学位論文要旨



No 116206
著者(漢字) 原田,直樹
著者(英字)
著者(カナ) ハラダ,ナオキ
標題(和) 稲わら施用した水田土壌における光合成細菌と他の微生物との相互作用
標題(洋) Interactions between photosynthetic bacteria and other microorganisms in a straw-amended rice paddy
報告番号 116206
報告番号 甲16206
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2236号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松本,聰
 東京大学 教授 米山,忠克
 東京大学 教授 山崎,素直
 東京大学 助教授 林,浩昭
 東京大学 助教授 西山,雅也
内容要旨 要旨を表示する

光合成細菌は酸素非発生型光合成を行う細菌で、水田土壌中では日本、東南アジアからエジプトまで広い範囲でその存在が確認されている。これら光合成細菌は窒素固定能を有するため他の窒素固定生物と共に水田の土壌肥沃度を維持する働きを担っており、特に化学肥料の投入が限られた地域での存在意義は大きい。水田への稲わら施用は光合成細菌に由来する土壌の窒素固定活性を高めるが、その一方で温室効果ガスのひとつであるメタンの発生を増大させる。これらの現象にはいずれにも稲わらの分解に伴う酸素の消費と嫌気的環境の形成,そして分解産物からの基質の供給が関与しているが、これまでは水田土壌の表層は酸化的な環境と捉えられており、また還元状態の発達に関わる微生物の研究は作土内部を前提になされてきたために、その相互作用についてはほとんど研究されていなかった。しかし水田への稲わら施用が一般的な農業技術となった現在、施用稲わらの残渣やその周囲など土壌表層にありながらも還元状態に陥り易い部位の存在について注視すべきものと思われる。そこで本研究では稲わら施用水田土壌を前提に、まず室内モデル実験において光合成細菌の増殖並びに窒素固定活性の発現と他の微生物群、特に硫酸還元菌及びメタン生成菌との関わりについて検討し(Chapter I-III)、次いでメタン生成阻害時に著増する窒素固定活性が由来する菌の同定を試み(Chapter IV)、さらに光合成細菌を含む光合成生物全般が水田からのメタン発生に果たしている役割と(Chapter V)、光合成細菌の接種が水稲の生育及びメタン発生などに与える影響をポット試験によって検討した(Chapter VI).

Chapter I 光合成細菌の増殖,窒素固定活性の発現と土壌の還元状態の発達

 水田土壌に稲わらを加えて湛水した室内モデルを光照射下にて静置培養し、光合成細菌の増殖並びに窒素固定活性及び土壌の還元状態の発達について経時的な変化を検討した。その結果、光合成細菌数は2週後に108MPN g-1乾土にまで達した後、108〜109MPN g-1乾土でほぼ一定に推移した。その一方で、窒素固定活性(アセチレン還元活性:ARA)は2週後にピークを示した後に減少した。これは土壌中での光合成細菌のARA発現が菌数以外の因子によっても規制されていることを示すものである。Ehは湛水後直ちに低下し、鉄還元及び硫酸還元は1週間以内で終了して、その後ほぼリニアなメタン生成が認められた。以上のことから光合成細菌と他の微生物との相互作用を考えるにあたり、その対象としてメタン生成菌が重要であることが示された。

Chapter II 光合成細菌と硫酸還元菌の関係

 硫酸還元菌は水田土壌の表層など酸化的部位にも多く見られ、適当な硫黄酸化物の供給によりその活動が開始される。そこでSO42-を添加した土壌での光合成細菌のARAの発現を検討したところ、硫酸還元の活性化はARAの抑制を招いた。また硫酸還元阻害剤を加えるとARAが顕著に増大したが、SO42- を同時に添加するとその効果は硫酸還元の回復とともに低下した。これらの結果から、硫黄酸化物が十分供給される環境では光合成細菌はその窒素固定能の発現において硫酸還元菌と競合関係にあると考えられた。なお、硫酸還元のない条件での阻害剤の添加はARAを長期的に増大させたが、これは用いた阻害剤によるメタン生成の部分的抑制の影響と思われた。

Chapter III 光合成細菌とメタン生成菌の関係

 メタン生成菌の水田での垂直分布はその偏性嫌気的な性質にも関わらず土壌表層を含めてほぼ一様で、このことは土壌表層においても還元状態が十分に発達した環境下でメタン生成が行われている可能性を示唆している。ここでは光合成細菌とメタン生成の関係を明暗両条件での土壌の静置培養及び特異的メタン生成阻害剤を用いての阻害実験において検討した。その結果、光照射下では光合成細菌の生育が見られ、メタン発生量が10-20%程度低下した。これは光照射下での光合成細菌の優位性を示している・メタン生成の阻害は光合成細菌の菌数には影響しないが、そのARAを著しく増大させた。この際の酢酸等の低分子有機酸の挙動から、メタン生成菌の抑制による基質の集積が光合成細菌の光合成量の増加をもたらし、その為にエネルギーに余裕が生じて窒素固定活性が高まったものと推察された。したがって十分菌数が保たれている場合、光合成細菌の窒素固定は基質の利用性に大きく左右されており、メタン生成菌は基質の消費を通して影響を与えているものと考えられた。

Chapter IV 光合成細菌の同定及びその窒素固定活性

 前章においてメタン生成抑制時に光合成細菌由来のARAが顕著に増大したことから、阻害剤添加土壌及び未添加土壌から光合成細菌を単離・同定して優占種を比較した。単離された15株は、顕微鏡観察、キノン組成並びに脂肪酸組成及び16S rDNAの部分塩基配列の比較によってそのほとんどがRhodopseudomonas palustrisと同定された。いずれも本実験で用いたメタン生成阻害剤を唯一の炭素源として利用せず、その生育が促進されることもなかった。また得られたRps. palustrsと同定された株は全て同程度の窒素固定能を有していた。これらの株を水田土壌に接種するとメタン発生量が対照の60%以下に減少し、光合成細菌の存在によるメタン生成抑制の働きがここでも示された。

Chapter V 水田からのメタン発生に関わる光合成生物の役割

 水田においては光合成細菌以外にも微細藻類や水生シダ類などの光合成生物が生息している.従前より湖沼などにおいては特に藻類の存在がメタン発生量に影響を与えていることが知られているが、これら光合成生物が水田からのメタン発生に果たしている役割についての研究例は少ない。特にメタン生成の促進が見られる稲わら施用水田においては全く研究されていない。そこで本章では異なる稲わら施用条件(無施用、混合施用及び表面施用)の元で水稲の茎の周囲を除いた部分をアルミホイルで覆って田面水や土壌表面に到達する光の影響を排除したポットを作製し、水稲生育期間中に自然発生する藻類や光合成細菌などの光合成生物全般が水田からのメタン発生に与える影響を調べた、遮光処理をしていないポットではSpirogyra spp., Gonium spp.などの緑藻類やeuglena,また,Spirodela polyrhiza及びLemna spp.と見られるウキクサの繁茂が見られた。水稲の生育及び窒素含量は条件の違いによる影響をほとんど受けなかった。稲わら無施用及び混合施用では遮光処理によるメタン発生量への影響はほとんど認められなかったが、表面施用した場合には遮光により水稲栽培初期のメタン発生が促進される傾向を示しかつ栽培期間中の全発生量は対照と比較して有意に増大した。これは、稲わらの表面施用の場合には土壌表層においても還元的な環境が形成されてメタン生成が開始され、これに微細藻類などからの酸素発生及び施用稲わら中での光合成細菌との競合が影響したためと推察された。一方、稲わら無施用や混合施用でのメタン生成菌の活動は土壌表層よりはむしろ作土内部の広い範囲で活発となるため、これには光合成生物の活動は影響を及ぼさないものと考えられた。

 さらに土壌表面に施用された稲わらとその周囲の土壌におけるメタン生成を小ポットを用いて確認した。田面水と土壌の境界部分に置かれた稲わらや土壌に垂直に挿入された稲わらの田面水中に突き出た部分においてもメタン生成活性が認められ、このことから従来酸化的と考えられてきた土壌表層においても稲わらなどの粗大有機物が存在すると、その中もしくは周囲といった場所で早い時期から還元的な環境が形成されてメタン生成が行われることが確認された。

Chapter VI 光合成細菌接種の影響

 光合成細菌はその窒素固定能から土壌肥沃度の維持に貢献しており、また本研究において光合成細菌の存在がメタン生成量を低減する効果を持つことが示唆されたことから、光合成細菌の接種を稲わら施用の有無と組み合わせてポット試験にて検討した。その結果、光合成細菌の接種はメタン発生の季節的変動、栽培期間中の総発生量のいずれにも有意な影響を与えなかった。また水稲の草丈や窒素含量、最大分げつ数などには処理間で差を認められなかったが、収量は光合成細菌接種により有意に増加した。平行して行った破壊分析の結果から、光依存的・非依存的いずれのARAに対しても稲わら施用や接種による影響は見られず、収量増加の原因はその窒素固定能を介しての窒素栄養条件の改善ではないことが示唆された。さらに接種はメタン生成活性にも大きな影響を与えず、これはメタン発生量の測定結果と一致した。稲わら未施用の場合。接種は土壌の光合成細菌数を増加させたが、稲わら施用時には作土内部を除いて影響を与えなかった。このことは土壌表面に施用された稲わら及びその直下の土壌が光合成細菌の生育に好適なハビタットとなるが、光合成細菌を過剰に接種してもそのキャパシティーを超える保持はできないことを表していると考えられる。

総括

 本研究では、稲わらを施用した水田土壌中で光合成細菌が硫酸還元菌やメタン生成菌と基質を中心とした競合的な関係にあることを明らかにした。また、従来酸化的と思われた土壌表面でも施用稲わらの内部やその周囲の土壌ではメタン生成が開始され、その制御に光合成細菌を含む水田の光合成生物が関与していることを示した。さらに光合成細菌の接種による水稲の生育とメタン発生への影響を検討したところ、収量が増大する結果を得たもののメタン発生には影響を与えなかった。過剰な光合成細菌を接種しても施用稲わら及びその周囲の土壌で保持される菌数はほとんど影響を受けず、これらのハビタットにおける光合成細菌数がどのように制御されているのか興味深い。また水田における光合成細菌の意義についてこれまではその窒素固定能についてのみ触れられてきたが、水稲の生育への別な形での関与の可能性も検討する必要があるのではないかと思われた。

審査要旨 要旨を表示する

農地における生物的窒素固定の効率的利用は、土壌や水、天然資源などを消耗させることなく土地生産性の向上に寄与する方法の一つとして期待されている。水田は酸化的状態と還元的状態を繰り返す独特の栽培方式の為に多様な窒素固定生物を育むが、なかでも光合成細菌は水田へ稲わらを施用した際にその窒素固定増大効果が認められており、水田の土壌肥沃度の維持・増進に寄与している。しかしながら、その微生物生態学的な側面には不明な点が多く、特に他の微生物との相互作用に関しての知見はほとんどない。このような背景から本研究では稲わら施用水田土壌での光合成細菌と還元状態の発達に携わる微生物の関わりを検討したもので、次の6章により構成されている。

 第1章は水田土壌に稲わらを加えて湛水した室内モデルを用いて、光合成細菌の増殖並びに窒素固定活性及び土壌の還元状態の発達について経時的な変化を検討したものである。ここで土壌中での光合成細菌数の推移と窒素固定活性のそれは必ずしも一致しておらず、菌数がある程度維持されている状態ではその他の因子によってニトロゲナーゼ活性が制御されていることを示した。また光合成細菌の存在下ではメタン発生量が減少することを見い出し、これは光照射下での光合成細菌のメタン菌に対する優位性を示しているものとして注目された。

 第II章では光合成細菌と硫酸還元菌の関係について述べている。これは,一般的に硫酸還元菌が水田士壌の表層など酸化的部位にも多く見られることから、外部より硫酸イオンを添加して硫酸還元を活性化した土壌での光合成細菌の窒素固定の発現を検討したものである。その結果、硫酸還元の活性化は窒素固定活性の抑制を招くことを明らかとなり、これによって硫黄酸化物が十分供給される環境では光合成細菌はその窒素固定能の発現において硫酸還元菌と競合関係にあることが示された。

 第III章では光合成細菌とメタン菌の関係を特異的メタン生成阻害剤を用いての阻害実験において検討している。その結果、メタン生成の阻害は光合成細菌の菌数には影響しないが。その窒素固定活性を著しく増大させることを明らかにした。また、この際の酢酸等の低分子有機酸の挙動から、光合成細菌の窒素固定は基質の利用性に大きく左右されており、メタン菌は基質の消費を通して影響を与えていることが明らかとなった。

 前章においてメタン生成抑制時に光合成細菌由来の窒素固定活性が顕著に増大したことから、第IV章では阻害剤添加土壌及び未添加土壌から光合成細菌を単離・同定して優占種を比較している。その結果、単離菌株のほとんどがRhodopseudomonas Palustrisと同定され、これらの株は同程度の窒素固定能を有していることがわかった。この結果は、阻害剤の添加が光合成細菌の生育に影響しないことを示すものであり、また同時に行われた水田土壌への単離菌株の接種実験ではメタン発生量が減少し、光合成細菌の存在がメタン生成に対して抑制的に働くことを裏付けている。

 水田に生息している光合成生物がメタン発生に果たしている役割については研究例が少なく、特にメタン生成の促進が見られる稲わら施用水田においては全く研究されていない。この点を明らかにするために、第V章では異なる稲わら施用条件(無施用,混合施用及び表面施用)の元でのポット実験を敢行している。その結果、稲わら無施用及び混合施用では光合成生成物の存在はメタン発生量へほとんど影響せず、表面施用した場合でのみ水稲栽培初期のメタン発生量を減少させることがわかった。この原因を、稲わら表面施用では土壌表層付近にメタン生成が開始され易い還元的な環境が形成されるが光合成生物がこれを抑制しているためと考察している。またこの従来酸化的とされていた土壌表面付近におけるメタン生成の開始を小ポット実験でも検討し、粗大有機物の存在がメタン菌に活動部位を与えることを明らかにした。

 第VI章ではより意欲的な試みとして光合成細菌の接種を稲わら施用の有無と組み合わせてポット試験にて検討している。結果的に光合成細菌の接種は、メタン発生量や土壌及び施用稲わらに由来する窒素固定活性に影響を与えなかったが、稲わら施用時に施用稲わら及びその直下の土壌が光合成細菌の生育に好適なハビタットとなるものの、光合成細菌を過剰に接種しても菌数の増大が起こらないことが明らかとなり、これらハビタットの微生物保持能の上限を示すものとして注目されるものであった。

 以上を要するに本論文は稲わら施用水田土壌における光合成細菌と還元状態の発達に携わる微生物の関わりを検討し、稲わら施用時に施用稲わらおよびその直下の土壌が光合成細菌の生育に好適なハビタットとなるものの光合成細菌を過剰に接種しても菌数の増大にはつながらないなど光合成細菌の生態的特徴を明らかにしたもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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