学位論文要旨



No 116204
著者(漢字) 奈良井,朝子
著者(英字)
著者(カナ) ナライ,アサコ
標題(和) 腸管上皮細胞層の透過性を昂進するエノキタケ由来のタンパク質に関する研究
標題(洋)
報告番号 116204
報告番号 甲16204
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2234号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 清水,誠
 東京大学 教授 野口,忠
 東京大学 教授 阿部,啓子
 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 助教授 佐藤,隆一郎
内容要旨 要旨を表示する

 経口摂取された食品由来の栄養素・生理活性成分は、腸管上皮からの吸収を経て生体内で機能を発揮することができる。しかし、その吸収の場となる腸管上皮は、外来性因子の無秩序な生体内への侵入を防ぐ障壁としても非常に重要な役割を担っうている。これら腸管上皮の相反する生理機能を決定づけているのは物質透過に対する制御機構である。腸管上皮における物質透過は、1)グルコース、アミノ酸、ジペプチドなどが、上皮刷子縁膜上に発現しているそれぞれに特異的な輸送担体を介して輸送される経路、2)脂肪酸、脂溶性のビタミンなどが、細胞内に存在する結合タンパク質によって細胞内を運搬される経路、3)タンパク質などの高分子が、小胞を介したトランスサイトーシスによって細胞内を透過する経路、4)水やイオンなど、水溶性低分子が細胞間隙を受動拡散的に透過する経路、といった4つの経路を介して行なわれる。1)〜3)の細胞内経路については、それに関わる機能分子本体め解明、その特性や制御機構などに関する研究が多く為されてきた。4)の細胞間隙経路については、近年になって、ミネラルイオンや生理活性オリゴペプチドなどの吸収効率に大きく寄与していることが認識されるようになり、それらの透過制御を担っている細胞間接着装置に関する研究が進んできた。

 細胞間接着装置のうち、最も管腔側に存在するtight junction(TJ)は細胞間隙を透過する物質に対してサイズや電荷に基づく選択性を有し、水やイオンにすら容易な透過を許さないバリア機能を発揮している。TJ構成分子の解明も急速に進んできており、最初に発見された細胞膜貫通型のOccludinの他に、最近になって Claudinというファミリーを形成する膜貫通タンパク質の存在が明らかになった。それらの細胞質側領域と actin 細胞骨格とをリンクすると考えられているZOタンパク質、更にその近傍には様々なシグナル伝達に関わる因子の存在も示唆され、TJ機構は未だ完全に解明されていない。薬物吸収促進剤の開発などの分野でもTJ研究の動向は重視されるところであるが、我々は安全性の高い食品由来の成分から、腸管上皮のTJの状態、及びTJ経路を介した食品成分の吸収・透過に影響を及ぼす成分を検索し、その作用機構や生理的役割の解明を通してTJ調節機構解明の糸口を見い出すことを目的に本研究を行なった。

●腸管上皮細胞層の経上皮電気抵抗(TEER)を低下させるエノキタケ由来タンパク質(TEER-decreasing protein ;TDP)の精製とクローニング

 細胞層の管腔側と基底膜側の間で物質の透過が制限されることで生じる経上皮電気抵抗(TEER)は、測定法も簡便なことから透過性の指標として広く用いられている。本研究では透過性フィルター上で単層培養したヒト結腸癌由来株化細胞Caco-2を小腸上皮細胞層のモデルとして用い、TJ経路における物質の透過状態の変化を主にTEERによって検出した。

 実際の食品成分中から腸管上皮の物質透過性に影響を及ぼす食品成分を食用茸を対象に検索したところ、エノキタケ水抽出試料にTEER低下活性タンパク質が存在することを見い出した。このタンパク質による顕著な細胞膜損傷は認められず、細胞層におけるlucifer yellow CH (分子量457) や FITC-dextran(分子量40,000と500,000)の透過性はTEER低下に伴って上昇した。

 DEAE、MonoQ を用いた陰イオン交換クロマトグラフィーと Superdex 75を用いたゲルろ過を行ない、SDS-PAGE 上で単一な分子量約 31 kD の活性タンパク質を精製し、これをTEER-decreasing protein(TDP)と名付けた。このTDPはnative PAGEによって3つの成分に分離され、荷電の異なる3種のタンパク質の混合物であることが分かった。3つのバンドに分かれたこれらをゲル切片から抽出した試料にはいずれも活性が認められた。更に、リン酸化や糖鎖修飾を受けていないこと、3種のタンパク質はN末端13残基のアミノ酸配列が共通であることから、荷電の違いは一次構造のわずかな差異に起因していると考えられた。

 タンパク質の構造と作用機構の関連を解析するため、TDP をコードするcDNAのクローニングを試みた。活性を認めた3つの精製タンパク質に共通のN末端アミノ酸配列を基に作製した混合プライマーを用いたRACE法により、目的タンパク質をコードすると思われるcDNA断片を得た。塩基配列の解析からこのタンパク質は272アミノ酸として合成され、翻訳後に開始Metが除去されることが明らかになった。アミノ酸配列より推定される分子量は30,095で精製タンパク質のそれとほぼ一致していた。データベース上に今回得られた一次構造と有意に相同性を示す既知タンパク質は見出せなかった(1998年3月19日 EMBL/GenBank/DDBJ databasesに登録;ID No. ABOl2289,CODE No. 2514325A)。一方、本研究で見い出されたTDPの精製過程での挙動や分子量などは、以前に報告されたエノキタケ由来の膜孔形成性の溶血タンパク質 flammutoxin(FTX)のそれらと類似していたが、TDP cDNAクローニングと同時期にFTXのcDNAクローニングの報告がなされ、この二つは同一であることが判明した。TDP cDNAをプローブに用いたノーザンやエノキタケのゲノムサザン解析の結果、TDPは単一遺伝子からの転写、翻訳を経て合成されているタンパク質であり、精製によって得られた複数のTDPは翻訳後のプロセシング等の修飾で生じていることが示唆された。

●腸管上皮細胞層の透過性を昂進するTDPの作用機構

 TDPもラット、ヒトの赤血球を溶血させる活性をもつことが確認されたことから、TDPは腸管上皮細胞の細胞膜表面にも膜孔を形成し、それが細胞層のTEER低下に関与している可能性が考えられた。これを確認するために、TDPを作用させたCaco-2細胞層をTriton X-100で抽出した試料を、FTXの研究者から供与して頂いた抗FTX抗血清を用いてウェスタン分析した。その結果、Triton X-100不溶性画分にTDPを含む約200kDに相当する高分子複合体のバンドが検出され、この高分子のバンドの位置はFTX が赤血球膜上で膜孔を形成する6分子会合体のそれと類似していた。TDP によるTEER低下が生じるのと同時に高分子複合体が出現し、又同時に細胞内Ca2+濃度上昇が起こることがfura2を用いた観察によって認められた。更に、細胞外Ca2+をEGTAでキレートすると細胞内Ca2+濃度上昇が全く検出されなかったことから、TDPによってCaco-2細胞の膜表面にCa2+などの水やイオンの流入/漏出を許す膜孔形成が為されていることが示唆された。

 TDPが形成する膜孔を介して生じる細胞内Ca2+の増加は、Ca2+依存的なactin結合タンパク質による切断や重合/脱重合の調節を受けるactin系細胞骨格に影響を及ぼすことが考えられる。actin filmentが TJ を裏打ちしてその構造維持や機能制御に関与していることを考慮すると、actin filamentの変化が間接的にTJのバリア機能を撹乱している可能性がある。そこでFITC-phaIIoidinを用いてactin filamentを蛍光染色してみたところ、正常な細胞層では細胞の輪郭に添って局在するactin ringが、TDPで処理した細胞層では薄く細胞質側へ拡散する傾向が観察された。電子顕微鏡による細胞の側面からの観察では、細胞間隙の大きさに若干の差が生じたものの、tight junction部位には有意な差がなく、微絨毛の膨張と微絨毛の下の細胞膜直下にactin の束が形成されている点で顕著な変化が認められた。これらのことからTDPによってactin filamentに生じる顕著な変化がTJの機能に及ぼす影響が大きいことが予想された。

 次に、上記のような actin 系細胞骨格の変化が TJ や adherens junctio(AJ)の構成タンパク質の局在性の変化を生じるかどうか、ウェスタン分析で調べた。その結果、Triton X-100に対する溶解性の違いで分画した細胞抽出試料の間で、いずれのタンパク質もコントロールと比べて量的な変化は差が認められなかったが、Triton X-100可溶画分のOccludin にのみ顕著なチロシンリン酸化の増加が検出された。これはタンパク質のリン酸化/脱リン酸化を介するシグナル伝達系がTJの変化に関与している可能性を示唆している。Occludin のチロシンリン酸化と TDP によるTEER 低下との関連性については現在解析中である。

●TDPと腸管上皮細胞との相互作用

 TDPが Caco-2 細胞の膜表面と相互作用するために必須な膜成分の検索が、その後の TJ の状態変化に繋がるプロセスの解明に繋がると考え、TDP と結合しうる膜成分あるいは高分子複合体形成に関与する膜成分を調べることにした。

 リン脂質とコレステロールで構成されるリポソームは TDP によって破壊されなかったため、TDP が細胞膜上に膜孔を形成するためには脂質以外の成分が重要であると予想された。

 一方、TDP の TEER 低下活性及び高分子複合体形成は単糖類の共存では抑制されなかったが、二糖、三糖の共存で抑制された。このことから、細胞膜に表出する糖鎖構造が TDP の結合又は会合にとって重要であることが考えられた。ある種の GPI-anchored protein やglycosphingolipid が膜孔形成性細菌毒素のレセプター様因子になること、これらの膜成分が Triton X-100に不溶な膜ドメインに多く存在すること、TDPの会合には細胞の膜表面においてある程度の集積を可能にする要因が必要であること、TDPにも比較的多く含まれている芳香族系アミノ酸のTrp, Tyr, Pheが糖のピラノース環と親和性があること、などの点を考慮して、現在、腸管上皮細胞膜の GPI-anchored protein の中に TDP レセプター様因子が存在するかどうか、その検討を進めている。

●TDPの構造活性相関

 TDP の hydropathy plot と2次構造予測では、強い疎水性領域と両親媒性領域が見当たらず、TDPが腸管上皮細胞の膜と相互作用して活性を発揮するために重要なアミノ酸や領域の予測が困難であった。そこでクローニングしたTDP cDNA断片を用いて組み換え体や変異体を作製するための大腸菌発現用プラスミドを構築し、タンパク質を発現させてTDPの構造・活性相関の解析を試みた。N又はC末端に 6xHis タグを付加した TDP の活性を調べた結果、TEER低下活性は C 末端にタグを付加したものだけで認められ、N 末領域は立体構造的に活性発現にとって重要な役割を担っていることが予想された。次にタグを付加しない変異体を作製することにし、N及びC末端を数十残基欠損した TDP を発現させて活性を調べた結果、N末側欠損 TDP は活性を完全に消失するが、C末端欠損 TDP は欠損アミノ酸配列の大きさに依存的に TEER 低下活性が減少する傾向が認められた。以上の結果から、TDP の活性には N、C末端の両領域が重要であることが示唆された。そしてこれら全ての発現タンパク質のうち、TEER 低下活性を有するものにおいてのみ Caco-2 細胞の膜上における高分子複合体形成能力が認められた。このことからも、TDP による腸管上皮の細胞間隙透過性昂進には膜孔形成が必須な条件であることが確認された。C 末端側の長さの相違が活性の強弱を生むことが観察されたことによって、先述したように精製した TDP 画分に N 末端アミノ酸配列が共通な活性型の TDP が複数混在していた理由として、エノキタケに内在するプロテアーゼなどによるプロセシングの影響が考えられた。尚、TDP のタンパク質当たりのTEER低下活性は精製の度に大きく変動するが、これも活性の強度を異にする TDP の混合物であるために生じる精製度の問題に起因することが予想された。

●展望

 食餌由来のエノキタケTDPは加熱処理や消化酵素の影響を受けるために、実際の食生活においては、これが消化管に到達して上皮細胞層の細胞間隙透過性を昂進する可能性は低いと思われる。しかし、本研究によって“食餌成分に含まれ、腸管上皮細胞の膜上における膜孔形成を特徴とするようなタンパク質が腸管上皮における栄養素や生理活性成分の吸収を促進する”可能性を示すことができた。TDP のような食品由来の活性タンパク質の性質と細胞層の透過性に及ぼす作用についての更なる知見は、腸管上皮の透過性制御機構の一部を明らかにするものと期待される。又本研究は、同様の性質をもつ細菌由来の毒素タンパク質の作用機構と比較することによって、それらによる下痢などの病態発生の機序の一端を解明する意味で有意義であるとともに、これらの生体にとって好ましくない作用を抑制して生体を防御するための手段やツールの開発にも寄与できると考えられる。

●参考文献

(1)Watanabe H., Narai A., Shimizu M.(1999)Eur. J.Biochem. 262, p. 850-857

(2)清水,誠、橋本,啓、佐竹,真、奈良井,朝子(1999)蛋白質核酸酵素44(6),p.874-880

審査要旨 要旨を表示する

 腸管上皮の細胞間隙を物質が受動拡散的に透過する経路は、水溶性低分子物質の吸収経路として重要である。そこでは、細胞間接着装置の tight junction(TJ) が周囲の環境や刺激に応答して細胞間隙の物質透過性を制御しているので、TJ の機能が栄養素や生理活性成分の吸収・透過に及ぼす影響は多大なものであると考えられる。一方、腸管上皮細胞層の TJ を調節しうる因子が、食品由来成分そのものの中からこれまでに幾つか見い出されており、それらの発見と作用機構の解明は、薬物吸収促進剤の開発分野においても重要な意義があるものとして注目されている。本論文は、腸管上皮の TJ 経路を介した吸収・透過を調節しうる新規な食品由来成分の探索とその作用に関する解析を試みたもので6章より構成されている。

 第一章では、小腸上皮のモデル系として頻用されるヒト結腸癌由来の株化細胞 Caco-2 を単層培養し、その管腔側から試料を添加して、細胞間隙透過性の指標となる経上皮電気抵抗(TEER)の変化を引き起こす成分を検索した。その結果、エノキタケ水粗抽出試料に Caco-2細胞層のTEERを低下させるタンパク質成分が含まれていることを見い出した。毒性試験や蛍光マーカーの透過性検定によって、TEERの低下が細胞膜損傷や細胞剥離によるものではなく、細胞間隙の拡張を反映していることが明らかになった。

 第二章ではエノキタケ由来のTEER低下活性タンパク質 (TDP) の精製を行ない、SDS-PAGE 上、約31kDaの活性タンパク質を得た。精製物は Native PAGE によって、N 末端アミノ酸配列が共通な3つの活性タンパク質に分離された。3つの TDP はリン酸化/糖鎖修飾によらず、内部配列あるいは C 末端の長さが異なるものと予想された。

 第三章では、TDP の N 末端アミノ酸配列を基にエノキタケの mRNA から RT-PCR 法による TDP の cDNAクローニングを行なった。獲得したTDP cDNAは、開始Metを除いて271アミノ酸からなる推定分子量30,095のタンパク質をコードしていた。ゲノムサザン分析とノーザン分析の結果から、TDPは単一遺伝子にコードされており、第二章で得られた複数のTDPは翻訳後のC末端プロセシングか精製途中の分解によって生じている可能性が示唆された。データベース上にTDPの一次構造と相同性を示すものは見い出されなかったので、TEER低下活性を持つ新規タンパク質として登録した。しかし、TDPcDNAは同時期にクローニングされたエノキタケ由来の溶血性膜孔形成タンパク質flammutoxin(FTX) の cDNAと同じであり、精製したTDPも溶血活性を示したことから、TDPがFTXと同一タンパク質であることが判明した。

 第四章では、抗FTX抗血清を用いたウェスタン分析やFura2による細胞内Ca2+イメージングなどにより、TDPが腸管上皮細胞の膜上で膜孔を形成していること、これを介した水やイオンの透過平衡の撹乱がF-actinを顕著に変化させ、その物理的な影響によってTJのバリア機能が破綻している可能性が示唆された。

 第五章では、TDPと細胞膜との相互作用に必須な細胞膜成分の探索を試みた。脂質成分から成るリポソームにTDPは結合していたが膜孔を形成せず、リポソームの溶解は生じなかった。一方で細胞の膜表面をtrypsinやPI-PLC、glycosidaseで処理する実験系により、TDPとGPIアンカータンパク質のglycan coreとの相互作用が膜孔形成時の「分子会合」過程において重要な役割を担っていることが示唆された。

 第六章ではTDP組み換え体を大腸菌に発現させ、構造・活性相関について検討した。N末端側は、タグを付加したりアミノ酸を少し欠損させただけでTDPのTEER低下活性と膜孔を形成する性質を失った。C末端側は、タグを付加しても活性を保持しており、更にC末側から欠損させる領域の長さによってTDPの活性の強弱が生じることが示唆された。この結果から、膜孔形成時にN末とC末の両方が重要で、特にN末領域が立体構造的に重要な機能を果たしていることが示唆された。又、組み換え体は全て細胞膜表面に結合したが、N末欠損タイプとC末欠損タイプを混合しても活性の発現は認められなかったことから、両領域は細胞膜上における「分子会合による膜孔形成」に至る分子内相互作用や立体構造の変化に重要であると考えられた。

 以上、本研究は、腸管上皮細胞層の物質透過性を昂進する膜孔形成タンパク質を食用キノコ中に見い出し、その構造や作用機構を明らかにするとともに、その細胞膜との相互作用や構造・活性相関を明らかにしたもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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