学位論文要旨



No 116205
著者(漢字) 西村,裕
著者(英字)
著者(カナ) ニシムラ,ユタカ
標題(和) 昆虫生理活性を有する環式化合物の合成研究
標題(洋)
報告番号 116205
報告番号 甲16205
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2235号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北原,武
 東京大学 教授 山口,五十麿
 東京大学 教授 長澤,寛道
 東京大学 助教授 作田,庄平
 東京大学 助教授 渡邉,秀典
内容要旨 要旨を表示する

地球上には100万種以上といわれる昆虫が生息し全動物種の7割を占めており、我々はこれから先も彼らと共存していかなければならない。しかし我々は彼らと直接話し合えるでもなく、彼らとの交信のすべは主に化学物質に頼るしかない。そのために複雑に絡み合った生物個体問の相互作用を化学的見地から解明していくことは非常に重要なことである。一方DDTなどに代表されるように近年人類は昆虫をふくめた生物の生態系そして地球環境を無視して農薬を使用し、害虫のみならず多くの生物を絶滅に追い込んできた。だが、最近はこのような惨状が問題視され総合防除の考え方が主流となってきている。1999年にはついに総人口が60億を越え今なお増加の一途をたどる人類が永く繁栄していくためには、この考え方に基づき昆虫のさらなる理解、そしてより環境に優しい昆虫生理活性物質の創出は必要不可欠である。以下の研究はこのような趣旨のもと筆者が多少なりとも貢献できればと考え、行ったものである。

1. 昆虫フェロモンの合成研究

1-1.(-)-exo-および(-)-endo-lsobrevicomin の効率的合成1)

北アメリカに生息するキクイムシの一種である mountain pine beetle, Dendroctonus ponderosaeはポンデローザ松に付く森林害虫として知られている。

 W.Franckeらは Dendroctonus ponderosae のオスの放出する集合フェロモンを分析することにより、その構成成分として従来知られているexo-Brevicomin 3 などのブレビコミン類とともに、同様のビシクロアセタール骨格を有する新規化合物としてexo-Isobrevicomin 1, endo-Isobrevicomin 2 を含めた数種類の化合物の単離構造決定を行った2)。しかし1及び2は、相対立体配置は決定されていたものの絶対立体配置は未決定であった。そこで筆者はその決定を目的とし、おそらく天然型であると推測される(IS,5R,7S)-1及び(IS,5R,7R)-2の合成を行った。

(1S,5R,7S)-1及び(1S,5R,7R)-2はジアステレオマーの関係にあり、共通の中間体を用いることにより効率的に合成することが可能である。そこで共通の中間体としてアルキン4を用い、三重結合部分を選択的に還元することにより trans-オレフィン5及びcis-オレフィン6へ変換した。これらに対しShaplessの不斉ジヒドロキシル化反応を用いることにより、光学活性なジオールを得た。しかし、双方とも鏡像体純度が低い形でしか得られないため、7は誘導体に導いて再結晶することにより、その向上を行った。しかし、8に関しては、再結晶による鏡像体純度の向上が不可能だったため酵素による鏡像体純度向上を試みることとした。その結果鏡像体純度の向上に成功し、最後に7,8のジオールを酸処理する事により、アセタール交換による分子内環化反応が起こり目的化合物(1S,5R,7S)-exo-Isobrevicomin 1,(1S,5R,7R)-endo-Isobrevicomin2をそれぞれ高鏡像体純度で得ることができた。

以上の様に、筆者は効率よく高鏡像体純度で1及び2を合成することに成功した。また合成品はW.Franckeに送付し、分析の結果天然物の絶対立体配置は合成品と同じであることが判明した3)。

1-2.(-) Frontalin9の大量合成法の開発および合成4)

天然型Frontalin9は(1S,5R)-(-)-1,5-dimethyl-6,8-dioxabicyclo[3.2.1]octane構造を有する化合物でsouthern pine beetle (Dendroctonus frontalis)や western pine beetle(Dendroctonus brevicomis),Douglas-fir beetle(Dendroctonus pseudotsugae)などの生産する集合フェロモンとして知られている。また、この化合物はアジア象(Elephas maximus)においてもフェロモンとして働いている可能性が示唆されるなど大変興味深い物質である。

 1996年、S.J.Seyboldらは、アメリカにおいて毎年多くの立ち木を枯らす害虫Jeffrey pine beetle(Dendroctonus jeffreyi)の雄が放出するフェロモンを分析し、その構成成分の一つとしてFrontalin9を単離構造決定した。

 彼らはさらに野外生態調査を実施することを希望したが、そのためには大量のFrontalin9が必要であった。そこで、筆者は(-)-Frontalin9の大量合成法の開発および合成を行い野外調査に協力することとした。

不斉の導入法として出発物質ケトエステル10へのパン酵母のよる不斉還元を用いることにより10工程、総収率7.8%にて合成することに成功した。そしてこの手法にて合成した(-)-Frontalin9を計10gネバダ州立大へ供与した。

1-3.9-Methylgermacrene Bの合成研-Germacrene B (12)の合成-5)

化学の発達した現代においても感染症は依然エイズ、エボラ熱をはじめ地球上に多く存在し、その中の一つにリーシュマニア症がある。このリーシュマニア症はオーストラリア以外の全ての大陸広がっている重要な人畜共通症でありブラジルにおいてもこのリーシュマニア症は甚大な被害をもたらしている。また、ブラジルにおけるこの病はSandfly, Lutzomyia longipalpis により媒介される寄生原生虫Leishmania chagasiによって引き起こされることがわかっている。

 J.G.C.Hamilltonらは、このsandflyの雄が性誘引物質(性フェロモン)を放出していることをつきとめ、ブラジル南部のLapinha地方と北東部のJacobina地方の二ヶ所の昆虫より単離することに成功した。そして、そのガスクロマトグラフ-質量分析スペクトルなどからLapinha地方のsandflyは9-Methylgermacrene B を生産し、Jacobina地方のsandflyは3-Methyl-α-himachaleneを生産すると報告した6)。

 しかし、このsandfly性フェロモンは、昆虫の生息地方が限られ、さらにその昆虫の有している病原体は非常に致死率の高い病気のものであるため捕獲者ですら感染の危険にさらされるので、捕獲できる数は限られるため単離された量は極めて微量であった。それ故に現在の分析技術をもってしても構造推定は非常に困難であり絶対立体配置はおろか平面構造ですら確証がなかった。

著者はこの構造の推定されている化合物を合成できれば物性評価、生物活性評価をとおして構造の確認、そしてこのような感染症を引き起こす媒介昆虫の駆除や発生数調査に利用可能ではないかと考え9-MethylgermacreneBの合成研究を行い、新規なGermacreneB骨格の構築法を開発するとともに、主に柑橘類の香気成分として知られているGermacreneB(12)そのものの合成に成功し、この性フェロモン合成の基礎を確立した。

2. 抗幼若ホルモンホルモン活性物質 Brevioxime(14)の合成7)

1998年、E.Primo-YuferaらはPenicillium brevicompactumについて幼若ホルモン活性の阻害作用を指標に成分検索を行い、Brevioxime(14)をはじめとする複数の化合物を新規化合物として単離した8)。その活性は幼若ホルモン生合成経路の最終段階であるエポキシ化、エステル化を阻害することにより発現する。また、in vivoのみならずin vitroにおいても活性を示す。これらのことは、つまり活性は昆虫特異的であることを示し、新規な農薬としての可能性を秘めていることを意味している。

 著者はこのBrevioxime(14)の大変興味深い活性、そして構造に興味を持ち、ラセミ体及び両鏡像体の合成による絶対立体配置の決定、さらには構造-活性相関を目的として類縁体の合成を行い生物活性試験に施した。

リンゴ酸を光学活性原料として使用し、18のジアステレオ選択的環化反応により核間位の不斉を創出し立体選択的合成を行う計画だったが選択的に閉環せず、結果的にはジアステレオマーを分離することにより両鏡像体の合成を達成した。また、それによって天然物の絶対立体配置は核間位の水素がβ側に向いた(-)-Brevioximeであり高鏡像体純度での比旋光度は200を越えることを明らかにした。[α]D22=-209(97%e.e.) (lit[α]D=-388),[α]D=-1269)

1) K. Mori, H. Takikawa, Y. Nishimura,H、Horikiri, Liebigs Ann., 1997,327-332.

2) W.Francke,S.Schoder,P.Philipp,H.Meyer,V.Sinnwell,G.Gries,Bioorg.,Med.Chem.,1996,4,363-374.

3) W.Francke, personal communication to K. Mori.

4) Y. Nishimura, K. Mori, European J. Org.Chem., 1998,233-236.

5) Shin-etu Muto, Y.Nishimura,K.Mori,European J.Org.Chem.,1999,2159-2165.

6) J.G.C.Hamillton,G.W.Dawson,J.A.Pickett,J.Chem.,Ecol.,1996,22,1477-1491. J.G.C.Hamillton,G.W.Dawson,J.A.Pickett,J.Chem.,Ecol.,1996,22,2331-2340.

7) Y. Nishimura, T. Kitahara, Heterocycls, 2000,52,553-556.

8) P.Moya, M.Castillo,E.Primo-Yufera et.al., J.Org.Chem.,1997,62,8544-8545.

9) David Clark, Tefrahedron, 2000,56,6181-6184.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は昆虫生理活性物質の有機化学的研究に関するもので二章よりなる。著者は有機合成化学の手法を用いて、昆虫フェロモンをはじめとした様々な昆虫生理活性物質及びその類縁体の合成研究を行った。

第一章においては以下の4つの昆虫フェロモンの合成研究について述べている。

 第一節では北アメリカに生息するキクイムシの一種であるmountain pine beetle, Dendroctonus ponderosaeのオスの放出する集合フェロモンexo-Isobrevicomin(1),endo-Iolsobrevicomin(2)の立体選択的合成を行った。

(1S,5R,7S)-(1)及び(1S,5R,7R)-(2)はジアステレオマーの関係にあることを利用し、共通の中間体を用いることにより2つの化合物を効率的に合成することに成功した。

 共通の中間体としてアルキン5を用い、三重結合部分を選択的に還元することによりtrans-オレフィン6及びcis-オレフィン7へ変換した。これらに対しSharplessの不斉ジヒドロキシル化反応を用いることにより、光学活性なジオールを得た。しかし、双方とも鏡像体純度が低い形でしか得られないため、8は誘導体に導いて再結晶、一方9に関しては、再結晶による鏡像体純度の向上が不可能だったため、酵素による鏡像体純度向上を試み鏡像体純度をそれぞれ99%e.e.,98%e.e.まで向上させた。最後に8,9のジオールを酸処理する事により、目的化合物(1S,5R,7S)-exo-Isobrevicomin(1),(1S,5R,7R)-endo-Isobrevicomin(2)をそれぞれ高鏡像体純度で得ることに成功した。また分析の結果、天然物の絶対立体配置は合成品と同じであることが判明した。

 第二節においては(-)-Frontalin (3)の大量合成法の開発および合成について述べている。アメリカにおいて毎年多くの立ち木を枯らす害虫Jeffrey pine beetle(Dendroctonus jeffreyi)の雄が放出するフェロモンFrontalinを用いた野外生態調査に協力するため、Frontalinの大量合成法を開発し、その手法を用いて大量合成を実際に行った。

 不斉の導入法として出発物質ケトエステル1Oへのパン酵母のよる不斉還元を用いることにより10工程、総収率7.8%にて10gの(-)-Frontalin(3)を合成することに成功した。

 第三節においては感染症であるリーシュマニア症を引き起こす寄生原生虫Leishmania chagasi を媒介するSandfly, Lutzomyia Longipalpisの放出するフェロモン9-Methylgermacrene B(4)の合成研究について述べている。

9-Methylgermacrene B(4)の合成方法を開発するために、柑橘類の香気成分として知られているGermacrene B(14)の合成に成功し、このフェロモン合成の基礎を確立した。

 ファルネソールを出発原科として用い、鍵反応としてシアノヒドリン法による環化反応、サマリウムを用いたイソプロピリデン化反応を用いることにより骨格構築法の開発、及びその手法を用いてのGermacrene B(14)の合成に成功した。

 第二章においては、抗幼若ホルモン活性物質Brevioxime(15)の合成について述べている。その活性は幼若ホルモン生合成経路の最終段階であるエポキシ化、エステル化を阻害することにより発現する。また、in vitroのみならずin vivo においても活性を示す。これらのことは、つまり活性は昆虫特異的であることを示し、新規な農薬としての可能性を秘めていることを意味している。著者はこのBrevioxime(15)の大変興味深い活性、そして構造に興味を持ち、ラセミ体及び両鏡像体の合成による絶対立体配置の決定、さらには構造一活性相関を目的として類緑体の合成を行い生物活性試験に施した。

 光学活性体の合成においてはリンゴ酸を光学活性原料として使用し、18の環化反応により生じたジアステレオマーを分離することにより面鏡像体の合成を達成した。また、それによって天然物の絶対立体配置は核間位の水素がβ側に向いた(一)一15と同様であり、高鏡像体純度での比旋光度は-200を越えることを明らかにした。([α]D22=-209(97%e.e.)、天然物[α]D23=-38.5)

 さらに、著者は他にも様々な類緑体を合成して、現在生物活性試験を行っているが、試みた昆虫では今のところ活性を示してい。しかし、今後より多くの昆虫を用いて活性試験を行うことにより、興味深い構造一活性相関などを得ることが期待できる。

 以上本論文は、昆虫生理を有する環式化合物の合成研究に関するものであり、著者は新規の昆虫生理活性物質の光学活性体合成、骨格構築法の開発などを通して、絶対立体配置を含めた構造の決定、それを用いた生物活性試験などにより新たな知見をもたらしたものであり、学術上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値のあるものと認めた。

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