学位論文要旨



No 116208
著者(漢字) 升岡,優太
著者(英字)
著者(カナ) マスオカ,ユウタ
標題(和) 微生物が生産する転写活性化物質に関する研究
標題(洋)
報告番号 116208
報告番号 甲16208
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2238号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 早川,洋一
 東京大学 教授 北原,武
 東京大学 教授 山口,五十麿
 東京大学 助教授 吉,田稔
 東京大学 助教授 作田,庄平
内容要旨 要旨を表示する

 近年、動物細胞における生物応答シグナルの解明が進むにつれ、増殖抑制シグナルの転写制御と癌化の関係が注目されつつある。例えば、増殖抑制性の成長因子であるTGF-β(transforming growth factor-β)は、転写因子Smadを介してPAI-1など種々の遺伝子の転写を活性化するが、多くの癌細胞においてTGF-β下流のシグナル伝達の低下が認められている。従ってTGF-β応答性遺伝子の転写を活性化する物質は癌細胞に対して増殖抑制作用を示すことが期待される。

 一方、真核細胞の転写はヒストンのアセチル化状態によって制御されているが、ヒストンの,脱アセチル化を担うヒストンデアセチラーゼ(HDAC)の阻害剤がp21WAF1など様々な遺伝子の転写を活性化することが知られている。HDAC阻害剤は癌細胞に対して細胞周期停止やアポトーシスを誘導することから、新しいタイプの制癌剤として注目されている。

 このようにTGF-β様活性物質やHDAC阻害剤は、転写活性化を介して抗腫瘍作用を示すことが期待され、転写制御機構を解析する分子プローブとしても有用であると考えられる。そこでこのような転写活性化物質の検出法として、TGF-βやHDAC阻害剤によって効率よく誘導されるPAI-1 遺伝子のプロモーターを利用したリポーターアッセイに着目し、微生物代謝産物を中心とした天然物から転写活性化物質の探索を試みた。

1. Diheteropeptinおよびphoenistatinに関する研究

 PAI-1 遺伝子プロモーター下流にルシフェラーゼ遺伝子を導入したコンストラクトを有するミンク肺上皮MvlLu細胞を用いて、ルシフェラーゼ産生を発光法で検出することにより転写活性化物質の探索を行った。その結果、鹿児島県屋久島の土壌より分離した糸状菌Diheterospora chlamydosporia Q58044株の培養液から、新規活性物質を単離しdiheteropeptinと命名した。

 Diheteropeptinの分子式は高分解能FABマススペクトルによりC28H42N4O6と決定した。構造解析は主にNMRを用いた各種機器分析により行い、4残基のアミノ酸を有する環状テトラペプチドであることが明らかになった。本物質の絶対立体配置の解析は、diheteropeptin生産菌から多量に得られ、diheteropeptinに変換可能な類縁体TAN-1746を用いて行った。ProとPheは、加水分解物の解析によりそれぞれR体、S体であることが判明した。2-Amino-8,9-dihydroxydecanoic acid(Add)残基中の1,2-ジオールの絶対立体配置は、NOE解析で相対立体配置を決定した後、dibenzoate誘導体を調製しCDスペクトル解析を行うことによりR、Rであると決定した。最後に残ったAddのα-メチンの立体配置は、ルテニウム酸化後、加水分解して得られたα-アミノスベリン酸の比旋光度からSと決定した。

 Diheteropeptinと同様な活性を示す新規構造類縁体として小笠原諸島父島の枯れ木より分離した糸状菌Acremonium fujigerum QN5320株よりphoenistatinを単離した。

 Phoenistatinの分子式は高分解能FABマズスペクトルによりC29H40N4O6と決定した。COSYおよびHMBC解析によりphoenistatinはdiheteropeptinと同様に4残基のアミノ酸を有する環状テトラペプチドであることが判明した(図1)。しかし構成アミノ酸はdiheteropeptinとは若干異なり、2-amino-8-oxo9, 10-epoxydecanoicacid残基およびisovaline残基を含んでいた。

 本系で用いたMv1Lu細胞においてdiheteropeptinおよびphoenistatinはPAI-1プロモーターを強く活性化し、その作用濃度範囲はそれぞれ0.98μM〜1000μM、3nM〜1000μMであった。また両化合物はMv1Lu細胞に対して細胞障害を示さずに、それぞれIC50値20μM、1μMで細胞増殖を抑制した。一方、ヒストンデアセチラーゼ(HDAC)阻害活性を検討したところ、両化合物とも顕著なHDAC阻害活性を示し、TGF一βシグナルではなくHDAC阻害を介した転写調節物質であることが判明した。

2. Spiruchostatin AおよびBに関する研究

 さらにスクリーニングを継続した結果、長野県北佐久郡望月町の土壌より分離した細菌 Pseudomonas sp. Q71576株の培養液から新規活性物質を見出し、spiruchostatin AおよびBと命名した。

Spiruchostatin AおよびBの分子式は、高分解能FAB-MSによりそれぞれC20H31N3O6S2およびC21H33N3O6S2と決定し、Bの分子式はAよりメチレンが1個多いものと判明した。また両化合物とも、チオグリセロールを添加したFAB-MSにおいて、2マス大きい分子イオンピークが観測され、分子内にジスルフィド結合を有することが示された。Spiruchostatin A の平面構造は、COSYスペクトルの解析により4つの部分構造を決定し、部分構造間の結合関係をHMBCスペクトル解析により決定することによって明らかにした。Spiruchostatin A は図2に示すようなジスルフィド結合を有する2環性のデプシペプチドであった。Spiruchostatin B も同様の解析によりspiruchostatin A のイソプロピル側鎖がsec-ブチル側鎖に置換した構造であることが判明した。両者のオレフィン炭素の幾何異性はスピン結合定数よりE配置であると決定した。

 次にspiruchostatin B の絶対立体配置の決定を行った。まずspiruchostatin B を過ギ酸処理した後に加水分解を行い、得られたアラニンとシステイン酸を光学異性体が分離可能な溶媒系を用いてODS-HPLCで分析し、それぞれR体、S 体であることを明らかにした。次に3'''位の立体を明らかにするため、spiruchostatin B をオゾン酸化し、カルボン酸に変換した後、加水分解してリンゴ酸を得た。これをHPLCにてリンゴ酸標品と比較した結果、S体であることが判明した。3'''位のアルコールの絶対立体配置については、改良Mosher法によりSと決定した。最後に残ったアルキル側鎖の立体配置はNOEおよび1H-1H、13C-1Hカップリングを解析することにより4''R、5''Sと決定した。

 本系で用いたMv1Lu細胞における、spiruchostatinの効果を検討した。Spiruchostatin A およびBはすでにHDAC阻害剤として知られているtrichostatin A (TSA)と比較して約10倍低い濃度でルシフェラーゼ生産を誘導した(A:7nM〜100μM,B:3nM〜65μM)。しかしながらルシフェラーゼ活性の最大値はTSAよりも低い値を示した。Spiruchostatinは細胞障害を示さず、Mv1Lu細胞の増殖をA、B それぞれIC50値15nM、6.1 nMという低濃度で抑制した。またHDAC阻害活性について検討した結果、両化合物ともに強いHDAC阻害活性を有していることが明らかとなった。

 さらにHeLa細胞を用いて、spiruchostatin AおよびBの細胞周期に対する効果をフローサイトメトリーにより検討した。HeLa細胞を100nMのspiruchostatinAまたはBで処理し、propidium iodideで核染色を行い細胞周期を観察したところ、両化合物ともにGl、G2期停止を誘導することが明らかとなった。

 次にこの細胞周期停止がTSA同様にサイクリン依存性キナーゼ阻害タンパク質であるp16INK4Aおよびp21WAF1の発現によるものであるかを検討するため、spiruchostatin添加による両タンパクの発現を観察した。その結果p16INK4Aおよびp21WAF1の発現上昇が確認されたことから、spiruchostatinはこれら細胞周期阻害タンパク質の発現によって細胞周期停止を誘導することが示唆された。

 HeLa細胞をspiruchostatinで処理すると形態変化が認められる。TSAはHeLa細胞においてアクチンフィラメント調節タンパク質ゲルゾリンを発現させ、アクチンフィラメントの伸長と共に細胞形態変化を引き起こすことが報告されている。そこでHeLa細胞を用いて、ゲルゾリンの発現およびアクチンフィラメントの観察を行った。その結果、spiruchostatinで処理した細胞は、処理後24時間でゲルゾリンの発現が認められ、アクチンフィラメントの伸長も確認された。

 HDACは転写を制御する重要な酵素であることから、近年新しいHDACのクローニングや結合タンパクの解析が盛んに行われている。ヒトのHDACは現在までに8種がクローニングされているが、そのうち組織全般で発現が見られるHDAC1を対象に検討を行った。Spiruchostatinは既知のHDAC阻害剤と異なり、化学修飾可能な水酸基を有している。低分子化合物により標的タンパク質をスクリーニングする場合には、biotin化した化合物をプローブとして利用する方法が有効である。そこでspiruchostatin Bを用いて、2種のbiotin化誘導体を合成した。また、HDAC1の純度および回収率を上げるため、TEVプロテアーゼで切り出すことが可能なTAPタグをつないだHDAC1を調製した。次に微量分子の相互作用を検出可能なBIAcoreを用いて、spiruchostatin BとHDAC1との分子間相互作用の解析を試みた。その結果、biotin化spiruchostatin BとHDAC1との結合は極めて微弱であったが、biotin化していないspiruchostatin BにはHDAC1との特異的な結合が観測された。またDTT存在下でも結合の強さに顕著な変化は見られなかったことから、ジスルフィド結合の開裂はspiruchostatinの活性発現に関与していない可能性が示唆された。

図1. Diheteropeptinおよびphoenistatinの構造

図2. Spimchostatin AおよびBの構造

審査要旨 要旨を表示する

 TGF-βやヒストンデアセチラーゼ(HDAC)阻害剤はP21WAF1などの癌抑制性遺伝子の転写を活性化することが知られており、その抗腫瘍作用が注目されている。本研究は、TGF-βやHDAC阻害剤によって効率よく誘導されるPAI-1遺伝子プロモーターを利用し、リポーターアッセイを用いた探索により得られた新規転写活性化物質の構造と作用を明らかにしたものであり、3章からなる。

 第1章では、Pseudomonas sp. Q71576株の培養液から単離したspiruchostatinについて述べている。Spiruchostatin AおよびBの平面構造は、NMRにおけるCOSYおよびHMBC解析により決定した。次に、spiruchostatin Bの分解により得られるアラニンとシステイン酸がともにD体であることを明らかにした。また、spiruchostatin Bをオゾン酸化し、カルボン酸誘導体に変換した後、加水分解して得られたリンゴ酸がL体であることから3'''位の立体配置をSと決定した。Spiruchostatin Bの3''位の立体配置は、改良Mosher法によりSと決定し、アルキル側鎖の立体配置は、NOEおよび1H-1H、13C-1Hスピン結合を解析することにより4''R、5''Sであることが明らかになった。

 Spiruchostatin AおよびBはMv1Lu細胞におけるPAI-1プロモーターを強く活性化し、その作用濃度範囲はそれぞれ7nM〜100μMおよび3nM〜65μMであった。また、両化合物ともに強いHDAC阻害活性を有していることが明らかとなった。さらに、spiruchostatinは、HeLa細胞においてサイクリン依存性キナーゼ阻害タンパク質であるp16INK4Aおよびp21WAF1の発現上昇を誘導し、細胞周期がG1、G2期で停止することが示された。

 第2章では、Diheterospora chlamydosporia Q58044株より単離したdiheteropeptin、およびAcremonium fusigerum QN5320株より単離したphoenistatinについて述べている。Diheteropeptinは、NMR解析により4残基のアミノ酸を有する環状テトラペプチドであることが明らかになった。加水分解により得られたプロリンとフェニルアラニンは、それぞれD体、L体であることが判明し、2-amino-8,9-dihydroxydecanoic acid(Add)残基中の1,2-ジオールの立体配置は、NOE解析とdibenzoate誘導体のCDスペクトル解析によりR、Rと決定した。Addのα-メチンの立体配置は、ルテニウム酸化後、加水分解して得られたα-アミノスベリン酸の比旋光度からSと決定した。

 Phoenistatinは、COSYおよびHMBCスペクトル解析によりdiheteropeptinと同様に4残基のアミノ酸を有する環状テトラペプチドであることが判明した。

 DiheteropeptinおよびphoenistatinはMv1Lu細胞においてPAI-1プロモーターを強く活性化し、その作用濃度範囲はそれぞれ0.98μM〜1000μM、3nM〜1000μMであった。また、両化合物ともHDAC阻害活性を示し、HDAC阻害を介した転写調節物質であることが判明した。

 第3章は、それぞれの実験法の詳細について述べたものである。

 以上、本論文はPAI-1プロモーターの活性化を指標とした探索により得られたspiruchostatin AおよびB、diheteropeptin、phoenistatinの化学構造を決定し、これらのHDAC阻害を介した転写活性化作用を明らかにしたものであり、学術上、応用上寄与するところが少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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