた。まず、SCCO2(60℃、13.5MPa)中における本酵素の残存活性の経時変化を調べたところ、4hr経過後も活性は80%以上残存し、圧力依存性については測定した全ての圧力範囲(0.1〜15MPa)で30min後も活性はほとんど低下しないことが分かった。さらに、水分濃度依存性を調べたところ、水が溶解度以下の場合、活性は80%近く維持されるものの、溶解度を越えると活性が急激に低下するとが示され、これは溶け残った水相中にCO2が溶解し、酵素周辺のpHが低下したためと推測された。以上により、SCCO2中において1ipaseは水の溶解度以下であれば、反応性、安定性に関してほとんど問題がないことが明らかとなった。

 次に、SCCO2および有機溶媒中でのlipaseの酵素反応特性を明らかにするため、高圧CO2、ヘキサン、ベンゼン中でlipaseによるステアリン酸(SA)のエタノールによるエステル化反応およびその逆反応であるステアリン酸エチル(ES)の加水分解反応を行った。エステル化反応においてはSCCO2中における反応速度は臨界圧力以下でヘキサンおよびベンゼン中における値よりも低くなったが、9MPa 以上になると、反応速度がこれらと比べはるかに高くなった。一方、加水分解反応においては全ての圧力範囲でヘキサンおよびベンゼン中の値に比べて反応速度が高く、特に、6.8MPa付近では反応速度は極大値を示した。

4. 二酸化炭素の臨界点付近おける酵素反応特性

 SCCO2中における酵素反応速度の圧力依存性を、特に、CO2の臨界点付近の挙動に着目し、前項と同様な系で検討を行った。SA、ES の初濃度をそれぞれ22.6mM、水分を9.17mMとしたところ、SA のエステル化反応速度は、全ての測定温度(31-60℃)で圧力の上昇とともに単調に増加した。これは圧力の上昇に伴って、CO2の疎水性が上昇し、SAの溶解度が上昇したためであると考えられた。これに対して、ESの加水分解反応速度は測定した全ての温度条件で6.8MPa付近にピークが観測された。このピークは圧力上昇に伴う疎水性の増大、モル基準での希釈効果、さらに、酵素と基質との接触効果の増大などの複合的な要因によるものと考えられた。そこで、このピークに着目し、50℃でES、水分濃度を変化させ、圧力依存性を求めたところ、ES濃度が溶解度以下(2.4、8.0mM)で、十分な水分濃度(24、31mM)のとき、10MPa付近にピークが観察された。さらに、温度を40、50、60℃と変化させ、ES濃度、水分濃度がそれぞれ8.0、24mMの条件で圧力依存性を調べたところ、ピーク圧力値は温度の上昇と共に高くなり、気液平衡線の延長線上に沿って変化した。この延長線上ではSCCO2の密度ゆらぎが最大となることが報告されており、CO2と酵素活性部位が相互作用し、反応が活性化されたものと思われた。このように加水分解反応で気液平衡線の延長線上で反応速度が最大となることは、今後、SCCO2中における酵素反応のメカニズム解析およびその応用において重要な意味を有する。

5. 超臨界CO、中における油脂の改質とその反応系の検討3,4)

 SCCO2中における酵素反応の応用として、食品、医薬品分野で乳化剤、機能性油脂として注目されているモノ、ジグリセリドの合成系の検討を行うため、50℃でトリオレイン(TO)を出発物質とするグリセロリシス、エタノリシス、加水分解反応の3つの反応系での反応速度の比較を試みた。この結果、加水分解に対する反応速度が最も高いことから、1ipaseはSCCO2中ではエタノールやグリセリンよりも水に対する親和性が最も高いことが分かった。さらに、TOの加水分解反応速度の水分濃度依存性を調べたところ、水分濃度の上昇と共に、反応速度は上昇し、24、34mMでは、10MPa付近にシャープなピークが観察された。これは前項と同様にCO2の気液平衡曲線の延長線上の点であった。

 次に、油脂の物性変換を目的として、TOの脂肪酸または脂肪酸エチルによるエステル交換反応について検討した。50℃、15MPaでTOのBAまたはEBによるエステル交換反応の経時変化を測定したところ、エステル交換反応速度は基質としてBAよりも溶解度が1000倍高いEBを用いた方が高く、本反応系においては基質として脂肪酸よりもその脂肪酸エチルを用いた方が有利であることが示された。また、SAまたはESとTOとのエステル交換速度は5.9MPaで反応速度が最大を示し、加水分解反応の場合と同様なピークが観測された。

 以上、溶媒指標としてのlog Pを算出することによって、SCCO2は溶媒としては比較的親水的であることが分かった。さらに、SCCO2は温度、圧力の制御により極性や水の溶解度を変化させることができることから、ユニークな抽出溶媒、反応溶媒としての可能性が示された。SCCO2中で1ipaseは水の溶解度以下でほぼ安定であり、酵素反応溶媒として機能しうることが分かった。そこで、1ipase の SCCO2 中における反応特性について検討した結果、エステル化反応では圧力の上昇とともに反応速度は単調に増加したが、加水分解反応では超臨界領域において気液平衡線の延長線上で反応速度が最大となることが観察され、臨界点付近の密度ゆらぎや基質溶解度が SCCO2 中の酵素反応に強く影響を及ぼすことが明らかとなった。さらに、機能性油脂の生産や油脂物性変換を目的として、SCCO2 中における 1ipase による加水分解反応やエステル交換反応などについて、その反応条件の検討を試みた。

 以上の知見は今後の SCCO2 を用いた酵素反応のメカニズム解析や食品、医薬品分野でのSCCO2の抽出・反応溶媒としての応用に向けて、大きく寄与するものと思われる。

1)Nakaya, H.,0.Miyawaki,K.Nakamura,Enzyme Microb. Texhmol., in press.

2)中谷英樹,宮脇長人,中村厚三,化学工学論文集,25,237-239,1999

3)Nakaya, H.,0.Miyawaki,K.Nakamura,Biotechnol.Tech.12,881-884(1998)

4)Yoon, S.H.,H.Nakaya,O.Ito,0.Miyawaki,K.H.Park and K. Nakamura,Biosci Biotech. Biochem.62,170-172,(1998)

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、超臨界二酸化炭素(SCCO2)の抽出溶媒、酵素反応溶媒としての可能性について検討することを目的とし、SCCO2の溶媒特性の解析、SCCO、中における酵素反応特性の解析、およびその油脂改質への応用について論じたものである。

 第1章では超臨界流体(SCFs)の定義、物性値の特徴を論じ、SCFsの溶液としての性質をマクロ的観点およびミクロ的観点から論じ、SCCO2の特徴や今後の可能性について言及した。

 第2章ではSCCO2の反応溶媒として特性を明らかにするため、その溶媒指標であるlog P を初めて導出することを試みた。log Pを 1-octanol および水へのCO2、溶解度の比として近似し、超臨界領域を含む高圧 CO2 のlog P値を算出したところ、圧力上昇に伴い、高圧 CO2 の log P 値は増加し、その値はベンゼンやフェノールと近く、SCCO2 は比較的親水的な溶媒であることを明らかとした。

 第3章では、lipase(EC3.1.1.3) の基質として脂肪酸、脂肪酸エチル、油脂に着目し、これらの溶解度を実測し、さらに、その推算方法について検討を行った。ベヘン酸(BA)とべヘン酸エチル (EB) の溶解度には約1000倍の差があり、エステル化によって大きく溶解度が変化し、これらは Flory-Huggins 式を用いて正則溶液理論を補正した式により最も良好に相関され、高級飽和脂肪酸については、分子量によって溶解度を予測することが可能となった。

 第4章では、SCCO2 中における酵素反応特性を明らかにするため、lipase(Mucor miehei 由来) の安定性、反応活性の測定を行った。SCCO2中において lipase は水の溶解度以下であれば、活性はほとんど落ちず、安定であった。lipase を用いたステアリン酸 (SA) のエタノール (EtOH) によるエステル化反応においては、反応速度は臨界圧力以上でヘキサンおよびベンゼン中における値よりもはるかに高くなった。ステアリン酸エチル (ES) の加水分解反応においては全ての圧力範囲でこれらの有機溶媒中の値と比べて反応速度が高く、特に、6.8MPa 付近で反応速度は極大値を示した。このように、SCCO2 中ではlog Pの値は低いものの、有機溶媒中よりもはるかに反応速度は高く、従来からのlog Pの高い低極性溶媒で高活性を示すとされる知見とは異なる興味深い結果を得た。

 第5章では、第4章で扱った反応系についてCO2の臨界点付近の反応挙動に着目した。SAのEtOHによるエステル化反応では、反応速度は圧力の上昇とともに単調に増加し、これはSAの溶解度とその挙動が一致していることから、SAの溶解度が反応の律速因子であると考えられた。これに対して、ESの加水分解反応では、ES濃度が溶解度以下で十分な水分濃度のとき、活性にピーク圧力が存在し、そのピーク圧力値は温度の上昇と共にCO2の気液平衡線の延長線上に沿って変化し、これより、酵素反応と溶媒の密度ゆらぎとの関連性が示唆された。

 第6章では、食品、医薬品分野でのSCCO2中における酵素反応の応用として、乳化剤、機能性油脂であるモノ、ジグリセリドの合成系の検討を行った。50℃でトリオレイン (TO) を出発物質とするグリセロリシス、エタノリシス、ハイドロリシスの3つの反応系での反応速度の比較を試みた。この結果、ハイドロリシスに対する反応速度が最も高く、10MPa付近にシャープなピークが観察された。

 次に、油脂の物性変換を目的として、TOの脂肪酸または脂肪酸エチルによるエステル交換反応について検討した。チョコレートの抗ブルーミング剤であるBOBをTOから合成した結果、50℃、15MPaでTOのBAまたはEBによるエステル交換反応の経時変化を測定したところ、基質としてBAよりも溶解度が約1000倍高いEBを用いた方が反応速度、反応平衡共に有利となることが分かった。

 以上、本論文はSCCO2の溶媒特性を明らかにし、それを踏まえて、その酵素反応溶媒としての特徴を明確に示したものであり、学術上、応用上寄与するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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